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26(アマンダ)
私の永遠の女主フレデリカ妃殿下に大至急と急かされて、兄を連れて書斎に足を踏み入れた。
書物が散乱しているし、奇妙で妖しい絵画がこれ見よがしに壁を覆っている。
「人座……」
「星座じゃないのよ」
どう見ても夜の星を人体構造に基づいて配置した仰々しい幻想絵画なのだけれど、女主は大真面目に私の独り言を否定した。
「……妃殿下、これは……?」
兄が絵画に刺された小さなピンに目を留める。
抜かないで、と大真面目に制止されるかと思いきや、女主は真剣な表情で大きく頷いて見せた。
「あなたがたの知識には、感服すると同時に全幅の信頼を置いています。ですからこれは私の人文学的調査であると、最初に心得て頂きたいの」
「人文学……」
私は、どう見ても人体解剖図にしか見えない星空をなんともいえない気持ちで眺めてしまう。
これは人文学というか、呪術では……?
「心得ました」
兄が野太い声で請け負ったので、私も隣で御辞儀を一つ、しておいた。
それにしてもあんな妖しい絵画を何処で……
「王国中の全ての書物を調べたわけではないけれど、ここにあるだけで、殿下と同じ症状に苦しむ人物を三十二人、見つけることができました」
「……!」
兄が驚きに目を瞠る。
女主の書斎に散らばっている書物は、古いものから比較的最近のものまで、どれも医学や薬学とはかけ離れた部類のものだ。
「盲点でした」
兄が感心を越えた、謂わば尊敬を声に滲ませている。
私たち一家は医学的な結論に基づき、ヴィルヘルム殿下を看護してきた。特に、最近はあの信じられないほどまっずい煎じ薬を愛の力で三倍は飲んでくれているから、かなり調子がよくなってきている。
だから、間違いはないはずだ。
それは女主も承知しているのだろう。だから、私たちを疑うわけではなく、違う視線で別の方法を模索したのだ。
兄の言う通り、盲点を突いた。
「幼い頃、殿下の御体は猛毒に侵され、深刻な後遺症で今も苦しんでおられる。それは眩暈や虚脱感、吐血を伴う。この部分が破壊され……」
星空風のタッチで誤魔化した精巧な人体解剖図に刺さるピン。それは胃腸を正確に捉えている。
兄が大きく頷いた。
「はい。殿下の薬は、主にその部分の修復と、滋養強壮を兼ねた吐気止めです」
「そうよね。ファルク一族の医学と薬学の知識は、王国の宝よ。だから、こんなこと馬鹿げていると感じると思うけれど、聞いて欲しいの。聞いてください。お願いします」
彼女は真剣だった。
真剣に夫を愛する一人の女性であると同時に、真剣に私たちを信じてくれる女主なのだ。
私と兄は同時に頷いていた。
「ありがとう。ここが破壊されているのは、あなた方も承知のことでしょうけれど……ここ自体の損傷ではなく、ここに繰り返し瘤のような出来物ができて、それが破裂して、また瘤ができるということが、三人に起きているの。一人は神話の人物だけれど、神官が遺体を開いて形状を克明に書き残しています」
胃壁や腸壁に繰り返し瘤ができ、破裂と再生を繰り返す。
なるほど。
「そしてもう一人は伝説上の人物で、戦の中、神に縋るも亡くなっている。やはり強靭な肉体で症状に抗っている記録です」
神頼みによる肉体の再生は平たく言えば奇跡だ。
幾ら知識をため込もうと、実践を重ねようと、神には敵わず、その時期すら神の意のまま。
けれどそういった事象は一生に一度遭遇することがあると、一族では広く認知されている。
奇跡は起こる。
私たちのヴィルヘルム殿下には、神の手は、未だ差し伸べられてはいないというだけ。
「そしてもう一人。山岳地帯の開拓記に登場する聖騎士が……治療に成功しています」
「──!」
兄と同時に私も驚愕した。
「私にはそれが何なのか、判断できなかったの。でも、あなたたちなら見当がつくのではないかしら」
「薬ですか?施術ですか?」
「薬だと思う」
「!」
私は言葉を失っていた。
今、奇跡が起きている。
「それは!?」
兄は吠えるように言った。
「光る茸と、銀の砂」
え?
