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15(レジナルド)
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妻フェルネがバルコニーから広陵たるバラクロフ侯領を眺める姿は客観的に見ても神々しく目に映る。
「お帰りなさいませ御主人様。ん?」
執事が私の視線を追う。
「ああ、奥様ですね。時折ああして物思いに耽っていらっしゃいますよ。お美しい。まるで女神様のような御姿です」
「なるほど」
結婚から半年。
早くから生活のリズムを整え楽しみを見出している様子であった妻フェルネだが、一人静かに過ごす定位置が決まったという事実は、彼女が確かにこの城に根付いた証のようであり安堵にも似た喜びを齎してくれる。
「尊い御方です。お風邪などひかれないよう使用人一同気を配っております故、ご安心ください」
「ありがとう」
次の瞬間、フェルネが俯き目尻を拭う。
「?」
更には肩を揺らしながら咽び泣き、やがて両手で顔を覆い身を翻すと窓の向こうへ姿を消した。
「……」
何事か。
はたまた苦悩をひた隠しにしてきたのか。
夫として後でそれとなく確認するべきだろう。
今は早急に片付けるべき問題が手元の書状に書き連ねられ、領主として果たすべき責務に追われている。
雪が解け、大聖堂の屋根に看過し難い破損が見られた。
早急に修繕しなければならない。
妻は夕食の席に現れず、やや気掛りで私は食後フェルネの部屋を訪ねた。
私が部屋へ続く廊下を歩いていると丁度フェルネの夕食が下げられるところであり、食欲は維持していることがわかった。
「妻に会えるか?」
「はい。今、食休みしておられます」
「……」
「……」
配膳係の平素と変わりない表情から、事態はそう深刻でないと悟る。だがしかし私たちは心理的に近しいとは言い難い夫婦であり、些細な変化であれば本人が語らない可能性もある。
仮に理由が私であれば尚更だろう。
「何があった?」
配膳係は口元に僅かな笑みを浮かべた。
「奥様は春の病です。先程ハーブティーをお飲みになり、今はやや落ち着いておられます」
「なんだ」
些細な心配事とはいえ些末な事態を勝手に勘違いしただけとわかり、私は小さな安堵と共に拍子抜けしてしまう。
「おくしゃみが止まりませんので、暫くお食事はお部屋でと仰ってます」
「ああ、わかった。呼び止めてすまない」
「いえ。失礼いたします」
配膳係を暫し見送りながら頷き、私は妻フェルネの部屋の扉をノックする。
「私だ」
「ウッキュ」
妻の室内に妙な動物が住み着いたわけでもあるまい。
春の病に罹る者には各々の差が見受けられるが、奇妙なくしゃみをする者は女に多い。男のくしゃみが煩い分、奇妙ではあるがましである。
さして待たされもせず、侍女が扉を開ける。
「不運だな」
労いながら入室すると、安楽椅子に座り込み呆然と宙を睨む妻の姿が目に飛び込んでくる。
「……」
頻繁に顔を見る間柄ではないにしろ珍しい姿だった。
「フェルネ」
「……?」
返事はせず緩慢な動作でこちらに首をひねった妻の目は熱っぽく潤み、頬も心なしか赤らんでいる。鼻も赤らんでいる。更にはともすれば悩ましくも聞こえてしまい兼ねない危うい吐息まじりの呻りをあげ、切なそうに眉を顰め目を細める。
「……」
無駄に艶めかしい。
だが惑わされずに私は妻を夫らしく労うつもりだ。
「嘆くには及ばない」
「……そう」
「夏が来る前に自然と治る」
「あなたは平気そうね」
「酷い鼻声だな」
「ええ。嫌だわ。みんな涼しい顔をし──ウッキュ!」
妻が身震いしながらくしゃみをして、すぐさま侍女に囲まれる。
「あ゛ぁ……」
悩ましくはない呻りが侍女の壁越しに届き、症状が重い部類に入ると理解した私は早速解決策を妻に提示する。
「夏まで旅行したらどうだ?」
侍女たちが再び脇に侍ると、妻フェルネは赤い鼻をひくつかせながら胡乱な目を私に向けた。
「旅行?」
「ああ」
「あなたと?」
「否。私は忙しい。君一人で行け」
「……放任主義?」
「何を言う。夏前に帰って来てもらわねば困る」
「んん~」
提案を吟味しているのか只苦しいのか、妻が宙を見上げ呻る。
艶やかな姿にも見えなくはないが鼻は赤い。
「よく考えてみるといい。毎年繰り返すんだぞ。この先何十年も無理に耐える価値のある苦難とは思えない」
「ごべんなさい。アタバが回らなくて、ちょっと意味がわからないの゛」
「……」
変貌した妻では埒が明かない。
私はパートランド伯爵家から連れてきたジェマに矛先を変える。
「荷造りしろ。明日連れ出せ」
「はっ、はい!」
「ん~……旅行……」
妻と意志疎通を図るなら今だ。
「旅程と旅費は私に任せて休め。君は今、聡明ではない」
「こんな……鼻で……世界を回れないわっ……ひっ、ひっ、ウェッキュ!」
くしゃみにより侍女が妻に群がる。
私は溜息をつき額をかいた。
「土地を離れれば治る。だから旅行を勧めている」
「行くわ……っ」
「ああ。言い出したのは私だ。よく理解している」
「ありが……っ、……ぁ……出なぃ……」
「おやすみ」
「ヴェッキュン!」
結婚から半年、妻フェルネが城を出た。
これが毎年の恒例行事となることは容易に知れた。別荘を建てることも視野に入れるべきだろう。
