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地に足がつかないということがあってはならない。
併し、私の足取りは風に舞う花びらのように軽い。
純粋でありながら厳格でもあるサヘル王子の情熱は、優しい抱擁と口づけを交わす以上に、その言葉に込められていた。
私は月の女神のように崇高な存在ではない。
けれど私自身の言葉から思考や趣向を充分に理解してくれている一方で、崇拝に近いような恭しい扱いをしてくれる。
レロヴァス王国や近隣諸国に根付いた騎士道とも少し違うその丁重さは、やはりイゥツェル神教国の宗教観が影響しているのだろう。
まるで女性そのものを神聖な生き物と捉えているのではないかとさえ感じられる。
それが気持ちいいというのではない。
サヘル王子は私との恋愛に真剣なのだという証明のように思えて、胸が熱く震えるほど嬉しいのだ。
この恋の行方はわからない。
レミア姫の護衛として滞在しているサヘル王子がいつ帰国する予定なのか、誰の口からも話題に上ったことさえない。本人も言わない。
私の身分で多くを望んではいけないという理性も頭の片隅に留まっている。
今、この時だけ。
一生のうちの短い蜜月だとしても、この熱い想いは掛け替えのない宝物となって私を生涯支えるだろう。
そうやって何処かに終わりがあると自分に言い聞かせても尚、私は恋に浮かれた乙女そのものになってしまった。
職務中以外は。
レミア姫の初産に向けて豊穣の女神マールェンに祈る時間と項目が増え、儀式は複雑を極め更に忙しくなっていた。
その最中、サヘル王子は公私共に心強い味方だった。
レミア姫がサヘル王子と私の関係について寛容であることは、そのような日々の中で身を以て理解させられた。
「シンシア。これをあげる」
ある日、唐突にレミア姫は首飾りを一つ、私にくれた。
「え……?」
驚愕に固まってしまった私の懐から儀式の手引書を摘まみ出すと、普段参照しているのとは全く別の後方の頁を開き、私の眼前に掲げた。
「……!」
その首飾りの中央で輝く宝石は、広義の意味で愛のお守りだったのだ。
「二人の愛が穢されぬよう、其々の邪念のみならず横恋慕する輩も弾き返す」
古語で祭祀を執り行う時と同じ声音だった。
「レミア様……」
「ついでに病や怪我も防ぐ」
感動している私の額にレミア姫は人差し指と中指を当てた。そのまま短い祝詞で祈念する。
「〝愛と幸い在れ〟」
「──!」
その瞬間、まるで魔法に掛かったかのようだった。
私の心がそう思わせたのかもしれない。
その直後のことだった。
珍しく母から呼び出された私は、久しぶりにイヴォーン王女の私室へと足を踏み入れた。
サヘル王子とのことを耳にしたイヴォーン王女にきつく咎められるかもしれない。その覚悟をしながらも、レミア姫から頂いた首飾りを握りしめ、私は我知らず祈っていた。
「こんばんは、シンシア。物凄く忙しいらしいわね。安産だといいけど。今夜はどうぞ寛いで。久しぶりに採れたてのハーブを煎じた宮殿特製のティーでも如何?疲れが取れるわよん」
優雅に腰掛けたイヴォーン王女が身振りで席に着くよう私を促した。母はその傍らで一言もなくお茶の支度を続けている。
「お招きに与り光栄です、イヴォーン殿下」
「妊娠中の食事で手を付ける順番と噛む回数まで決まっているんですって?」
「はい。とても興味深い文化です」
「でもねぇ。噛むのが面倒って時は我慢すればいいけれど、もう少し噛みたいって時は気持ちがすっきりしないわよねぇ」
「……」
私の印象では充分咀嚼しているように思えるものの、確かに、敢えて歯ごたえのある食物を好んでいるのは事実だった。
由来となった神話から説明するべきか否か逡巡した矢先、母がカップを並べ終え隣の席に腰を下ろした。円卓の為、隣と言ってもイヴォーン王女と私の丁度中間の席だ。
完全に話の腰を折る形で母が私の目を見て言った。
「そんなことより、あなた滑舌悪いらしいわよ?」
「──」
え?
