Criminal marrygoraund

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【2】

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 その数分前、柚李はじっと樹野を見ていた。長い間見続けていた。
 ――樹野が席を離れる瞬間を、ずっとずっと待っていたのに。

 期待は空しく、樹野はその場を動こうとしなかった。夜になった今も、まだマフラーを編み続けている。
 時々解き直しては、少しずつ長くしていく。とても切なげで、しかし幸福そうな顔で。

「……完成いつになりそう?」
「うーん、まだもうちょっとかかるかな?」

 マフラーを見詰め直し、純粋に笑う樹野を見ていると決意が揺れ惑う。けれど明灯の元へと帰る為、ねいとの約束を果たす為、今日全て終わらせると決めたから。

「……そう。なら残念だね……」

 柚李は樹野の横で、徐に銃を取り出し、ゆっくりと依仁へと向けた。樹野は動きに顔を上げて、物体を捉える。

「……樹野ちゃん、ごめん」

樹野は、突如現れた銃の存在に唯々呆然としている。

「……私、被害者遺族なの、ずっと犯人達に復讐してたの……浅羽さんで最後なの……」

 柚李は樹野より一歩前に出て、ゆっくり依仁に近付いてゆく。無防備な依仁は、動く気配一つない。

「……浅羽さんを殺したら私も死ぬ。だから許して……」

 引き金に手をかけようとした瞬間、樹野が柚李を越えて依仁に被さった。マフラーと鉤の落ちる音だけが、小さく後を追う。

「だ、だめ!」

 小さくもはっきりとした叫びが、柚李の中で響く。

「どいて」
「……や、やだ!」

 瞳は潤んで今にも泣きそうで、体だって震えているのに、樹野は依仁から離れようとしない。がっしりと張り付いて、瞳だけをこちらへと向けている。

「どいてよ」

 態と作った禍々しい声で脅しつけてみても、樹野は怯えた瞳を更に潤ませるだけだ。
 柚李は、必死に命を賭して守ろうとする樹野を、見ていられなくなり叫んでいた。

「……殺したそいつが悪いんだよ! だから!!」
「違うの! 依仁君は悪くないの! 悪いのは私なの!!」

 だが、叫びに掻き消されて、柚李の声は消えていった。
 樹野は強い眼差しを柚李へと向け、体勢を変えたかと思えば勢いよくその手を取り、扉へと走り出す。

「え! ちょっと待ってよ! 樹野ちゃん!!」

 強い力で引っ張られ、依仁から離されてゆく。
 依仁を殺して明灯と共に心中し、全てが終わるはずだったのに。計画が潰れてしまう。
 けれど一方で柚李は、言葉の深層に引き寄せられていて、いつしか強い拒否を止めてしまっていた。

 樹野は走る。柚李の手を引いて。大好きな人を殺そうとした、大好きな友人の手を引いて。逃がさないように、強く強く。

 こんな事になるなんて、考えてもみなかった。
 依仁が危険な立場にいるのも、共に行動する事で命を落とすかもしれない事も、ちゃんと知っていたつもりだったのに、こんな状況になるなんて思っていなかった。思いたくも無かった。

 もう直ぐすれば、歩が来てくれるだろう。誰も居なければ傍についていてくれるはずだ。
 だからそれまで、距離を取らせるのが今の務めだ。依仁を守ると決めたから。
 ずっと守ってくれたから、次は私の番だよ。


「どういうこと?」

 樹野と柚李は人通りの無い建物裏にやってきていた。随分と無我で走っていたから、樹野自身、自分がどこにいるか分かっていなかった。

「…………だからあの……あの事件は依仁くんが悪いんじゃないの……」
「話して、全部教えて」

 柚李の淡々とした物言いに、恐怖心が煽られる。銃で殺されるイメージが脳裏に浮かぶ。
 けれど、それでも、依仁を守る為、覚悟は出来ているつもりだ。怖いけど、怖くて足が竦むけど。

「……依仁くんを殺さないで下さい……全部話すから……依仁くんを許してあげてください……」

 怖くて声まで震える。声量も囁き程しか出ない。
 数瞬の静寂が流れて、静かな空気の中に一言落ちた。

「…………分かった……」
「…………柚李ちゃんの事、信じるね…。…あのね、事件の真相はこうです…」

 話す事で殺されてしまうとしても。もう、方法が見つからないから、考えられないから。
 樹野は、詰まる息をどうにか深く吸い、ぽつりぽつりと真実を編み始めた。

「……私のお母さんは、モンスターペアレントです……」

 馬鹿馬鹿しい単語を口にするのが、恥ずかしく重い。樹野は緊張で倒れてしまいそうになりながらも、ゆっくりと続けていった。

 樹野の母親は、樹野への愛ゆえに学校の方針に口を出す、通称モンスターペアレントと言う存在だった。しかもその度合いが一般を遥かに超えていて、幾つもの規定を変えてしまったり、先生を泣かせたりと、相当酷いものだった。
 だが、そんな母親当人に悪気や罪悪感はなく、クレームは日々学校を悩ませていた。

 結果、連鎖が導く物は樹野への虐めだった。何かと理由を付けられ酷く虐げられた教師や、クレーム対処により被害を受けた一部の生徒も一緒になって、樹野に言葉の暴力と見えない乱暴を繰り返していた。勿論、樹野の親には分からない所で。
 樹野自身、苛めの原因が母親にある事で何も言えず、ただ耐える事しか選べなかった。

