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◇
樹野と歩は横並びに座っていた。静寂が痛いくらいに落ちてくる。
少しすると扉から慌しく医師が出てきて、樹野と歩の前に立った。二人は同時して、勢い良く顔を上げる。
「浅羽さん、もう大丈夫ですよ!」
ナースの顔には微笑があった。汗と共に浮かべられた微笑が心を突き刺す。
樹野はまた泣いていた。恐らく、安堵の齎した涙だろう。
「……先生ぇ…」
子どものようなしゃくしゃの顔は、深く深い喜びを映し出していた。歩は、詰まっていた息を吐き出して微笑む。
「……良かった…」
微笑みながらも、強くなった思いを樹野に向けて口にした。
依仁が命を狙われているのは一目瞭然だ。それはきっと、この騒ぎが続く限り付き纏い、二人を安心させる事はないのだろう。
「…………樹野ちゃん、この騒ぎ私がどうにかしてみるよ。頑張るから、依仁くんを見守ってやってくれ…」
「……先生、お願いします…私達を助けてください…」
樹野は真摯に意見を受け取ってくれたのか、真っ直ぐ視線を合わせると、立ち上がり深々とお辞儀をした。
◇
鈴夜が病院にやって来ると、丁度向かいから美音がとぼとぼ歩いてきた。すぐさま着信の意味を知り、駆け寄る。
「…みっ、美音さん…!」
「…鈴夜さん…向かわれてたんですね…」
肩で息をする鈴夜を見ながら、美音は乾いていてどこか暗い瞳を鈴夜に向けた。雰囲気に一瞬怖気づく。
「…淑兄…は…」
「……部屋に、行ってみて下さい…」
美音は部屋番号を呟くと、周りの人が驚くのを他所に真直ぐ走って出て行ってしまった。
鈴夜は、今にも立ち止まってしまいそうな足を無理矢理に動かす。
だが階段に差しかかろうとしたところで、胸の不快感を覚えた。体を纏う気配にすぐ勘付いたは良いが、対応にかかる前に別の症状にも襲われ、その場で蹲ってしまった。
脈拍が速くなり、寒気で震える。冷や汗が流れ落ちて呼吸が乱れた。
病院に居た事もあり、すぐさま人が駆け寄ってきて、声を掛けてくれたが、いっぱいいっぱいで受け取る事が出来ない。
「鈴夜くん!?」
だが、聞きなれた声質だけははっきりと脳に響いてきた。
丁度上の階から降りてきた歩は、そのまま鈴夜に駆け寄り、その背を摩った。
「辛いのか?大丈夫?」
歩は聞いた症状を思いだし、判断すると静かな静かな声で呼びかける。
「大丈夫、大丈夫だよ、立てるかな? おいで」
鈴夜の起立を手助けすると、直ぐに長椅子に横にならせた。その際、頭に血が上らないよう膝枕をする。
「直ぐに先生が来てくれるよ。大丈夫、ゆっくり息して」
伝う汗を指で優しく拭いながら、落ち着かせる台詞を聞かせていると、直ぐに医師がやってきた。
医師は鈴夜の状態を理解していた為、直ぐに処置に当たってくれた。
その後、気付いたら部屋で点滴を受けていた。放心状態に陥っていて、物事を上手く考えられない。
ただ、淑瑠の元へ行かなくては、とだけ心が訴えている。
「……折原さん……」
歩は、撫でるため髪に乗せていた、左手の動きを止めた。
「ん? 大丈夫か?」
「……淑兄は……?」
「えっ? ……えっと来ていないけど?」
鈴夜は様子に絶句したものの、暫くして噛み合わない原因を理解した。違う意味で震えが襲う。
「………事件……淑兄……」
歩には、鈴夜の言いたい事が今一理解出来なかった。依仁の事件報道を誤解している所までは何と無く分かったのだが、誤解する理由が思いつかない。
「……無事…ですか、ね…」
もしや、淑瑠と連絡が取れないのだろうか。
「少し電話してみるよ、一旦外すね」
歩は予想を確認するために、席を立った。
鈴夜は行動に唖然としながらも、空っぽの脳内では次なる言葉を作り上げる事が出来なかった。
長い時間戻らない歩の帰りを待ちながらも、はっきりとしてきた意識は淑瑠の姿を求めるだけだった。状態を憂慮してしまい、落ち着けない。
早く淑瑠に会いたい。淑瑠の笑顔が見たい。
「……鈴夜くん……」
扉を開いた歩は、急いだのか酷く息を切らしている。
