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第5章 ー黒竜侵食編ー
第53話 『見上げる青い空の彼方』
しおりを挟む「おお! よくぞ来てくれたぞ我の親友たちよ!」
切り替わりが早いのか、目を見開くユーリスを尻目にトレースは自身を信頼してくれている友人達に対してだけ何故か口調が変化していた。
まるで紳士のようだ。
「遅れて申し訳ないッス、トレースさん。途中、八つ裂きにされていた黒竜を発見して戸惑ってしまって……そしたらそこで」
空中から地上へと着地したガレル達。
顔見知りの援護が来てくれたことに二人は安堵を覚えるが、その中でレヴィアだけ異様だ。
何度も述べようが彼女だけ異様で恐怖、他に表せられる言葉が思いつかない。
「黒竜の残骸の側でレヴィアさんと遭遇したんスよ」
一度ガレルは暴走するネロを見つめるレヴィアを確認してから、トレースに顔を近づけこっそり耳打ちする。
(かなりの恐怖でした……なんか肉片の上に立っているだけで彼女、身震いするほど怖いッスね)
「ああ、うん……なんとなーく、そんな感じが、するね」
ボロボロの人形を次々と服の中や、体に巻きつけた包帯から取りだしていくレヴィアを横目でチラ見しながら苦笑いでトレースは言う。
「おい貴様ら。戦闘中に会話とは恥を知らぬようだな。新米からもう一度この俺が叩きなおしてやろうか?」
そこで冗談っぽい冗談じゃないシリアスな言葉をユーリスは吐き捨てた。
彼の言葉によって現状を思いだされる。
ユーリスが剣を向ける先には、暴走によって顔面を全力で木の幹に叩きつけているネロがいた。
大木がネロの頭突きだけで粉々になるのを目撃した一団は会話を中断して、武器をその手に握りしめた。
一方、先頭でなんからの作業中のレヴィア。
なにやら透明な糸のようなものを、取り出した人形に結んでいるようだ。
「ちっ、いちいち何をやっているのかも分からない気持ちの悪い女だな。ふん、まあいい……俺らだけでもネロ・ダンタを食い止めてみせるぞ」
地を踏みしめて、最初にネロへとむかったのはユーリスである。虹色と金色の混ざった光が、彼の意思に応えて愛剣を包みこんだ。
応戦するようにネロの咆哮に反応し、周囲に撒き散らされた黒い魔力が空気を震えさせる。
黒い魔力が一つの形を作るように集い始め、僅かな時間だけで巨大な大剣へとその姿を成り立たせた。
「ガァァァァァア!!」
黒い魔力の塊で形を成した禁忌とも言える大剣の柄をネロは、躊躇いもなく受け入れるように握りしめた。
そして微かに振り下ろされただけの大剣に、ユーリスは死という警戒を余儀なくされた。
援護に来てくれたガレル達も同様だ。
「ちょっちょっ、と待ってくださいトレース先輩! あれがネロちゃんだなんて私、これっぽっちも信じられないんだけど……! 一体全体どういう経緯でこうなったのか、私たちにも教えてちょうだい」
「いや、俺に言われても……困るんだけどなぁ」
戸惑うトレースの横で、誰かの興奮するような声が聞こえた。
声の主を確かめてみると、眼鏡に手を当てながら嬉しそうに頰を赤らめているマーラがそこにいた。
「ウホホッ……あれはもしや! ネロの短剣が未知の黒魔力の源となっているのではないでしょうか!? 以前ネロに聞いた話ですが、どうやらあの短剣には魔力を吸収してしまうような能力が付いているらしんですよ。まだ指摘されている段階の困難な技術だと耳にした事がありますけど、対魔族の為に研究を続けていた人族の方では、どうやらもうそろそろ実現可能の武器だとか。まさかここまで膨大なのを抑えられるだなんて! 人体に大きな負担がかかる筈なのでは!?」
興味津々に早口で説明するマーラに、苦笑いしながらトレースは聞いた。
「えっと、それってつまり……どういう事なんだい?」
「これはあくまで私の推測なんですけど、あの短剣のせいでネロが暴走しているのではないでしょうか?」
ドヤ顔に似た表情で笑うマーラに薄く恐怖を覚えるトレースだが、彼女の口にした推測を改めて整理してみる。
