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【2】
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◇
9時頃になって淑瑠が現れ、久しぶりに他愛ない話をした。
郵便物が大量に来ていて吃驚しただとか、昨日は動物の番組がやっていただとか、暗い内容は一切無しの楽しい話題ばかりだった。
話している途中、淑瑠は窓の外で何かが舞っているのに気がついた。白くて、柔らかそうな物体だ。
「鈴夜、見て」
促され後ろを振り返ると、窓の外には雪がちらついていた。
「わ!雪だ!本当に降ったんだ…!」
昨日、歩が言っていた通りだ。
雪は疎らに、そして緩やかに落ちてゆく。雪の舞う空は少し灰がかった青色をしていた。空気は澄んでいて、いつもよりもくっきりとしているように見えた。
時計の針がほぼ一周して20時頃になると、淑瑠と入れ替わりで歩が現れた。今日の見舞い品は、柑橘類が綺麗にあしらわれたプリンだ。
好意を頂きながら、歩とも変哲のない話をした。
雪の事から始まり、大方は会社の事だったが、気を害する部分は一切加えられなかった。
そんな一人で考える暇もない一日のお陰で、憂鬱になる事も避けることが出来、今日は気持ちを楽に保つ事が出来た。
鈴夜はこの状況を維持し、出来るだけ落ち込んでしまわない状況を作り出そうと、あえて歩を玄関まで送り、窓の外を眺めながら廊下を歩いていた。
廊下はエアコンが行き届かない場所もあるのか、少し肌寒く感じられた。
消灯時間まで、まだ少しだけ時間が残っている。その間、視界に色々な景色を入れようと散策する。
電柱から伸びる電線の影や、木々の揺れる影、街灯に集まる虫、ふわりふわりと闇を照らす雪等、夜にしか見えないものがたくさん見えた。
端まで来て消灯時間が近い事を知り、二階に上がろうと階段の一段目を踏んだ所で、ちらりと見知った人影が目に映る。意識的に人影を追ったが、死角に隠れて見えなくなった。
人影とは、飛翔の物だった。
二人の目を盗んでまた抜け出すつもりなのかもしれないと思い、そっと後を付けることにした。
飛翔はゆるゆると歩いていて、直ぐに見つける事が出来た。
裏の玄関へと差し掛かる。
飛翔は迷う事無く取っ手を回して、そのまま外へと出て行ってしまった。
鈴夜も迷いなく扉を開いた。一気に冷たい空気が流れこむ。薄着の鈴夜には想像以上の冷たさで、一回は反射的に扉を閉めてしまった。
だが、ここで飛翔を見失えば、また柚李や医師が必死になって探すだろう。しかもこの寒い中を、だ。
知っていながら見ない振りをするのはやっぱり出来ないと、連れ戻す覚悟で扉を開いた。
一面に薄っすらと雪が積もり、道路を白く埋めている。
飛翔は相変わらず、ゆっくりと歩いてゆく。自分と何ら変わらぬ薄着に見えるが、寒そうな素振りは一切しない。
対照的に鈴夜は、両腕を抱くようにして摩っていた。
壁沿いに歩く。屋根の下に雪はなく、アスファルトの色がそのまま残っていた。
今年はじめてみる雪がこんな場所でだなんて、考えても居なかった。
そう思いに耽っている内に、飛翔が止まった。
「……え…?」
反射的にその場で制止した鈴夜は、目にした先にあるものに驚いていた。
◇
依仁は携帯を見ながら、また溜め息をついていた。
現状維持と言えばそう見えるが、実際裏ではどんなやり取りをしているか分かった物ではない。
犯人に目星を付けながらも確信は抱けないし、第一犯人になる理由が思いつかなかった。
結局、最終的に直面する問題はいつもこれだ。
だが、犯人である可能性があるなら、確信を導けるように行動するしかないだろう。
依仁は居ても立ってもいられずに、とある場所に向かって、車を発進させた。
◇
緑の家にて、見つけたゲームを弄りながらも、美音は音に気付いた。
「…ねぇ緑、さっきからチャイム鳴ってない?」
「…そうだな」
明らかに居留守を使おうとしている緑に対して、美音は対応を促す。
電気も点けてしまっているのに無視しようとする態度が、緑らしいといえば緑らしいが。
「…出なくていいの?」
「……いいだろう。この時間に来るんだ、きっと碌な奴じゃない」
美音は前、借り物をしに来た時、緑の口から出た人物の名を思い出した。
「それに、美音も見られたくはないだろう?」
「…うーん、ママに知られなければいいやー」
美音はにっこりと笑ってみせた。
