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28(ヴィルヘルム)
久しぶりに落ち着いてジョアンの顔を見た。
「鼻、どうしたんだい?ぶつけたのか?」
「殿下。御体の調子がよろしければ」
「うん」
「妃殿下がお呼びです」
「!」
そういうことは早く言ってほしい。
挨拶など脇に置いて第一声で頼む。
「御体は?」
「全く問題ない。私は日々進化している」
「進化とは恐ろしいですね。寛解なさったなら何よりです」
フレデリカが私の手を取ってくれたあの瞬間から、私には明確な生きる目的が生まれた。抗う意味が、私だけのものではなくなった。
だから私の全ては何を置いてもフレデリカが最優先なのだ。
ジョアンに導かれたのは、幼き日にフレデリカと出会い恋に落ちたあの部屋だった。
大人になり、彼女を口説き落とした、運命の一室に、私は何か重要な要件を伝えられる予感に胸を奮わせる。
「やあ、マダム・トーシュ。お呼びかい?」
最初、フレデリカはこちらに背を向けていた。
その背中は華奢な女性のものであるはずなのに、既に一国を担う威厳に満ちている。まるで高貴な香りを纏う大輪の薔薇のように、彼女はそこに居た。
私の人生の中に。
私の、傍らに。
「……」
フレデリカは一度、肩越しに此方を振り返り、それからゆっくりと体の向きを変えた。
優雅だ。惚れ惚れする。
そして可愛い。
なんて可愛いんだ。フレデリカ。本当に私と結婚してくれてありがとう。
幸せだ。
「ヴィル」
もし私の耳が独立した意思を持っていたならば、その呼び掛けによって運命の恋に落ちただろう。
「うん。どうしたの?」
我ながら人に聞かせられない甘い声だと思いつつも、形振り構わずこの幸せを謳歌する決意は揺らぐことはない。
その辺を弁えているジョアンが静かに扉の向こうへ姿を消した。
フレデリカと二人きり。
愛しい妻に歩み寄ると、私たちの大切な思い出である地図が卓上に広げられていた。駒も、用意されている。
そうか。
マダム・トーシュの野望の気配に、私の胸もまた別の熱を孕む。
私はフレデリカをそっと抱き寄せ、その頬に触れ、美しい瞳を覗き込んだ。フレデリカの真剣な眼差しは、世界中のどんな宝石よりも美しい。
「欲しいものが、あるんだね」
「はい」
唇を啄む。
煎じ薬をこれでもかと飲みまくっているおかげで、キスしてもいい時と危うい時の区別はもうつくようになっている。
「どこが欲しいの?」
愛しさによる眩暈を堪能しながら指の背で頬をくすぐると、フレデリカの睫毛が揺れた。伏目がちになった表情も上品だ。
私のマダム・トーシュが腕の中で身を捩り、卓上の駒に手を伸ばす。
「……」
静かに、彼女は駒を置いた。
「湿地帯か」
「はい。やはり此処も私にください」
「いいよ」
「……っ」
聡明で冷静なフレデリカが一瞬、息を飲んだ。
その瞳が揺れたのを見て、私は更なる喜びの報せに気付いた。
フレデリカは私の背に腕を回すと、親を恋しがる幼子のような頼りなくもこの上なく愛らしい抱擁で私に言った。
「ありがとうございます……!」
私はそっとフレデリカを抱きしめた。
暫く無言で抱き合った後、少し身を離してフレデリカの顔を覗き込むと、瞳は涙に濡れていた。美しい涙だ。
そう言えば、ジョアンの鼻が赤かったのを思い出した。
まるで泣き腫らしたような顔だと、思わなくもない。
「何か、特別なことをしてくれたんだね」
「……」
どうやら、私には秘密のようだ。
いいだろう。甘んじて受けよう。
「私があげられるものは、何でも、君のものだよ」
「あなたがほしいです」
くらりと来る。
だが抱きしめたフレデリカのぬくもりが、私を幸福感の中に呼び留め、この現実に繋ぎとめる。
「長い年月をかけて骨と皮になるまで、傍にいてください」
やはりそうだ。
私の後遺症を改善する新たな策を見出し、その為に湿地帯を求めたのだ。
胸が一杯になり、更に膨らんだ気がする。
私自身が幸福に酔い痴れるばかりでは情けない。大切なフレデリカを愛する為に、大量の愛を詰め込める胸が必要だ。
肺か……
横隔膜か……
大胸筋でもいいのか?