併し、私の足取りは風に舞う花びらのように軽い。
純粋でありながら厳格でもあるサヘル王子の情熱は、優しい抱擁と口づけを交わす以上に、その言葉に込められていた。
私は月の女神のように崇高な存在ではない。
けれど私自身の言葉から思考や趣向を充分に理解してくれている一方で、崇拝に近いような恭しい扱いをしてくれる。
レロヴァス王国や近隣諸国に根付いた騎士道とも少し違うその丁重さは、やはりイゥツェル神教国の宗教観が影響しているのだろう。
まるで女性そのものを神聖な生き物と捉えているのではないかとさえ感じられる。
それが気持ちいいというのではない。
サヘル王子は私との恋愛に真剣なのだという証明のように思えて、胸が熱く震えるほど嬉しいのだ。
この恋の行方はわからない。
レミア姫の護衛として滞在しているサヘル王子がいつ帰国する予定なのか、誰の口からも話題に上ったことさえない。本人も言わない。
私の身分で多くを望んではいけないという理性も頭の片隅に留まっている。
今、この時だけ。
一生のうちの短い蜜月だとしても、この熱い想いは掛け替えのない宝物となって私を生涯支えるだろう。
そうやって何処かに終わりがあると自分に言い聞かせても尚、私は恋に浮かれた乙女そのものになってしまった。
職務中以外は。
レミア姫の初産に向けて豊穣の女神マールェンに祈る時間と項目が増え、儀式は複雑を極め更に忙しくなっていた。
その最中、サヘル王子は公私共に心強い味方だった。
レミア姫がサヘル王子と私の関係について寛容であることは、そのような日々の中で身を以て理解させられた。
「シンシア。これをあげる」
ある日、唐突にレミア姫は首飾りを一つ、私にくれた。
「え……?」
驚愕に固まってしまった私の懐から儀式の手引書を摘まみ出すと、普段参照しているのとは全く別の後方の頁を開き、私の眼前に掲げた。
「……!」
その首飾りの中央で輝く宝石は、広義の意味で愛のお守りだったのだ。
「二人の愛が穢されぬよう、其々の邪念のみならず横恋慕する輩も弾き返す」
古語で祭祀を執り行う時と同じ声音だった。
「レミア様……」
「ついでに病や怪我も防ぐ」
感動している私の額にレミア姫は人差し指と中指を当てた。そのまま短い祝詞で祈念する。
「〝愛と幸い在れ〟」
「──!」
その瞬間、まるで魔法に掛かったかのようだった。
私の心がそう思わせたのかもしれない。
その直後のことだった。
珍しく母から呼び出された私は、久しぶりにイヴォーン王女の私室へと足を踏み入れた。
サヘル王子とのことを耳にしたイヴォーン王女にきつく咎められるかもしれない。その覚悟をしながらも、レミア姫から頂いた首飾りを握りしめ、私は我知らず祈っていた。
「こんばんは、シンシア。物凄く忙しいらしいわね。安産だといいけど。今夜はどうぞ寛いで。久しぶりに採れたてのハーブを煎じた宮殿特製のティーでも如何?疲れが取れるわよん」
優雅に腰掛けたイヴォーン王女が身振りで席に着くよう私を促した。母はその傍らで一言もなくお茶の支度を続けている。
「お招きに与り光栄です、イヴォーン殿下」
「妊娠中の食事で手を付ける順番と噛む回数まで決まっているんですって?」
「はい。とても興味深い文化です」
「でもねぇ。噛むのが面倒って時は我慢すればいいけれど、もう少し噛みたいって時は気持ちがすっきりしないわよねぇ」
「……」
私の印象では充分咀嚼しているように思えるものの、確かに、敢えて歯ごたえのある食物を好んでいるのは事実だった。
由来となった神話から説明するべきか否か逡巡した矢先、母がカップを並べ終え隣の席に腰を下ろした。円卓の為、隣と言ってもイヴォーン王女と私の丁度中間の席だ。
完全に話の腰を折る形で母が私の目を見て言った。
「そんなことより、あなた滑舌悪いらしいわよ?」
「──」
え?
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