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私ったら、なんて恥ずかしいことを……!
イヴォーン王女の私室を辞して長い廊下を歩く私は、火を噴くように熱い頬を両手で挟み震えあがること数回、異常な早足も制御できない。
既に帰国しているイゥツェル神教国の王族や参列者たちからも、私の働きは高く評価されているそうだ。
それは大変光栄であり、名誉であり、ありがたく、ますます邁進しようと心が滾るというもの……のはずなのだけれど、私の心は現在千々に乱れ荒れ狂っている。
生きて来て、これほどまでの羞恥心に苛まれたことはない。
手応えを感じる遣り甲斐のある役目だった。
私は日々、一瞬毎に全神経を注いでやってきた。
それなのに、語学に半生を捧げてきた私がまさか滑舌という問題を抱えていたなんて……
「恥ずかしい……慢心だわ……!」
傲慢なシンシア!
私はあなたを徹底的に教育し直さなくてはいけないわ!
併し、咥内だけの問題なのだろうか。
私の耳も問題を抱えてはいないだろうか。
レミア姫は始めから完成されていたし、サヘル王子も今では元から語学堪能であったかのようにどちらの国の言葉でも会話できる。
「……!」
私の傍近くいる二人の前で、私は……
「!!」
思い出してしまった。
出会った当初、二人が見せた無邪気なきょとんとした表情。
あれは私の酷い滑舌がそうさせていたのだ。
「な、な……は……ッ」
ああっ、恥ずかしい!
しかも私はつい先日、サヘル王子と真剣に甘く熱い愛を語らってしまった。
それから二人きりになればいつも愛を語らっている。
「ああ……っ、どの口で……っ」
羞恥に加え、悲しみさえ湧き上がる。
併し二人の顔を思い浮かべてみても、何処にも呆れたような表情は見つけられない。
私は羞恥心に悶えながらもレミア姫とサヘル王子の寛大さに感服した。同世代であってもやはり王族ならではの人格と器の備わった方たちなのだ。
「……」
私のような不束者に、いつも本当に寛大だった。
羞恥心が徐々に形を変えていく。
私は名誉ある役目を与えられた。正しく判読し、意味を理解し、イゥツェル神教国の祭祀の補佐をするという尊いこの役目を全うしたい。
私は羞恥心を克服し、誇りを取り戻した。
問題点を正直に示唆してくれた母と、その機会を設けてくれたイヴォーン王女に深い感謝を。
胸を張り、私は再び礼節を弁えた歩調で歩き始める。
行くべき場所は宮殿の書庫。
友好関係を築く為に長くイゥツェル神教国を研究した歴史がある。きっと発音に関する書物が遺されているはずである。
私は信念に導かれ、書庫から目的に敵う書物を数冊選び、手続きを済ませレミア姫の居室へと急ぎ向かった。
「お!シンシア!」
「!」
サヘル王子!
あれは……見紛うはずもない、私の愛するサヘル王子……!
サヘル王子もまた自身の役目を全うするため扉の脇に控えている。護衛である。当然だ。いつもの光景。これは私たちの日常。
「ん?」
「……っ」
一度は克服したはずの羞恥心と満足に役目を果たせていなかったという罪悪感が一瞬で押し寄せる。
「シンシア?」
「!」
「どうしたというんだ!シンシア!おい、何処か痛むのか?なぬっ!?どっ、何処へ!?」
「……!」
心の準備が必要だと、私は認めざるを得ない。
私は己の脆弱な心に敗北し走り出す。何も考えられなかった。
恥ずかしさのあまり、逃げたのだ。
それでも自身を律し戻ってくると、サヘル王子の姿はなかった。もしかすると私を探し回っているのかもしれない。
「……」
互いに持ち場を離れるようでは、それは、美しい恋とは言えない。
けれど全ての原因は私の慢心と、真実に耐えうる強さを持たなかった私自身にある。まだ、ここからやり直せる。
私にはイゥツェル神教国の研究に人生を捧げた偉人たちの遺物がある。
レミア姫がファロン王子と穏やかな夜を迎え、私も自分の時間を得る。その全てを昨日まではサヘル王子との逢瀬だと思い上がっていた。
静かな夜更けも、嵐の夜も。雪の夜も。澄み渡る月夜も、星の霞む夜さえも。
夜はいつでも私を高めてくれた。
勉学に励んだ幾晩もの夜に思いを馳せる。
今日までのことは仕方がない。
もしもう一人の私が今この場にいたとしたら、ただ一言、私に告げるだろう。
「早めにわかってよかったのよ」
実際に口に出してみると、それが事実のように思えて幾分前向きな気持ちになれた。
扉に手を掛ける。
私はいつものように敬意と親愛の心を込めた微笑みを浮かべ入室すると、こちらを見遣るレミア姫にいつも通り挨拶をした。
「只今戻りました」
レミア姫が愛くるしい笑顔になる。
私は舌に問題を抱えていたかもしれないけれど、侍女として間違いは犯してこなかったのだ。
この愛らしくも気高い妃殿下の為にも、私は自分を見失わず、卑下せず、誇りを持って、今まで以上に邁進し、より知識を蓄えていこう。
例え今の私が恥ずかしい発音で話していたとしても、それが私なのだから。
「本を借りて来たのね」
「はい。遅れてしまい申し訳ありません」
「気にしないで」
右手で膨らみが目立つようになった腹部を摩りながら、左手を、レミア姫は私に伸ばす。
レミア姫が今夜は一段と輝いて目に映る。眩しくて胸が熱くなるほどに感動してしまう。
美しく輝かしい未来だけが待っているような気にさせられる神々しさに、力強く励まされた。
「……」
やり遂げよう。
この方の信頼に応えたい。
私は書物を脇に置き、夜の祈りを捧げる為に色とりどりの宝石を収めた箱に両手を添えた。
イヴォーン王女の私室を辞して長い廊下を歩く私は、火を噴くように熱い頬を両手で挟み震えあがること数回、異常な早足も制御できない。
既に帰国しているイゥツェル神教国の王族や参列者たちからも、私の働きは高く評価されているそうだ。
それは大変光栄であり、名誉であり、ありがたく、ますます邁進しようと心が滾るというもの……のはずなのだけれど、私の心は現在千々に乱れ荒れ狂っている。
生きて来て、これほどまでの羞恥心に苛まれたことはない。
手応えを感じる遣り甲斐のある役目だった。
私は日々、一瞬毎に全神経を注いでやってきた。
それなのに、語学に半生を捧げてきた私がまさか滑舌という問題を抱えていたなんて……
「恥ずかしい……慢心だわ……!」
傲慢なシンシア!
