さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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四章

35(ステファン)

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運の悪いことに、夜道で馬車が立ち往生してしまった。
だがその理由を伝えにやってきたのは御者ではなかった。

「助かりました。実は、車輪が駄目になってしまったもので。助かりましたよ」

フォーシュバリ侯爵家の新婚夫婦が、私たちより一足先に同じ川の手前で立ち往生しており、帰りの足を失くしてしまったという。

ロヴィーサは既に眠ってしまっており、私が対応せざるを得なかった。カールシュテイン侯爵夫妻の乗ったもう一台の馬車の方とは既に話がついており、馬が向こうへ並走し、新婚夫婦は年齢の近いこちらに相乗りすると決まってしまっていたのだ。

居心地の悪さは尋常ではないと言って差支えないだろう。
こちらは、結婚式の参列を断られた身である。更には、取り越し苦労かもしれないが、私が傷つけたカタリーナはマルムフォーシュ伯爵に伴われる形で二人の結婚式には参列していた。肩身が狭い。

「感謝しますわ」

ユーリア夫人の、鈴の鳴るような声が響く。
緊張の余り、その声を聞いていると胃が重くなってしまう。微かな倦怠感すら覚え始め、私はロヴィーサの目覚めを心から願った。

今夜はとりわけ深く眠り込んでおり、望みはないが。

「ロヴネル伯爵は、シュテルン伯爵の誕生会は初めてですか?」

男性にしては小柄なラルフ卿に、にこやかに尋ねられる。もっと冷酷な印象を持っていたが、やはり新婚とあっては浮かれているのかもしれない。

「はい。私などは、本来でしたらお目に掛るのも恐れ多い雲の上の方ですので……」

それを言えば、カールシュテイン侯爵家の新婚夫婦もそうだが。
只こちらは辛うじて、馬車を提供しているという一時の猶予がある。とはいえ、それも私個人の力ではない。

「全てロヴィーサ様のお陰です」
「そう。素直な方ね」

可憐な印象を受けるユーリア夫人だったが、童顔と愛らしい笑顔から打ち出される無邪気な言葉はちくりと私の胸を刺した。

「お二人は、初めてというわけではないですよね?」
「ええ」
「僕は、二回目ですね。最近は十年刻みのようですから」
「そうですか。それにしても、お元気なご様子、何よりですね」

他にどんな話題を出せばいいのか。
幸か不幸か、二人は新婚夫婦ならではの幸せな雰囲気に包まれており、絶えず笑顔を浮かべ上機嫌で過ごしてくれている。それだけが救いだ。

ロヴィーサのように眠ってくれたら、いいのだが……。

「そうだわ。お二人の馴れ初めをお聞きしても?」

ユーリア夫人が目を輝かせる。
私は心に重いものを感じ、それを無視した。だが、口にするわけにもいかない。

「恐れ入りますが、ロヴィーサ様の眠っている間にできる話ではありません」
「随分と謙遜するんですね。僕みたいに婿入りするわけでもないんでしょう?相当、惚れ込まれたはずだ」
「それは……」

何故、これだけ人の声がしているにも関わらず、ロヴィーサは起きてくれないのだろうか。浮かれた上級貴族の相手など手に余る。

こちらが言い淀んでいると、ラルフ卿の笑顔に、一瞬、鋭いものが走った。

「大切な幼馴染を無下にしたんだから、善人ぶる必要なんてありませんよ。ロヴネル伯爵」
「……」

やはり、その話題を持ち出されてしまうのか。
ロヴィーサも会話の輪に含まれていれば、さすがにこのような辛辣な言葉は向けられなかっただろう。私一人、格下だからいたぶられているのだ。

一人の女性を無下にしたとあってはユーリア夫人の可憐な笑みが消えても不思議ではない。自身の最愛の夫を隣にして、さぞや不義理な男だと思って私を見ているのだろう。だが、私の選択は間違っていない。釈明する義務もない。

「実際、カタリーナとロヴィーサの何処がそんなに違うんです?」

はっきりと名前を出されると、辛い。
ラルフ卿が何故そこまでこの件に固執するのか、やや疑問が沸いた。元より人付き合いの広い性格ではなかったはずで、他者への関心は薄い印象だった。結婚を機に変わったのだろうか。
それか、他者への関心が薄かったラルフ卿にさえ顰蹙を買っているという可能性もある。それだけ、私の半生はカタリーナと共に在った。

「体に流れる、血、以外に」

訊き方に悪意がある点を鑑みても、やはり、私の印象はあまりいいものではないのだろう。
私は負けを認めることにした。元より、この場では私一人、極端に身分が下なのだ。虚勢を張る意味もない。

「あまり虐めないでください。運命の愛には、抗えない……」
「……」

ついにラルフ卿の顔から一切の笑みが消えた。
それだけには留まらず、揺れる馬車の中で身を乗り出し、軽蔑と嫌悪に目を剥きながらも、私に顔を寄せ至近距離で睨んできた。

「……っ」

異様な悪寒に襲われる。

「運命だって?その運命を疑いもしなかった健気な女性の心に傷を負わせておいて、よくも…………、……」
「……?」

こちらに顔を寄せたまま、何故かラルフ卿が口を噤む。
それから、実に信じ難いことが起きた。なんとラルフ卿が私の鼻のすぐ先で、その鼻をスンスンと鳴らし始めたのだ。

「なっ」

はじめは何が起きているか理解できなかった。
だがラルフ卿は、鼻を鳴らしながら顔を傾け、角度を変え、長く私の顔の周りや上半身の辺りで臭いを嗅いでいたのである。
そう気づいた瞬間、酷い羞恥心が私を襲った。

「まさか……に、臭いますか……!?」

不潔ではないはずだ。
只、出がけに様々なアクシデントが重なり、出発が遅れてしまった。それで汗をかいたきり、入浴どころか食事もままならないでいたのは事実だ。

「ええ、臭いますよ」

ラルフ卿は辛辣だった。
その一言を合図にしたかのように、ユーリア夫人さえも眉間に皴を寄せ顔を顰めてしまった。

「も、申し訳ありません……!」

そんなに臭いだろうか。
だが、そこまでの悪臭を放っていたとしたら、さすがにロヴィーサやカールシュテイン侯爵夫妻のどちらかに注意を受けそうなものだし、馬車に乗り込んだ時点で一言ありそうなものだ。

だからと言って、悪臭を放つ無礼を棚に上げられるはずもない。

「ラルフ」

ユーリア夫人がそっと夫の名を呼んだ。
ラルフ卿は私に掴みかかるか覆いかぶさるような姿勢のまま、ユーリア夫人の方へ顔を向けた。

「私、行くわ」

ユーリア夫人の一言に激しい拒絶を感じ取った私は、情けないことに、そこで意識を失ってしまった。

目覚めた時、フォーシュバリ侯爵家の新婚夫婦は一枚の書置きを残し姿を消していた。
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