「あっ」
トレースの目線はネロの腰に収められた短剣に向けられる。確かに、ネロの周りを渦巻いている魔力より若干高濃度な魔力を感じられた。
「やっぱりこの感覚……数年前、まだ俺が新米だった時と同じだ。確かあれは、龍人族の領地がある北東の辺境で遠征訓練していた時、一度だけ遭遇した事があるんだ」
数年前の記憶、自身が騎士団の未熟な新米の一人としてユーリスやその他の友人達と自給自足の訓練をしていた時だ。
友人の一人が悪ふざけで立ち入り禁止とされていた洞窟に侵入してしまい、大目玉を食いたくないが為ユーリスとトレースは彼を探しに洞窟へと入っていった。
アリの巣のように複雑な洞窟を進むにつれ、迷子になるが怖くなった友人の一人が弱音を吐いて戻りたいと言いだした。
真面目なユーリスは弱音を吐いたその友人に激怒して「帰りたければ帰れ、玉無しが……!」と言い残し一人で暗闇の中に進んでいってしまった。
無論、彼を置いていけないのでトレースは洞窟から出たいという友人に迷わない為の目印としてロープを持たせる。
引き返した友人にロープを伸ばさせながら、トレースはそれを手にしてそのままユーリスを追いかけるために先を一人だけで進んだ。
それから数分後、腐ったような臭いがトレースの鼻を襲った。
嫌な予感が脳をよぎり急ぎ足で進んでみると、男の悲鳴が洞窟に轟いた。それも知っている声である。
悲鳴のした方向へと急いでいると彼は目の当たりにしたのだ、悪ふざけで洞窟に侵入した友人が『赤い竜』に食われていたのを。
息を押し殺し、なるべく音を発しないようにトレースはその場を退散しようとしたが、うっかり地面の石を蹴ってしまう。
瞬間、膨大で悍ましくて殺気の混ざった魔力がトレースのいる場所へと注がれる。
(あの時、感じた魔力と雰囲気とまったく一緒のようだけど……まさかネロ)
「黒竜の魔力を吸収してしまったと言うのか……!」
察した彼にマーラは頷いた。
現在、ユーリスとガレルとエリナが前線でネロの重々しい攻撃を凌いでいる。
一方、後ろでロインズは弓を構えて前線の仲間達のフォローに回っていた。
流石がは有名なパーティだけあって、指示なしでの連携を華麗に繋げていっている。
「ネロちゃん! 目を覚ましてよ! 私よエリナよ!」
だけど、どれだけ隙が空いてもネロへの直接的な攻撃をガレル達は躊躇ってしまっていた。
特にエリナは危ういも至近で理性を失ったネロの説得を試みようとしている。
だけどそれも意味がなく、ネロの暴走は治ろうとしない。あんなに木々で生い茂っていたこの場所も、ネロが大剣を振るうたび更地になりかけようとしている。
「ぐは!」
ネロの攻撃を剣でふさげようとしたガレルが遠い距離まで吹き飛ばされ、容赦なく地面にその身を叩きつけてしまった。
「ギャ!?」
続いてエリナも同様に大剣を振るったネロの、発生させた強い衝撃波に耐えきれずに巨大な岩の側面に、体を衝突させてしまう。
残ったユーリスは反射神経を生かしながら攻撃や追撃、ネロの得意な風魔法を交わしていくがいつまで持つか。
「悪んですけどトレースさん、私もそろそろ戦闘に加わらなきゃ!」
「マーラ! ちょっと待って!」
走っていくマーラをトレースは呼び止め、なるべく早めの口調で聞いた。
「ネロの暴走の原因はあの短剣のせい、だよね? つまりあの短剣を彼から奪い取れば……!」
「可能性はなくも無いですけど、すぐには暴走は止まらないでしょう。なんせ黒竜の魔力をすでに体内に摂取してしまいましたからね。ある程度ならば弱体化するかもです」
マーラも同様に早口で答えながら、その手に杖をとった。それを聞いた途端トレースには勝算でもあるのか、薄く微笑んでいた。
「なら、その役目を俺に任せたまえ……その間マーラ達はネロの足止めをお願いするよ」
「了解しました、他のみんなにも伝えます!」
トレースはそれだけ指示すると手に持っていた愛剣を両手で握りしめ、右足を前へと突き出す。
