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【2】
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◇
淑瑠の目の前には、選び抜かれた頑丈なコードが垂れ下がっていた。少し上側には輪が作られていて、先端はカーテンレールに結び付けられている。
そして、足の先には踏み台がある。
この選択は他でもない、自分の為だけのものだ。それでも選ぶしか最善の道がないような気がして、目を逸らす事が出来なかった。
きっと泣かせる事になる。深く深く傷つける事になる。鈴夜が自分の事を愛してくれているのは、よく分かっているから。
それでも、恐れしかない未来から、希望の見えない未来から逃げるにはこれしかないんだ、だから。
「……鈴夜ごめん、許して……」
淑瑠は壁と杖を支えに、震える足で椅子に乗り、首にコードをかけた。
◇
明灯の家のチャイムが鳴った。明灯は読みかけの本に栞を挟み、すぐさま扉を開く。
多分柚李だろうと思い扉を開けたが、扉の前に居たのは見知らぬ女性だった。服装から直ぐに警官だと悟る。
「なんですか?」
「新和警察の大塚ねいと申します。少しお聞きしたい事がございまして、少しお時間頂けますか?」
明灯は背後に眠る罪の意識を覆い隠し、いつもの柔らかな笑顔を作った。
「いいですよ……」
「……一連の事件についてのお話から、聞いて頂いても宜しいですか?」
控え目ながらはっきりと切り出したねいの、真直ぐな瞳に見覚えがあるのを明灯は思い出していた。
◇
鈴夜は、ふらふらとしながら階段を上がっていた。しかし、淑瑠の家がある二階の踊り場を通り過ぎようとして大きな音が聞こえ、立ち止まってしまった。
「……淑兄?」
得体の知れない不穏感が、胸を締め付ける。急いで淑瑠の家の前まで向かい、呼び鈴を鳴らす。
――――だが、何度押しても反応はない。
もしかして転んでしまっただろうか。そして頭を打っていたら。打ち所が悪かったら。
鈴夜は想像を膨らませて、階段を駆け上がっていた。
ふら付きにより転びかけながらも自宅に入り、玄関に荷物を放り投げると、淑瑠から受け取ったままの合鍵を手に取る。
鞄は置いたまま家を飛び出して、淑瑠の玄関にて、縺れる手で鍵を回した。
「淑兄!!」
玄関から呼んでも、反応がない。
リビングを開くと、そこには目を閉じ倒れる淑瑠の姿があった。向こう側に垂れるコードも目に止まる。
「淑……兄……?」
悟ってしまう。淑瑠がしていた事を。解けてはいるが天井から紐状の物がかかっているのだ、目的は一つしか見えない。
「淑兄! 淑兄!!」
駆け寄り大声で呼びかけると、淑瑠は呻った。
「淑兄……」
まだ命があった事に、鈴夜は泣いていた。加えて捨てようとしていた事実も身に染みて、ぽたぽたと落ちる涙は止まらない。
携帯で病院に連絡しようと後ろポケットに手を伸ばしたが、ポケットは空で、鞄に入れたまま置いて来てしまった事に気づいた。
「…………す……ずや……?わ、たし……」
「淑兄!」
鈴夜は意識の回復に、即座に身を寄せ顔を覗きこむ。
「……うぅ」
淑瑠は痛みを自覚したのか、強く表情を歪めた。口元にも手を当てて呼吸を荒げる。
「淑兄! びょ、病院……! 電話借りるね……!」
淑瑠の携帯を探し立ち上がろうとした鈴夜の腕が、強い力で掴まれて立ち上がる事が出来なかった。
「……いい……やめて……」
塞いでいた手を離し、涙目になる淑瑠を目に焼き付けながらも、必死の訴えを無視する事もできず、鈴夜はその場にぺたりと座り込んだ。
揺れも無くなり、下がるだけのコードから目を逸らして、苦痛に悶える淑瑠を目に映す。
「……病院……行ったほうが良いよ……」
「………直ぐ……治まる、から……」
「……でも!!」
「お願い……!!」
体が凍り付いてしまい、淑瑠に慰めを差し出すことすら出来ない。座ったままその場で硬直してしまう。
事故の後遺症なのか、失敗して転倒した際に打ちつけた痛みなのかも見極められず、混乱しか出来ない。
苦しむ淑瑠がぼやけて、まともに見る事が出来なかった。
