うしろめたいお兄様へ。

希猫 ゆうみ

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55(アベル)

「私たちは現在、良い友人だ。結婚してもフランシスカの心が私に向くまで待つと約束する。だが我が妃には、妃の旨味を充分に味わい尽くし享受してほしい。輝かしい歴史を残す君を全力で応援したい。フランシスカ、笑顔でいてくれ」

私は自身の発言に徐々に羞恥を禁じ得なくなった。

本心であり、今でも本心であってほしいと心底思っている。
併し私はフランシスカの心に住まう男が誰か承知していた。その上でマスグレイヴ伯爵家を庇護下に置く名目に運命を感じたのだ。事実、それは功を奏したので後悔していない。

マスグレイヴ伯爵家に盾突く者は須らく国賊となる。
結婚式まで極秘で準備していたのは、蜘蛛の子を散らす陶酔感を味わう為だった。実に見物だった。フランシスカも素直に歓喜していた。

特にオリファント伯爵家の掌返しは愉快だった。
結婚祝いの長期に渡る祝宴の初日から招き、妃と共に楽しく眺めたものだ。

オリファント伯爵夫妻は、血の気を失った顔で髪が湿るほど冷や汗を噴き出して、過剰な笑顔と世辞を振りまき、最終的に引き攣りを起こし失神した。手厚く、それはもう手厚く介抱し翌朝も丁重に解放した。
オリファント伯爵家は現在、ウォルトンを勘当し他人を装っている。

バレットはよくやっている。
監獄長を務めていた頃の厳しさは領地経営にも存分に生かされているようだ。それ自体、我々が期待し望んでいたことであり大変結構なのだが、当然、妃フランシスカの耳にも入る。

愛する男の躍進を度々耳にすれば、想いは膨らむばかり。

私はフランシスカを愛している。
共に歩むうちに、私の愛はフランシスカの心を溶かすはずだと信じていた。今でも長年辛抱すれば叶うと思っている。

併し、見ていられなくなった。

私は王国の第三王子としてあらゆるものを与えてやれるが、フランシスカが心の底から望む幸せだけは与えてやれない。

私たちは結婚によってマスグレイヴ伯爵家を救った。それには後悔していない。

だが私は愛する妃を思い悩ませ、悲しませ、隠れて泣かせている。
私は私が許せなくなっていた。

「はい。殿下、検閲に回してください」

今日もまた、愛くるしい笑顔で妃は私に兄宛の手紙を託す。
バレットの仮の出自とフランシスカの結婚によって唐突に優遇されるようになったマスグレイヴ伯爵家への僻みは、形にならないだけで多く蔓延っているのが現実だ。
その中で宮廷だけが執行できる実家への手紙の検閲という手段は早くから行われていた。

「私には何一つうしろめたいことなどありません」

若き妃殿下フランシスカはあっけらかんと言ってのけ、両親への丁寧な手紙も、兄への嫌味も公的な書簡という形で貫いている。

──うしろめたいお兄様へ。

妃殿下となった伯爵令嬢は、突如現れ爵位を奪い取ったとして兄バレットを僻んでいる。
私に似合いの妃だとか、人間味があるとか、下品だとか、宮廷での陰口は様々だ。私も年齢分そんなことを囁かれており、フランシスカも承知の上といった様子で面白がってさえいる。

だが二人を知る私には、こう思えるのだ。

──愛しいあなたへ。

「……」

私はフランシスカの心に私への愛が芽生えるのを待つ気でいた。
当然、叶うと思っていた。

私たちは政治を行ったが、心は本物だったからだ。

だが、気が変わった。



「王太子妃とお茶してきます」

当然と言えば当然だが、遊び回っていると思われている私の真の役割を知る王族や側近たち、その中でも私を可愛がった者たちはフランシスカにも優しい。

私は意気揚々と歩いていく我が妃フランシスカを笑顔で見送りつつ、素早く一人の侍女を呼び止めた。

「なんですか?」

この侍女は私より年上でどこか達観した部分のある、非常に興味深い人物だ。

「フランシスカをどう思う?」
「お元気ですが?」

彼女の興味深さは此処にある。
彼女にとって王侯貴族は仕える対象でありながら、その実、明確な身分差がないように感じる。彼女は元マスグレイヴ伯爵家の使用人であり、元平民だ。宮廷で妃殿下の侍女として召し仕える為にハミルトン伯爵の養女にした。

だが私は覚えている。

フランシスカと出会ったあの日。
ヴァルカーレ監獄で脱獄の手引と疑われた私を遠目に睨みつけていたあの眼差し。恐れを知らず、闘いを知る目をしていた。だからこそ、監獄にも宮廷にも等しくフランシスカを守る為についてくるのだろう。

マスグレイヴ伯爵家は秘密の海軍を保有している。
裏側の崖が海に面しているから暗黙の了解と言えばそれまでだが、秘密が罷り通るにはそれなりの理由がある。

王国も秘密の海軍を保有している。
つまり私が海賊を抱えている。だからこそ黙認しており、だからこそライシャワー伯爵の奇襲攻撃に援軍が間に合い制圧できた。

「私と手を組み、妃を……フランシスカを幸せにしてくれないか?」
「……」

遠慮なく私を探る知的で狡猾な視線。

「無論、汚れ役になるが。ああ、だが、決まった相手がいないという前提の下で持ち掛けている。恋人はいるのか?というか、実は夫がいるとか……」
「いいえ」
「そうか。では、私の傍で海より高い世界を生きてみないか?」
「……」

彼女はしばらく私を見つめると、次第に瞳を輝かせ、口元に挑発的な笑みを刻んだ。私の目論見を理解したのだ。

「私がヴァルカーレ監獄にぶち込まれないようにして頂かないと」
「そうなっても脱獄させるさ」

無論、冗談だ。

我が妃の侍女を愛してはいない。
だが、フランシスカがそうなってくれると信じていた私は、私もじきに盟友を愛するようになるだろうと信じている。

大切にする。
愛の火が灯るその日まで。

愛の火が灯ったなら、よりもっと大切にする。

「この話、乗るか?」
「……はい。喜んで」

彼女の本当の微笑みは、まるで海の彼方に沈む間際の夕陽のように赤く、激しかった。

「本当の名前を教えてくれ。家族には、なんと呼ばれている?」
「マリソル」

その名も、本当の生き様も王国の歴史に刻まれない。
彼女は悪女として名を残す。

真実は己だけが知っていればいいという信念を持ち生きて来た私たちには確かに通じるものがあった。

マリソルの燃えるような熱い瞳は、汚名に見合うだけのものを私から得られると期待していた。期待に応える自信はある。

こうして私たちは密かに手を組んだ。
愛と野心の名の下に。


因みに、遠い未来、私の予想は大きく外れることとなる。

海賊の娘として産まれ、貴婦人となり、後に第三王子の妃にまで上り詰めた〝マリソル〟は、王国きっての女軍師となり海軍を率いて国を守り華々しい功績と共に歴史にその名を刻んだ。私も尽力したが、まあ、添え物である。
名前の通り海と空を統べた彼女はやがて本来の名で広く民に親しまれるようになった。
それが本当の名前だと知っているのは、その頃、彼女と私と、同じ名を持つ孫娘だけになっていた────……
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