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「おかけください、レディ・フランシスカ」

ヘイズ監獄長が揶揄うように笑い制帽で椅子を示した。
今し方、随分と高圧的な態度で私の兄であることを宣言したというのに、二人の身分の差を思い出させる役目を負ったのもまた兄の責任感によるのだろうか。

私はおずおずと腰を下ろす。

「勇敢なお嬢さんだ。あの悪天候の中を遥々マスグレイヴ伯領からやって来たとは驚きましたよ」
「あ、あの……お兄様……」

私がたじろいでいる間にも兄は悠然と足を進め、ヴァルカーレ監獄の監獄長が座るべき席へと腰掛ける。机に制帽を置くと脚を組み、値踏みする鋭い眼差しに揶揄いを含んで私を観察する。

自分でもわかる。
恥ずかしくて目が泳ぐ。

「私、とんだ早とちりを……」

日陰の役職とは言え王都直轄のヴァルカーレ監獄を統べる監獄長だ。重責と権限を思えば、兄は兄として着実に足場を固めて生きてきたのだろう。

それを、私は……

「感動しましたよ。名前しか知らなかった幻の妹が、まさか〝囚われのお兄様〟を救いに来るとは。どういう風の吹き回しです?」
「……」

動揺していると、兄は監獄長の仮面を脱ぎ声を潜める。

「誰に何を吹き込まれた?」
「……」

私は何から切り出すか逡巡する。
口ぶりから私より親世代の事情を承知しているようであり、勘違いで乗り込んで来た私を揶揄う余裕すらある兄だ。

何より、バレット・ヘイズという男が怒らせてはいけない相手であるのは明らかである。

「父が……」
「ああ」

嘘はないが全てを語るには微妙にうしろめたさを感じてしまう。
あの破廉恥な吸血鬼め。私を嵌めたのだ。

肘掛に爪を立てる勢いでしがみつきながら私は目を逸らし結論から伝える。

「父が、お兄様と私でマスグレイヴ伯爵家を継いでもいいと」
「……」

監獄長の沈黙は重い。
そして長かった。

兄が口を開く。

「俺が普段どんな連中を相手にしていると思う?」
「……」
「一つずつ丁寧に尋問してやらないといけないか?」
「……」
「突然現れた妹にしては可愛いな。手が掛かる」

可愛いというのは誉め言葉ではない。
兄の立場も考えれば本来は悠長にお喋りしている時間などないのだろう。

私はここまでの顛末を簡潔にまとめて伝えた。

「……はっ」

兄は黙って聞いていたが、最後に乾いた笑を洩らし背凭れに身を預けた。

「爵位を継ぎ妹の面倒を見ろって……」

兄からすれば、そういうことだ。

冷静ではない状態で父の言葉を悉く取り違えていた私の中で、兄は不遇の囚人だった。掛値なく私はマスグレイヴ伯爵家の爵位を提示でき、その威力は絶大だと疑いもしなかった。

しかし現実は違う。

兄は貴族を捕える権限を持っている。
貴族を拷問し、処刑する権利を国王から預かっている人物だ。

私の申し出は、兄が望まない限り、やろうと思えばその手で握り潰せる極上の砂糖菓子のようなものだろう。

背凭れに身を預けやや仰のいたまま兄が目だけで私を捉える。

「愛人を囲うような夫は嫌か?」

愛人の子である兄の前で堂々と批判するのはさすがに躊躇われる。
私自身、父の前妻であるビアトリスが存命であったなら愛人の子として産まれた身だ。

しかしそれでも女だった。

「お恥ずかしい話ですが、私はこの件があるまでお兄様の存在すら知りませんでした」
「ああ。だから思い詰めて修道院まで行ったんだもんな」
「そうですね」

兄の理解を示す態度は監獄長ならではの誘導に思えてならないが、半分は血の繋がった兄妹であるという甘えが私に余計な安堵を齎す。

だから気を引き締めた。
そんな私を兄は碧い瞳で観察している。

赤褐色の髪や精悍な顔立ち、監獄長という物々しい肩書と制服。それらを纏う中で碧い瞳だけが際立って透き通るように輝いている。

「結婚。さもなくば地下牢か」

低くざらついた呟きが私に向けられたものか、父に向けられたものか定かではない。

兄が口角を上げる。

「俺を連れ帰ればお前だけが喜ぶわけだ」
「……!」

痛いところを突かれた。
正しくその通りだ。

私の空想通りに兄が囚人であったなら交渉の余地はあった。爵位を継ぐ交換条件として私の安寧を堂々と主張できた。

しかし兄の視点から見れば、婚約者の愛人宣言をきっかけに現実を知った令嬢が保身の為に餌をぶら下げて遥々訪れただけなのだ。それも都合のいい〝囚われのお兄様〟という前提を引っ提げて。

これでは私の我儘である。

同じことを考えているのか、兄は寛いだ姿勢で私を見つめながら肩を揺らして鷹揚に笑い始めた。

「……」

気まずい。

私が恥ずかしさに内心悶えながら俯いた時だった。
怒涛の喧噪と足音が押し寄せ、兄が笑いを潜めた瞬間に激しく扉が叩かれた。

「ヘイズ監獄長!来てください、脱獄です!!」
「!?」

投げかけられた言葉を聞くと同時に兄が迅速に腰を上げ、私の手首を掴んで立ち上がらせ扉を開ける。一瞬の出来事だった。
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