◇
明灯は話しながら漸く、記憶からねいの存在を引き摺りだしていた。昔娘が通っていた学校で、見た記憶がある。
「もしかして大塚さんも……」
「……はい、私も被害者です」
柚李が前に、警察署に友人が居ると話していた。そして、その人物にはよくお世話になっているとも話していた。もしかして柚李の言っていたその人は、ねいだったのだろうか。
「もしかして柚李さんのお友達ですか?」
「……えっ?」
ねいは名詞を出されて、目を丸くしていた。
柚李はねいにも少しだけ明灯の話をしていた。同じ被害者家族である事と、もう1つ重要な話を。
「……じゃあ貴方が……」
「……なんだ、そこまで話していたんですか。相当信頼されているのですね……」
にっこりと微笑んだ明灯の後ろにある、底の見えない感情にねいは少しだけ怖気づいた。
◇
美音は居ても経っても居られずに、病院に来ていた。だが、淑瑠の居た部屋は既に全くの別人が使っていて唖然としてしまう。
その場で携帯の電源をつけて見たが、着信なるものは最近一通も入っていない。
通信はエリアにてお願いします、と注意してきたナースに淑瑠の事を尋ねたが、既に退院したとの事で美音は眉を顰めてしまっていた。
しかしそうなれば、進むべき道は一つしかない。
美音は覚悟を決めて、病院を出た。
◇
深夜もずっと淑瑠は苦痛にもがいていた。吐き気と首の痛みが治まらないのか、口と首に手を強く当てて横になりながら蹲っている。
鈴夜が何度病院に行こうと薦めようと応じる様子は見せず、必死に拒否を訴えるだけだった。
途中一度チャイムがなったにも拘らず、強く腕が掴まれ対応に当たる事も出来なかった。
滴る汗を拭う事しか出来ずに、鈴夜は泣いていた。淑瑠に会った時言おうとしていた言葉が、全て奥へと落ちてゆく。
誰でもいい、どうか早く苦しみを解放してあげて下さい。自分が痛くなっても良いから助けて下さい。
笑えるようになんて言わないから。淑瑠の求めるように、ちゃんと離れるから。距離を取るから。もう我儘は言わないから。誰かこの時間を終わらせてください。
自分なんて、死んだって良いから――――。
淑瑠の目の前には、選び抜かれた頑丈なコードが垂れ下がっていた。少し上側には輪が作られていて、先端はカーテンレールに結び付けられている。
そして、足の先には踏み台がある。
この選択は他でもない、自分の為だけのものだ。それでも選ぶしか最善の道がないような気がして、目を逸らす事が出来なかった。
きっと泣かせる事になる。深く深く傷つける事になる。鈴夜が自分の事を愛してくれているのは、よく分かっているから。
それでも、恐れしかない未来から、希望の見えない未来から逃げるにはこれしかないんだ、だから。
「……鈴夜ごめん、許して……」
淑瑠は壁と杖を支えに、震える足で椅子に乗り、首にコードをかけた。
◇
明灯の家のチャイムが鳴った。明灯は読みかけの本に栞を挟み、すぐさま扉を開く。
多分柚李だろうと思い扉を開けたが、扉の前に居たのは見知らぬ女性だった。服装から直ぐに警官だと悟る。
「なんですか?」
「新和警察の大塚ねいと申します。少しお聞きしたい事がございまして、少しお時間頂けますか?」
明灯は背後に眠る罪の意識を覆い隠し、いつもの柔らかな笑顔を作った。
「いいですよ……」
「……一連の事件についてのお話から、聞いて頂いても宜しいですか?」
控え目ながらはっきりと切り出したねいの、真直ぐな瞳に見覚えがあるのを明灯は思い出していた。
◇
鈴夜は、ふらふらとしながら階段を上がっていた。しかし、淑瑠の家がある二階の踊り場を通り過ぎようとして大きな音が聞こえ、立ち止まってしまった。
「……淑兄?」
得体の知れない不穏感が、胸を締め付ける。急いで淑瑠の家の前まで向かい、呼び鈴を鳴らす。
――――だが、何度押しても反応はない。
もしかして転んでしまっただろうか。そして頭を打っていたら。打ち所が悪かったら。
鈴夜は想像を膨らませて、階段を駆け上がっていた。
ふら付きにより転びかけながらも自宅に入り、玄関に荷物を放り投げると、淑瑠から受け取ったままの合鍵を手に取る。
