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ちらほらと残っていた生徒達の笑い声も消え、教室は何時の間にか静かになった。
「斉藤は、まだ帰らないのか?」
「うん、もうちょっとだけ居る」
私の目の前、一人だけ残った女子生徒の名は斉藤凛音と言う。
物静かで無口な生徒だ。ここ最近、毎日のように遅くまで教室に居る。
私は何を言う事もなく、日課のように教卓でノートに目を通していた。
時々、目を上げて斉藤を見ると、夕暮れで赤く染まった窓の外を見つめたままだった。
この教室は3階に位置しているから、空がよく見える。
「ねぇ先生」と、斉藤が不意に小さく声を零した。
「ん?どうした??」
「向こうの世界ってどんな風が吹いてると思う?」
全く話の見えない質問に、私は正直戸惑いしか抱けなかった。
「…えっと、向こうの世界っていうのは?」
「死んだ先の世界」
淡々と零された声とは裏腹に、表情は優しい。
「……うーん、分からないなぁ…、どうかした?」
曖昧な返事と、斉藤の心を解く為の言葉を繋ぎ合わせて返す。
「ううん、少し…」
言葉を濁す斉藤。
もしかしたら心の中で何かが起こっているのかもしれないと、強制でも無関心でもない言葉を選び出した。
「何かあったら相談しろよ?」
斉藤は心配を感じ取ったのか、そこで漸く理由を話してくれた。
「…本当に大丈夫だから、昨日ペットのウサギが死んじゃって落ち込んでいただけ」
「そうか、良かった」
大した理由でなくて良かった、と心の底から安心した。もし自殺を考えていたら、どうしようと思ったのだ。
斉藤はゆっくり立ち上がると、鞄を手に、別れの挨拶も無しに教室を出て行った。
年頃の少女は、考えている事がよく分からない。
教師になって随分経つが、それは新人の頃から未だに変わらない。
*
次の日も斉藤は、一番最後まで残っていた。
しかし今日は生憎の雨で、土砂降りが見えるだけだ。
「雨粒って素敵ね」
斉藤の急な見解に、正直今日もどう返答していいものか分からなかった。
彼女が何を考え、何を思いそこに辿り着いたのか、私には一切想像も出来なかったのだ。
「どういうところが素敵だと思ったんだ?」
否定でもなく、肯定でもない返答。
誰の心も傷つけず、厄介ごとにもならず、凌げる方法だと私は思っている。
「だって、雨粒は落ちて、流れて、太陽に吸い上げられて、雲になって、また降るのよ」
表情を変えないまま、無情でじっと土砂降りの空を見つめる。
「ずっと巡る事ができるの、まるで輪廻みたいに」
「なるほど、確かに神秘的だ。斉藤はすごい事を考えるな」
本当に凄い事を考える。私には、そんな神秘考えた事すらなかった。
「ううん、急に思いついただけ」
「そうか」
「雨粒になってみたいな」
自分は絶対に思わないような事を、斉藤は言ってのける。やっぱり、その真意は分からない。
だが、巡る事が美しいと言っていた。ならば、
「…旅にでも出たいのか?」
「旅も良いね」
どうやら違ったらしく、斉藤は共感を浮かべた。口元が僅かに綻んだ。
その日結局、教室の施錠の時間まで斉藤は残っていた。
*
次の日、斉藤は休みだった。理由は風邪を引いたとの事だった。
私は妙に心配になって、生徒名簿を調べ家へと電話する事にした。
だが、家にかけても誰も出ない。
確か斉藤の家は、母親が専業主婦をしていたと思った。出ないという事は、恐らく外出中なのだろう。
斉藤はきっと、部屋で休んでいるに違いない。
*
次の日斉藤は、いつも通りの顔で学校にやってきた。まるで風邪なんか引いていなかったように、涼しい顔をしている。
「斉藤、風邪大丈夫か?」
「…大丈夫です」
間が空いたように思えて、その間が少し気になったが、まだ本調子ではないのだろうと流した。
*
その日の放課後も、斉藤は一人ぼっちで外を見つめていた。
そう言えば、斉藤が誰かと共にいるのを私は見た事がない。
