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囚人として不遇な人生を生きてきた兄を説得し、大急ぎで伯爵家の人間として相応しい教育を受てもらう。それは骨の折れる大仕事になるだろうという覚悟は泡となって消えた。
兄は私の想像を遥かに超えて打ち解けやすく、人間としての土台も出来上がっており、自身も両伯爵家の血が流れていると自覚している為に理解が早い。
こんなに乗り気でついてくるとは思っていなかった。
特に脱獄騒ぎの前の張り詰めた空気は拒絶されているとしか思えなかった。
兄はまるで楽しみすら見出しているかのようである。
しかし伯爵位を継ぐという野望や野心という類の熱い意気込みは感じない。文字通り檻から解放されて寛いでいるのだ。
「……」
動揺しながら聞いていた兄の言葉の一つ一つに大きな意味があったのだと、私は暗い天井を見つめながら考える。
「……」
檻の中にいようと、処刑されずとも生涯をあの監獄で過ごす。
どんなに重要な役目だとしても、誇りと遣り甲斐を感じようとも、やはり普通の人生ではない。
血筋の為に、監獄に閉じ込められていた。
囚人でなくともそれは変わりないのだ。兄も言っていた。教育を受けたと。
「……」
しかし世間から隠す必要はあったかもしれない。
母が仕えていたライシャワー伯爵夫人は父との穢れた関係の為に追放されている。その結果として生を受けた兄は決して弱い者として生きるわけにはいかず、人目に晒されるわけにもいかなかったはずだ。
「無理。眠れない」
疲労とは相反する興奮ですっかり目が冴えている。冴え渡っている。
明日は旅の折り返しとなる初日。しっかり休んでおかなくてはいけないのはわかっているが最悪兄の隣で気絶していればいい。
私はベッドから跳ね起き部屋を出た。
頭か体を酷使するか温かいミルクでも飲まなくては眠気は訪れない。
階下の酒屋は夜通し開いていると聞いている。ミルクは数時間後の搾乳を待たなくてはならないかもしれないが、頼めばチーズくらい齧らせてもらえるかもしれない。
階段を下りると深夜独特の秘密めいた賑わいが窺えた。
コインの音。グラスか瓶が木製のテーブルとぶつかる音。ビリヤード台の独特の音。複数の低い声が交わされている。夜更かしをしているのは主に男性客だ。
食堂の戸口で中を覗くと、三つのテーブル席で寛ぐ姿を見つけた。
奥のテーブルには私の護衛二人が酒瓶を脇に置いてカードに興じている。酔いつぶれるようなだらしない飲み方ではなく嗜む範囲だとわかり、盗み見の立場ではありながら安堵した。
「……」
護衛二人に対しグラスは三つ。
一人抜けたのだとしてもニックスということはありえない。
僅かに酒を残し放置されたグラスの主はきっと兄だ。
私は踵を返し、見えない何かに導かれるように宿を出た。
自由を得た兄が何をするか私にはわかっていた。
それしかないと思った。
紺碧の夜空の下、兄は星を仰ぎ立っていた。
今までの人生とは違う景色を、違う風を、違う夜を、兄は体中で感じている。
他の誰でもなくバレット・ヘイズという人間の、只一人だけが受け取るであろう感動を邪魔したくはない。
それでも私は星空の下で佇む兄を見ていたかった。
兄の姿はなぜかとても美しく、悲しく、優しかった。
「……」
兄を連れ出せてよかったのだ。
その人生が始まるのだから。
時を忘れ兄の背中を見つめていた。
しかしやがて我に返り私は部屋に戻り、ベッドに潜り込んで眠りに落ちた。
その、瞬間まで。
私は兄のことばかり考えていた。
兄は私の想像を遥かに超えて打ち解けやすく、人間としての土台も出来上がっており、自身も両伯爵家の血が流れていると自覚している為に理解が早い。
こんなに乗り気でついてくるとは思っていなかった。
特に脱獄騒ぎの前の張り詰めた空気は拒絶されているとしか思えなかった。
兄はまるで楽しみすら見出しているかのようである。
しかし伯爵位を継ぐという野望や野心という類の熱い意気込みは感じない。文字通り檻から解放されて寛いでいるのだ。
「……」
動揺しながら聞いていた兄の言葉の一つ一つに大きな意味があったのだと、私は暗い天井を見つめながら考える。
「……」
檻の中にいようと、処刑されずとも生涯をあの監獄で過ごす。
どんなに重要な役目だとしても、誇りと遣り甲斐を感じようとも、やはり普通の人生ではない。
血筋の為に、監獄に閉じ込められていた。
囚人でなくともそれは変わりないのだ。兄も言っていた。教育を受けたと。
「……」
しかし世間から隠す必要はあったかもしれない。
母が仕えていたライシャワー伯爵夫人は父との穢れた関係の為に追放されている。その結果として生を受けた兄は決して弱い者として生きるわけにはいかず、人目に晒されるわけにもいかなかったはずだ。
「無理。眠れない」
疲労とは相反する興奮ですっかり目が冴えている。冴え渡っている。
明日は旅の折り返しとなる初日。しっかり休んでおかなくてはいけないのはわかっているが最悪兄の隣で気絶していればいい。
私はベッドから跳ね起き部屋を出た。
頭か体を酷使するか温かいミルクでも飲まなくては眠気は訪れない。
階下の酒屋は夜通し開いていると聞いている。ミルクは数時間後の搾乳を待たなくてはならないかもしれないが、頼めばチーズくらい齧らせてもらえるかもしれない。
階段を下りると深夜独特の秘密めいた賑わいが窺えた。
コインの音。グラスか瓶が木製のテーブルとぶつかる音。ビリヤード台の独特の音。複数の低い声が交わされている。夜更かしをしているのは主に男性客だ。
食堂の戸口で中を覗くと、三つのテーブル席で寛ぐ姿を見つけた。
奥のテーブルには私の護衛二人が酒瓶を脇に置いてカードに興じている。酔いつぶれるようなだらしない飲み方ではなく嗜む範囲だとわかり、盗み見の立場ではありながら安堵した。
「……」
護衛二人に対しグラスは三つ。
一人抜けたのだとしてもニックスということはありえない。
僅かに酒を残し放置されたグラスの主はきっと兄だ。
私は踵を返し、見えない何かに導かれるように宿を出た。
自由を得た兄が何をするか私にはわかっていた。
それしかないと思った。
紺碧の夜空の下、兄は星を仰ぎ立っていた。
今までの人生とは違う景色を、違う風を、違う夜を、兄は体中で感じている。
他の誰でもなくバレット・ヘイズという人間の、只一人だけが受け取るであろう感動を邪魔したくはない。
それでも私は星空の下で佇む兄を見ていたかった。
兄の姿はなぜかとても美しく、悲しく、優しかった。
「……」
兄を連れ出せてよかったのだ。
その人生が始まるのだから。
時を忘れ兄の背中を見つめていた。
しかしやがて我に返り私は部屋に戻り、ベッドに潜り込んで眠りに落ちた。
その、瞬間まで。
私は兄のことばかり考えていた。
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