さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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六章

57(オーレリアス)

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マルムフォーシュ伯爵のぼやく声が微かに聞こえた。
謁見の間を出てから数分は緊張感を保つことができた。だが、確実にあの人の目に届かない場所まで来たという安堵に捉われた瞬間、僕は天井を仰いだ。

「……はぁ」

厄介な人が来た。
無下にできない上、恐らくは誤魔化しきれない。

片付けなければならない問題が残っている。
父や叔父もいつまで目を瞑っていてくれるか定かではない。僕が結果を出さなければならない。

だから、誰にも邪魔されたくはなかったのに……

マルムフォーシュ伯爵。
新しい恋人に随分とご執心と聞いた。軽薄で下品な人柄に則って、密会でも重ねていればいいものを。わざわざ下らない噂に惑わされて、遠路遥々やって来て、僕の窮地を救おうと言う。それが更なる窮地に追い込む一手になるとは考えなかったのか。考えなかったのだろう。考えるはずもない。僕の置かれた立場など、マルムフォーシュ伯爵は知らないのだから。

懐から鍵を出す。

約束の時間を過ぎている。

僕は開錠の後、数秒置いて扉を叩いた。返事はない。だが入室した。そして、即座に施錠する。

天蓋付きのベッドの端に座っていた彼女が跳ねるように立ち上がり、大股で此方に向かって歩いてくるなり僕の頬を打った。
頬に熱い衝撃が走る。

「──」
「遅いじゃない。いつまで放っておくつもり?まったく、良い御身分ね」
「……ご免」

僕の謝罪に忌々しそうな鼻息を返し、彼女────マーガレットは元居た場所へ戻っていく。細い背中は激しい怒りを物語っていた。

「それで、お客様はどうだった?また許し難い罪人に見えた?ねぇ、その方にはどんな罪を被せて縄で縛ったの?抵抗された?ねぇ、どうなの?訊いてるのよ、オーレリアス!」

マーガレットは激昂している。
僕は叩かれた頬に手を当て、完全に答えあぐねて口を噤んだ。

「だんまりなの?ああ、そう。結構なことね。私には説明する義務もないって、そう言いたいのでしょう。馬鹿にして。こんな部屋に閉じ込めて、悩める御領主様気取り?いい加減にして。夫に会わせてちょうだい。こんな馬鹿げたこと、もう耐えられない!」

天涯から垂れるレースを引きちぎり、マーガレットがそのままの勢いで分厚いベッドを殴りつける。
その細い手首が鎖に繋がれないように、その小さな拳が冷たい石の牢獄で傷つかないように、僕だどれだけ苦心しているか、理解しようともしないで。

だが彼女を守れるのは世界でただ一人、僕だけだ。

「マーガレット」
「何よ」
「信じたくないかもしれないけれど、本当なんだ」
「またその話?もう聞きたくない」
「お願いだ。マーガレット、僕を信じてくれ」
「嘘ばっかり!わかってるんだから。私があなたを捨ててレイモンドと結婚したのを恨んでいるのでしょう!?だからこんな復讐をするのよ!」
「違う!」
「レイモンドを悪人に仕立て上げてこの世から消す気だわ!」
「違う!彼は生きている」
「ええ、そう。生きて、投獄されている。あなたの命令でね!こんなことが許されると思っているの!?」
「マーガレット」
「何度でも言うわよ。夫は無実。あなたは間違っている。夫に会わせて、私を解放して。夫と一緒に捕らえた人たちも全員自由にして」
「マーガレット……」
「さもないと、一生呪ってやるから!」

毎日、朝昼晩、同じ事の繰り返し。
僕は精一杯マーガレットを守り、マーガレットは僕を精一杯詰る。それでも僕が愛するのはマーガレットただ一人だけ。彼女を守る為に、巧くやり遂げなくてはならない。

「今夜は、君の好きな仔羊のテリーヌに、ワインを添えるよ」
「飽きたわよ」
「また君が落ち着いたら話そう。もう少し……また、あとでね」
「オーレリアス……!」

僕は細心の注意を払い鍵を扱いながら部屋を出ると、いつものように、即、施錠した。
マーガレットはバムフォード城を知り尽くしている。だから連れて来られたのだ。此処から出すわけにはいかない。上等な客室だから、許して欲しい。

