さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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五章

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国王陛下の葬儀が王宮礼拝堂で執り行われている。
国中、ほぼ全ての貴族が参列し、喪に服した黒衣の列は街道まで続いていた。王都の市民や、近隣地域からも国王の死を悼む大勢の民が押し寄せていた。

私も両親と共に参列している。
鐘の音を聞きながら白いカーネーションを献花し、祭壇へ祈りを捧げた。

典礼を終え、聖歌に送られ、棺が、参列者に見守られながら移動していく。
王家の墓地へと運ばれていく棺に、祈りと感謝が捧げされている。

静かな曇り空。
夏の終わりに、冷たい風がそっと吹き抜けていく。

参列者の中には親戚を始め、見知った顔があった。
中でもファロンとは目が合った。メリーポート伯爵家はマッカラーズ伯爵家は連れ立って参列しているようで、幼いクレアは私の知らない白髪の男性が抱いている。チェルシーの親族だろう。

ウィリアムズ侯爵は独りだった。
カールシュテイン侯爵家の中にステファンがいた。先代のロブネル伯爵夫妻とは別行動のようだ。
チャムレー伯爵やドリューウェット伯爵も目視できたけれど、挨拶はしない。列を乱してしまう。

遠くまで続く参列の中、棺が小さくなるまで見送り、次第に周囲が挨拶や会話を始める中で、私はまたあの刺すような冷たい風を感じた。
フォーシュバリ侯爵家の四人がラルフ卿を先頭にこちらに向かって歩いてくる。

本来、格下のオースルンド伯爵家から挨拶に伺うのが筋だった。周囲が訝しむのは、一家を率いているのが婿入りしたラルフ卿だからという理由もあるだろう。ユーリアの父母であるフォーシュバリ侯爵夫妻とは結婚式以来だけれど、二人とも悲嘆に暮れている様子だから、ラルフ卿が一家の支えとして機能しているのかもしれない。

ついに目の前まで来ると、私より両親の方が緊張して畏まった。

「失礼。彼女を連れてくるようにと、マルムフォーシュ伯爵から言付かりましたので」

ラルフ卿は第一印象通りの冷淡な口調で父に断りを入れ、私を連れだした。
ユーリアは黒のベールで顔を隠し、俯いたままだ。
しばらく無言で歩いて進むと、宮殿に入ったところでマルムフォーシュ伯爵が待っていてくれた。国王陛下の葬儀とあって、マルムフォーシュ伯爵はノルディーン公爵家の一人として王家と共に列席していたのだ。

「カタリーナ」

マルムフォーシュ伯爵が静かに微笑み私の名を呼んだ。

国王陛下は天に召された。
その高潔で美しい魂は、神の元へと昇って行った。だから悲しみばかりではない。寂しさや不安の中に、確かな希望がある。
それでも急なことだったので、やはり王国は悲愴な影に覆われているかのようだった。

ラルフ卿がマルムフォーシュ伯爵に会釈する。
マルムフォーシュ伯爵が心配そうにユーリアを見遣った。私もマルムフォーシュ伯爵の隣に立ち、不安な気持ちでラルフ卿を見つめ何かしらの説明を求めていた。

ラルフ卿は私に言った。

「大きな声では言えないけど、ユーリアたちは陛下と個人的な交流があったんだ」
「……そう、ですか」

フォーシュバリ侯爵家はヴァンパイアだし、王家の血を引くマルムフォーシュ伯爵と密接な関係にあることを考えれば、不思議ではない。不思議ではないけれど、相手が国王陛下ともなるとさすがに驚いてしまった。

ラルフ卿が微かに眉尻を下げる。

「特に、ユーリアは。だから辛いんだ」

見ると、フォーシュバリ侯爵夫人は最早すすり泣いている。フォーシュバリ侯爵も悲痛な面持ちだ。ユーリアの表情はベールで隠れて見えない。

けれどラルフ卿が嘘を言う理由はない。
ユーリアは今、親しい相手の死を悼んでいる。あの可憐で、どちらかと言えばお喋りなユーリアが押し黙るほど、今、彼女は悲しいのだ。