「斉藤、まだ本調子じゃないんだろう?早めに帰って休まなくても大丈夫か?」
「…うん」
肯定されてしまえば、もう何も言えない。
私は会話に蓋をしたまま、また生徒のノートに目を通し始めた。
――暫くすると、斉藤がまたぽつりと声を作る。
「先生、大人は何で素直じゃないの?」
「…どうかしたか?」
いつもとは雰囲気の違う質問に、更に深層が見えなくなる。
何かがあったのはあったのだろうが、質問一つで読み取れるほど私は賢い人間ではないのだ。
「…なんとなく」
他の生徒も使うこの言葉は、きっと若者達の間では魔法の言葉なのだろう。
真実を告げたくない時に、適当に済ませたい時に使える便利な言葉。
「…それは性格にも寄る気がするけどなぁ」
何の情報もないまま話を投げ合うというのは、結構な至難の業なのだが、それに斉藤は気付いていないらしい。
「確かに。でも大人はいい顔ばかりしようとする」
目の前に大の大人が居ながら断言してしまう強さは、どこから来ているんだろうと不思議になる。
それかよっぽど、そういう大人にしか出会ってこなかったのだろうか。
「社会に出たら、人目を気にして過ごさないと上手くいかない事も多いからな」
もちろん学生内もそうだと思うが、実際大人になってみて、それは大人の方が強いと思う。
繕わなければ、はばかられる。
「やっぱり」
斉藤は経験話を飲み込んでくれたのか、はたまた別の理由か、それだけ言うと教室を出て行ってしまった。
*
次の日は私自身が急用による臨時休みで、斉藤とは会わなかった。
代わりに教室を見てくれていた教師へと、更に翌日一応声をかけてみる。
「昨日、生徒達どうでしたか?」
「嗚呼、変わらずいつも通りでしたよ?」
「放課後も?」
「放課後?」
「最近、斉藤という生徒が遅くまで教室に居るんですよ。だから少し気になっちゃって」
また不思議発言をしていなかったかも、とても気になる。
「そうでしたか、昨日は斉藤さんも授業が終わったら直ぐに帰宅してましたよ」
「…そうですか」
もしかしたら、自分が居る時だけ残っていてくれたのだろうか、と考えたが、偶然だろうと流した。
「斉藤は、まだ帰らないのか?」
「うん、もうちょっとだけ居る」
私の目の前、一人だけ残った女子生徒の名は斉藤凛音と言う。
物静かで無口な生徒だ。ここ最近、毎日のように遅くまで教室に居る。
私は何を言う事もなく、日課のように教卓でノートに目を通していた。
時々、目を上げて斉藤を見ると、夕暮れで赤く染まった窓の外を見つめたままだった。
この教室は3階に位置しているから、空がよく見える。
「ねぇ先生」と、斉藤が不意に小さく声を零した。
「ん?どうした??」
「向こうの世界ってどんな風が吹いてると思う?」
全く話の見えない質問に、私は正直戸惑いしか抱けなかった。
「…えっと、向こうの世界っていうのは?」
「死んだ先の世界」
淡々と零された声とは裏腹に、表情は優しい。
「……うーん、分からないなぁ…、どうかした?」
曖昧な返事と、斉藤の心を解く為の言葉を繋ぎ合わせて返す。
「ううん、少し…」
言葉を濁す斉藤。
もしかしたら心の中で何かが起こっているのかもしれないと、強制でも無関心でもない言葉を選び出した。
「何かあったら相談しろよ?」
斉藤は心配を感じ取ったのか、そこで漸く理由を話してくれた。
「…本当に大丈夫だから、昨日ペットのウサギが死んじゃって落ち込んでいただけ」
「そうか、良かった」
大した理由でなくて良かった、と心の底から安心した。もし自殺を考えていたら、どうしようと思ったのだ。
斉藤はゆっくり立ち上がると、鞄を手に、別れの挨拶も無しに教室を出て行った。
年頃の少女は、考えている事がよく分からない。
教師になって随分経つが、それは新人の頃から未だに変わらない。
*
次の日も斉藤は、一番最後まで残っていた。
しかし今日は生憎の雨で、土砂降りが見えるだけだ。
「雨粒って素敵ね」
斉藤の急な見解に、正直今日もどう返答していいものか分からなかった。
