うしろめたいお兄様へ。

希猫 ゆうみ

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6(ローレル)

娘が飛び出していくのを追いかけることはおろか、声を掛けることすらできず私はその場に立ち尽くしていた。

しかし娘が出ていってくれてよかったのだ。
私は安堵の溜息をついた。

それから彼を呼んだ。

「アーネスト」

私の夫、マスグレイヴ伯爵、アーネスト。
彼はこけた蒼白い頬をぴくりと動かし、他人であれば見逃してしまうであろう極めて細やかな微笑みを浮かべる。

「言っただろう。君を守ると」

私は大きく息を吸い込んだ。

娘に知られてしまうかと思った。
あの見るからに純朴そうな優しいオリファント伯爵令息が、まさか結婚後に愛人を囲うと言い出すなんて想像もしていなかった。

否、寧ろ、一途に見えたから私も娘との婚約を喜んだのだ。

アーネストから娘とあの伯爵令息の間にあった出来事を聞かされながら、愛人関係についての全てを打ち明けるつもりなのかと肝が冷えた。

「あなたを疑ったわけではないわ。ただ、焦っただけ」

アーネストはまた極めて小さな笑みを唇に刻んだが、こちらを見はしなかった。

「呼びつけて悪かったね」
「あの子を、このままオリファント伯爵家に嫁がせるの?」
「早い方がいい」

そう言いながら羽ペンを取る。領主としての執務に戻ったのか、オリファント伯爵家への手紙でも書き始めたのか。私にはわからない。昔からわかりにくい人なのだ。

「あと何年かすればフランシスカも男の操縦を覚える。オリファント伯爵家の男は操りやすいだろう」
「でも……」
「安心するといい。君や彼女のことが露呈したわけではない。オリファント伯爵家にそんな鼻の利く人間はいないよ」

アーネストがついに誰がどう見てもそうとわかる笑みを刻んだ。今では目尻の皴や鼻の下の髭で年相応に老けたとはいえ、彼の人間離れした美しさがこうした表情で威力を発揮する。
見慣れた私でさえ、やはり驚く造形美がそこにあった。

「大方、若かりし日々に放蕩の限りを尽くしたという一点に於いて、愛人を容認されて然るべきと早合点したのだろう」
「あの子は信じていたもの全てを失うのね」
「心配いらない。君に似て、フランシスカは強い」
「ありがとう、アーネスト」

アーネストの傍に佇む執事はあの頃の全てを承知している。
当然、私のことも。

私はマスグレイヴ城に守られている。

「あの子を慰めたいけれど、今は私の顔なんて見たくないでしょうね」
「数年はかかるかな」
「覚悟はしていたわ。でも、よかった」

フランシスカには背負わせてしまった私たちの過去を乗り越えてもらわなければならない。
それが女好きの夫くらいで誤魔化せるなら安いものだ。

「オリファント伯爵は息子が楽譜売りの少女を囲うことについて何も言わないのかしら」
「私もそれを考えて、今手紙を書いている」

アーネストは手紙から目を上げず私に狡猾な笑みを晒す。

「愛人を何人囲おうと正妻に担保される権利について、教えてやるさ」

あの頃の感情が鮮明に蘇り、私は胸が苦しくなり、目には熱い涙が込み上げた。

私は今も守られている。
アーネストは私だけでなく娘も守ってくれる。

彼女はどうして息子を連れて去ってしまったのだろう。アーネストを苦しめ抜いて捨てた彼女に対し、私は今も複雑な感情を抱き続けている。悔しい。きっと一生悔しいだろう。

時々、こうして思い出してしまう。

しかし現実に目を戻した。
今は娘を結婚させなくては。
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