私は咄嗟に歩み寄り、ユーリアの硬く握り合わされた手を包んだ。

「……!」

ユーリアが肩を震わせた。
私が両手で包み込んだユーリアの手が、震えていた。

手を握るくらいでは足りない。
私は、身分も弁えずユーリアをそっと抱きしめた。華奢な身体つきのユーリアは、可憐に見えても本当の姿は強く恐ろしいヴァンパイアだ。でも、今は、たとえそうだとしても彼女は打ちひしがれていた。

腰にユーリアの手が回る。
その手さえ、痛々しいほど力なく私に触れる。

「君は、優しいな」

ラルフ卿が呟いた。
私の性格がどうという話ではないと思うけれど、ユーリアの悲壮感に共鳴してしまい、何も言葉が出ない。

暫くユーリアを抱きしめたまま背中を摩っていた。
やがてユーリアが小さく声を洩らした。

「……かわいい……カタリーナ……」
「……!」

ユーリアが私の腕の中で何を実感しているのか、私は、気づいてしまった。
あの日、ラルフ卿が私に言った。私の人生は、短いと。ユーリアは種族の違う人間に思いを寄せ、交流してきたヴァンパイアなのだろう。ずっと、何度も、親しい人を見送って来たのだ。

可哀想、なのだろうか。
私の立場で、小娘の感傷で、可哀相なんて安い言葉で納得していいのだろうか。

苦悩するには充分な時間を私は押し黙っていた。
ユーリアの悲しみを受け止めるには、私という器は、あまりにも小さい。

それでもユーリアは小さくありがとうと囁いてから私の腕をそっと離れた。決して弱くない。弱いはずがないユーリアを、私が守る必要なんてない。そんな力は何処にもない。
それでも、彼女が心配で名残惜しい。

「私に、何か、できることがありましたら……」
「もう大丈夫だよ」

ラルフ卿が代わりに応じた。
ラルフ卿自身は国王陛下の死を悼みこそすれ、悲嘆に暮れている様子はない。先日宣言した通り、私には微笑んでいる。そしてユーリアの肩を抱き、フォーシュバリ侯爵夫妻を伴って宮殿を去っていった。

ユーリア……
あれほど打ちひしがれ憔悴している姿を見てしまうと、彼女の正体がどうあれ胸が痛む。

気づくとマルムフォーシュ伯爵が私を見つめていた。

「伯爵、この度は……」
「呼びつけてご免な。顔を見て安心した」
「?」

マルムフォーシュ伯爵が私の腕に触れる。穏やかな表情ではあるものの、どこか追悼とは違う影の色を見て私は不審に感じた。

「何か、問題が?」

王位継承戦争が勃発し、国政が乱れそうとか?

「まだ聞いてないか」
「?」

ますますわからない。
少なくとも、私が関係しているなら、国政は関係なさそうだ。

困惑している私はマルムフォーシュ伯爵からとんでもない事件を聞かされた。
シュテルン伯爵家で殺人未遂があったという。私を浴槽に沈めたあのメイドがついにアンジェリカを襲い、昏睡状態にまでさせたらしい。

「アンジェリカは……?」
「一命は取り留めた。というか、ユーリアが手を貸したんだ。……ただ」
「?」
「記憶を失っている。人として、全ての記憶がない」
「……え?」

人として?

