26 / 60
26(キャロル)
あれから二ヶ月。
私の前で破局を迎えた若い貴族の恋人たちが結局どうなったのか知る由もない。
それでも私は信じていた。
諦めたくはなかった。
伯爵令息の愛人に……恋人になる未来を。
「……あ!」
今日も街頭に立ち楽譜を売っていた私は、待ちに待ったその人の姿を見つけた。
今日までどんな相手の申し出も断って来たのだ。
彼がいい。
彼は私に声を掛けた中で一番若く容姿も整っている伯爵令息だ。彼以外は考えられない。
約束の通り迎えに来てくれたのだ。
「……えっと、オリファント伯爵……よね。名前は、ウォルター」
激しい胸の高鳴りはまるで耳鳴りのように私の世界から音を奪い、彼だけを見つめさせる。
私が駆け寄っていくのに気付き、伯爵令息はゆっくりと笑みを浮かべた。
「……ウォルター様……!」
「ウォルトンだ」
雑踏にかき消されそうなほど弱々しい声だった。
それでも優しい微笑みで私を見下ろし、私の腕にそっと触れてくる。
「しっ、失礼いたしました……!」
「いいよ。君、歌はどうする?踊りかな?どっちでもいいや。全部捨てて僕と来るかい?」
「──」
この日を待っていた。
私は胸一杯の希望を抱いて、高らかに答える。
「はい!」
ウォルトン様の手が背中に回る。
私の手から楽譜の入った篭が音もなく落ちていく。
そして私たちは並んで歩き出した。
私は……私は伯爵令息に選ばれて新たな人生を歩み始めたのだ!
「聞いてくれよ。マスグレイヴ伯爵は自分を棚に上げて、僕が娘の結婚相手として相応しくないって言うんだ」
雑踏の中を歩いている私はもう昨日までの私ではない。
目に映る誰よりも高価な靴を履き、張りぼての衣装とは天と地も差がある本物のドレスや宝石を身に纏うようになる。
「婚約を破棄された。酷いよ。恥もかいたし父上は怒り狂っているし、僕はお先真っ暗だ」
「……」
貴族同士の縁談というものが大きな責任を伴うというのは理解できる。オペラもそればかり。でもこれは現実、オペラじゃない。
喜んでいいはずだ。
なぜならこうして約束通り私を迎えに来てくれたのだから。
「もう僕には君しかいない」
「はい……!」
世界の全てが薔薇色に見える。
私の恋人。私だけを愛する人。その人は貴族で、私に繊細な心を曝け出し肩を抱いて歩いてくれる。
私は伯爵令息の恋人。
楽譜売りだったキャロルはいつか本物の伯爵夫人になる。
「君の為にたくさんドレスを用意してあるからね。宝石も、髪飾りも、きっと気に入るよ」
「はい!ありがとうございます!」
「だって、どれもこれもフランシスカが喜びそうな物ばかりなんだ」
「え?」
「気に入るはずさ。似合うよ。似合うはずなんだ」
「……」
高揚した気持ちがすっと冷めて、私は愕然と伯爵令息の顔を見つめた。
そうして初めて気づいた。
ウォルトン様は優しい微笑みを浮かべているけれど、その碧い瞳は酷く濁り、活力を失い、粘り付くような眼差しで虚空を見つめている。
私の肩を抱く手だけ、妙に力強い。
「そう言えば君、名前は何て言ったかな?」
私は言葉を失った。
本能が叫ぶ。危険。危ない。間違っている。
「……」
自慢だったはずのよく通る声が、全く喉から出てきてくれない。
「……っ」
今叫べば、誰か助けてくれるかも──
「まあ、いいや。とにかく今日から君が僕のフランシスカだよ。愛してる。誰よりも君を愛してるんだ。行こう」
「!」
直後、私は手荒く馬車に押し込まれた。
誘拐だった。
私の前で破局を迎えた若い貴族の恋人たちが結局どうなったのか知る由もない。
それでも私は信じていた。
諦めたくはなかった。
伯爵令息の愛人に……恋人になる未来を。
「……あ!」
今日も街頭に立ち楽譜を売っていた私は、待ちに待ったその人の姿を見つけた。
今日までどんな相手の申し出も断って来たのだ。
彼がいい。
彼は私に声を掛けた中で一番若く容姿も整っている伯爵令息だ。彼以外は考えられない。
約束の通り迎えに来てくれたのだ。
「……えっと、オリファント伯爵……よね。名前は、ウォルター」
激しい胸の高鳴りはまるで耳鳴りのように私の世界から音を奪い、彼だけを見つめさせる。
私が駆け寄っていくのに気付き、伯爵令息はゆっくりと笑みを浮かべた。
「……ウォルター様……!」
「ウォルトンだ」
雑踏にかき消されそうなほど弱々しい声だった。
それでも優しい微笑みで私を見下ろし、私の腕にそっと触れてくる。
「しっ、失礼いたしました……!」
「いいよ。君、歌はどうする?踊りかな?どっちでもいいや。全部捨てて僕と来るかい?」
「──」
この日を待っていた。
私は胸一杯の希望を抱いて、高らかに答える。
「はい!」
ウォルトン様の手が背中に回る。
私の手から楽譜の入った篭が音もなく落ちていく。
そして私たちは並んで歩き出した。
私は……私は伯爵令息に選ばれて新たな人生を歩み始めたのだ!
「聞いてくれよ。マスグレイヴ伯爵は自分を棚に上げて、僕が娘の結婚相手として相応しくないって言うんだ」
雑踏の中を歩いている私はもう昨日までの私ではない。
目に映る誰よりも高価な靴を履き、張りぼての衣装とは天と地も差がある本物のドレスや宝石を身に纏うようになる。
「婚約を破棄された。酷いよ。恥もかいたし父上は怒り狂っているし、僕はお先真っ暗だ」
「……」
貴族同士の縁談というものが大きな責任を伴うというのは理解できる。オペラもそればかり。でもこれは現実、オペラじゃない。
喜んでいいはずだ。
なぜならこうして約束通り私を迎えに来てくれたのだから。
「もう僕には君しかいない」
「はい……!」
世界の全てが薔薇色に見える。
私の恋人。私だけを愛する人。その人は貴族で、私に繊細な心を曝け出し肩を抱いて歩いてくれる。
私は伯爵令息の恋人。
楽譜売りだったキャロルはいつか本物の伯爵夫人になる。
「君の為にたくさんドレスを用意してあるからね。宝石も、髪飾りも、きっと気に入るよ」
「はい!ありがとうございます!」
「だって、どれもこれもフランシスカが喜びそうな物ばかりなんだ」
「え?」
「気に入るはずさ。似合うよ。似合うはずなんだ」
「……」
高揚した気持ちがすっと冷めて、私は愕然と伯爵令息の顔を見つめた。
そうして初めて気づいた。
ウォルトン様は優しい微笑みを浮かべているけれど、その碧い瞳は酷く濁り、活力を失い、粘り付くような眼差しで虚空を見つめている。
私の肩を抱く手だけ、妙に力強い。
「そう言えば君、名前は何て言ったかな?」
私は言葉を失った。
本能が叫ぶ。危険。危ない。間違っている。
「……」
自慢だったはずのよく通る声が、全く喉から出てきてくれない。
「……っ」
今叫べば、誰か助けてくれるかも──
「まあ、いいや。とにかく今日から君が僕のフランシスカだよ。愛してる。誰よりも君を愛してるんだ。行こう」
「!」
直後、私は手荒く馬車に押し込まれた。
誘拐だった。
あなたにおすすめの小説
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。