真実の愛がどうなろうと関係ありません。

希猫 ゆうみ

文字の大きさ
5 / 58

しおりを挟む
「あなたと?」
「他に誰が?」

元婚約者から婚約解消を告げられた時より遥かに大きな衝撃が私に言葉を失わせる。
目に映る煌びやかな大広間の風景も意味を成さない景色となり、賑やかな大広間の歓談や楽の音さえも耳を通り抜けていく。

「無論、ふざけていない」
「……」

冗談を言う顔でも、声音でもない。
バラクロフ侯爵に冗談を言えるだけのユーモアがあるかどうかという疑問はさて置き、在り得ない申し出だった。

正確に表すならそれは、在り得ないと確信するだけの理由があると言えるかもしれない。

「あら」

衝撃が大きすぎたためか、私の口からやや高圧的な笑いが洩れる。
これが虚勢を張るという状態なのかと、僅かに残された理性が驚いている。

「あなたも真実の愛を実らせようって仰いますの?」

バラクロフ侯爵が怪訝そうな表情でこちらを向いた。
私たちがこの人生で初めて視線を絡めた瞬間だった。

「真実の愛?」
「ええ、はい」
「我々の先祖が証明し得なかった概念についての議論が必要か?」
「いいえ、違います。口癖だったのです。例の、私の、つい先日まで婚約関係にあった伯爵令息の」
「元伯爵令息だ」
「そうでしたわね。その男の」

ふむ、といった様子でバラクロフ侯爵が頷く。

「羽のように軽い真実だったな。我々の先祖が胸を痛めた一時の激情の方がまだ真実と嘯くだけの価値がありそうなものだ」
「それは同感です」

私の曾祖母で当時の第六王女であったシャーリンは、当時も今と変わらず有力貴族であったバラクロフ侯爵アルフォンス卿、現在のバラクロフ侯爵の祖父に当たる男と熱愛関係にあった。
しかし、当時の国王の行った政略結婚によって、曾祖母は私の曽祖父の元へと泣く泣く嫁いだのだ。

二人は政治に引き裂かれ、悲恋に終わった。
二人の激情は駆け落ちや心中という理性を欠いた結末は迎えず、互いの家を繁栄させ、延いては国を繁栄させる生涯に粛々と身を投じるに至った。

悲恋という結末でなければ、互いに生まれてはこなかった命。
そう思うとバラクロフ侯爵と見つめ合うこの瞬間が非常に感慨深く感じられる。

驚愕は過ぎ去り、私はしみじみと歴史の重みや奥深さに想いを馳せた。

「では、先祖に因んで私に記念的求婚を?」
「まさか。子孫の我々が結婚しようとかつての二人には何ら関係ない。私は聡明な妻が欲しいだけだ」

聡明な妻。
私の内面を褒め称える短い一言が素直に嬉しい。

「どうだろう。悪い話ではないはずだ」

さっぱりとした取引めいた意思確認が更に好ましい。
真実の愛だの永遠の誓いだの、高揚感によって理性を手放したに過ぎない夢見がちな口約束など、もう聞きたくなかった。
正に理想的な求婚だったのだ。

愛など霧散する空想。
信頼と実績に基づく協力関係こそが結婚。

私は微笑んでバラクロフ侯爵を見上げた。

「喜んでお受けいたしますわ」
「では、周知の意味も込めて一度踊るか」
「はい」

バラクロフ侯爵の手が差し伸べられ、私は優雅に応じる。
その瞬間に微かなどよめきを感じたものの、私が求めているのは喝采ではなかった。然るべき場所に収まったのだと納得してもらえること。それが重要。

そしてその願いは程なくして叶うことになる。

ダンスの相性はバラクロフ侯爵のリードの上手さとレッスンを重ねてきた私の実力が相乗効果を生み出し、正に完璧だった。
曲の変わり目で、私たちは微かに息の弾む互いを見つめ、今だと悟る。

