10 / 50
10(ファルク)
求婚を快諾され天にも昇りそうな幸福感に満たされている主ヴィルヘルム殿下を、本当に昇天させるわけにもいかぬので、私はレディ・フレデリカにそれとなく退室を促した。
私を介護人と承知している聡明な令嬢は、殿下の口元に美しい刺繡の施されたハンカチを押しつけたまま頷いた。
感動的な展開に胸の奥がこれでもかとふるえているものの、それは重要ではない。
「すまないね。またあとで話そう」
血に染まるハンカチの下に嬉しそうな声を篭らせて、ヴィルヘルム殿下がレディ・フレデリカの言質を取ろうとしている。実に涙ぐましい純愛だ。許されるならば、遠吠えのように声を張り上げて歓喜に嗚咽したい。
「御無理をなさらず」
「……」
やんわり断られたと判断したヴィルヘルム殿下が、隠し切れない悲壮感で瞳を曇らせた。
併し、奇跡は断ち切られてはいなかった。
レディ・フレデリカはヴィルヘルム殿下の目を覗き込み、力強く頷いた。
「殿下のよい時にお呼びいただければ、いつでも参りますから」
「……!」
「今はお休みください」
優しくも有無を言わせぬ声に、私は心で喝采を上げずにはいられない。
後遺症に負けぬ肉体造りに勤しむヴィルヘルム殿下に対し戦々恐々としながら休息を懇願する私の苦労はこれで幕を下ろすだろう。
ヴィルヘルム殿下はレディ・フレデリカを見つめながら口に当てられたハンカチに手を添えた。それを合図として、レディ・フレデリカは私に軽い会釈をすると早足で戸口へと身を滑らせる。そして深く膝を折り丁寧な御辞儀を以て退室した。
私はヴィルヘルム殿下を次の間に移し、ベッドに横たえた。無論、噎せて喉を詰まらせないよう枕を高くしてある。
「かわひぃぃぃ~……!」
迅速に煎じ薬を注ぐ私をよそに、ヴィルヘルム殿下はレディ・フレデリカのハンカチを握りしめた手を額に乗せて感極まっている。
「殿下」
「おっと、心の声が洩れたかな」
心の声など幾ら洩らしてくれても構わない。魂まで洩らされては堪らない。
「あまり興奮なさると御体に障ります」
「う、ふ、ふ……」
「私の話など聞いておりませんね」
「結婚してくれる……!」
「はい。おめでとうございます、殿下」
私は煎じ薬を水差しに移し、細い注ぎ口をヴィルヘルム殿下の唇に当てた。
自身の不幸や後遺症を受け入れ、向き合う精神力。
人当たりの良さも天性の性格なのだろう。何より、生死の境を彷徨い復活し、後遺症による衰弱を防ぐ為と言って肉体造りに勤しむその肉体こそが、神の賜物だと私は考えている。
強靭な肉体と精神力を兼ね備えたヴィルヘルム殿下は、君主となるべくしてこの世に誕生したとしか思えない。
あの悲劇が、実に、悔やまれる。
それでもヴィルヘルム殿下はついに真の幸福を掴んだのだ。
求めていた愛を。
「…………」
どうか、神よ。
レディ・フレデリカの心に、愛を灯してください。
我が主は己が愛し尽くすだけで満足でしょう。
併し、二人が愛で結ばれたなら、レディ・フレデリカも大きな幸福を得るのです。
どうか神よ、祝福を……
「生きたいな」
服薬の後、ヴィルヘルム殿下が呟いた。
私は歓喜にふるえた。事実、この身が震えた。
「彼女と生きたいな……長生きしたい」
「殿下……」
「頑張るぞっ」
気合いを入れて身を起こしかけたヴィルヘルム殿下を押し戻し、休息を促す。
ヴィルヘルム殿下は文句も言わず、茶化しもしない。ただレディ・フレデリカのハンカチを大切そうに両手で包み、自身の鼻にそっと当てて深く匂いを吸い込んでいる。
奇跡が起きたのだと、私はやっと納得し、深い安堵に満たされた。
私を介護人と承知している聡明な令嬢は、殿下の口元に美しい刺繡の施されたハンカチを押しつけたまま頷いた。
感動的な展開に胸の奥がこれでもかとふるえているものの、それは重要ではない。
「すまないね。またあとで話そう」
血に染まるハンカチの下に嬉しそうな声を篭らせて、ヴィルヘルム殿下がレディ・フレデリカの言質を取ろうとしている。実に涙ぐましい純愛だ。許されるならば、遠吠えのように声を張り上げて歓喜に嗚咽したい。
「御無理をなさらず」
「……」
やんわり断られたと判断したヴィルヘルム殿下が、隠し切れない悲壮感で瞳を曇らせた。
併し、奇跡は断ち切られてはいなかった。
レディ・フレデリカはヴィルヘルム殿下の目を覗き込み、力強く頷いた。
「殿下のよい時にお呼びいただければ、いつでも参りますから」
「……!」
「今はお休みください」
優しくも有無を言わせぬ声に、私は心で喝采を上げずにはいられない。
後遺症に負けぬ肉体造りに勤しむヴィルヘルム殿下に対し戦々恐々としながら休息を懇願する私の苦労はこれで幕を下ろすだろう。
ヴィルヘルム殿下はレディ・フレデリカを見つめながら口に当てられたハンカチに手を添えた。それを合図として、レディ・フレデリカは私に軽い会釈をすると早足で戸口へと身を滑らせる。そして深く膝を折り丁寧な御辞儀を以て退室した。
