婚約者様にお子様ができてから、私は……

希猫 ゆうみ

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ジェイドが駆けつけてくれた。
話が届く距離にはいたらしく、混乱と恐怖でまともに考えられない私でもそう長く待ち焦がれたという感覚はないほど早かった。

「ジェイド……!」

泣きじゃくっていた私をジェイドは強く抱きしめてくれた。
私はジェイドの腕の中で泣いた。

酷く辛いはずなのに、ジェイドの腕の中で泣いているというだけで底知れない安堵が私を包んだ。
だからだろう。
私は後先考えず、状況すらまともに判断できないままにジェイドに縋った。

ジェイドは泣きじゃくる私を落ち着いた声で宥めていた。

「大丈夫。あなたには何の嫌疑もかかっていないから、恐がることはありません」
「スカーレイ様が……お願い、スカーレイ様を助けて……!」
「……」

ジェイドは少し黙り込んだ。
無理を言っていることは理解していた。理解していると思っていた。

彼は軍人で、命令に従うことが本分だ。私の個人的な願い如きで国軍の方針から逸れるようなことはするはずがなかった。

併し、ジェイドはそうした。
私がさせてしまったのだ。そう気づいたのはだいぶ後になってからのことだった。

このときジェイドは何かを決意したような様子は特に見せず、私を腕に抱いて肩や背中や髪を撫でたり、労わるようなキスをしながら言った。

「フローラ殿下の家庭教師であったことからセシア伯爵令嬢は王室騎士団が地下牢に収監しました。なんとか国軍で身柄を確保できるよう動いてみます」
「何かの間違いよ……間違いであってほしい」
「残念ですが、それは難しい。襲い掛かった場面を二人の王室騎士が目撃していますからね」
「一緒にいた軍人は誰なの?ジェイドも知っている人?」
「エクブロム大尉と聞いています。軍医です」

あの軍人が軍医と聞き、スカーレイに何かの薬品を嗅がせたことにも納得できた。

「その方が、囚人として丁重に持成すはずだと言っていたわ」
「貴族令嬢ですからね。でも陛下は酷い裏切りに御立腹ですから」
「何故こんなことになってしまったの?スカーレイ様はどうして……」
「それを誰もが知りたいのですよ、スノウ。あとは誰が口を割らせるかです」
「スカーレイ様を助けて……お願い……っ」

スカーレイがフローラ姫を暗殺しようとしていた。
その事実を、私はどうしても受け入れられずにいた。

何か理由がある。
どうしようもない、事情があった。

そういう真実が明るみに出ることを望み、そうなってくれるはずだと妄信するしかなかった。

スカーレイを失うなど、耐えられない。

でも、信頼していた家庭教師に刃を向けられたフローラ姫の心境を想うと、とても筋違いの願いだと思いもした。私が二人いたらいいのにと馬鹿げた葛藤さえ湧き上がった。

現実が受け入れられない。
夢であってほしい。

何かの間違いであってほしい。

「姫様は、どうしていらっしゃるの……?」

私はジェイドの胸から僅かに顔を上げ尋ねた。
優しい、それでも厳しい眼差しが私に現実の深刻さを示す。

本当に、スカーレイは暗殺者として捕らえられてしまったのだ。
そしてフローラ姫は命を狙われていた。

これが悪夢ではなく、現実なのだ。

「ロヴネル夫人が陛下に直談判し、殿下の幼馴染である少年騎士見習いを傍に置くことが決まったそうです」
「……ラーシュ?」
「そう、ラーシュ」
「ルーカスは?」
「彼は正式な少年騎士で副団長も務めていますから。この件に関わるとすれば調査側になるでしょう」
「スカーレイ様はどうなってしまうの?」
「わかりません……まだ、何も約束できません」

一介の中尉であるジェイドに甘え過ぎたと頭の片隅で思い当たり、私は涙を堪えた。

「ごめんなさい。混乱してしまって……」
「いいんですよ。スノウ、私には何を言ってもいいんです」
「私、傍にいたのに……」
「よく聞いて。そして、覚えておいてください。あなたは何も悪くない」

その言葉が、スカーレイの一言を鮮明に思い起こさせた。

──あなたは愛されて生まれたのよ。生きて。

「……」

まさか、スカーレイは、私を庇って……?
私が暗殺者だと思って、私を……?