緑は―――勿論個人的に嫌だと言うのも理由の一つだったが―――美音が居るから対応を無視しようとしたのが大きかった。
美音と緑の関係は、一般にはあまり知られていない。
美音自身は知られようと構わないみたいだが、緑はあまり知られたくないと思っていた。美音の為に、知られないほうが良いだろうと考えていた。
一階から自分を呼ぶ声が聞こえる。大嫌いなあの声だ。
「…仕方ないな、騒ぐなよ美音」
「はーい」
緑はこれ以上呼ばれ続けても面倒だと考え、渋々対応に当たる事にした。
「遅かったな」
「今日はなんですか、もう夜遅いんですが」
半分だけ開いた扉の先には、依仁が立っていた。表情は真剣そのものだ。
「聞きたい事があってきた」
「手短にお願いします」
「俊也殺したのお前か?」
緑は率直な質問に、刺さる感覚を抱いた。その事件の話は出来れば聞きたくはない。
「…違いますよ、貴方じゃないんですか」
「ちげーよ」
「水無さんの事件の事も、俊也さんの事件の事も、貴方でしょう?」
苛々するから、出来るだけ聞きたくない。
「何で水無さんの事知ってんの?知り合い?」
「…そうですよ」
「緑サイト見てんだろ」
「サイト?何の事ですか?」
次々と切り替わる質問は、尋問でもされているみたいで段々嫌気が差してくる。
昔からこの男は変わらない。自分が幾ら不利な立場にあろうと、余裕を崩したりなんかしなかった。
「…じゃあ警察に出入りしてんのはどういう事なの?」
緑は誰にも話した事のない事実を、よりによって苦手な人物に知られていた事に深い溜め息を落とした。
別に秘密にしていた訳でもないのだ、知られていても可笑しくはないが好い気はしない。
「仕事ですよ」
「嘘付け、お前が警察署と関わりたがると思えねぇ」
緑は、依仁の内面に溢れる感情を読んだ上で、冷静に物を言い返す。
「昔の事は昔の事です、もう関係ないでしょう?」
「…お前、忘れたつもりにでもなってんの…?」
「悪いですか、私は関係ないですので」
依仁は怒りに燃えていた。
緑の放った無慈悲さにより疑いが変化し、もっと強い物へと形を固めてゆく。
「…もう眠いし寒いので、失礼します」
緑は適当に話を終わらせ、扉を勢いよく閉じた。
依仁は車に戻ると即携帯を手にし、鈴夜に警告の電話を入れようと試みた。
だが、電話は繋がらなかった。
9時頃になって淑瑠が現れ、久しぶりに他愛ない話をした。
郵便物が大量に来ていて吃驚しただとか、昨日は動物の番組がやっていただとか、暗い内容は一切無しの楽しい話題ばかりだった。
話している途中、淑瑠は窓の外で何かが舞っているのに気がついた。白くて、柔らかそうな物体だ。
「鈴夜、見て」
促され後ろを振り返ると、窓の外には雪がちらついていた。
「わ!雪だ!本当に降ったんだ…!」
昨日、歩が言っていた通りだ。
雪は疎らに、そして緩やかに落ちてゆく。雪の舞う空は少し灰がかった青色をしていた。空気は澄んでいて、いつもよりもくっきりとしているように見えた。
時計の針がほぼ一周して20時頃になると、淑瑠と入れ替わりで歩が現れた。今日の見舞い品は、柑橘類が綺麗にあしらわれたプリンだ。
好意を頂きながら、歩とも変哲のない話をした。
雪の事から始まり、大方は会社の事だったが、気を害する部分は一切加えられなかった。
そんな一人で考える暇もない一日のお陰で、憂鬱になる事も避けることが出来、今日は気持ちを楽に保つ事が出来た。
鈴夜はこの状況を維持し、出来るだけ落ち込んでしまわない状況を作り出そうと、あえて歩を玄関まで送り、窓の外を眺めながら廊下を歩いていた。
廊下はエアコンが行き届かない場所もあるのか、少し肌寒く感じられた。
消灯時間まで、まだ少しだけ時間が残っている。その間、視界に色々な景色を入れようと散策する。
電柱から伸びる電線の影や、木々の揺れる影、街灯に集まる虫、ふわりふわりと闇を照らす雪等、夜にしか見えないものがたくさん見えた。
端まで来て消灯時間が近い事を知り、二階に上がろうと階段の一段目を踏んだ所で、ちらりと見知った人影が目に映る。意識的に人影を追ったが、死角に隠れて見えなくなった。
人影とは、飛翔の物だった。
二人の目を盗んでまた抜け出すつもりなのかもしれないと思い、そっと後を付けることにした。
飛翔はゆるゆると歩いていて、直ぐに見つける事が出来た。
裏の玄関へと差し掛かる。
飛翔は迷う事無く取っ手を回して、そのまま外へと出て行ってしまった。
