35 / 60
35
兄の顔から笑顔が消えた。
まるで蝋燭の火が吹き消された時のように、はっきり消えた。
ランプの灯に照らし出される黒い縁取りの碧い瞳は、闇に溶けようとする赤褐色の髪や闇に身を潜ませることに慣れた兄の唯一の鋭い光。
私を射抜く光。
隠されない、隠す術を持たない兄の光。
私は兄の瞳が好きになっていた。
父の不在が私の心を暴いてしまった。
父さえ私たちの間にいなければ、兄と私が兄妹ではないかもしれないという考えが膨張してしまう。
しかし父は今日もまだ帰って来ない。
私と兄を放置したままで徘徊しているあの吸血鬼の冷たい血がこの兄の体に流れているとは到底思えない──などと、考えてしまってチェスも手につかない。
「冗談よ」
「面白くない」
兄の声は硬く冷たかった。
監獄長という前歴のせいか、兄の声そのものが鉄格子のようにさえ思えてしまう。しかしその場合、囚われているのは私なのか、兄なのか。
「まあ、嘘よ」
事も無げに撤回した私を兄が尋問し始める。
「何を隠した?」
「え?」
「嘘は隠す為に吐くものだ。今、俺に何を隠した?」
「……」
私は少し考えてから伝えた。
「雑念」
嘘ではない。
兄が閉じた歴史書を脇に押しやる。
話題を振ったのは私であり、私と兄の根幹に関わる問題であることもよく理解していた。
まんじりともしない心を抱えたまま一生を兄の隣で生きていくのも面倒で、兄の反応を確かめたくもあった。
要は我慢の限界だったのだ。
兄の表情が激変したのを見て私は満足した。
兄も父の存在を疑っている。父は吸血鬼ではないかもしれないが、兄の実の父親でもないかもしれない。その上で兄はマスグレイヴ伯爵令息の地位を享受し、次期マスグレイヴ伯爵になろうとしている。
「オリファント伯爵令息が悩みの種だろ」
「それはそれ、これはこれよ。変態ウォルトンが死んでもお兄様は生き続けるでしょう?」
「……俺を階段から突き落とし只一人の統治者としてマスグレイヴ城に君臨しようと考えたんだな?」
兄が冗談めかして笑う。
私は冗談にする気はない。
「いいえ?」
「……」
兄が即座に笑みを捨て去り、私は核心を突いた。
「お父様が只の人間だとしたら、お兄様とは血の繋がりはないのではと考えてしまうの」
「それで?」
「……」
「俺にそれを言って、俺をどうしたいんだ?追い出したいわけじゃあないんだろ?」
言葉に詰まった私に兄は手緩い尋問を重ねる。
もう少し黙っていれば兄の心の内を探れるという直感が私の口を塞いだ。
兄は机に肘を掛け身を乗り出してくると、低く囁いた。
「お前も全然似てないぞ」
「私は女だもの。でもお兄様は男でしょう?言っておくけど私はお母様そっくりよ」
「じゃあ俺は誰の息子なんだよ」
「ライシャワー伯爵?」
兄の眉がぴくりと蠢き、それが呆れの表情であると悟る。
「吸血鬼じゃなきゃ死人の子だって?」
「いいえ?今のライシャワー伯爵のことよ」
「は?」
少なくとも兄の反応を見る限り、私の想像は見当違いであるらしかった。
私は近づいた兄の顔ごと振り払うように手を振った。
「お会いしたことはないけれど、少なくともお父様の次には可能性のある方でしょう?」
兄は退かず私の手を見つめている。
「馬鹿々々しいって顔しないで。戯言よ。どうぞ忘れて」
「ライシャワー伯爵は不倫相手を追放し爵位に就いたことになるが、俺たちの父親が不倫の汚名を肩代わりする理由について深く考えたりしないのか?」
「だから忘れてってば」
兄が引かない為、私が背凭れに貼り付く形で距離を取った。
私は気まずさに目を逸らした。
兄の父親が私の父とは別の人物であるなら実際誰なのか……というのはあまり真剣に考えられたものではない。私の雑念と願望が事実を捻じ曲げて導き出す妄想に近い。
「フランシスカ」
「でも、お父様と似ていないのは事実でしょう?」
兄妹じゃなければいいのにと、愚かにもそればかり考えてしまう。
其れでは何も成立しなくなってしまうというのに。
私たちの決断も、未来も、台無しになるというのに。
「フランシスカ、聞けよ」
兄の視線は鋭いというよりは熱く私の心の奥底まで暴こうとしているかのように見えた。
「俺はマスグレイヴ伯爵の条件を呑んで此処に来たんだ。お前が嫌になったなら、そう言ってくれればいつでもヴァルカーレ監獄に戻ってやる」
低い囁きは優しく、視線の鋭さとは相反している。
それでも私は誤解を解く為に笑顔を向けた。
「それはやめて。お兄様は毎日楽しそうにしてるもの。誰の息子だろうとこの城を受け取ってちょうだい」
そして私の傍にいて。
さすがに口に出すのは憚られる願望を飲み込み、私は笑顔で兄の鋭い視線を受け止めている。胸の奥から焦げるように熱が燻ぶり、鼓動が高鳴る。
兄として私の人生に現れたこの男性に──バレット・ヘイズに私は惹かれている。
兄妹として日々を重ねるうちに居心地の良さや愛着が次第に形を変え、ついに私を狂わせようとしていた。
二人の間に立ちはだかる父が、いないせいだ。
まるで蝋燭の火が吹き消された時のように、はっきり消えた。