「!」

私は咄嗟に、今し方見送ったばかりのラルフ卿を振り仰いだ。
悪いことを耳にしても恐がるなと言っていたのは、このことだったのだ。

「では、アンジェリカは……」
「ああ」

ヴァンパイアに、成った。

「でも……」

失敗すると、大切な記憶も全て失ってしまう。
身体は永遠の命を手に入れても、アンジェリカとして生きてきた記憶が全て失われているというなら、それは、本当にアンジェリカと言えるのだろうか。

良い人物ではなかった。
けれど、母親を亡くした可哀相な令嬢でもあったし、曾祖父から深い愛情を注がれていた。
彼女の人生は確かにそこに在った。
これから続けられる時の中に、その断片でも蘇ることがあればと願うしかない。

彼女は生き続けてしまう。
人として生きた証を失ったまま、永遠に。

それでは、あまりにも悲しい。

「……メイドは、どうなったのですか?」
「女子修道院に入れられた」
「改心するでしょうか」
「否、見込みはないだろう。何しろ、さすがの爺も今回ばかりは罰を下したからな」
「そうなのですね……では」
「ああ。修道女としてではなく、悪魔憑きとして地下牢に閉じ込められた。恐らく、出ては来れないだろう。誰もそれを望んでいない」
「……可哀相ですね」

他に、彼女たちが生きるべき道があったはずなのに。
けれど私がいくら同情しようと、結局は無責任な他人である。それでも、出来ることが一つだけある。

ただ、祈ること。

彼女たちの心に僅かでも安寧が訪れるように、祈るしか、私にできることはない。やるべきことも、また。

「疲れてないか?」

マルムフォーシュ伯爵の声が優しくなった。
国王陛下の葬儀が執り行われている。互いに、喪に服している。だからいつもとは違う。

それでも、マルムフォーシュ伯爵は私を傍らに静かに微笑する。何時いかなる時も、どんな感情でも分かち合う仲であるかのように。

「大丈夫です」
「キティ……向こうに、かなり旨いマフィンがある」
「……は?」
「味見しろ」

この状況で、いったい、何を言っているのか。
私は頭が真っ白になってしまい、困惑のあまり息を止めた。

何かおかしい。
何か、間違っている。

「食べたら、君を父君の元へお返しし、俺は墓地に直行する」

そう。
王家の血を引くノルディーン公爵家の令息が棺を送る列に居ないのは由々しき事態である。アンジェリカがヴァンパイア化したから私がどうだというのか。不安などない。

「私は結構ですから、今すぐ列に戻ってください」
「否、君の笑顔を見るまで傍を離れる気はないね」
「ええぇ?」

確かに、お葬式では故人を偲んで和やかに食卓を囲む場面もあるけれど、今は国葬の真っ只中。不謹慎では済まされない。

正直なところ、今の私に王国随一の王宮マフィンの味などを感じる余裕はない。
美味しさの余り笑顔が零れるとは限らないのだ。
けれどマルムフォーシュ伯爵がこう言うからには、最速で事態の収拾を図る方法は一つだった。

「では、いただいたら、すぐ行ってくださいね?」
「ああ。急ごう」

私は宮殿の磨き上げられた廊下を走り、驚愕する衛兵や使用人の前でマフィンをほぼ丸呑みし、「旨いか」と問われ全身全霊を込めた作り笑いで頷き、喉の詰まりを察した使用人に紅茶を差し出されてそれを飲み干し、マルムフォーシュ伯爵からは両親の分の土産を持たされ、約束通り父の元へ返された。
マルムフォーシュ伯爵が私の頬にキスをして走り去るのも、大勢の貴族たちに目撃されてしまった。

この件は後に、国王陛下の葬儀の最中でさえ新しい恋人に現を抜かしたマルムフォーシュ伯爵の不埒エピソードとして、不名誉な形で語り継がれることとなる。

けれど、それより人々の記憶に残ったのは、埋葬の最中、一瞬、曇天であったはずの空が紅く染まり、次の瞬間、奇跡のように晴れたという幻想的な光景だった。
国王陛下の威光を示す最後のエピソードとして、王国の歴史と共に、永く語り継がれることとなる。

ユーリアがお別れを告げたのだろう。
私は醜聞を甘んじて受け止めながら、長い間、ずっと、そう考えていた。
それも、ずっと、未来のお話。
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