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変化する人生(2/2)
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二度あることは三度ある。珍しく、僕の中に上向きな台詞が浮かんでいる。
ベッドから見える空は、雷を味方に唸っていた。明日はテレビで落雷事故のニュースを見るはずだ、と未来を巡らせる。馴染みすぎた記憶に背筋が凍った。
やっぱり、どうにかしてこのループを終わらせたい。もうこれ以上、痛い思いを繰り返すのは嫌だ。
それこそ何度めかのループで本当に心が粉砕されるかもしれない。見えない未来ほど恐ろしいものはないだろう。しかし、もう一度巻き戻るのも違うよな。
頭の中で会話していたら、リビングの方から音が聞こえだした。雷はすっかりやんでいる。
はたと目を留めた空が、妙な色を纏っていた。鮮やかな紫と赤のグラデーションカラーだ。第一に不気味な印象を覚えたが、見慣れぬ空色は僕に小さな勇気を与えてきた。
ベッドから飛び出て、パジャマのまま扉を開ける。今から三百三十秒――五分半数える間に母親が部屋の前を通ったら、一言だけ声を作る。本日の細やかな抵抗を決定し、いち……と頭で呟いた。
料理の音がキッチンから聞こえ出す。控えめな包丁の音に、食器を置く小さく高い音。抑えられたそれらの音が、増える数字に重なる。百、百五十、二百、二百五十、三百――増えても音は途絶えない。
水の音で、いつかに飛び込んだ水路での苦しさを思い出した。死ぬくらいならなんだって出来る。それは真実ではない。そう言えるのは、生き地獄を知らないからだ。
「あれ、起きたの? トイレ?」
ハッと景色に意識を戻す。いなかったはずの母が真ん前に立っていた。気をとられ、足音を聞き逃していたらしい。
「あ、うん。そう……」
反射でしてしまった返事に、セットされていたのか速攻後悔が弾ける。昨日の件があってか、少し不自然な笑顔の母は、どうしてか本日のメニュー名を口にした。
随分と懐かしい記憶が甦る。いつかにも、この顔を見たことがあった。あれはいつだったか。ここ最近の人生ではない。確か最初の方の人生で――。
「ねぇ、大丈夫?」
「えっ」
「その怪我やっぱり……」
呆然としていたからだろうか。核心をついてきた母の台詞が、再び奥まった記憶を刺激する。
『階段から落ちただけだよ』『大丈夫、気にしないで』『僕おっちょこちょいだからさ』『集中しちゃうと前が見えなくて』
これはいつかの繕いの記憶だ。そして後悔の記憶でもある。
「これ? 昨日も言った通りだよ」
体が勝手に、記憶を模写しはじめた。だから大丈夫、気にしないで――音をなぞろうとして決意を思い出した。一言だけ、声を作る。そう決めていたじゃないか。
「……た」
心を空っぽにしろ。起動が正されたら、その時また絶望すればいいじゃないか。言え、僕!
「……助けて、母さん」
脈絡も不安も放り出して、声だけを絞り出した。なぜだか笑顔は張りつけたまま、どうにか捻り出した。
母は愕然とし、数秒声を失う。だが、胸の中へと届いたのか、強く体を抱き締められた。
勝った。何の進展もないのに、感覚が言う。母親はただ一言、辛かったねと囁いてくれた。
確信は正解だったらしい。それからは、駒送りのように早かった。母親を通して苛めが世間へと露見し、見事に僕への風は止んだ。それはもう、呆気ないほどあっさりと。
まずは一言――たった四文字の小さな言葉を口にすればよかったのだ。SOSを閉じ込め続けたことは、積み上げた後悔の中で一番の濃度を誇っているかもしれない。
ベッドから見える空は、雷を味方に唸っていた。明日はテレビで落雷事故のニュースを見るはずだ、と未来を巡らせる。馴染みすぎた記憶に背筋が凍った。
やっぱり、どうにかしてこのループを終わらせたい。もうこれ以上、痛い思いを繰り返すのは嫌だ。
それこそ何度めかのループで本当に心が粉砕されるかもしれない。見えない未来ほど恐ろしいものはないだろう。しかし、もう一度巻き戻るのも違うよな。
頭の中で会話していたら、リビングの方から音が聞こえだした。雷はすっかりやんでいる。
はたと目を留めた空が、妙な色を纏っていた。鮮やかな紫と赤のグラデーションカラーだ。第一に不気味な印象を覚えたが、見慣れぬ空色は僕に小さな勇気を与えてきた。
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水の音で、いつかに飛び込んだ水路での苦しさを思い出した。死ぬくらいならなんだって出来る。それは真実ではない。そう言えるのは、生き地獄を知らないからだ。
「あれ、起きたの? トイレ?」
ハッと景色に意識を戻す。いなかったはずの母が真ん前に立っていた。気をとられ、足音を聞き逃していたらしい。
「あ、うん。そう……」
反射でしてしまった返事に、セットされていたのか速攻後悔が弾ける。昨日の件があってか、少し不自然な笑顔の母は、どうしてか本日のメニュー名を口にした。
随分と懐かしい記憶が甦る。いつかにも、この顔を見たことがあった。あれはいつだったか。ここ最近の人生ではない。確か最初の方の人生で――。
「ねぇ、大丈夫?」
「えっ」
「その怪我やっぱり……」
呆然としていたからだろうか。核心をついてきた母の台詞が、再び奥まった記憶を刺激する。
『階段から落ちただけだよ』『大丈夫、気にしないで』『僕おっちょこちょいだからさ』『集中しちゃうと前が見えなくて』
これはいつかの繕いの記憶だ。そして後悔の記憶でもある。
「これ? 昨日も言った通りだよ」
体が勝手に、記憶を模写しはじめた。だから大丈夫、気にしないで――音をなぞろうとして決意を思い出した。一言だけ、声を作る。そう決めていたじゃないか。
「……た」
心を空っぽにしろ。起動が正されたら、その時また絶望すればいいじゃないか。言え、僕!
「……助けて、母さん」
脈絡も不安も放り出して、声だけを絞り出した。なぜだか笑顔は張りつけたまま、どうにか捻り出した。
母は愕然とし、数秒声を失う。だが、胸の中へと届いたのか、強く体を抱き締められた。
勝った。何の進展もないのに、感覚が言う。母親はただ一言、辛かったねと囁いてくれた。
確信は正解だったらしい。それからは、駒送りのように早かった。母親を通して苛めが世間へと露見し、見事に僕への風は止んだ。それはもう、呆気ないほどあっさりと。
まずは一言――たった四文字の小さな言葉を口にすればよかったのだ。SOSを閉じ込め続けたことは、積み上げた後悔の中で一番の濃度を誇っているかもしれない。
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