もしもしんだなら

有箱

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第七話:何時の間にか

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 たった一週間、経過するだけで気温は更に低くなる。
 元々、縛りの少ない学校である所為か、スカートの下にジャージを着用する生徒が増えてきた。因みに私もその一人である。

 その他にも、中にパーカーを来たり防寒素材の服を着たりと、必死で寒さに抗っている。
 加えて帰宅ラッシュである今は、多種多様なマフラーと手袋が目にチラついた。

 そんな中、またも慧は薄着をしていた。白い長袖シャツにズボンとの装いは、見るからに寒そうだ。
 明らかにその影響と見られるくしゃみをして、階段を駆け上がってゆく。

 慧を見かけるのは、あの日以来だ。財布を見て、涙を流していたあの日以来――。

 回想と同時に、苛めっ子の台詞が脳内に現れた。正直な話、この一週間ですっかり忘れ去ってしまっていた。
 そう言えば、あの言葉は一体何を含んでいたのだろう。

 不思議と気になり始め、屋上へと向かうであろう慧を追いかけることにした。
 忠告を受け止め、周囲に誰もいないことを確認した上で。

***

 慧は、全く気付いていない様子だ。気配を消すことは愚か、隠れてすら――距離はあれど真後ろにいるのに全く持って気付かない。
 それほどに深く思案しているのだろう、振り向く素振り一つ見せなかった。

 背中は暗い。暗鬱さの比較までは出来ないが、はっきりとした影は見える。
 きっとまだ、虐めを苦に自殺を考えているのだろう。もちろん、家族の為、実行はしないのを前提に。

 一足早く辿り着いた慧を追い、屋上に出る。そこでも、見えたのは背中だった。
 フェンスに肘を欠け、一心に地上を見詰めている。後ろ姿でも分かるくらい、真っ直ぐにだ。

「私の為に何かした?」
「うおお」

 やっと存在に気付いた慧は、驚愕して腰を抜かしていた。表情の全てで驚きを表現するその顔は、変わらず傷だらけだ。

「苛めっ子が言ってた」
「……何も。てか話掛けてくんなよ、また絡まれるぞ」
「誰も居なかったから大丈夫」

 返す言葉が見つけられないのか、慧は黙ってしまった。そうして、再び地上へと視線を落とす。
 同じように地上を見たが、カラフルで楽しげな生徒達が見えるだけだった。

 そのまま、暫く何も交わさなかった。

 しかし、思うところがあったのだろう。慧がポツリと弱音を零す。

「……俺さ、いつまで我慢すればいいかな」

 尻目で見た横顔は、苦く笑っていた。目線が合わさる事も無く、再び地上を見る。
 生徒の数は激減し、運動場は土色に支配されていた。 

「苛めっ子が居なくなるまでじゃない」
「…………あー、ならあと一年は確実かぁ……」
「って事は、卒業生ではないんだね」
「うん、それは確か。……はぁ、一年か、長いなー」
「うん、頑張れ」
「おま……他人事みたいに……まぁ、それが一番か……あっ!」

 突然の大声に釣られ、顔を上げた事で漸く互いの目が合った。灰色の空には、薄橙の夕日が覗いている。

「何?」
「俺、時間だわ」

 相当緊急の用事なのか、語尾が切れる寸前から走り出した。そうして扉の前まで行き、僅かに翻る。

「明日からはもう話しかけてくんなよ!」

 慧は歯を見せ、無邪気に笑った。夕日に照れされたその顔は、優しく切なげだった。
 私の心を、言い表せない感情が包んだ。

***

 一年が過ぎると、興味を持つ人間も少なくなってくるのだろう。春頃に比べ、能力を求める人間が減ったように思う。
 最近は見る機会も減り、比例して自由時間が増えた。校内散策に行けるくらいの暇はある。

 ここ最近、妙に教室外に出たくなる。普段は篭る選択ばかりするのに、自分でも不思議だ。人口の多い教室の空気が、心地悪くなったのかもしれない。

 向かう場所は、当日の気分次第だ。
 運動場の端を歩いてみたり、裏庭に出て反対側から校舎を見てみたり、屋上に向かい、上から下を眺めてみたり――。
 誰もいない空間を、一人きりで無意味に歩むのだ。

「…………寒い」

 ただ、最終的には〝なぜ私は態々冷えに行くのだろう〟との疑問に襲われたが。

***

 卒業式当日、土砂降りの雨が降った。数日間ずっと晴天が続いていたのに、なんて不運なのだと卒業生は嘆く。
 それでも式は滞りなく進められ、あちらこちらから啜り無く声が聞こえてきた。在校生の中にも、釣られて涙する生徒が数人見受けられた。

 私はというと、感傷的になる事も無ければ何かを思う事もなく、ただ他の組の列を眺めていた。
 あの後ろ姿は、どこにも見当たらなかった。

 またも、慧と会わない日々が続いている。向こうが上手く避けているのか巡り合わせがないのか、以前とは逆で全く会わなくなった。
 それでも差し支えは無かったが、漸く特定の人物の姿形を覚えたからか少し物足りなさは感じる。

 表現が合っているか自分でもよく分からないが、とにかく物足りなさがあるのだ。心が欠けているような、不足しているような感覚に襲われる。

 だが、彼に会ったところで声掛けを禁止されているのだ。見つけた所であまり意味はないか、と敢えて意識しないことにした。

 そして、そのまま春休みになった。

***

 家の中は温かい。人の声もなければテレビの音声もなく、非常に静かでもある。

「美和ちゃん、最近元気ない?」

 隣で手芸をしていた祖母が、突然尋ねてきた。する事もないと、読んでいた教科書を伏せる。

「そうなの?」
「いつもの美和ちゃん?」

 目を上げた祖母が、不安げに首を傾げた。同じように傾げながら、ここ数日の自分を振り返ってみる。
 だが、思い当たる節はない。

「うん、だと思う」
「そう? なら良いけれど」

 会話が区切られると、祖母は再び手芸を始めた。敗れた服の一部を、器用に縫い合わせている。

 不格好に敗れていた部分は、見違えるほど綺麗になった。
 この技術があると、何かと便利かもしれない。例えば、破れた服を縫ってあげるとか。

「……手芸って楽しい?」
「楽しいよ、やってみる?」
「うん」

 祖母は、新たな布切れを裁縫道具から出した。そうして、針と糸も取り出した。
 久しぶりに取り組む新たな物事は、何だか楽しく思えた。

 手取り足取り教わり、裁縫に熱中していると、五時を知らせるメロディが響きだした。
 脳の片隅にすっかり追い遣られていた、タイムバーゲンを思い出す。

「買い物行かなきゃ」

 布に糸を通したまま、針を針山に刺した。私が立ち上がると同時に、祖母も懸命に起立する。

「美和ちゃん、いつも寒いのにありがとね」
「ううん、行ってきます」

 見送りの為にと付いてきた祖母に目配せだけし、私はスーパーへと走り出した。

***

 吐く息が白い。大きく息を放つと、その度に白さが浮かんでは消える。裏道に人は居らず、冬特有の清々しさがあった。

 沈んだ町の色は目に優しく、新たな刺激を与えてこない。錆びたパイプも外壁も、静かにそこにあるだけだ。
 まさに、幽霊通りと呼ぶに相応しい景色である。

 何にも目移りせず、ただただ脳内をバーゲンで満たしていると、不意に鮮やかな色が目に映った。
 惹かれるように焦点を変えると、そこには公園があった。公園には、赤い服を来た人物が――慧が居た。
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