両目を閉じながら、視界が消滅した暗闇の中でトレースは大きくため息を吐いた。
構えていた剣は彼の行動に意味を与えるように、徐々に大きく点滅を繰り返しながらその身を、虹色の結晶へと姿を変えた。
※※※※※※
宝石のような輝かしい翠の瞳を持った青年は、暗黙の世界を孤独で彷徨っていた。
広がるような地平線もない、空もない常闇がただひたすら続いている。
思い返してみればこのような状況には何度も遭遇している身である、けど慣れてしまうほど心は強靭ではない。
悔やんでは悔やんでは、最終的に囚われてしまえば結果は皆同じだ。
ふと、長年も右腕に巻いていた包帯に青年は目を当てて思った。
『定められたこの呪縛から目をそらして逃げようと、やはり運命を変えようなんて不可能な行いだ』
愚かな自分に対して、世界は嘆いている。
自分の本当の役割を全うしろと、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
ーー逃げるな、受け入れるのだ。
瞬間、耳元に訴えかけるように、誰かが囁いていた。
己に呼びかけている存在がいま、背後にいる事に気がついた青年は恐怖心を抱く。冷えた汗を流しながら、溜まった唾液をゆっくり飲み込む。
振り向くのが怖い。眼球だけを横に動かすと、微かに見える靄の本体を目の当たりにするのも怖かった。
だけどネロは、その存在を拒んだ。
受け入れてしまう、すなわち何もかも失ってしまうきっかけになりかねないソレにネロは、覚悟しながら振り払ってみせた。
「僕は……僕なんだ。誰にどう言われようともその座席にはまだ……座ったりはしない」
包帯のある腕が靄を大きく散乱させ、同時にネロの意志というものがこの作られた暗闇の世界を、打ち砕いていた。
ネロを中心に小さな亀裂が入り、それが次第に大きく広がっていくと見渡す限りの漆黒が崩壊を開始させる。
そうしてネロは、振った勢いで緩んでしまった腕の包帯をもう一度、きつく縛ってみせた。
こうでもしなければ誰も救えたりは出来ない。この世に生まれ落ちた日から、自分はそうやって誰かの幸せばかりを優先させて運命に抗い続けていた。
苦しみや痛み、後悔をその胸に秘めながらネロは、
ーー何処まで続くかも分からない青く広がった空を、また見渡すのだった。
※※※※※※
「オラァ!」
「これで! どうだぁあ!!」
重傷を負いながらもユーリスとガレルはネロの死角を狙い定めて、互いに息が合うよう同時に強力な剣撃を放つ。
「ガァァァア!!!」
渾身の攻撃が届き、ネロの身を守護していた黒衣が斬り裂かれる。
一方、ロインズはありったけの魔力で強化された矢を弓につがえネロの握る大剣に標準を定めた。
「いいよ! ぶっ放してください!」
マーラはあらゆる能力を上昇させる強化魔法をロインズに付与させ、合図を口にする。
ロインズは彼女の言うとおり矢を放ち、矢は鈍く重々しい風切り音を発しながらネロへと接近。
大剣を握りめる手に吸い込まれるように命中、ネロは手だけならず腕まで吹っ飛ばされていた。
「ガァァァア!!」
荒々しく狂った表情を浮かべるネロ。
あらゆる防御態勢を崩す事に成功した今、ユーリス達は短剣を引き離す目的へと動きを切り替える。
だが問題が一つ、ネロには接近する事が出来ないのだ。無意識なのかは分からないが、ネロに触れた木々の葉や地面、あらゆる物体が焦げたように黒く変色してしまっていた。
迂闊に近づけば二の舞になるかもしれない、それに黒竜の魔力を吸収した短剣に触れたらどうなるのかも分からない。
「くっ……どうすればいいんだ。このままでは全滅してしまう」
苛立ちを口にしながらネロの攻撃を回避するユーリス。やはり彼の反射神経は伊達じゃない、だけどダメージを受けている事に変わりない。
体力もあと少ししか持たないだろう。
それはユーリスだけ限定ではなかった。
誰もが歯を噛み締め絶望的に思う中、突如と周囲の大気が大きく震えた。
「悪い皆、待たせたてしまった……!!」
「「!」」
(あれは、トレースの最大の技……!)
