序・思わぬ収穫?

七月 優

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はじまりはじまり

言語習得の道のりは遠く① ~美術センスはどうせない~

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 孤児院で、私は起きて食事をして、言語習得に励み、眠りにつきます。
 そんな単調とも思われる毎日を、ひたすら繰り返しておりました。

 日々、辞書の偉大さを痛感しますね。
 自分の主軸となる言語日本語と、未知なる言語こちらの世界の言語を照らし合わせてくれる、そんな便利な存在に縋りたい思いが、募らないわけがありません。
 辞書って、私が今まさにしてるような、いろんな人の初めての経験&苦労の積み重ねの歴史、まさにその集大成なのだと、よくよく思い知らされます。今更ながら、前世の辞書と辞書誕生に携わった方々に感謝しました。

 辞書と言えば……、ふと思い出すことが。
 そういや、前世バイト代で買った電子辞書、私と一緒に最期を迎えちゃいましたかね?
 電子辞書は、背負ってた荷物たっぷりのリュックの横ポケットに入れてましたし、多分私背中から地面に打ちつけましたから。あの幽体離脱体験の記憶が、真実ならですけどね。予想できる衝撃的に、電子辞書も無事では済まないでしょう。

 あ~もう、やめやめ。

 いくら後悔しても、もう遅いのに。手遅れになったことを、いつまでもくよくよ未練たらしく悔やんでも仕方ないでしょう。
 諦めなきゃいけないことはあります。だから、前に進まなきゃいけないのは、分かっちゃいるんですが。この気持ちに折り合いが完全につく日は、大分遠そうです。

 いっそ記憶なしで生まれ変われば、こんな苦しい思いしないで済んだのに。
 彼のことを、気づけば思い出し、いつまでも消えてはくれません。
 心の痛みが私にその事実を、まざまざと証明してくれました。


 そんな感じで、今日も今日とて室内で言語の勉強中、泣きたい心境に駆られていれば、
「リ、リ、リー」
誰かがそんな事を語りながら、私に触れてきます。

 私がその子を認めると、にぱっと笑いかけられます。
 その子は、同い年くらいの可愛い女の子でした。ぱっちり二重、大きなハシバミ色の瞳、見た目から柔らかいこと間違いなしの、ゆるふわウェーブの茶髪を持っています。

 実はこの子、気づけばしょっちゅう私の傍にいるんですよね。
 ええ、私だってなぜに懐かれているのか、さっぱり分かりません。すんごい不思議です。というか謎。
 周囲の者と必要最低限しか交流せず、絵本や本を読み漁り、要らない紙に字を書いて、言葉の発声練習ばかりしている、そんな私なんぞに構っても、楽しくないよ~と盛大に訴えたいです。

 とはいえ、訴える手段をまだ会得していません。こちらの世界の言葉で今説得したところで、幼児にそれが果たして正しく伝わるのかという問題も生じます。
 まあ~、純粋に遊ぼうと誘ってくれているわけですし、彼女の将来の情操教育上、毎回無下にもできないでしょうよ。
 私は中身高校生なわけですし、大人にならねばいけません。ちょっと辛くとも、遊びに付き合いますとも、可能な範囲でね。

 言葉のお勉強は、一時中断。
 その子に手を引かれ、向かう先は脚の低いテーブルです。テーブルの上には事前に用意したらしい、子ども版画材道具類が置かれています。
 今日は室内でお絵描きタイムをお望みなんですね。いいですよ、その子と、隣同士で絵を描こうじゃありませんか?
 ふふふふふふふ、絵ね……。心の中で叫びます。

 I'm not good at drawing pictures.

 壊滅的に下手だからっていうのもあって、美術の授業とか苦痛でしたもん。
 センスある子とか、なんであんなに一つの作品にそこまで時間をかけられるのか……。その情熱すげーなーと思うばかりです。

 前世美術の授業は特に、嫌い・やる気ない・時間をかけられる技量がない、そんな不器用な私からすれば、五教科の勉強してた方が遥かに有意義でましでした。
 ですから、美術の成績は散々。同学年五〇人程度の中学の美術の定期テストの点数、そこそこ周囲が百点満点取る中、七〇か八〇点台取りましたが、何か? 筆記が良くとも、実技の絵でそりゃいい点もらえないでしょうよ。けっ!