「ひかる……きのこ……?」
奇跡にしては拍子抜けだ。
王侯貴族の貴婦人が知っているかは微妙だとしても、私たち一族にとって発光茸の存在はそう驚くことでもない。
「?」
でも、銀の砂って……
「何かの比喩?」
私は兄の巨体を見上げ、問いかけた。
兄は雷に打たれた表情で白目を剥いて戦慄していた。
「ファルク……!やはり、何か思い当たる薬があるのね!?」
女主が細い指先で分厚い書物を鷲掴みにし、兄の鼻先で開いて押し付ける。
「読んで!前後の文脈でもっと閃くかもしれないわ!」
「!!」
兄が狂い猛る野獣のように古い書物に噛りつき、その場で跪き読みふけり始めた。女主が燭台を持ってきて兄の眼前で書物を照らす。
私は、兄の髪が燃えないように、太い首の後ろで一つに結んでやりながら書物の文字を目でなぞった。
「これは……!」
兄の手が震えている。
「これは恐らく……百五十年前に起きた背教の争乱で、フニッチ山脈を越え現デレリム辺境伯領に来襲した今は無きエトラ神導国の、神殿騎士団を匿った、忌まわしい山の民の記録です……!」
「だから長く隠匿され、王家の侍医であるファルク一族の知識とは交わらなかったのね」
「はい……!」
つまり、敵国の民間療法を密かに書き残したものが、ここに在ると。
「銀の砂って何なの?発光茸の一種にそんな名前のものがあるの?……というか、あったの?エトラに?」
兄の興奮ぶりを見るに何か結論を得ていそうではあるので、私も矢継ぎ早に質問を重ねてしまった。
こちらに顔を巡らせた兄の目は充血し、涙が揺れていた。
「これはヴリヒヘダケだ」
「……へ?」
ヴリヒヘダケ?
「何なの、それは……?あなたも知ってるの……!?」
唖然としている私に女主が畳みかけてくる。
知っているも何も、あのしょうもない役立たずの……
「ヴリヒヘダケ?」
「そうだ……!」
え?
「……」
なんで!?
書物が散乱しているし、奇妙で妖しい絵画がこれ見よがしに壁を覆っている。
「人座……」
「星座じゃないのよ」
どう見ても夜の星を人体構造に基づいて配置した仰々しい幻想絵画なのだけれど、女主は大真面目に私の独り言を否定した。
「……妃殿下、これは……?」
兄が絵画に刺された小さなピンに目を留める。
抜かないで、と大真面目に制止されるかと思いきや、女主は真剣な表情で大きく頷いて見せた。
「あなたがたの知識には、感服すると同時に全幅の信頼を置いています。ですからこれは私の人文学的調査であると、最初に心得て頂きたいの」
「人文学……」
私は、どう見ても人体解剖図にしか見えない星空をなんともいえない気持ちで眺めてしまう。
これは人文学というか、呪術では……?
