可哀想なわたくしが、世界でいちばん可愛いのです!

希猫 ゆうみ

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晴れた日の真昼。
温かな陽の光が差し込む礼拝堂で、私たちは結婚式を挙げた。

「誓います」

生涯の愛を神の御前で約束したヴィルヘルム殿下の声は、低くまろやかで私の耳を甘く溶かした。
返す私の声は、自分でもわかるくらい、妙に掠れていた。私を見つめる優しい眼差しが、永遠のようで、儚いのだと、知っているから。

怖かった。
彼を喪うのが。

愛を失ってもいい。
ただ、生きていてほしい。
叶うならば、どうか健やかに。

一生に一度の結婚式なのだから、本来なら自分の幸せを願いそうなものなのに、私は、聖人でもないくせにまるで彼を笑顔にするためだけに生まれ落ちた命であるかのような確信を得ていた。

私が誓いを返したあと、ヴィルヘルム殿下はそっと私のベールを上げ、頬に触れた。
目を閉じる。唇には、世界でいちばん、美しい口づけ。

ヴィルヘルム殿下の体調を考慮しての短い結婚式は、誓いと祈り、そして聖歌という通常の流れでありながらも一瞬で過ぎ去った。

それでも、清らかな静寂を、ステンドグラスの鮮やかな光を、愛と誓いの歌を、私は生涯忘れないだろう。

控室に戻る前にヴィルヘルム殿下は私の父と短い挨拶を交わした。
それが、二人が顔を合わせる最初で最後の一時となるとは、この時、思いもしなかったけれど、正直あまり重要ではない。

「フレデリカ、ありがとう……!」

その瞬間、王妃様が溢れる涙で喉を震わせながら私を抱きしめていた。
私は礼節を重んじつつも親しみを込めて抱擁を返しつつ、耳元に囁く。

「研究は順調です。春までに見つけます」

愛の誓いによって、血を越えて母と娘となった二人が、穏やかに言葉を交わすように。そう見せかけて私たちは秘密を分かち合う。

愛しているのだ。
世界にただ一人、かけがえのない、その人を。

寒い冬を不慣れな場所で過ごすのは体に良くないので、私たちは宮殿で春を待つ。春になれば正式にトーシュ城へ居を移す予定だ。
膨大な研究資料に恵まれている王都で、私は答えをつきとめる決意を固めていた。

そんな私は新妻として違った意味で多忙なのだけれど、幸か不幸か夫であるヴィルヘルム殿下は自身の体調管理で多忙を極めているので、ある意味、丁度よかった。
私は書斎に籠り、かつての家庭教師を呼びつけ、ある仮説に的を絞り調査を進めていた。妃殿下となったかつての教え子を祝福するという、誰もが納得する理由が彼らにはあった。

「体の中を見たいわね……」
「妃殿下、さすがにそれは……いくらなんでも……」
「人の、体の中が、見たいと思います」
「ぐぬぬ」

いくら偉大なアライアンス王国とはいえ、そのような資料は存在しない。
古今東西くまなく探せば、或いは、冒涜的な禁断の研究結果が隠されているかもしれないけれど、とてもではないけれど正当性を担保できない上、危険であることは言うまでもない。

「……」

そこで私は思い出した。
かつてのダンス教師は現在、瞑想に目覚めている。
彼女は体調を整える神秘的な呼吸法を丁寧に手紙で教えてくれた。

私はアライアンス王国第三王子ヴィルヘルム殿下の妃殿下として、初めて正式な召喚状をしたためた。
私の目的を公的な文書に文字として残すのは憚られる。

「妃殿下」
「時間がないので単刀直入に申し上げます」
「……ふ」

心得ていますとばかりに瞑想に目覚めた伯爵夫人が含みのある笑みを浮かべる。
私の耳打ちに、彼女はじっくりと頷いて見せた。

数日後、私の手元には夜空の星を人体に見立てた幻想的で美しい人体解剖図が届けられた。

「……」

じっくりと眺める。
理論立てて思考するのも重要だけれど、ただ眺めて閃きを待つのも重要だ。私はその按配を心がけつつ、文字通り、春を待った。

「フレデリカ」

トーシュ城へ居を移すまで、夫婦の寝室は別にしている。
なのでこうしてヴィルヘルム殿下から私を尋ねてくれることも多い。

「私の妃として王国の歴史を深く学んでくれるのは嬉しいが、無理をしてはいけないよ。どんなに熱心でも、ほどほどにね。君の体は、たった一つしかないんだから」
「殿下……」

誰の口から出た言葉であるかということを、よくよく考えなければならない。

「お茶にしよう。おいで」
「はい」

転居をもって正式なトーシュ公爵家の侍医となるファルクは、その準備に忙しい。その分アマンダが兄に代わって服薬係を務めがてら身の周りの世話もしているので、私は今かなり自由だった。