 ふん、まあいいんですよ。どうせ五教科で挽回して、十位内確定でしたしね。つか、入れないと個人的にいろいろやばかったのです……。
 もちのろんで、私は前世も勉強ができない派。
 私の通った中学は、全教科満点取らないと学年一位取れない次元ではありませんでした。定期テストも、特に五教科以外を易しめな傾向。ですので、私の中学校で学年首位を取ることなど、そんな次元の学校の中の上以上のランカーには、造作もなかったとお伝えしておきます。
 まあ、なんですか。
 オブラートに包むとそんな感じ。
 少しストレートで言ってしまうと、私ですらヤバイと思う、笑えずシャレにならないレベルの……さ加減だったのですよ。
 田舎というか、素行不良者が多かったこと。一切板書せず、まともに授業をしないで、授業で教えていないことを定期テストで出すような、質の悪い先生も多かったことも、要因でしょうね。
 学年内で一番素行不良だった男子が「そんなに勉強して将来何か意味あんの?」と言った際、近くにいた女子が「それ名言っ!」と相槌打ったこと、私は今でも覚えています。確かに、人によって大事なもの価値観は違います。彼らが遠回しに言った「勉強だけが大事じゃない。勉強だけが人生において全てではない」というのも、誰かには正解で、違う誰かには不正解なんですよねぇ。

 閑話休題。
 話は戻りますが、そりゃあ、最初から絵が嫌いだったわけではありません。
 こんな私でも、絵を描くのが楽しい頃もありました。
 でも、「絵が下手だ」と小さい頃から周囲に揶揄われれば、そりゃそうなります。今は開き直ってるからともかく、前世子どもの頃は傷つきましたよ。

 あと、今までの私の知っている美術の先生の方針が好かんかったのも、それを増長させた要因でしたね。
 まっさらな状態で、「さあやってみろ」ですもん。で、賞を取れそうな見込みのある子だけにそこそこ構って、他はお構いなし。それに関し長所も短所もあるので、仕方ないことは、理解してるんですけどね。
 最低限、生徒全員全体に技法とか、指導すること、本当にな~んもないのかなって、首を傾げましたとも。学校の美術の先生になる過程で、生徒にこういうこと教えるんだ的なの、存在しなかったんですかね? ひたすら疑問でした。
 最終的にはセンスの問題任せになるとはいえ、美術室にいる生徒をほぼ眺めてるだけ。雑用など他の仕事があったかもしれないにしろ、それでどんだけ給料もらっていたのか気になった次第です……。
 これはあくまで、前世私が出会った中・高の美術の先生の話。多分他の美術の先生は、そんなことなかったはず。美術嫌いなフィルターのかかっている私が、そういった美術の先生にしか出会えなかっただけです。
 きっと美術の授業の良さと必要性を分からせてくれる、尊敬されるべき美術の先生が、前世どこかに存在していたことでしょう。

 それに、きっと今は時代も変わって、かつては問題にならなかったことがきちんと明るみになり、改善されているに違いありません。どれぐらいあちらの世界は、時間が流れたでしょうね……。

 あ、そういや、小学五・六年の頃、「自画像の顔の大きさは片手を広げた大きさに」と言われたこと思い出します。でも、あれ当時の担任で、美術専門の先生じゃなかったしな。それで、きちんと従ったのに、「顔小さすぎじゃない」となじられた際は、非常に腹が立ちました。「手が小さくて、小顔じゃなくて悪かったなっ!」と、今なら言い返せます。


 そんなことを考えながら、絵が完成しました。
 私のどろどろした憂鬱で悪い感情とは裏腹に、私的にはファンシーな動物の絵が描けた気がします。

 お絵描きを誘ってくれたあの子と、お約束の絵の見せ合いっこを当然しましたよ。
 どれどれ、うんうん。
 その子の描いた絵を、じっくり眺めます。
 多分これは、王子様とお姫様の絵的なものです。年相応の味があって、いい絵ですよ。絵のセンスのない私に褒められても、嬉しくないかもですけど……。
 取り合えず、” Well done ! ” の意味合いを込めて、にこっと笑ってその子の頭を撫でてあげます。嫌がられるかなと思いきや、嬉しそうに笑ってくれるのでいい子だなと思っちゃいますね。
 将来、この子にとってのいい王子様が現れることを願います。悪い変な男に引っかからないで欲しいものです。
 ほんのちょっぴり、この子の親御さん的な気分を味わいました。見た目そう変わらないんですけどね……。

 撫で終わると、何を思ったのか、その子はとてとてとどこかへ歩いて行ってしまいました。
 どうしたんだろうと少し不思議に思っていたら、その子はぬいぐるみを持って、こちらに戻って来ます。
 そして、その子は持ってきたくまっぽいぬいぐるみを私の目の前に突き出し、私が描いた絵を指さします。これを描いたんだよねと、実にいい笑顔でね。
 それに対して、私は何とも形容しがたい心持ちになりました。

 違うよ。私が描いたのは、くまではなく、ねずみです……。
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