「心得ました」
兄が野太い声で請け負ったので、私も隣で御辞儀を一つ、しておいた。
それにしてもあんな妖しい絵画を何処で……
「王国中の全ての書物を調べたわけではないけれど、ここにあるだけで、殿下と同じ症状に苦しむ人物を三十二人、見つけることができました」
「……!」
兄が驚きに目を瞠る。
女主の書斎に散らばっている書物は、古いものから比較的最近のものまで、どれも医学や薬学とはかけ離れた部類のものだ。
「盲点でした」
兄が感心を越えた、謂わば尊敬を声に滲ませている。
私たち一家は医学的な結論に基づき、ヴィルヘルム殿下を看護してきた。特に、最近はあの信じられないほどまっずい煎じ薬を愛の力で三倍は飲んでくれているから、かなり調子がよくなってきている。
だから、間違いはないはずだ。
それは女主も承知しているのだろう。だから、私たちを疑うわけではなく、違う視線で別の方法を模索したのだ。
兄の言う通り、盲点を突いた。
「幼い頃、殿下の御体は猛毒に侵され、深刻な後遺症で今も苦しんでおられる。それは眩暈や虚脱感、吐血を伴う。この部分が破壊され……」
星空風のタッチで誤魔化した精巧な人体解剖図に刺さるピン。それは胃腸を正確に捉えている。
兄が大きく頷いた。
「はい。殿下の薬は、主にその部分の修復と、滋養強壮を兼ねた吐気止めです」
「そうよね。ファルク一族の医学と薬学の知識は、王国の宝よ。だから、こんなこと馬鹿げていると感じると思うけれど、聞いて欲しいの。聞いてください。お願いします」
彼女は真剣だった。
真剣に夫を愛する一人の女性であると同時に、真剣に私たちを信じてくれる女主なのだ。
私と兄は同時に頷いていた。
「ありがとう。ここが破壊されているのは、あなた方も承知のことでしょうけれど……ここ自体の損傷ではなく、ここに繰り返し瘤のような出来物ができて、それが破裂して、また瘤ができるということが、三人に起きているの。一人は神話の人物だけれど、神官が遺体を開いて形状を克明に書き残しています」
胃壁や腸壁に繰り返し瘤ができ、破裂と再生を繰り返す。
なるほど。
「そしてもう一人は伝説上の人物で、戦の中、神に縋るも亡くなっている。やはり強靭な肉体で症状に抗っている記録です」
神頼みによる肉体の再生は平たく言えば奇跡だ。
幾ら知識をため込もうと、実践を重ねようと、神には敵わず、その時期すら神の意のまま。
けれどそういった事象は一生に一度遭遇することがあると、一族では広く認知されている。
奇跡は起こる。
私たちのヴィルヘルム殿下には、神の手は、未だ差し伸べられてはいないというだけ。
「そしてもう一人。山岳地帯の開拓記に登場する聖騎士が……治療に成功しています」
「──!」
兄と同時に私も驚愕した。
「私にはそれが何なのか、判断できなかったの。でも、あなたたちなら見当がつくのではないかしら」
「薬ですか?施術ですか?」
「薬だと思う」
「!」
私は言葉を失っていた。
今、奇跡が起きている。
「それは!?」
兄は吠えるように言った。
「光る茸と、銀の砂」
え?
「ひかる……きのこ……?」
奇跡にしては拍子抜けだ。
王侯貴族の貴婦人が知っているかは微妙だとしても、私たち一族にとって発光茸の存在はそう驚くことでもない。
「?」
でも、銀の砂って……
「何かの比喩?」
私は兄の巨体を見上げ、問いかけた。
兄は雷に打たれた表情で白目を剥いて戦慄していた。
「ファルク……!やはり、何か思い当たる薬があるのね!?」
女主が細い指先で分厚い書物を鷲掴みにし、兄の鼻先で開いて押し付ける。
「読んで!前後の文脈でもっと閃くかもしれないわ!」
「!!」
兄が狂い猛る野獣のように古い書物に噛りつき、その場で跪き読みふけり始めた。女主が燭台を持ってきて兄の眼前で書物を照らす。
私は、兄の髪が燃えないように、太い首の後ろで一つに結んでやりながら書物の文字を目でなぞった。
「これは……!」
兄の手が震えている。
「これは恐らく……百五十年前に起きた背教の争乱で、フニッチ山脈を越え現デレリム辺境伯領に来襲した今は無きエトラ神導国の、神殿騎士団を匿った、忌まわしい山の民の記録です……!」
「だから長く隠匿され、王家の侍医であるファルク一族の知識とは交わらなかったのね」
「はい……!」
つまり、敵国の民間療法を密かに書き残したものが、ここに在ると。
「銀の砂って何なの?発光茸の一種にそんな名前のものがあるの?……というか、あったの?エトラに?」
兄の興奮ぶりを見るに何か結論を得ていそうではあるので、私も矢継ぎ早に質問を重ねてしまった。
こちらに顔を巡らせた兄の目は充血し、涙が揺れていた。
「これはヴリヒヘダケだ」
「……へ?」
ヴリヒヘダケ?
「何なの、それは……?あなたも知ってるの……!?」
唖然としている私に女主が畳みかけてくる。
知っているも何も、あのしょうもない役立たずの……
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「そうだ……!」
え?
「……」
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