「見る影もなく老いさらばえるまで君の傍にいるよ」
少なくとも、愛しいフレデリカを抱きしめることはできる。
彼女への愛によって少し体調がよくなったのだから、このまましっかり鍛えていこう。
私は決意を新たにしながら、フレデリカのぬくもりの尊さに感謝し、長く、長く、静かに抱きしめ続けた。
「鼻、どうしたんだい?ぶつけたのか?」
「殿下。御体の調子がよろしければ」
「うん」
「妃殿下がお呼びです」
「!」
そういうことは早く言ってほしい。
挨拶など脇に置いて第一声で頼む。
「御体は?」
「全く問題ない。私は日々進化している」
「進化とは恐ろしいですね。寛解なさったなら何よりです」
フレデリカが私の手を取ってくれたあの瞬間から、私には明確な生きる目的が生まれた。抗う意味が、私だけのものではなくなった。
だから私の全ては何を置いてもフレデリカが最優先なのだ。
ジョアンに導かれたのは、幼き日にフレデリカと出会い恋に落ちたあの部屋だった。
大人になり、彼女を口説き落とした、運命の一室に、私は何か重要な要件を伝えられる予感に胸を奮わせる。
「やあ、マダム・トーシュ。お呼びかい?」
最初、フレデリカはこちらに背を向けていた。
その背中は華奢な女性のものであるはずなのに、既に一国を担う威厳に満ちている。まるで高貴な香りを纏う大輪の薔薇のように、彼女はそこに居た。
私の人生の中に。
私の、傍らに。
「……」
フレデリカは一度、肩越しに此方を振り返り、それからゆっくりと体の向きを変えた。
優雅だ。惚れ惚れする。
そして可愛い。
なんて可愛いんだ。フレデリカ。本当に私と結婚してくれてありがとう。
幸せだ。
「ヴィル」
もし私の耳が独立した意思を持っていたならば、その呼び掛けによって運命の恋に落ちただろう。
「うん。どうしたの?」
我ながら人に聞かせられない甘い声だと思いつつも、形振り構わずこの幸せを謳歌する決意は揺らぐことはない。
その辺を弁えているジョアンが静かに扉の向こうへ姿を消した。
フレデリカと二人きり。
愛しい妻に歩み寄ると、私たちの大切な思い出である地図が卓上に広げられていた。駒も、用意されている。
そうか。
マダム・トーシュの野望の気配に、私の胸もまた別の熱を孕む。
私はフレデリカをそっと抱き寄せ、その頬に触れ、美しい瞳を覗き込んだ。フレデリカの真剣な眼差しは、世界中のどんな宝石よりも美しい。
「欲しいものが、あるんだね」
「はい」
唇を啄む。
煎じ薬をこれでもかと飲みまくっているおかげで、キスしてもいい時と危うい時の区別はもうつくようになっている。
「どこが欲しいの?」
愛しさによる眩暈を堪能しながら指の背で頬をくすぐると、フレデリカの睫毛が揺れた。伏目がちになった表情も上品だ。
私のマダム・トーシュが腕の中で身を捩り、卓上の駒に手を伸ばす。
「……」
静かに、彼女は駒を置いた。
「湿地帯か」
「はい。やはり此処も私にください」
「いいよ」
「……っ」
聡明で冷静なフレデリカが一瞬、息を飲んだ。
その瞳が揺れたのを見て、私は更なる喜びの報せに気付いた。
フレデリカは私の背に腕を回すと、親を恋しがる幼子のような頼りなくもこの上なく愛らしい抱擁で私に言った。
「ありがとうございます……!」
私はそっとフレデリカを抱きしめた。
暫く無言で抱き合った後、少し身を離してフレデリカの顔を覗き込むと、瞳は涙に濡れていた。美しい涙だ。
そう言えば、ジョアンの鼻が赤かったのを思い出した。
まるで泣き腫らしたような顔だと、思わなくもない。
「何か、特別なことをしてくれたんだね」
「……」
どうやら、私には秘密のようだ。
いいだろう。甘んじて受けよう。
「私があげられるものは、何でも、君のものだよ」
「あなたがほしいです」
くらりと来る。
だが抱きしめたフレデリカのぬくもりが、私を幸福感の中に呼び留め、この現実に繋ぎとめる。
「長い年月をかけて骨と皮になるまで、傍にいてください」
やはりそうだ。
私の後遺症を改善する新たな策を見出し、その為に湿地帯を求めたのだ。
胸が一杯になり、更に膨らんだ気がする。
私自身が幸福に酔い痴れるばかりでは情けない。大切なフレデリカを愛する為に、大量の愛を詰め込める胸が必要だ。
肺か……
横隔膜か……
大胸筋でもいいのか?
「見る影もなく老いさらばえるまで君の傍にいるよ」
少なくとも、愛しいフレデリカを抱きしめることはできる。
彼女への愛によって少し体調がよくなったのだから、このまましっかり鍛えていこう。
私は決意を新たにしながら、フレデリカのぬくもりの尊さに感謝し、長く、長く、静かに抱きしめ続けた。
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