もしもしんだなら

有箱

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第三話:誰かを想うこと

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 あれからも日数を重ね、季節は初秋になった。その間も興味本位で来る生徒は何人もおり、幾つもの死体と涙を見た。
 少年とは、擦れ違うことすらなかった。

 だが、再会は突然だ。あの日見た後ろ姿が、そっくりそのまま前を歩いていたのだ。前と言えど、随分な距離はあるが。放課後の人の少ない廊下を、とぼとぼと進んでいた。
 その暗い背中には、払いきれていない土が付いている。

 土を見て、脳内に会話の一部が浮かんできた。
 確か彼は、親に知られたくないと話していた。ならば、あの状態は芳しくないのではないだろうか。

 何かを察した先生から親へ――という実に単純な流れを想像し、行動を決めた。

 だが、歩くスピードが早いのか中々追いつけない。
 走る気にはなれず早歩きで追いかけていたが、結局追いついたのは彼が屋上に辿り着いてからだった。

 影でも落ちていると錯覚しそうなほど、暗い暗い背中に近付く。その瞳は、じっと真下の運動場を見詰めていた。

「土付いてるよ」
「うわぁ!」

 真横に立ったというのに、気配すら察していなかったらしい。バランスを失ったのかフェンスを強く掴んだ。

「背中」
「あっ、あぁ」

 意図を汲み取ったのか、確りと貼りついている土をパンパンと叩く。
 その間、目のやり場が無かったのか少年は再び運動場を眺め始めた。横顔が、何だか切なげだ。

 同じように見てみると、和気藹々と戯れる生徒達が見えた。その様子は、青春を連想させる。

「楽しそうだね」
「……うん」

 空返事をした彼が、何を思っているか分かった気がした。心ではなく、頭での話だが。

***

 静かな空気だ。運動場の喧騒だけが聞こえている。土は殆ど見えなくなって、背中は大分綺麗になった。

「椎名けい
「何?」

 突然の開口に、疑問符が浮かぶ。

「名前!」
「それは分かってる」

 どういう心理で自己紹介をしてきたのか、やはり私には分からなかった。しかし、追究しようとも思わない。

「俺さ、家族好きなんだ」

 名前の暴露に大した意味は無かったらしく、少年――慧は早々話題を切り替えた。

「宮園は?」

 予想外の質問ではあったが、驚きは無かった。直ぐに出てきた答えを唇に乗せる。

「私は、どうだろう」
「どうだろうってお前……」
「あ、でも置いていかれるのは嫌かも」

 今は随分薄れたが、両親が消えた当時は苦い感情を抱いた記憶がある。俄かだが思い出した。

「何かごめん」
「何が?」
「…………分かんねぇならいいや」

 慧は相変わらず、下ばかり見詰めている。生徒の数は少しずつ減り、比例して声も消えていく。

「俺さ、死にたいんだ」
「知ってる」
「えっ、ここ普通もっと驚かねぇ!?」

 振り向いた慧は、心からの驚愕を浮かべていた。彼は本当によく表情が変わる。今まで見てきた、誰よりも多彩かもしれない。

「そんなものなの?」
「……変な奴……」

 またも変化した顔色は、何とも説明の付かない色をしていた。無情にも見える、しかし私にはない色だった。

 なぜ驚かなかったのか。理由は単純だ。
 私は、慧が本気で言っているとは思っていない。今までの人間がそうだったように、口先だけで語っているのではないかと疑っている。