「……折原…さん……」
「淑瑠君の事が分かったよ」
駆け寄ってきた歩は、真剣な眼差しをしていた。恐らく長時間戻ってこなかったのは、淑瑠の状態について突き止めていたからなのだろう。
「…し、…淑兄は…」
座り込んだまま強張る。全身の筋肉が硬直してしまい動けない。
「事故にあってしまったらしい、でも一命は取り留めたみたいだよ」
「え?」
事件ではなく、事故であった事にまず驚きが隠せなかった。そしてから歩の物言いに気付く。
「…状態、悪いんですか…?」
「直接顔を見ていないから分からない、けれど意識はあるみたいだ」
鈴夜は一時的に安堵した。意識があれば、失命の危険はないはずだ。だが重い状態にある事は、話を聞いてきた歩の雰囲気だけで読み取れた。
「私、行って来るよ。鈴夜くんは?」
「……行きます……」
正直言うと恐れしかないが、それでも淑瑠の無事をこの目で見たいと思った。
控え目にしたノックに、返事は無かった。歩と鈴夜は顔を見合わせて浅く頷くと、意を決しゆっくりと扉を開く。
「淑瑠君?」
淑瑠は鎖骨付近に点滴を受け、体勢を横に向けながら苦痛に表情を歪めていた。頭痛がするのかぎゅっと目を閉じていて、右手で額を押さえている。左手は口元を強く塞いでいた。露になった胸元が上下していて、呼吸が辛いのも分かる。
「……淑兄」
明らかな苦しみが見えて、鈴夜は私事のように感じてしまい、また瞳を潤ませる。
二人の存在に気付いていないらしき淑瑠に、何と声を掛ければ良いのか分からず、絶句してしまった。
暫く見ていた鈴夜だったが、目の前で苦しむ淑瑠の前、耐え切れず嗚咽してしまった。堪えきれない声が漏れ出してしまったのだ。
「…………鈴、夜……?」
静寂に、淑瑠の弱い声が落ちた。
「………鈴夜……なの……?」
薄く瞳を開けた淑瑠の視線が、鈴夜の存在を探す。鈴夜は直ぐに見えそうな範囲へと入り、口から離れた左手にそっと触れた。淑瑠は少し呆然としていて、あまり焦点が合わない様子だ。
「……淑兄……僕だよ、ここだよ」
漸く鈴夜と淑瑠の目が合った。歩は扉の前に佇んだまま、静かに呼吸を飲み込む。
「……鈴…夜……、ごめん……鈴、夜……」
「何が。いいよ…分かったよ淑兄…」
痛みに悶えながらも、何かを必死になって訴える淑瑠を見て居たくなかったが、目を逸らす事はしなかった。
暫くして、医師が点滴の交換をしにやってきたのを期に、歩と鈴夜は一旦部屋を出た。
罪悪感が突き刺さる。また自分の所為で不幸にしてしまった。自分が復帰を促した所為で、淑瑠を苦しめる事になってしまった。
死こそ招かなかったが、それでも苦痛を与える結果になってしまった。繕えない苦しさなのだ、尋常のものではないはずだ。
「鈴夜くん、自分を責めてはいけないよ。鈴夜くんのせいじゃないからな」
歩の慰めが図星で、鈴夜は黙り込む。心痛で胸が痛くて、泣きすぎて頭も痛くて、体も重い。けれど淑瑠の方がそれ以上に辛いんだとの考えに結びつき、もっと深く抉られる。
「…………もう死にたい……」
鈴夜はついに発言してしまった。見ているのも思うのも辛くて、いっそ意識を失ってしまいたいと思った。そして一生目覚めたく無いと思った。
「……何言ってるんだ、そんな事言うな……私はそんなの嫌だからな……」
歩側に合った左手首が、やんわりと握られた。まるで傷を包むような感覚に、悲しみが誘発される。
「…淑瑠君だって嫌だよ、誰が今の彼を支えるんだ…」
「……分かってます、ごめんなさい…」
歩の手厳しい言葉が、自分を繋ぎ止める為作り上げられたものだと、鈴夜には直ぐに分かった。
事実、今の淑瑠を放置するのは、絶対に出来ない。
「……どうやって謝ればいいんだろう……」
淑瑠の赦しを浮かべながら、鈴夜は口を塞いだ。
結局その後、淑瑠は強い痛み止めの投与のお陰で眠ってしまい、鈴夜達はやりきれない思いを持ち帰宅した。
歩に念を押されて自宅に戻った鈴夜は、心の傷を癒す目的で手首を深く切り続けた。
淑瑠の歪んだ顔を思い出し、ごめんなさいと呟きながら。