「……」

でも、どうして?
もしそうだとしても、私には、そんな価値はあるはずないのに。

「誰が言い出したのかしら」

ぽつりと呟くと、ジェイドが首を振った。

「わかりません」

ジェイドが私の腕を掴み、目を覗き込んでくる。

「いいですか?現在、あなたは総帥の娘です。あなたの身に危害が及ぶことはまず考えられません。今は気持ちを抑えて、鍵を掛けて、この部屋でじっとしていてください。殿下に呼ばれても応じてはいけません」
「……」
「できることならば私がずっと傍にいたい。でも、まずはセシア伯爵令嬢の身柄を国軍に移すため、あらゆる手を尽くさなくてはなりません。わかりますね?」
「……ええ」
「あなたを一人にします。ですが、必ず戻ります」

ジェイドが両手で私の頬を包んだ。
深い湖色の瞳が私の意識ごと包み込んでいく。

「何があっても此処で私を待っていて」
「……わかったわ」

私は納得することができた。
今、私にできることはない。無謀な言動は却ってジェイドの邪魔をしてしまう。

「あなたを、待ってる」
「約束ですよ?」
「ええ」

ジェイドは私の額にキスをして最後に強く抱きしめると、まるで私を置き去りにするかのような速さで部屋を出て行った。それでよかった。彼が何をしようとしてくれているか、私はよく理解できた。

私は鍵を掛けた。

息を整えながらベッドに腰かけた。そのまま眠れるものなら眠ってもよかったが、気が昂って無理だった。

「……」

考えなければならない。
何故こんなことが起きているのか、知ったところで私には何かをする力はない。

だから、考えなくてはならない。
この先、何が起きて、どう変わっていくのか。その時、自分が何をするか。何ができるか。

「……」

ジェイドが言うように、私は今アスガルド国軍総帥の養女になっている。
私の身に危害が及ぶことがないのは、私の養父が国王から厚い信頼を寄せられているアスガルド王国の英雄だからだ。

「……」

どうして、王国の英雄が、王国で〝罪の子〟と定めた私を養女にしたのか。
理由があるはずだ。理由なく、そんなことをするはずがない。私の処遇に同情したと言われても腑に落ちないのは、もっと辛い時代があったからだ。

私がスカーレイにどれだけ救われたのか、知らないはずはない。
想像できないはずはない。

「……」

でも、私がスカーレイに言葉では言い尽くせないほどの恩を感じていようと、姫君を暗殺しようとした大罪の前には全く価値も意味もないのだ。
感情的な繋がりのない総帥が私の意を汲むわけがない。

それでも総帥しかいない。
国王の断罪からスカーレイを守れる権力を持っているのは、アスガルド国軍の総帥、私の父カイン・ガルムステットしかいない。

理由があって私を養子にしたのであれば、私にも切れる切り札があるはずだ。
それを知るために、話をしなくては。

私はジェイドと約束した。
此処で、誰にも会わず、ただジェイドを待つと約束した。

だから私はジェイドとの約束を守った。

ジェイドはその日の内にスカーレイを国軍本部の監獄に移すことに成功した。
更には、国王が望んだ拷問を伴う尋問ではなく、関係者や背景を明らかにするための慎重な調査を国軍によって行うところまで話をまとめてきた。逮捕に立ち会った軍医のエクブロム大尉による口添えも大きかったらしい。

夜更け前に戻って来たジェイドは、私が眠るまで傍にいてくれた。

「怪我をしたんですね」
「ええ。でも、気にする余裕もなくて……」

私の右腕の傷を労わるように撫でると、ジェイドは呟いた。

「痕が残らないといいですね」
「……」

私はスカーレイを思った。
本当にフローラ姫を狙っていたなら、私の背中を刺し、瀕死か死体の私を脇によけて、あの刃を突き刺せばよかった。でもしなかった。ただ私の腕を少しだけ切った。

あの時、本当にフローラ姫を殺害する気だったのだろうか。

「……」

監獄は寒いだろう。
凍てつく秋の夜に、スカーレイは耐えられるだろうか。

どうして……

「できる限りのことをします。だから、今夜はもう何も考えずに休んで、スノウ」
「ジェイド……」

ジェイドは優しかった。
私はジェイドの優しさに甘えている自分を認めざるを得なかった。

私の個人的な我儘を聞いて奔走してくれたジェイドにも休息が必要なのだ。
眠らなければならない。私の寝息を聞かない限り、ジェイドも眠らない。

「……私が、そうしてもらったように……」
「眠って」
「私も、スカーレイ様を守れるかしら……」
「眠って、スノウ。今日を終わらせましょう。明日の為に」
「明日……」

明日、スカーレイを救う為に。

眠ろうと努める私をジェイドは子守りのように上手く寝かしつけたのだろう。私はその夜、嘘のように深く眠り、明け方にはっきりと目を覚ました。

その時、ジェイドはもう傍に居なかった。
それでも怖くなかった。

心が繋がっている。

体の内側から得体の知れない力が沸いた。

戦える。
これから何が起ころうと、私はもう泣いたりしない。

私は一人ではないのだから。

拳を握りしめ、息を整え、私は立ち上がった。
昨夜、ジェイドとの約束は守った。父に会わなくてはならない。
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