「……」

無言でバラクロフ侯爵が跪き、今度は私が手を差し伸べる。
予め定められていたかのように、天鵞絨の小箱からやや仰々しくも美しい指輪が顔を出す。

眩いガーネットの輝き。
それを縁取る小粒のエメラルドとトパーズ、そしてダイヤモンド。
バラクロフ侯爵家に代々伝わっていると言われても納得の婚約指輪。

周囲の溜息が耳に届く程の徹底した沈黙の中、バラクロフ侯爵は私の指にその指輪をはめた。

後に〈黙する愛〉などと報じられることとなったこの求婚によって、私はバラクロフ侯爵の正式な婚約者となった。
しおりを挟む
感想 125

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい

三谷朱花
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。 そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。

婚約破棄? 結構ですわ。私は領地を立て直します

鍛高譚
恋愛
――婚約破棄? むしろ好都合ですわ! 王太子エドワード殿下の婚約者として完璧な淑女教育を受けてきた伯爵令嬢ルシア。 だがある日、殿下は彼女を公衆の面前で一方的に婚約破棄し、新たな婚約者として平民出身の令嬢レイラを選んだ。 「あなたのような冷たい女より、愛に生きるレイラのほうがふさわしい!」 突然の屈辱に、一時は落ち込むルシアだったが――すぐに吹っ切れる。 「王太子妃になるための苦労をしなくて済むなんて、むしろ幸せでは?」 伯爵家の一員として新たな人生を歩むことを決意したルシアは、父の領地の改革に取り組みはじめる。 不作にあえぐ村を助け、農業改革や商業振興に奔走するうちに、村人たちから慕われるように。 そして、彼女の努力はやがて王宮にまで届き―― 「君のような女性こそ、王国に必要だ。」 そんな彼女のもとを訪れたのは、まさかの第二王子・アルベルト殿下!? 婚約破棄で人生が終わるどころか、むしろ最高の人生が始まった!? 元婚約者が没落する一方、ルシアは国を動かす存在へと成長していく――!

【完結】婚約破棄された令嬢の毒はいかがでしょうか

まさかの
恋愛
皇太子の未来の王妃だったカナリアは突如として、父親の罪によって婚約破棄をされてしまった。 己の命が助かる方法は、友好国の悪評のある第二王子と婚約すること。 カナリアはその提案をのんだが、最初の夜会で毒を盛られてしまった。 誰も味方がいない状況で心がすり減っていくが、婚約者のシリウスだけは他の者たちとは違った。 ある時、シリウスの悪評の原因に気付いたカナリアの手でシリウスは穏やかな性格を取り戻したのだった。 シリウスはカナリアへ愛を囁き、カナリアもまた少しずつ彼の愛を受け入れていく。 そんな時に、義姉のヒルダがカナリアへ多くの嫌がらせを行い、女の戦いが始まる。 嫁いできただけの女と甘く見ている者たちに分からせよう。 カナリア・ノートメアシュトラーセがどんな女かを──。 小説家になろう、エブリスタ、アルファポリス、カクヨムで投稿しています。

妹は病弱アピールで全てを奪い去っていく

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢マチルダには妹がいる。 妹のビヨネッタは幼い頃に病気で何度か生死の境を彷徨った事実がある。 そのために両親は過保護になりビヨネッタばかり可愛がった。 それは成長した今も変わらない。 今はもう健康なくせに病弱アピールで周囲を思い通り操るビヨネッタ。 その魔の手はマチルダに求婚したレオポルドにまで伸びていく。

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい

花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。 ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。 あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…? ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの?? そして婚約破棄はどうなるの??? ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

従姉と結婚するとおっしゃるけれど、彼女にも婚約者はいるんですよ? まあ、いいですけど。

チカフジ ユキ
恋愛
ヴィオレッタはとある理由で、侯爵令息のフランツと婚約した。 しかし、そのフランツは従姉である子爵令嬢アメリアの事ばかり優遇し優先する。 アメリアもまたフランツがまるで自分の婚約者のように振る舞っていた。 目的のために婚約だったので、特別ヴィオレッタは気にしていなかったが、アメリアにも婚約者がいるので、そちらに睨まれないために窘めると、それから関係が悪化。 フランツは、アメリアとの関係について口をだすヴィオレッタを疎ましく思い、アメリアは気に食わない婚約者の事を口に出すヴィオレッタを嫌い、ことあるごとにフランツとの関係にマウントをとって来る。 そんな二人に辟易としながら過ごした一年後、そこで二人は盛大にやらかしてくれた。

処理中です...