樹野と歩は横並びに座っていた。静寂が痛いくらいに落ちてくる。
少しすると扉から慌しく医師が出てきて、樹野と歩の前に立った。二人は同時して、勢い良く顔を上げる。
「浅羽さん、もう大丈夫ですよ!」
ナースの顔には微笑があった。汗と共に浮かべられた微笑が心を突き刺す。
樹野はまた泣いていた。恐らく、安堵の齎した涙だろう。
「……先生ぇ…」
子どものようなしゃくしゃの顔は、深く深い喜びを映し出していた。歩は、詰まっていた息を吐き出して微笑む。
「……良かった…」
微笑みながらも、強くなった思いを樹野に向けて口にした。
依仁が命を狙われているのは一目瞭然だ。それはきっと、この騒ぎが続く限り付き纏い、二人を安心させる事はないのだろう。
「…………樹野ちゃん、この騒ぎ私がどうにかしてみるよ。頑張るから、依仁くんを見守ってやってくれ…」
「……先生、お願いします…私達を助けてください…」
樹野は真摯に意見を受け取ってくれたのか、真っ直ぐ視線を合わせると、立ち上がり深々とお辞儀をした。
◇
鈴夜が病院にやって来ると、丁度向かいから美音がとぼとぼ歩いてきた。すぐさま着信の意味を知り、駆け寄る。
「…みっ、美音さん…!」
「…鈴夜さん…向かわれてたんですね…」
肩で息をする鈴夜を見ながら、美音は乾いていてどこか暗い瞳を鈴夜に向けた。雰囲気に一瞬怖気づく。
「…淑兄…は…」
「……部屋に、行ってみて下さい…」
美音は部屋番号を呟くと、周りの人が驚くのを他所に真直ぐ走って出て行ってしまった。
鈴夜は、今にも立ち止まってしまいそうな足を無理矢理に動かす。
だが階段に差しかかろうとしたところで、胸の不快感を覚えた。体を纏う気配にすぐ勘付いたは良いが、対応にかかる前に別の症状にも襲われ、その場で蹲ってしまった。
脈拍が速くなり、寒気で震える。冷や汗が流れ落ちて呼吸が乱れた。
病院に居た事もあり、すぐさま人が駆け寄ってきて、声を掛けてくれたが、いっぱいいっぱいで受け取る事が出来ない。
「鈴夜くん!?」
だが、聞きなれた声質だけははっきりと脳に響いてきた。
丁度上の階から降りてきた歩は、そのまま鈴夜に駆け寄り、その背を摩った。
「辛いのか?大丈夫?」
歩は聞いた症状を思いだし、判断すると静かな静かな声で呼びかける。
「大丈夫、大丈夫だよ、立てるかな? おいで」
鈴夜の起立を手助けすると、直ぐに長椅子に横にならせた。その際、頭に血が上らないよう膝枕をする。
「直ぐに先生が来てくれるよ。大丈夫、ゆっくり息して」
伝う汗を指で優しく拭いながら、落ち着かせる台詞を聞かせていると、直ぐに医師がやってきた。
医師は鈴夜の状態を理解していた為、直ぐに処置に当たってくれた。
その後、気付いたら部屋で点滴を受けていた。放心状態に陥っていて、物事を上手く考えられない。
ただ、淑瑠の元へ行かなくては、とだけ心が訴えている。
「……折原さん……」
歩は、撫でるため髪に乗せていた、左手の動きを止めた。
「ん? 大丈夫か?」
「……淑兄は……?」
「えっ? ……えっと来ていないけど?」
鈴夜は様子に絶句したものの、暫くして噛み合わない原因を理解した。違う意味で震えが襲う。
「………事件……淑兄……」
歩には、鈴夜の言いたい事が今一理解出来なかった。依仁の事件報道を誤解している所までは何と無く分かったのだが、誤解する理由が思いつかない。
「……無事…ですか、ね…」
もしや、淑瑠と連絡が取れないのだろうか。
「少し電話してみるよ、一旦外すね」
歩は予想を確認するために、席を立った。
鈴夜は行動に唖然としながらも、空っぽの脳内では次なる言葉を作り上げる事が出来なかった。
長い時間戻らない歩の帰りを待ちながらも、はっきりとしてきた意識は淑瑠の姿を求めるだけだった。状態を憂慮してしまい、落ち着けない。
早く淑瑠に会いたい。淑瑠の笑顔が見たい。
「……鈴夜くん……」
扉を開いた歩は、急いだのか酷く息を切らしている。
「……折原…さん……」
「淑瑠君の事が分かったよ」