 とは言え、痛苦を味わっているのは嘘ではないだろう。そこは理解している積もりだ。
 もちろん、何と無くだが。

「じゃあ、私帰るね」

 空の色が沈んできたのを見計らい、翻る。今日の広告商品は何だっただろうと、今朝の記憶を探り出す。

「えっ、あっ、ありがと! あ、あのさ、もう一回見てくれない!?」

 呼び止め――られてはいないが足が止まった。首だけ動かして横目を流す。

「今? 突然だね」
「うん、今が良い」

 見覚えのある瞳がそこにはあった。真剣で、全く濁りの無い瞳だ。きっとこれは、遊び半分ではない懇願――。

「分かった、いいよ」

 断ろうと思えば出来たが、どうしてかする気にはなれなかった。

***

 要望に応え、見てみたが結果は変わらなかった。残酷な死体と、両親が打ちひしがれる様子が見えただけだった。

「前と全く同じ、何も変わらない」
「……そっか」

 慧の視線がそれ、真横へと揺らいだ。そのまま体勢ごと移動し、フェンスに肘を乗せる。背丈は低くとも、立派な背中が目に映った。

「……やっぱ死ねねぇなぁ……家族に辛い思いさせたくねぇしな……」

 ポツリ零れた発言は、私の中に新しい発見を残す。

「悲しまれたら嬉しいんだと思ってた」

 もっと思うべき事があるのかもしれないが、私の心にはそれしか浮かばなかった。

「何それ、悲しませたら悲しいだろ普通」

 普通と言われ、定義が揺らぐ。校内の小さな領域内では、〝悲しまれると嬉しい〟と、そう反応する者が多かったのだ。故に、そちらが普通だと思っていた。

「そう、普通って難しいね」
「……やっぱ変な奴だよなぁ」

 泣く人の存在を告げると、安心したような顔をする人がいる。自分には泣くほどの価値があったと、そう喜んだりする人もいる。
 もちろん慧と同じ様な人間も居たが、ここでは少数派だ。

「見てくれてありがと。俺、頑張るわ」
「うん、頑張って」

 揺ら揺ら振られた手の平を見て、反射的に振り返した。その行動から終了を汲み取り、再び別れを告げる。

「宮園、またな」
「うん」

 予定時刻を押していた事もあり、空返事だけをした。 

***

 彼は、魔法使いか何かだろうか。それか、顔を見知ったから、そう錯覚しているだけだろうか。
 あの日以降、私と慧はよく会うようになった。

 大体見つけるのは私で、彼は決まって暗い背中をしていた。汚れた服も傷跡も、見慣れた一部になっていた。
 優等生面した彼らに、虐められている場面も何度も見たし、金を取られている場面も見た。

 因みに今日は、担任に用事を頼まれ、歩いていて教室内に彼を見つけた。

「ぶどうコッペよく食べてるね」
「うわぁ!」

 誰もいない空き教室で、慧は干し葡萄入りのコッペパンを齧っていた。外装から、スーパーの安物だと分かる。

「相変わらず気配ねぇな……」
「うん」

 何の気も無く、出会ったから声を掛けて話をする。それが、恒例になりつつあった。
 とは言え、特別な感情は何一つ無い。

 ただ、他事をしているよりも面白いから。ただの興味本位で。知識の補完に。などなど、理由を挙げればそんな程度だ。

 隣の椅子に腰掛ける。机の上には、いつの物か分からない落書きがあった。

「転校したいなぁ」

 開口一番、慧は言う。彼はいつも、突拍子に話をはじめる。
 しかし、知らないだけでそれが普通なのかもしれない。

「親に言ってみたら?」
「無理無理、言えねぇ」
「転校するお金がないの?」
「そう言う訳じゃなくてさ、悩んでるの知らせたくねぇんだ」

 安物のコッペパンは、あっという間にお腹に消えた。食事はそれ以上無く、大きな水筒の水を繰り返し飲んでいる。

「家族の事、相当好きなんだね。全然分からないや」

 そもそも私には感情が無いのだ。〝好き〟がどういう状態かなんて、理解できる訳がなかった。
 もちろん、知識の上でなら知っているが。

「誰かを好きになったこと、一度もねぇの?」
「うん」
「何かを好きになったことは?」
「覚えてない」
「……そうか」

 慧は、複雑そうな面持ちで顎に手を当てる。この会話中に、幾つ表情を変えただろう。

「でも、その方が良いかもな」

 視線を私から外した慧は、窓へと目を遣った。同じように見てみたが、クリーム色のカーテンしか見えなかった。

「そうなの」
「好きは、重いから」

 今日もまた、一つ学習した。

 ――好きを知らないのは、良い事らしい。
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