うしろめたいお兄様へ。

希猫 ゆうみ

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兄の顔から笑顔が消えた。
まるで蝋燭の火が吹き消された時のように、はっきり消えた。

ランプの灯に照らし出される黒い縁取りの碧い瞳は、闇に溶けようとする赤褐色の髪や闇に身を潜ませることに慣れた兄の唯一の鋭い光。
私を射抜く光。

隠されない、隠す術を持たない兄の光。

私は兄の瞳が好きになっていた。
父の不在が私の心を暴いてしまった。

父さえ私たちの間にいなければ、兄と私が兄妹ではないかもしれないという考えが膨張してしまう。

しかし父は今日もまだ帰って来ない。
私と兄を放置したままで徘徊しているあの吸血鬼の冷たい血がこの兄の体に流れているとは到底思えない──などと、考えてしまってチェスも手につかない。

「冗談よ」
「面白くない」

兄の声は硬く冷たかった。
監獄長という前歴のせいか、兄の声そのものが鉄格子のようにさえ思えてしまう。しかしその場合、囚われているのは私なのか、兄なのか。

「まあ、嘘よ」

事も無げに撤回した私を兄が尋問し始める。

「何を隠した?」
「え?」
「嘘は隠す為に吐くものだ。今、俺に何を隠した?」
「……」

私は少し考えてから伝えた。

「雑念」

嘘ではない。
兄が閉じた歴史書を脇に押しやる。

話題を振ったのは私であり、私と兄の根幹に関わる問題であることもよく理解していた。
まんじりともしない心を抱えたまま一生を兄の隣で生きていくのも面倒で、兄の反応を確かめたくもあった。

要は我慢の限界だったのだ。

兄の表情が激変したのを見て私は満足した。
兄も父の存在を疑っている。父は吸血鬼ではないかもしれないが、兄の実の父親でもないかもしれない。その上で兄はマスグレイヴ伯爵令息の地位を享受し、次期マスグレイヴ伯爵になろうとしている。

「オリファント伯爵令息が悩みの種だろ」
「それはそれ、これはこれよ。変態ウォルトンが死んでもお兄様は生き続けるでしょう?」
「……俺を階段から突き落とし只一人の統治者としてマスグレイヴ城に君臨しようと考えたんだな?」

兄が冗談めかして笑う。
私は冗談にする気はない。

「いいえ?」
「……」

兄が即座に笑みを捨て去り、私は核心を突いた。

「お父様が只の人間だとしたら、お兄様とは血の繋がりはないのではと考えてしまうの」
「それで?」
「……」
「俺にそれを言って、俺をどうしたいんだ?追い出したいわけじゃあないんだろ?」

言葉に詰まった私に兄は手緩い尋問を重ねる。
もう少し黙っていれば兄の心の内を探れるという直感が私の口を塞いだ。

兄は机に肘を掛け身を乗り出してくると、低く囁いた。

「お前も全然似てないぞ」
「私は女だもの。でもお兄様は男でしょう?言っておくけど私はお母様そっくりよ」
「じゃあ俺は誰の息子なんだよ」
「ライシャワー伯爵?」

兄の眉がぴくりと蠢き、それが呆れの表情であると悟る。

「吸血鬼じゃなきゃ死人の子だって?」
「いいえ?今のライシャワー伯爵のことよ」
「は?」

少なくとも兄の反応を見る限り、私の想像は見当違いであるらしかった。
私は近づいた兄の顔ごと振り払うように手を振った。

「お会いしたことはないけれど、少なくともお父様の次には可能性のある方でしょう?」

兄は退かず私の手を見つめている。

「馬鹿々々しいって顔しないで。戯言よ。どうぞ忘れて」
「ライシャワー伯爵は不倫相手を追放し爵位に就いたことになるが、俺たちの父親が不倫の汚名を肩代わりする理由について深く考えたりしないのか?」
「だから忘れてってば」

兄が引かない為、私が背凭れに貼り付く形で距離を取った。

私は気まずさに目を逸らした。
兄の父親が私の父とは別の人物であるなら実際誰なのか……というのはあまり真剣に考えられたものではない。私の雑念と願望が事実を捻じ曲げて導き出す妄想に近い。

「フランシスカ」
「でも、お父様と似ていないのは事実でしょう?」

兄妹じゃなければいいのにと、愚かにもそればかり考えてしまう。
其れでは何も成立しなくなってしまうというのに。

私たちの決断も、未来も、台無しになるというのに。

「フランシスカ、聞けよ」

兄の視線は鋭いというよりは熱く私の心の奥底まで暴こうとしているかのように見えた。

「俺は此処に来たんだ。お前が嫌になったなら、そう言ってくれればいつでもヴァルカーレ監獄に戻ってやる」

低い囁きは優しく、視線の鋭さとは相反している。
それでも私は誤解を解く為に笑顔を向けた。

「それはやめて。お兄様は毎日楽しそうにしてるもの。誰の息子だろうとこの城を受け取ってちょうだい」

そして私の傍にいて。

さすがに口に出すのは憚られる願望を飲み込み、私は笑顔で兄の鋭い視線を受け止めている。胸の奥から焦げるように熱が燻ぶり、鼓動が高鳴る。

兄として私の人生に現れたこの男性に──バレット・ヘイズに私は惹かれている。
兄妹として日々を重ねるうちに居心地の良さや愛着が次第に形を変え、ついに私を狂わせようとしていた。

二人の間に立ちはだかる父が、いないせいだ。
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