鞄は置いたまま家を飛び出して、淑瑠の玄関にて、縺れる手で鍵を回した。
「淑兄!!」
玄関から呼んでも、反応がない。
リビングを開くと、そこには目を閉じ倒れる淑瑠の姿があった。向こう側に垂れるコードも目に止まる。
「淑……兄……?」
悟ってしまう。淑瑠がしていた事を。解けてはいるが天井から紐状の物がかかっているのだ、目的は一つしか見えない。
「淑兄! 淑兄!!」
駆け寄り大声で呼びかけると、淑瑠は呻った。
「淑兄……」
まだ命があった事に、鈴夜は泣いていた。加えて捨てようとしていた事実も身に染みて、ぽたぽたと落ちる涙は止まらない。
携帯で病院に連絡しようと後ろポケットに手を伸ばしたが、ポケットは空で、鞄に入れたまま置いて来てしまった事に気づいた。
「…………す……ずや……?わ、たし……」
「淑兄!」
鈴夜は意識の回復に、即座に身を寄せ顔を覗きこむ。
「……うぅ」
淑瑠は痛みを自覚したのか、強く表情を歪めた。口元にも手を当てて呼吸を荒げる。
「淑兄! びょ、病院……! 電話借りるね……!」
淑瑠の携帯を探し立ち上がろうとした鈴夜の腕が、強い力で掴まれて立ち上がる事が出来なかった。
「……いい……やめて……」
塞いでいた手を離し、涙目になる淑瑠を目に焼き付けながらも、必死の訴えを無視する事もできず、鈴夜はその場にぺたりと座り込んだ。
揺れも無くなり、下がるだけのコードから目を逸らして、苦痛に悶える淑瑠を目に映す。
「……病院……行ったほうが良いよ……」
「………直ぐ……治まる、から……」
「……でも!!」
「お願い……!!」
体が凍り付いてしまい、淑瑠に慰めを差し出すことすら出来ない。座ったままその場で硬直してしまう。
事故の後遺症なのか、失敗して転倒した際に打ちつけた痛みなのかも見極められず、混乱しか出来ない。
苦しむ淑瑠がぼやけて、まともに見る事が出来なかった。
◇
明灯は話しながら漸く、記憶からねいの存在を引き摺りだしていた。昔娘が通っていた学校で、見た記憶がある。
「もしかして大塚さんも……」
「……はい、私も被害者です」
柚李が前に、警察署に友人が居ると話していた。そして、その人物にはよくお世話になっているとも話していた。もしかして柚李の言っていたその人は、ねいだったのだろうか。
「もしかして柚李さんのお友達ですか?」
「……えっ?」
ねいは名詞を出されて、目を丸くしていた。
柚李はねいにも少しだけ明灯の話をしていた。同じ被害者家族である事と、もう1つ重要な話を。
「……じゃあ貴方が……」
「……なんだ、そこまで話していたんですか。相当信頼されているのですね……」
にっこりと微笑んだ明灯の後ろにある、底の見えない感情にねいは少しだけ怖気づいた。
◇
美音は居ても経っても居られずに、病院に来ていた。だが、淑瑠の居た部屋は既に全くの別人が使っていて唖然としてしまう。
その場で携帯の電源をつけて見たが、着信なるものは最近一通も入っていない。
通信はエリアにてお願いします、と注意してきたナースに淑瑠の事を尋ねたが、既に退院したとの事で美音は眉を顰めてしまっていた。
しかしそうなれば、進むべき道は一つしかない。
美音は覚悟を決めて、病院を出た。
◇
深夜もずっと淑瑠は苦痛にもがいていた。吐き気と首の痛みが治まらないのか、口と首に手を強く当てて横になりながら蹲っている。
鈴夜が何度病院に行こうと薦めようと応じる様子は見せず、必死に拒否を訴えるだけだった。
途中一度チャイムがなったにも拘らず、強く腕が掴まれ対応に当たる事も出来なかった。
滴る汗を拭う事しか出来ずに、鈴夜は泣いていた。淑瑠に会った時言おうとしていた言葉が、全て奥へと落ちてゆく。
誰でもいい、どうか早く苦しみを解放してあげて下さい。自分が痛くなっても良いから助けて下さい。
笑えるようになんて言わないから。淑瑠の求めるように、ちゃんと離れるから。距離を取るから。もう我儘は言わないから。誰かこの時間を終わらせてください。
自分なんて、死んだって良いから――――。
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