扉に背を預け、また天井を仰ぐ。
喉が震えた。

そんな僕の存在を知り尽くしているマーガレットが、向こうから、僕を殴るつもりで扉を叩いている。何度も。何度も。憎悪が伝わってくる。

「……っ」

何故、こんなことになってしまったのか。
マーガレットが僕ではなくあの男を選んだ日から、運命は完全に狂ってしまった。

マーガレットは、代々バムフォード辺境伯家に仕えているクレヴァリー子爵の娘で、僕とは幼馴染だった。彼女の方が、二つ年上。僕は幼い頃から彼女が好きだった。心から、愛していた。
併し、社交界に出たマーガレットはカニングハム公爵家の令息レイモンドに見初められ、僕との婚約を一方的に破棄し、駆け落ちしてしまった。
レイモンドとマーガレットの行く末を案じた先代のカニングハム公爵が早期に爵位を継承し、二人を正式な夫婦としてカニングハム公爵家を継がせた。今から六年前のことだ。

僕は、まだ、一歩も踏み出せていなかった。
そこへ奴は────レイモンドは先王の葬儀に共に参列しようと僕を誘う体でマーガレットを伴い現れた。僕は、狼狽えた。だが、気づいた。
カニングハム公爵家の誇るブラッカム将軍率いる叛乱軍が、城を包囲する目的で隊を分散させ接近していると。

僕は再会に浮かれるふりで油断させ、レイモンドが密かに伝令とやり取りしている隙をつき、マーガレットを事実上幽閉した。彼女の安全を確保するためだ。

それから血が流れた。
カニングハム公爵家の言い分は、王国にかけられた呪いを解くというものだった。

マーガレットから断片的にでも聞いたのか、事情を知る年配の貴族から聞いたのかは、まだ尋問中で明確になっていない。

だが、とにかくレイモンドは知っていたのだ。
王家と幾人かの貴族が、ヴァンパイアの加護を受けていることを。

この王国は呪われている。
救世主を待ち望んでいる。

そういった的外れな大義を掲げ、カニングハム公爵は叛乱軍を率い攻め込んで来た。だがバムフォード辺境伯領は王国を敵の進軍から守る為にある。制圧は難しくはなかった。

だが、僕は知らなかった。
ヴァンパイアの力と対抗する為に、レイモンドは叛乱軍の中に聖職者を忍ばせていた。だから今も、レイモンドは独房の中で悠々と笑っている。

ヴァンパイアに支配された王家を廃し、自らが救世主として光の国王になるのだと嘯いている。

先王ヴィルゴットが身罷り、現在、王家への加護は途絶えている。
先王に加護を与えたヴァンパイアは、その子孫には関心を持たなかったと聞く。だから、共に消滅してしまったのだろう。その為に、バムフォードの血統を加護してきたヴァンパイアも今はかなり弱っている。

だから、助けを求めるわけにはいかない。
今この城には、彼らを滅ぼす力を保有しているかもしれない、得体の知れない聖職者が身を潜ませているのだ。

叛乱軍など、全員、粛清してしまえばいい。
父と叔父は、そう言う。

だが、マーガレットはこの事実を信じてはくれなかった。
僕を捨ててレイモンドと駆け落ちした腹いせにカニングハム公爵家を陥れようとしている。爵位を継承し権力を手にした僕が、嫉妬に狂っている。そう思い込んでいる。

叛乱軍の実態も含めて、全て、外部に洩らすわけにはいかない。
今のままではマーガレットも罪に問われ兼ねない。

彼女だけは、何としても守り通さなければ……

幾らマーガレットに恨まれようとも、僕は、レイモンドの口を割りその聖職者を暴かなければならない。その人物さえ始末してしまえば、この叛乱は闇に葬ることができる。
叛乱の事実さえなければ、カニングハム公爵夫人としてマーガレットが裁かれる恐れもなくなるのだ。

もう少し……

頼むから、余計な事はしてくれるなよ。マルムフォーシュ伯爵。
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