誰しもが注目した先には、透き通るような虹色に輝いた透明な剣を手に戦士がそこにいた。
雰囲気もが先程とは段違いに変化していることに、ユーリスはなにかを察する。
「我の前に立ち塞がる厄災よ、問おう! 貴様は一体何者なのだ!」
剣を天高くまで掲げると、その衝撃が森一帯にまで伝わる。
平常にその形を直視できる者なんて居ない。
トレースの眼差しには、望まぬ狂気を帯びて心までもが支配されてしまった友である者が映っていた。
全てを抱え込む純粋な子供のように涙しているあの面影が、剣を掲げるトレースの瞳だけがそれを捉えていた。
『僕は……………ネロ・ダンタだ』
「……そうか」
問いに答えたのか否かは明確ではない。
だだその想いに応えてようと、トレースは空をも斬り裂かんばかりの威力を誇った剣にありったけの魔力を集中させ、その力が分散しないように必死に制御する。
(これは、龍人族である師に教わった最大の技だ!)
「ばかな……あそこまで魔力を放出させる事が、できるだなんて」
トレースが剣を振り下ろす直前、透明な剣身を包みこんだ虹色の魔力を目の当たりにしたユーリスは絶句した。騎士として鍛錬を積み重ねようと、自分では到底踏み入ることの不可能な領域が今まさに、目の前で披露されている。
ゴォォォォォォォォォォォォ!!!!
「剣に力を与え集いし万物の煌ひかりよ!! 我に降り注ぐ厄災を払い闇を斬り拓くのだ!!! 【光晶剣流、煇輝光斬(ききこうざ)ん】!!!」
今まさに、ここで終止符を打つために振り下ろされた剣は闇をも切り拓くような神々しい輝きを放ちながら薄暗いこの森を照らす。
瞬間、その先にいるネロにめがけて放たれるのであった。
暴走ネロは回避を試みようとしたが動けなかった。よく見ると気味の悪い人形のような物体が体のあらゆる所にいて、自身の動きを抑えていた。
その持ち主であるレヴィアが、遠目で薄く笑っていた。
「ガァァァァァァァァァァ!!!」
「ああああああああああああああ!!!!」
取り巻いた狂気と殺意や憎悪を祓いながら、決して止むことのないトレースの渾身の一撃がネロに命中したのだった。
闇が光を包み込み、光が闇を祓う。
また闇が光を包み込み、光もまた闇を祓ってみせた。
繰り返されるこの連鎖の行き先には、なにがあるのかは分からない。
だけど、黒竜の魔力によっての支配で身を滅ぼしてしまったネロはこの瞬間、確かに感じとったのだ。
「……………………ああ」
ーー永く待ちわびていた悪夢からの『解放』された、という感覚を。
完
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