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18(イーリス)

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世界が音を立てて色を変える。
今まで見えていたものが姿を変え、聞こえていた音の意味が変わる。

私が変わる。
私の知らなかった私が、私の中で、声を上げる。

何度も呼んだフリオの名を叫ぶ。

「……」

頬が熱い。
よって、思わず両手で押さえた。

意図せず瞬きが繰り返され、息があがり、自分が舞い上がっているのがわかり、愕然とした。

フリオは高潔な修道騎士だったのに。

「!」

私は自分の頬を叩いた。
それは目を覚まさせるためや、冷静になるためにそうしたので、頬が痛むほど本気の一撃ではない。フリオも特に言及せず、自身の想いを吐露する。

「だから一人の男になった。神はここにきて愛を与え賜うたようだ。だからといって君が取るべき責任など一つもない。君を危険に晒す方法は二度と選ばない。求婚もしない。以上だ」
「……んんっ」

噎せた。

頬の次は胸を叩く。

「ふりッ、フリオ……私たちはお友達だと思っていたけど……」
「同意する。最近までそう思っていた」
「あ、ありがとう」
「気分が悪ければ、今後一切、君の前には姿を現さない。無論、死角に潜み傍をうろつくような真似もしない」
「いいえ。傍に居て」

自分でも驚くような言葉が滑り出る。
言ってから、それが本心だと納得する。

「君が結婚するまでそうしよう」
「しないわ」
「どうして」
「どうして?相手がいないからよ」
「これから求婚されるだろう。社交界に顔を出さない理由はない」
「理由も、生き方も自分で決めるわ」
「失礼」
「いいえ。謝らないで」

告白の後の会話は今までと同じように淡々と紡がれている。

「何か困った時、必ず声を掛けてくれ。動ける限り君に尽くす」
「ありがとう。私も同じ気持ちよ。あなた、これからどうするの?」
「杖は手放せないが、稽古をつけることはできる。負傷後の振る舞いも詳しい」
「ああ、そういう感じなのね」
「修道士たちも『神に仕えながらこれ以上親密になるよりいい』と喜んでいた」

釘を刺されたようだ。
私たちのふるまいが愛欲や肉欲ではないということを証明して生きていくべきだろう。

愛は、神が人に与えた尊い感情だ。

「話し込んでしまった。今日は、挨拶だけのつもりだったのに。今後の連絡先だ」

お茶を飲み終えたフリオが折り畳んだ紙を無骨な指でテーブルに滑らせる。新しい住所だった。私は頷きながら受け取った。

本当に挨拶だけのつもりだったようで、フリオなりの最大限の速度で腰を上げる。私は急いで席を立ち、背後に回り手を添えた。
万が一フリオに倒れられでもしたら私の腕力では支えられないが、気持ちの問題だ。

フリオに、私と言う杖は必要ない。

「来てくれてありがとう」
「こちらこそ、話せてよかった。ありがとう」

挨拶だけということは、私の返答によってはこれが決別になっていた可能性もあるということだと思うと、改めて焦燥感に駆られた。

併し、私たちは決別には至らなかった。
大切なのはその事実。

見送りに出ると質素な馬車が目に入った。
私が想いを伝えられ、私の心が応じた男性は、本来、神に仕える修道騎士だったのだ。改めて、重々、肝に銘じる。慎重に行動していかなければならない。

姉が修道騎士を堕落させ、妹は略奪婚。
あまり聞こえのいい話ではなく、下手をすればラーゲルベック伯爵家の将来に暗い影を落としてしまうだろう。
父が母の体調を考え三人目以降を断念し息子を諦めた時から、婿ではなく遠縁の男児を迎え家を存続させることが決まっていた。親戚に迷惑を掛けるのは本望ではない。

「道中お気をつけて」
「ありがとう。暴漢くらいなら腕二本でどうとでもなる」
「それは知ってる」

そんな風に今まで通りの雑談をこれまでとは違った熱く甘酸っぱい気持ちで交わしている時だった。

視界の隅に見慣れた馬車が姿を現した。そしてそれが猛進してくるのを見て、私とフリオは口を噤んだ。

ノルドマン伯爵家の馬車だった。
当然、馬車は停まり、中から妹ノーラが重苦しい殺気を漂わせ下り立つ。

「……」

愕然とした。
妹は耐えられると思った。戦うと思った。
逃げ帰ってきてしまっては時間稼ぎにならない。

それまでの浮ついた気持ちが一気に恐れと化し、足から感覚がなくなっていく。

併し次の瞬間、妹が馬車を振り返り誰かに声をかける。

中から少女が姿を現した。

「ジェシカ」

その名を呟くと同時に体が動いた。
私はジェシカに駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。

安堵で涙が溢れた。

「ジェシカ……よかった……!」
「イーリス様。ご、御無沙汰しております」

助かった。
悪魔の手から救い出すことができた。

妹が、やってくれた。

「へえ。御存じだったのねぇ、お姉様」

怒りに満ちた声。

その時、私は思い至った。
今この瞬間の妹は婚家ではなく私に憤っている。

「おかえりなさい」

ジェシカの抱擁を解き、覚悟を決め対峙した。
妹の瞳の中で憤怒の炎がこれでもかと揺らめき、鼻息は野生の猛獣を思わせるほどだった。更には体の脇で固く握った拳を震わせていた。

ノーラは自由で、我儘な子だ。
健康で力もあるはずだった。でも、決して手が出ることはない。

私が信じた、強さだった。

「ありがとう」

過去最高の殺意を受け止めながら、私は心からの感謝を伝えた。
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