駆け寄ってきた歩は、真剣な眼差しをしていた。恐らく長時間戻ってこなかったのは、淑瑠の状態について突き止めていたからなのだろう。
「…し、…淑兄は…」
座り込んだまま強張る。全身の筋肉が硬直してしまい動けない。
「事故にあってしまったらしい、でも一命は取り留めたみたいだよ」
「え?」
事件ではなく、事故であった事にまず驚きが隠せなかった。そしてから歩の物言いに気付く。
「…状態、悪いんですか…?」
「直接顔を見ていないから分からない、けれど意識はあるみたいだ」
鈴夜は一時的に安堵した。意識があれば、失命の危険はないはずだ。だが重い状態にある事は、話を聞いてきた歩の雰囲気だけで読み取れた。
「私、行って来るよ。鈴夜くんは?」
「……行きます……」
正直言うと恐れしかないが、それでも淑瑠の無事をこの目で見たいと思った。
控え目にしたノックに、返事は無かった。歩と鈴夜は顔を見合わせて浅く頷くと、意を決しゆっくりと扉を開く。
「淑瑠君?」
淑瑠は鎖骨付近に点滴を受け、体勢を横に向けながら苦痛に表情を歪めていた。頭痛がするのかぎゅっと目を閉じていて、右手で額を押さえている。左手は口元を強く塞いでいた。露になった胸元が上下していて、呼吸が辛いのも分かる。
「……淑兄」
明らかな苦しみが見えて、鈴夜は私事のように感じてしまい、また瞳を潤ませる。
二人の存在に気付いていないらしき淑瑠に、何と声を掛ければ良いのか分からず、絶句してしまった。
暫く見ていた鈴夜だったが、目の前で苦しむ淑瑠の前、耐え切れず嗚咽してしまった。堪えきれない声が漏れ出してしまったのだ。
「…………鈴、夜……?」
静寂に、淑瑠の弱い声が落ちた。
「………鈴夜……なの……?」
薄く瞳を開けた淑瑠の視線が、鈴夜の存在を探す。鈴夜は直ぐに見えそうな範囲へと入り、口から離れた左手にそっと触れた。淑瑠は少し呆然としていて、あまり焦点が合わない様子だ。
「……淑兄……僕だよ、ここだよ」
漸く鈴夜と淑瑠の目が合った。歩は扉の前に佇んだまま、静かに呼吸を飲み込む。
「……鈴…夜……、ごめん……鈴、夜……」
「何が。いいよ…分かったよ淑兄…」
痛みに悶えながらも、何かを必死になって訴える淑瑠を見て居たくなかったが、目を逸らす事はしなかった。
暫くして、医師が点滴の交換をしにやってきたのを期に、歩と鈴夜は一旦部屋を出た。
罪悪感が突き刺さる。また自分の所為で不幸にしてしまった。自分が復帰を促した所為で、淑瑠を苦しめる事になってしまった。
死こそ招かなかったが、それでも苦痛を与える結果になってしまった。繕えない苦しさなのだ、尋常のものではないはずだ。
「鈴夜くん、自分を責めてはいけないよ。鈴夜くんのせいじゃないからな」
歩の慰めが図星で、鈴夜は黙り込む。心痛で胸が痛くて、泣きすぎて頭も痛くて、体も重い。けれど淑瑠の方がそれ以上に辛いんだとの考えに結びつき、もっと深く抉られる。
「…………もう死にたい……」
鈴夜はついに発言してしまった。見ているのも思うのも辛くて、いっそ意識を失ってしまいたいと思った。そして一生目覚めたく無いと思った。
「……何言ってるんだ、そんな事言うな……私はそんなの嫌だからな……」
歩側に合った左手首が、やんわりと握られた。まるで傷を包むような感覚に、悲しみが誘発される。
「…淑瑠君だって嫌だよ、誰が今の彼を支えるんだ…」
「……分かってます、ごめんなさい…」
歩の手厳しい言葉が、自分を繋ぎ止める為作り上げられたものだと、鈴夜には直ぐに分かった。
事実、今の淑瑠を放置するのは、絶対に出来ない。
「……どうやって謝ればいいんだろう……」
淑瑠の赦しを浮かべながら、鈴夜は口を塞いだ。
結局その後、淑瑠は強い痛み止めの投与のお陰で眠ってしまい、鈴夜達はやりきれない思いを持ち帰宅した。
歩に念を押されて自宅に戻った鈴夜は、心の傷を癒す目的で手首を深く切り続けた。
淑瑠の歪んだ顔を思い出し、ごめんなさいと呟きながら。
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