彼女が何を考え、何を思いそこに辿り着いたのか、私には一切想像も出来なかったのだ。
「どういうところが素敵だと思ったんだ?」
否定でもなく、肯定でもない返答。
誰の心も傷つけず、厄介ごとにもならず、凌げる方法だと私は思っている。
「だって、雨粒は落ちて、流れて、太陽に吸い上げられて、雲になって、また降るのよ」
表情を変えないまま、無情でじっと土砂降りの空を見つめる。
「ずっと巡る事ができるの、まるで輪廻みたいに」
「なるほど、確かに神秘的だ。斉藤はすごい事を考えるな」
本当に凄い事を考える。私には、そんな神秘考えた事すらなかった。
「ううん、急に思いついただけ」
「そうか」
「雨粒になってみたいな」
自分は絶対に思わないような事を、斉藤は言ってのける。やっぱり、その真意は分からない。
だが、巡る事が美しいと言っていた。ならば、
「…旅にでも出たいのか?」
「旅も良いね」
どうやら違ったらしく、斉藤は共感を浮かべた。口元が僅かに綻んだ。
その日結局、教室の施錠の時間まで斉藤は残っていた。
*
次の日、斉藤は休みだった。理由は風邪を引いたとの事だった。
私は妙に心配になって、生徒名簿を調べ家へと電話する事にした。
だが、家にかけても誰も出ない。
確か斉藤の家は、母親が専業主婦をしていたと思った。出ないという事は、恐らく外出中なのだろう。
斉藤はきっと、部屋で休んでいるに違いない。
*
次の日斉藤は、いつも通りの顔で学校にやってきた。まるで風邪なんか引いていなかったように、涼しい顔をしている。
「斉藤、風邪大丈夫か?」
「…大丈夫です」
間が空いたように思えて、その間が少し気になったが、まだ本調子ではないのだろうと流した。
*
その日の放課後も、斉藤は一人ぼっちで外を見つめていた。
そう言えば、斉藤が誰かと共にいるのを私は見た事がない。
「斉藤、まだ本調子じゃないんだろう?早めに帰って休まなくても大丈夫か?」
「…うん」
肯定されてしまえば、もう何も言えない。
私は会話に蓋をしたまま、また生徒のノートに目を通し始めた。
――暫くすると、斉藤がまたぽつりと声を作る。
「先生、大人は何で素直じゃないの?」
「…どうかしたか?」
いつもとは雰囲気の違う質問に、更に深層が見えなくなる。
何かがあったのはあったのだろうが、質問一つで読み取れるほど私は賢い人間ではないのだ。
「…なんとなく」
他の生徒も使うこの言葉は、きっと若者達の間では魔法の言葉なのだろう。
真実を告げたくない時に、適当に済ませたい時に使える便利な言葉。
「…それは性格にも寄る気がするけどなぁ」
何の情報もないまま話を投げ合うというのは、結構な至難の業なのだが、それに斉藤は気付いていないらしい。
「確かに。でも大人はいい顔ばかりしようとする」
目の前に大の大人が居ながら断言してしまう強さは、どこから来ているんだろうと不思議になる。
それかよっぽど、そういう大人にしか出会ってこなかったのだろうか。
「社会に出たら、人目を気にして過ごさないと上手くいかない事も多いからな」
もちろん学生内もそうだと思うが、実際大人になってみて、それは大人の方が強いと思う。
繕わなければ、はばかられる。
「やっぱり」
斉藤は経験話を飲み込んでくれたのか、はたまた別の理由か、それだけ言うと教室を出て行ってしまった。
*
次の日は私自身が急用による臨時休みで、斉藤とは会わなかった。
代わりに教室を見てくれていた教師へと、更に翌日一応声をかけてみる。
「昨日、生徒達どうでしたか?」
「嗚呼、変わらずいつも通りでしたよ?」
「放課後も?」
「放課後?」
「最近、斉藤という生徒が遅くまで教室に居るんですよ。だから少し気になっちゃって」
また不思議発言をしていなかったかも、とても気になる。
「そうでしたか、昨日は斉藤さんも授業が終わったら直ぐに帰宅してましたよ」
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