出費が嵩む。結婚とはそういうものだ。
だが世界を回らせるほど甘くはない。
「お帰りなさいませ御主人様。ん?」
執事が私の視線を追う。
「ああ、奥様ですね。時折ああして物思いに耽っていらっしゃいますよ。お美しい。まるで女神様のような御姿です」
「なるほど」
結婚から半年。
早くから生活のリズムを整え楽しみを見出している様子であった妻フェルネだが、一人静かに過ごす定位置が決まったという事実は、彼女が確かにこの城に根付いた証のようであり安堵にも似た喜びを齎してくれる。
「尊い御方です。お風邪などひかれないよう使用人一同気を配っております故、ご安心ください」
「ありがとう」
次の瞬間、フェルネが俯き目尻を拭う。
「?」
更には肩を揺らしながら咽び泣き、やがて両手で顔を覆い身を翻すと窓の向こうへ姿を消した。
「……」
何事か。
はたまた苦悩をひた隠しにしてきたのか。
夫として後でそれとなく確認するべきだろう。
今は早急に片付けるべき問題が手元の書状に書き連ねられ、領主として果たすべき責務に追われている。
雪が解け、大聖堂の屋根に看過し難い破損が見られた。
早急に修繕しなければならない。
妻は夕食の席に現れず、やや気掛りで私は食後フェルネの部屋を訪ねた。
私が部屋へ続く廊下を歩いていると丁度フェルネの夕食が下げられるところであり、食欲は維持していることがわかった。
「妻に会えるか?」
「はい。今、食休みしておられます」
「……」
「……」
配膳係の平素と変わりない表情から、事態はそう深刻でないと悟る。だがしかし私たちは心理的に近しいとは言い難い夫婦であり、些細な変化であれば本人が語らない可能性もある。
仮に理由が私であれば尚更だろう。
「何があった?」
配膳係は口元に僅かな笑みを浮かべた。
「奥様は春の病です。先程ハーブティーをお飲みになり、今はやや落ち着いておられます」
「なんだ」
些細な心配事とはいえ些末な事態を勝手に勘違いしただけとわかり、私は小さな安堵と共に拍子抜けしてしまう。
「おくしゃみが止まりませんので、暫くお食事はお部屋でと仰ってます」
「ああ、わかった。呼び止めてすまない」
「いえ。失礼いたします」
配膳係を暫し見送りながら頷き、私は妻フェルネの部屋の扉をノックする。
「私だ」
「ウッキュ」
妻の室内に妙な動物が住み着いたわけでもあるまい。
春の病に罹る者には各々の差が見受けられるが、奇妙なくしゃみをする者は女に多い。男のくしゃみが煩い分、奇妙ではあるがましである。
さして待たされもせず、侍女が扉を開ける。
「不運だな」
労いながら入室すると、安楽椅子に座り込み呆然と宙を睨む妻の姿が目に飛び込んでくる。
「……」
頻繁に顔を見る間柄ではないにしろ珍しい姿だった。
「フェルネ」
「……?」
返事はせず緩慢な動作でこちらに首をひねった妻の目は熱っぽく潤み、頬も心なしか赤らんでいる。鼻も赤らんでいる。更にはともすれば悩ましくも聞こえてしまい兼ねない危うい吐息まじりの呻りをあげ、切なそうに眉を顰め目を細める。
「……」
無駄に艶めかしい。
だが惑わされずに私は妻を夫らしく労うつもりだ。
「嘆くには及ばない」
「……そう」
「夏が来る前に自然と治る」
「あなたは平気そうね」
「酷い鼻声だな」
「ええ。嫌だわ。みんな涼しい顔をし──ウッキュ!」
妻が身震いしながらくしゃみをして、すぐさま侍女に囲まれる。
「あ゛ぁ……」
悩ましくはない呻りが侍女の壁越しに届き、症状が重い部類に入ると理解した私は早速解決策を妻に提示する。
「夏まで旅行したらどうだ?」
侍女たちが再び脇に侍ると、妻フェルネは赤い鼻をひくつかせながら胡乱な目を私に向けた。
「旅行?」
「ああ」
「あなたと?」
「否。私は忙しい。君一人で行け」
「……放任主義?」
「何を言う。夏前に帰って来てもらわねば困る」
「んん~」
提案を吟味しているのか只苦しいのか、妻が宙を見上げ呻る。
艶やかな姿にも見えなくはないが鼻は赤い。
「よく考えてみるといい。毎年繰り返すんだぞ。この先何十年も無理に耐える価値のある苦難とは思えない」
「ごべんなさい。アタバが回らなくて、ちょっと意味がわからないの゛」
「……」
変貌した妻では埒が明かない。
私はパートランド伯爵家から連れてきたジェマに矛先を変える。
「荷造りしろ。明日連れ出せ」
「はっ、はい!」
「ん~……旅行……」
妻と意志疎通を図るなら今だ。
「旅程と旅費は私に任せて休め。君は今、聡明ではない」
「こんな……鼻で……世界を回れないわっ……ひっ、ひっ、ウェッキュ!」
くしゃみにより侍女が妻に群がる。
私は溜息をつき額をかいた。
「土地を離れれば治る。だから旅行を勧めている」
「行くわ……っ」
「ああ。言い出したのは私だ。よく理解している」
「ありが……っ、……ぁ……出なぃ……」
「おやすみ」
「ヴェッキュン!」
結婚から半年、妻フェルネが城を出た。
これが毎年の恒例行事となることは容易に知れた。別荘を建てることも視野に入れるべきだろう。
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だが世界を回らせるほど甘くはない。
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