 だが、そんな樹野を守ってくれたのが、依仁や勇之、淑瑠たちだった。3人も何も言わずに、けれど虐めて来る人間には対抗しながら庇ってくれた。味方してくれる先生も居たが、一人では歯が立たず、子どもの力でどうにかなるものでもなく、苛めは終わりを見せなかった。
 随分長い事耐えたが、精神力は削られるばかりで、終わりの見えない地獄に絶望しか抱けなかった。

 そんな時、言ってしまったのだ。当時は何でもない言葉だったが、今考えると引き金はそれだったと思う。
¨もう嫌だ¨と¨もう耐えられない¨と。

 その数日後、依仁達に一日だけ学校を休むようにと言われて、不審に思いながらも従った。その日、あの忌々しい事件が起こった。

「……だから、全ての原因は私なの……私さえ我慢してればあんな事件は無かったの……」

 そう、自分さえ生まれなければ。運命が少しでも狂っていれば。事件自体ある筈の無かった出来事だったのだ。

「……そう、じゃあ樹野ちゃんも加害者なんだね……」

 樹野は、強張る体をどうにか動かし、浅く頷いた。認める先が意味する物を悟りながらも、弁解する気にはなれなかった。
 きっと、生まれた時から運命は決まっていたんだ。罪深い自分が、今まで生きてこられた方が奇跡だったんだ。

「…………そっか、じゃあバイバイだね……」

 柚李の手に構えられた銃が、樹野の方へと口を向けた。

 せめて、マフラー渡したかったなぁ。
 最後に依仁の笑顔を見たかったなぁ。大好きだって、もう一度伝えたかったなぁ。

 小さな事から大きな事まで、様々な後悔が走馬灯のように、流れてゆく。
 けれど、これは罰だと思うから、たくさんの人を不幸へと誘ってしまった自分への罰だから。

 けれど、願わせてもらえるならば、どうか依仁だけはずっと元気でいてくれると良いな。
 引き金がゆっくりと動きかけて、樹野は目を閉じた。

 ――――けれど、音は鳴らなかった。その代わりに聞き慣れた声が聞こえてきて、樹野は薄く瞳を開ける。

「……止めるんだ」

 目の前に居たのは歩だった。両手を大きく広げて、庇う体勢を取っている。死を覚悟した直後の希望に、雫が落ちる。

 歩は樹野の部屋に向かう際、二人が深刻な顔で出て行くのを見かけていた。雰囲気から唯事ではないと悟り、密かに追いかけていた。
 樹野の語りを止めようか否かと迷いながら二人を見ていたが、銃を持ち出した所で反射的に飛び出したのだ。

「……そんな事をしても何にもならない……」
「……どいて下さい」

 柚李の瞳には迷いが見えた。歩は柚李の中の葛藤を見破り、どうにか方向性を変えようと目論む。

「……駄目だ、復讐したって何にもならないだろう……」

 しかし、上手い言葉という物は、いざと言う時に限って出てきてはくれない。

「……それでも、するんです」
「亡くなった君の大事な人の為にも、それは……!」

 突如の鋭い音と共に、太腿に激しい熱気を感じた。思わずよろけてその場に倒れこむ。右腿からは血が流れ出していて、時差で痛みが襲ってきた。
 柚李は、冷たい目で歩を見ている。その瞳に光は無く、もう迷いさえも見えなかった。

「……止めろ……」

 立ち上がろうにも、足の痛みが邪魔して立ち上がる事ができない。
 柚李はゆっくりと近付いてくると、樹野に向けて銃を突きつけた。倒れた角度の関係から、樹野の表情は見えないが、酷く怯えているのが容易に描ける。

 守らなくてはならないのに。誰一人として守れなかった、あの日の後悔はもうしたくないのに。
 どうして体が動いてくれない。どうしてこんなにも重い。怖がる樹野を、助けてあげるのが今の務めなのに。

「…………依仁くんの事、お願いします……」

 か細い声に、歩は目を見開く。
 ――――と同時に、何発もの銃声が鳴った。


 鈴夜は震えていた。歩が去った後、不安定さが加速して思考が止まらなくなってしまったのだ。
 歩の言葉も、温度も、淡い決意も心から消えた訳ではなく、死へと向かいたがる気持ちを何度も抑制してくれた。

 淑瑠や大智をはじめ、凜や飛翔も、岳も志喜も、勇之も緑も、美音の分も前を向いて生きなくてはならないと何度も自分に聞かせる。
 けれどそれでも、死なせてしまった自分が生きていて良いのだろうかとか、生きる事はきっと皆を殺した罰で、だから受け容れるべきだとか、思いがぐちゃぐちゃに混ざり合って、否定しあって、混乱してしまう。

 ただ前を見て、幸せに、平凡に生きたいだけなのに。永遠に叶う気がしなくて涙が溢れてくる。

「……苦しいよ……淑兄……大智……」

 笑顔が上手く思い出せない。

「……でも、生きなきゃ……生きなきゃいけないよね……」

 鈴夜は何度も何度も、もう何十回も己に聞かせた言葉を口にした。
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