鈴夜も迷いなく扉を開いた。一気に冷たい空気が流れこむ。薄着の鈴夜には想像以上の冷たさで、一回は反射的に扉を閉めてしまった。
だが、ここで飛翔を見失えば、また柚李や医師が必死になって探すだろう。しかもこの寒い中を、だ。
知っていながら見ない振りをするのはやっぱり出来ないと、連れ戻す覚悟で扉を開いた。
一面に薄っすらと雪が積もり、道路を白く埋めている。
飛翔は相変わらず、ゆっくりと歩いてゆく。自分と何ら変わらぬ薄着に見えるが、寒そうな素振りは一切しない。
対照的に鈴夜は、両腕を抱くようにして摩っていた。
壁沿いに歩く。屋根の下に雪はなく、アスファルトの色がそのまま残っていた。
今年はじめてみる雪がこんな場所でだなんて、考えても居なかった。
そう思いに耽っている内に、飛翔が止まった。
「……え…?」
反射的にその場で制止した鈴夜は、目にした先にあるものに驚いていた。
◇
依仁は携帯を見ながら、また溜め息をついていた。
現状維持と言えばそう見えるが、実際裏ではどんなやり取りをしているか分かった物ではない。
犯人に目星を付けながらも確信は抱けないし、第一犯人になる理由が思いつかなかった。
結局、最終的に直面する問題はいつもこれだ。
だが、犯人である可能性があるなら、確信を導けるように行動するしかないだろう。
依仁は居ても立ってもいられずに、とある場所に向かって、車を発進させた。
◇
緑の家にて、見つけたゲームを弄りながらも、美音は音に気付いた。
「…ねぇ緑、さっきからチャイム鳴ってない?」
「…そうだな」
明らかに居留守を使おうとしている緑に対して、美音は対応を促す。
電気も点けてしまっているのに無視しようとする態度が、緑らしいといえば緑らしいが。
「…出なくていいの?」
「……いいだろう。この時間に来るんだ、きっと碌な奴じゃない」
美音は前、借り物をしに来た時、緑の口から出た人物の名を思い出した。
「それに、美音も見られたくはないだろう?」
「…うーん、ママに知られなければいいやー」
美音はにっこりと笑ってみせた。
緑は―――勿論個人的に嫌だと言うのも理由の一つだったが―――美音が居るから対応を無視しようとしたのが大きかった。
美音と緑の関係は、一般にはあまり知られていない。
美音自身は知られようと構わないみたいだが、緑はあまり知られたくないと思っていた。美音の為に、知られないほうが良いだろうと考えていた。
一階から自分を呼ぶ声が聞こえる。大嫌いなあの声だ。
「…仕方ないな、騒ぐなよ美音」
「はーい」
緑はこれ以上呼ばれ続けても面倒だと考え、渋々対応に当たる事にした。
「遅かったな」
「今日はなんですか、もう夜遅いんですが」
半分だけ開いた扉の先には、依仁が立っていた。表情は真剣そのものだ。
「聞きたい事があってきた」
「手短にお願いします」
「俊也殺したのお前か?」
緑は率直な質問に、刺さる感覚を抱いた。その事件の話は出来れば聞きたくはない。
「…違いますよ、貴方じゃないんですか」
「ちげーよ」
「水無さんの事件の事も、俊也さんの事件の事も、貴方でしょう?」
苛々するから、出来るだけ聞きたくない。
「何で水無さんの事知ってんの?知り合い?」
「…そうですよ」
「緑サイト見てんだろ」
「サイト?何の事ですか?」
次々と切り替わる質問は、尋問でもされているみたいで段々嫌気が差してくる。
昔からこの男は変わらない。自分が幾ら不利な立場にあろうと、余裕を崩したりなんかしなかった。
「…じゃあ警察に出入りしてんのはどういう事なの?」
緑は誰にも話した事のない事実を、よりによって苦手な人物に知られていた事に深い溜め息を落とした。
別に秘密にしていた訳でもないのだ、知られていても可笑しくはないが好い気はしない。
「仕事ですよ」
「嘘付け、お前が警察署と関わりたがると思えねぇ」
緑は、依仁の内面に溢れる感情を読んだ上で、冷静に物を言い返す。
「昔の事は昔の事です、もう関係ないでしょう?」
「…お前、忘れたつもりにでもなってんの…?」
「悪いですか、私は関係ないですので」
依仁は怒りに燃えていた。
緑の放った無慈悲さにより疑いが変化し、もっと強い物へと形を固めてゆく。
「…もう眠いし寒いので、失礼します」
緑は適当に話を終わらせ、扉を勢いよく閉じた。
依仁は車に戻ると即携帯を手にし、鈴夜に警告の電話を入れようと試みた。
だが、電話は繋がらなかった。
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