ランプの灯に照らし出される黒い縁取りの碧い瞳は、闇に溶けようとする赤褐色の髪や闇に身を潜ませることに慣れた兄の唯一の鋭い光。
私を射抜く光。
隠されない、隠す術を持たない兄の光。
私は兄の瞳が好きになっていた。
父の不在が私の心を暴いてしまった。
父さえ私たちの間にいなければ、兄と私が兄妹ではないかもしれないという考えが膨張してしまう。
しかし父は今日もまだ帰って来ない。
私と兄を放置したままで徘徊しているあの吸血鬼の冷たい血がこの兄の体に流れているとは到底思えない──などと、考えてしまってチェスも手につかない。
「冗談よ」
「面白くない」
兄の声は硬く冷たかった。
監獄長という前歴のせいか、兄の声そのものが鉄格子のようにさえ思えてしまう。しかしその場合、囚われているのは私なのか、兄なのか。
「まあ、嘘よ」
事も無げに撤回した私を兄が尋問し始める。
「何を隠した?」
「え?」
「嘘は隠す為に吐くものだ。今、俺に何を隠した?」
「……」
私は少し考えてから伝えた。
「雑念」
嘘ではない。
兄が閉じた歴史書を脇に押しやる。
話題を振ったのは私であり、私と兄の根幹に関わる問題であることもよく理解していた。
まんじりともしない心を抱えたまま一生を兄の隣で生きていくのも面倒で、兄の反応を確かめたくもあった。
要は我慢の限界だったのだ。
兄の表情が激変したのを見て私は満足した。
兄も父の存在を疑っている。父は吸血鬼ではないかもしれないが、兄の実の父親でもないかもしれない。その上で兄はマスグレイヴ伯爵令息の地位を享受し、次期マスグレイヴ伯爵になろうとしている。
「オリファント伯爵令息が悩みの種だろ」
「それはそれ、これはこれよ。変態ウォルトンが死んでもお兄様は生き続けるでしょう?」
「……俺を階段から突き落とし只一人の統治者としてマスグレイヴ城に君臨しようと考えたんだな?」
兄が冗談めかして笑う。
私は冗談にする気はない。
「いいえ?」
「……」
兄が即座に笑みを捨て去り、私は核心を突いた。
「お父様が只の人間だとしたら、お兄様とは血の繋がりはないのではと考えてしまうの」
「それで?」
「……」
「俺にそれを言って、俺をどうしたいんだ?追い出したいわけじゃあないんだろ?」
言葉に詰まった私に兄は手緩い尋問を重ねる。
もう少し黙っていれば兄の心の内を探れるという直感が私の口を塞いだ。
兄は机に肘を掛け身を乗り出してくると、低く囁いた。
「お前も全然似てないぞ」
「私は女だもの。でもお兄様は男でしょう?言っておくけど私はお母様そっくりよ」
「じゃあ俺は誰の息子なんだよ」
「ライシャワー伯爵?」
兄の眉がぴくりと蠢き、それが呆れの表情であると悟る。
「吸血鬼じゃなきゃ死人の子だって?」
「いいえ?今のライシャワー伯爵のことよ」
「は?」
少なくとも兄の反応を見る限り、私の想像は見当違いであるらしかった。
私は近づいた兄の顔ごと振り払うように手を振った。
「お会いしたことはないけれど、少なくともお父様の次には可能性のある方でしょう?」
兄は退かず私の手を見つめている。
「馬鹿々々しいって顔しないで。戯言よ。どうぞ忘れて」
「ライシャワー伯爵は不倫相手を追放し爵位に就いたことになるが、俺たちの父親が不倫の汚名を肩代わりする理由について深く考えたりしないのか?」
「だから忘れてってば」
兄が引かない為、私が背凭れに貼り付く形で距離を取った。
私は気まずさに目を逸らした。
兄の父親が私の父とは別の人物であるなら実際誰なのか……というのはあまり真剣に考えられたものではない。私の雑念と願望が事実を捻じ曲げて導き出す妄想に近い。
「フランシスカ」
「でも、お父様と似ていないのは事実でしょう?」
兄妹じゃなければいいのにと、愚かにもそればかり考えてしまう。
其れでは何も成立しなくなってしまうというのに。
私たちの決断も、未来も、台無しになるというのに。
「フランシスカ、聞けよ」
兄の視線は鋭いというよりは熱く私の心の奥底まで暴こうとしているかのように見えた。
「俺はマスグレイヴ伯爵の条件を呑んで此処に来たんだ。お前が嫌になったなら、そう言ってくれればいつでもヴァルカーレ監獄に戻ってやる」
低い囁きは優しく、視線の鋭さとは相反している。
それでも私は誤解を解く為に笑顔を向けた。
「それはやめて。お兄様は毎日楽しそうにしてるもの。誰の息子だろうとこの城を受け取ってちょうだい」
そして私の傍にいて。
さすがに口に出すのは憚られる願望を飲み込み、私は笑顔で兄の鋭い視線を受け止めている。胸の奥から焦げるように熱が燻ぶり、鼓動が高鳴る。
兄として私の人生に現れたこの男性に──バレット・ヘイズに私は惹かれている。
兄妹として日々を重ねるうちに居心地の良さや愛着が次第に形を変え、ついに私を狂わせようとしていた。
二人の間に立ちはだかる父が、いないせいだ。
あなたにおすすめの小説
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。