「はぁ、フレデリカ様。お会いしたかったです。殿下の顔はもう見飽きています。本当に」

そんな軽口を叩きながら手早くお茶の支度をしてくれるアマンダの太い眉と円らな瞳は、見るたびに愛着が湧いてしまう。

魅力的な女性だ。
宮廷人である彼女の婚約者も、正式にトーシュ公爵家の使用人として連れて行く。彼女の結婚式がトーシュ城で挙げられる最初の結婚式になるだろう。

「はは。確かに、ジョアンの分厚い岸壁のような顔が無いだけでこうも見通しがよく華やかなのだから、アマンダが私の顔にうんざりする気持ちもわかるなぁ」
「フレデリカ様が殿下のお茶を覚えてくだされば、私も助かりますし、お二人もお二人きりで過ごせてよろしいのではないですか?」
「天才か!」

仲の良い二人の会話を聞いていると、調査の疲れも吹き飛ぶというものだ。
トーシュ城での人生には、トーシュ公爵夫人としての領地経営がある。立場上、外交も含まれるはずだ。

春までに辿り着かなくては。

ひと踏ん張り。
美味しいお茶と愛しい人の笑顔で元気を出して、頑張ろう。

「そうよね。ところで、どんな味なのでしょう?」
「え?」
「あっ」
「まずは味を知らなくては」

私は驚く二人をよそに夫である人の持つはずであったカップに手をかけた。
ヴィルヘルム殿下とアマンダの驚愕した顔から察するに、制止されそうである。好奇心が疼く。
ファルクがいたとして、あの巨体に阻まれたなら観念しただろう。
好機とはこのことだ。

「いただきます」
「お待ちください!」
「フレデリカ、いけない!」
「大袈裟な。苦いのは承知しております。殿下にとって効果覿面の良薬なのですから」

独特な匂いにはもう耐性がついていた私は、良心的な二人の手が伸びて来る前に一口、少し多めにヴィルヘルム殿下の煎じ薬を口に含んだ。

瞬間。

「───」

私は、神秘を見た。
地の果てよりも、天よりも、遠い景色を。

ごくり。

「えっ!?」
「飲んだのか!?」

当然、一度口に含めたものを外へ出すなんて、はしたないことはできません。

「失礼」

カップを置き颯爽と退室する私をアマンダが追いかけてくる。

「殿下は待機です!」
「だが!!」
「女が『見ないで』と言ったら男は見ちゃいけないんです!」
「だがフレデリカは一言もそんなこと……!」
「口がもげそうなほど不味いんですよ!心の叫びくらい聞いてください、夫でしょ!!」

これだから箱入り王子は、などと言いながらアマンダが私に追いついた。
私は当てもなく廊下を早歩きしていた。

とにかく動いていないと。
体に入ってしまったあの液体が、早く汗として蒸発してくれないと、何か違う生物に変わってしまう気がして……!

「フレデリカ様。大丈夫ですか?」
「え、ええ」

アマンダが労わるように背中をさすってくれる。

「御無理なさらず。出るものには慣れています」
「いいえ」

そんなはしたないことはできない。

「へ、へいきよ……っ」

涙が溢れた。

「フレデリカ様!」
「へいき……っ、ひぐ」

実際、嘔吐の気配はない。
それはそうだろう。そもそもヴィルヘルム殿下の吐血を抑える効果があるのだから。私の喉を通り口から出ようなどとは相手も考えていないはず。

ただ。
涙が止まらない。

「フレデリカ様、申し訳ありません。私がもっと素早くお止めしていれば……!」
「いっ、いぃのよ……っ、うぅ、ただ……ただ、凄く……」

まずい。
いくら効果があるとはいえ、あの破壊的な不味さは、神か王か法が禁じてもいいくらいだ。

「まずくて……ッ」
「はい。酷い味ですよね。効きますけど」
「そうね……、うぐ」
「平気な顔で飲んでる殿下も、大概ですよ。本当に」

こんなまずいものに頼らなくてもいいように、なんとしても、何を差し置いたとしても、早く、一刻も早く、真の特効薬を見つけなくては。

「ひううぅぅぅっ」

ついに私は膝から崩れ落ち、その場で泣き崩れた。

「ああ、フレデリカ様。お可哀想に」
「ひぐっ、うっ、あぅぅ……ッ」

この気持ちは、そう。
悲しみ。

あまりにも酷い味を知り、その味に敗北し、悔しさを通り越してもう悲しい。

「何か、強烈に甘いものを食べさせて……お願い……ッ!!」
「厨房に参りましょう。蜂蜜の樽がありますから。大丈夫です。こっそり行けば、見つかりませんから」
「はち……みつ……ッ!!」

介護に慣れたアマンダの介抱は完璧だった。
私は彼女に支えられ、涙を拭われながら、帰り道を忘れた幼子のように泣きじゃくった。そして、こっそりと王宮の厨房の蜂蜜の樽を目指した。

こういう日々を送っているから『フレデリカ妃殿下は王宮での短い新婚生活を楽しんでいた』と、王家の歴史に書き残されてしまったのだけれど……今の私は知る由もない。
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