可哀想なわたくしが、世界でいちばん可愛いのです!

希猫 ゆうみ

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「やあ、おはよう。私のマダム・トーシュ」

居室を出ると、朝から甘い声が降り注いだ。

「殿下……」

優しい微笑みを浮かべたヴィルヘルム殿下が美しい瞳を輝かせ、扉の脇で壁に寄りかかり佇んでいた。

「おはようございます」

と、驚きつつ私が返事をした瞬間。
アマンダが扉の内側に引き返し、夫婦水入らずの時間を作ってくれた。

「フレデリカ。夫婦になったんだから、私的な場では堅苦しい呼び方はやめてみないかい?」

ヴィルヘルム殿下が蕩けるように笑いながら私の髪を指先で弄ぶ。
頬に触れそうな手の動きに胸が高鳴り、頬が熱くなる。

「で、でも……殿下から私をマダム・トーシュと、お呼びに……」
「君はそう呼ばれたら嬉しい」

私のことは全て承知とでも言うように重々しく頷いて、ヴィルヘルム殿下が目を細めた。

「私は生まれてこの方、殿下殿下殿下。飽きたよ」
「では、閣下」

私を公爵夫人扱いなのだから、対となるのは公爵。

「名前を呼んで」
「……!」

ヴィルヘルム殿下が顔を寄せて来て耳元で囁いた。そのまま、耳朶を擽るように唇が触れる。

「トーシュ公爵家は君が興した。だから私には、当主を名乗る名誉があるんだよ」
「……あ、はい……」

胸のときめきが私をぼうっとさせ、清々しい朝の目覚めを全く別のものへと変えてしまう。

「ヴィル。二人きりの時は、そう呼んで」
「……はい……」
「薬を飲んでくる」

すっかり惚けて佇む私の頬にキスを残し、ヴィルヘルム殿下は悠々と王宮の廊下を歩いて行った。

「……」

その後ろ姿は、不治の病という名で隠す深刻な後遺症に苦しんでいるとは思えないほど、雄々しい。

「……」
「……」
「……」
「妃殿下」

アマンダに声を掛けられた。

「!」
「私もマダム・トーシュとお呼びしましょうか?」
「いっ、いえ!あなたの好きに呼んで!」

意味もなくドレスの裾を叩いて姿勢を正したりする自分に、我ながら驚いてしまう。
これではまるで、深刻な恋煩い。

「お庭を歩きましょう。御顔が真っ赤です」
「そうね!キュッと冷やすわ」
「冷水で締めるとたいていのものは美味しくなりますからね」
「え?」
「いえ。こちらの話です」

アマンダの太眉と、その下の濃い睫毛に縁どられた円らな瞳は、相乗効果でいつ見ても真剣そのもの。熱意ある真顔に見えて、とても可愛い。
ヴィルヘルム殿下の世話に慣れた彼女は礼儀正しくも芯が強く言う事は言ってくれるので、私も心から信頼し、頼りにしている。

「私、オペラが好きなのですけど」
「ええ」
「身分ある女性の歌はだいたい『乙女の私を忘れないで』『恋する一人の女でいたいの』などと言って名前で呼ばれたがるものですが」
「言われてみれば、そうね」
「妃殿下はマダム・トーシュとご自身のお名前、同じくらいお好きですよね?」
「ええ、そうね。そう」
「私はフレデリカ様のお名前が好きなので、お名前で呼びます」
「わかったわ。ありがとう」
「愛しています、フレデリカ様。一生、ついて参ります」
「ありがとう。私も愛してる。あなたは妹のようで、姉のようで、母のようで、可愛い」
「光栄です」

私は母の愛を知らない。
アマンダの強さは、私に大きな安心を齎してくれる。

火照る頬を仰ぐのとは反対の手でアマンダの手を握った。
アマンダは私の手を両手で包み、体を斜めにして歩く。そうすると太眉と濃い睫毛に縁どられた円らな瞳が、アマンダの真顔が、丁度いい位置から私を見上げ続ける状態になる。

私はアマンダの真顔に弱い。

「フレデリカ様。大叔父から手紙が届きまして、後進の育成にも着手したいとこぼしておりました」
「永続的に薬草を栽培しなければならないもの。優秀な薬師は、多い方がいいわね」
「フレデリカ様もそうお思いになりますよね?ブロムダール侯領の南東部に、学院を建てるには丁度良い土地が……」

土地と建物と聞けば領地経営への熱意が湧き上がるというものだ。

「その話、詳しくお願い」
「はい。大叔父バーソロミュー・ファルクが申しますには───」

その日の午後、私は国王陛下にトーシュ公爵夫人として初めて土地の購入許可を申請した。
薬草園と学園、ブロムダール侯領の北と南はトーシュ公爵家のものになった。残るは中心部の城下町のみ。
こうなるとさすがに地図を見つめ物思いに耽りかけるものの、今はまだ、神秘的な天空人体図に耽り切りの私である。

ヴィルヘルム殿下と添い遂げたい。
それは、私が骨と皮になるまで。

彼の在るべき人生を、この手で取り戻す。
私の心は、今日も、燃えていた。

「ヴィル……」

もう少し。
あと少しで、辿り着きそうよ。

私たちの、未来への道に。
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