私はあなたを徹底的に教育し直さなくてはいけないわ!
併し、咥内だけの問題なのだろうか。
私の耳も問題を抱えてはいないだろうか。
レミア姫は始めから完成されていたし、サヘル王子も今では元から語学堪能であったかのようにどちらの国の言葉でも会話できる。
「……!」
私の傍近くいる二人の前で、私は……
「!!」
思い出してしまった。
出会った当初、二人が見せた無邪気なきょとんとした表情。
あれは私の酷い滑舌がそうさせていたのだ。
「な、な……は……ッ」
ああっ、恥ずかしい!
しかも私はつい先日、サヘル王子と真剣に甘く熱い愛を語らってしまった。
それから二人きりになればいつも愛を語らっている。
「ああ……っ、どの口で……っ」
羞恥に加え、悲しみさえ湧き上がる。
併し二人の顔を思い浮かべてみても、何処にも呆れたような表情は見つけられない。
私は羞恥心に悶えながらもレミア姫とサヘル王子の寛大さに感服した。同世代であってもやはり王族ならではの人格と器の備わった方たちなのだ。
「……」
私のような不束者に、いつも本当に寛大だった。
羞恥心が徐々に形を変えていく。
私は名誉ある役目を与えられた。正しく判読し、意味を理解し、イゥツェル神教国の祭祀の補佐をするという尊いこの役目を全うしたい。
私は羞恥心を克服し、誇りを取り戻した。
問題点を正直に示唆してくれた母と、その機会を設けてくれたイヴォーン王女に深い感謝を。
胸を張り、私は再び礼節を弁えた歩調で歩き始める。
行くべき場所は宮殿の書庫。
友好関係を築く為に長くイゥツェル神教国を研究した歴史がある。きっと発音に関する書物が遺されているはずである。
私は信念に導かれ、書庫から目的に敵う書物を数冊選び、手続きを済ませレミア姫の居室へと急ぎ向かった。
「お!シンシア!」
「!」
サヘル王子!
あれは……見紛うはずもない、私の愛するサヘル王子……!
サヘル王子もまた自身の役目を全うするため扉の脇に控えている。護衛である。当然だ。いつもの光景。これは私たちの日常。
「ん?」
「……っ」
一度は克服したはずの羞恥心と満足に役目を果たせていなかったという罪悪感が一瞬で押し寄せる。
「シンシア?」
「!」
「どうしたというんだ!シンシア!おい、何処か痛むのか?なぬっ!?どっ、何処へ!?」
「……!」
心の準備が必要だと、私は認めざるを得ない。
私は己の脆弱な心に敗北し走り出す。何も考えられなかった。
恥ずかしさのあまり、逃げたのだ。
それでも自身を律し戻ってくると、サヘル王子の姿はなかった。もしかすると私を探し回っているのかもしれない。
「……」
互いに持ち場を離れるようでは、それは、美しい恋とは言えない。
けれど全ての原因は私の慢心と、真実に耐えうる強さを持たなかった私自身にある。まだ、ここからやり直せる。
私にはイゥツェル神教国の研究に人生を捧げた偉人たちの遺物がある。
レミア姫がファロン王子と穏やかな夜を迎え、私も自分の時間を得る。その全てを昨日まではサヘル王子との逢瀬だと思い上がっていた。
静かな夜更けも、嵐の夜も。雪の夜も。澄み渡る月夜も、星の霞む夜さえも。
夜はいつでも私を高めてくれた。
勉学に励んだ幾晩もの夜に思いを馳せる。
今日までのことは仕方がない。
もしもう一人の私が今この場にいたとしたら、ただ一言、私に告げるだろう。
「早めにわかってよかったのよ」
実際に口に出してみると、それが事実のように思えて幾分前向きな気持ちになれた。
扉に手を掛ける。
私はいつものように敬意と親愛の心を込めた微笑みを浮かべ入室すると、こちらを見遣るレミア姫にいつも通り挨拶をした。
「只今戻りました」
レミア姫が愛くるしい笑顔になる。
私は舌に問題を抱えていたかもしれないけれど、侍女として間違いは犯してこなかったのだ。
この愛らしくも気高い妃殿下の為にも、私は自分を見失わず、卑下せず、誇りを持って、今まで以上に邁進し、より知識を蓄えていこう。
例え今の私が恥ずかしい発音で話していたとしても、それが私なのだから。
「本を借りて来たのね」
「はい。遅れてしまい申し訳ありません」
「気にしないで」
右手で膨らみが目立つようになった腹部を摩りながら、左手を、レミア姫は私に伸ばす。
レミア姫が今夜は一段と輝いて目に映る。眩しくて胸が熱くなるほどに感動してしまう。
美しく輝かしい未来だけが待っているような気にさせられる神々しさに、力強く励まされた。
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