うしろめたいお兄様へ。

希猫 ゆうみ

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28(バレット)

公衆の面前で愛人所有宣言をされ破談に至った伯爵令嬢が纏って然るべきの悲哀は微塵も感じさせない俺の妹フランシスカ。
兄妹での共同統治という保証がそうさせるのか、単純に能天気なのか。俺は後者だと踏んでいる。

「私、あと七手で負けるわ」

鼻息も荒く不敵な笑みを浮かべ、食い入るようにチェス盤を見つめて負けを宣言した妹が可愛くないわけがない。

「なんだよ。これで終わりか?もっと足掻いてくれよ」
「嫌ね、お兄様。私がいつ降参と言ったの?」

フランシスカは歴史を理解するのは苦手だが、本人が自称するように過去のあらゆる戦記の内容は把握している。行儀のいい知的な娯楽でもありながら対戦が大前提のチェスが大好きだったが、今まで相手に恵まれなかったらしい。

そういうわけで貪るように俺と対戦するのを日々の楽しみとしている。
俺も喜ぶ顔見たさにこうして積極的に挑んでしまうと言うわけだ。

歴史はからきし、地図の中の情報を碌に拾えない妹だが、意外にも計算が得意で財政管理の面で謎の才能が花開きそうだと俺と父親を喜ばせている。
何かこう、常に現状を打開しようという情熱のようなものがあるのかもしれない。

数字に強いのに年号を覚えられないのはなぜかと聞いてみたら、私は今を生きているのよ……と啖呵を切られた。
他人の過去に興味がない。過去に拘らない。今となっては生い立ちに相反する情熱だから興味深い。

これまで単純な花嫁修業しかさせてこなかったのは勿体ないようでもあるが、伯爵令嬢として生まれてきたのだから当然と言えば当然であり、余計な知恵は付けずあっさり結婚し穏便に暮らしていくのも充分一つの幸せだったはずだ。

可哀想と……一概に言い切れない。
城に閉じ籠ると決めたフランシスカは活き活きとしており、道連れの俺も未来に胸を弾ませ楽しんでいる。

これはこれでよかったんじゃないか。
致し方なかった境遇への打算に異様な価値を感じてしまうのも当然だった。

フランシスカが可愛い。
それに尽きる。

「手加減しないでお兄様。私、負けてまた一つ強くなるのよ」

不屈の精神に胸が擽られ、俺は微笑まずにはいられない。
これでいて外見はしっかりとした、充分に可憐で美しい伯爵令嬢なのだから狡い。

いい婿を見つけてやる。
そんな決意が日々俺の中で大きくなっていく。

この妹の助けになるなら。
それが俺がマスグレイヴ伯爵家を継ぐという誘いに乗った理由の一つでもあるわけだから、毎日が楽しくないはずはなかった。

悪を閉じ込め死を見届ける。
地獄へ送りつける。

それだけだった人生が、これからは領民の人生を預かり、日々の暮らしを維持しながら発展も目指すという建設的なものに変わる。

マスグレイヴ伯爵を父親と認める以外、全ては劇的な良い変化でしかなかった。

俺は満足していた。
予想したよりずっとよかった。

ある日のことだった。
俺はいつも通り、後継者としての教育で強張った妹の肩をほぐすために図書室でチェスをしていた。飽きもせず。
最近の妹は覚えたての実在の人物に成り切ってチェスに挑むという新しい遊びを編み出し、それに付き合うのがまた面白かった。

「舐めるなよ。こっちのポーンは八人殺した食人鬼だ」

俺が元監獄長の経験を遺憾なく発揮していると唐突に声が掛けられた。それだけ集中していたのである。

「お嬢様、バレット様。旦那様がお呼びです」

執事だった。
フランシスカがポーンを摘まんだまま硬直し、数秒、ゲームの中断について葛藤する。その顔は見ていて飽きないが俺は執事に目を遣った。

「……」

年齢的にもそうだと思い何人かの使用人に対して世間話の体で聞いてみたが、やはりこの執事は古参であの頃もこの城で執事をしていたと判明している。

「……」

俺を見ない。
俺と目を合わせないどころか、フランシスカにさえかなり淡白な態度を貫いている。フランシスカの母親に対しても同じだ。

過去を。
真実を知る人間だと断定できる。

だが急ぐ気はなかった。
藪蛇になっても適わない上、これ以上余計な過去を暴き出して妹を悲しませるのも忍びない。

フランシスカがそうであるように、今目の前にある状況に全身全霊を注ぎ、より良い明日を作っていく。その中で機会を窺えばいいと俺は考えていた。

フランシスカがポーンを置いた。

「行きましょう、お兄様。殺伐としましょう」

俺が来たことで一家は異常な緊迫感に支配されたわけだが、それを妹はこの言葉で茶化している。

殺伐としましょう。
殺伐とする時間よ。

俺たちがマスグレイヴ伯爵や夫人と対峙するとき、妹は真顔でそう言うのだ。
可愛いったらない。

因みにもしフランシスカという妹の存在なしに爵位継承を持ち掛けられていたら、こう愉快な生活を享受しはしなかった。
監獄長として過去の罪を暴いただろう。

親たちが何を隠しているにせよ、碌でもない秘密があるということだけは疑いようもない。
上手い迎えを寄こしたものだと毎度感心しながら俺は殺伐とした親子の時間へと赴く。

勇んで歩く小柄な妹の弾む髪を見て和み、また笑みが零れた。
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