私はヴィルヘルム殿下を次の間に移し、ベッドに横たえた。無論、噎せて喉を詰まらせないよう枕を高くしてある。
「かわひぃぃぃ~……!」
迅速に煎じ薬を注ぐ私をよそに、ヴィルヘルム殿下はレディ・フレデリカのハンカチを握りしめた手を額に乗せて感極まっている。
「殿下」
「おっと、心の声が洩れたかな」
心の声など幾ら洩らしてくれても構わない。魂まで洩らされては堪らない。
「あまり興奮なさると御体に障ります」
「う、ふ、ふ……」
「私の話など聞いておりませんね」
「結婚してくれる……!」
「はい。おめでとうございます、殿下」
私は煎じ薬を水差しに移し、細い注ぎ口をヴィルヘルム殿下の唇に当てた。
自身の不幸や後遺症を受け入れ、向き合う精神力。
人当たりの良さも天性の性格なのだろう。何より、生死の境を彷徨い復活し、後遺症による衰弱を防ぐ為と言って肉体造りに勤しむその肉体こそが、神の賜物だと私は考えている。
強靭な肉体と精神力を兼ね備えたヴィルヘルム殿下は、君主となるべくしてこの世に誕生したとしか思えない。
あの悲劇が、実に、悔やまれる。
それでもヴィルヘルム殿下はついに真の幸福を掴んだのだ。
求めていた愛を。
「…………」
どうか、神よ。
レディ・フレデリカの心に、愛を灯してください。
我が主は己が愛し尽くすだけで満足でしょう。
併し、二人が愛で結ばれたなら、レディ・フレデリカも大きな幸福を得るのです。
どうか神よ、祝福を……
「生きたいな」
服薬の後、ヴィルヘルム殿下が呟いた。
私は歓喜にふるえた。事実、この身が震えた。
「彼女と生きたいな……長生きしたい」
「殿下……」
「頑張るぞっ」
気合いを入れて身を起こしかけたヴィルヘルム殿下を押し戻し、休息を促す。
ヴィルヘルム殿下は文句も言わず、茶化しもしない。ただレディ・フレデリカのハンカチを大切そうに両手で包み、自身の鼻にそっと当てて深く匂いを吸い込んでいる。
奇跡が起きたのだと、私はやっと納得し、深い安堵に満たされた。
あなたにおすすめの小説
田舎娘をバカにした令嬢の末路
冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。
それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。
――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。
田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。
悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。
三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。
何度も断罪を回避しようとしたのに!
では、こんな国など出ていきます!
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
悪役断罪?そもそも何かしましたか?
SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。
男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。
あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。
えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。
勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
※不定期更新
不器量令嬢は、婚約破棄の断罪が面倒くさい
あんど もあ
ファンタジー
不器量なマルグリットは、婚約者の美しい第一王子からずっと容姿を貶められる日々。とうとう王立学園の卒業パーティーで王子に婚約破棄を宣言され、「王子から解放される! それいいかも!」となったが、続く断罪が面倒くさくて他の人に丸投げする事にする。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』
放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」
王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。
しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!?
「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!)
怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。