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第1章:依頼
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学食のカレーって、たぶん「正しさ」じゃなくて「配慮」でできてる。
辛さは万人向け、具は四角、味は毎回ちょっとだけ違う。でも、いつ食べても「学食だな」って分かる。安いし早いし、腹が埋まる。人間の生活って、だいたいこういう“都合の積み重ね”で回ってる。
昼の学食は、潮溜まりみたいにざわついていた。
入口の自動ドアが開くたびに、外の風と一緒に匂いが入ってくる。揚げ物の油、味噌汁の湯気、カレーのスパイス。カウンターの向こうでは大鍋が鳴っていて、食器が洗い場に流れる音が絶えない。
トレーがぶつかる音、箸が落ちる音、笑い声。席を探す人が通路をゆっくり押し合いながら進み、椅子を引く音があちこちで重なる。窓際の席は光が強くて、プラスチックのテーブルが白く照り返す。壁のサークル勧誘のチラシは、五月の湿気で端からめくれかけていた。
草薙美桜は、いつもの端っこの席に座っていた。
背筋はまっすぐで、座っているのに「いつでも立てる」姿勢をしている。黒髪は高い位置で結ばれたポニーテール。うなじがきれいに出ていて、目力が強い。笑っているのに、視線の焦点だけは外れない。運動部っぽいスポーティーな服装――といっても、今日は大学の昼なので、動きやすいパーカーと細身のパンツだ。足元のスニーカーは、ちゃんと手入れされている。
カレーの皿と味噌汁、サラダ、唐揚げ。――「バランス良いね」と言われると、だいたい“よく食べる”の丁寧な言い換えだ。
椅子の背には、細長いケース。
ぱっと見はギターケースだ。黒い布地に、ステッチが太い。けれど近くで見ると、金具の数が妙に多い。ファスナーが二重で、留め具の位置が“楽器の重心”よりも“中身を固定する位置”に寄っている。布も厚く、手で押すとほとんど沈まない。角がやたら真っ直ぐで、ぶつけても歪まないタイプの頑丈さがある。
そのケースを、美桜は無意識に椅子と自分の間へ寄せていた。癖だ。危ないものは、目の届く範囲に置く。
「ねえ美桜、そのケース。ほんとにギターなの?」
向かいの友人が、箸で唐揚げを指した。丸い眼鏡の奥で目が笑っていて、カレーの湯気に前髪が少しだけ湿っている。隣の子はショートボブで、ストローを噛みながら面白がっている顔。
「琴が入っているように見える?」
「そうじゃなくて、絶対中見せてくれないし。今度、演奏しているところ見せてよ」
「演奏しているところなんて見なくても、私の人生、意外と音楽だから。ロックな生きざまを見て」
美桜はさらっと言って、唐揚げを口に放り込む。噛む音が心地いい。口元は上がっているのに、手はケースの留め具の位置を一度だけ確かめるように撫でた。
「……いや、音楽ってそういう意味じゃないでしょ。第一、神社の娘がロックって、親御さんが泣くわよ」
笑いが起きる。 その笑いが、次の瞬間には“遠くなる”とも知らずに。
スマホが、テーブルの上で短く震えた。 画面に出た番号を見た瞬間、胃の奥がひゅっと冷える。――こういう番号は、だいたい昼に鳴らない。
大学生のスマホに、警察から電話。
普通なら、それだけで冗談みたいだ。オレオレ詐欺の類を疑うのが健全だし、まず相手にしない。
でも、美桜にとっては“冗談じゃない”ほうだった。
府中の古い神社。女系で続く家。――表の世界では「神社の娘」で、裏の世界では「戦巫女」。家の中には、誰にも見せない道具があり、誰にも話せない規則がある。
怪異は、公式には存在しないことになっている。
報告書には『自殺』『事故』『精神疾患の発作』みたいな言葉が並び、そこから外れた瞬間に、監察と上層と外部の目が一斉に現場へ降りてくる。そうなると、動くべき手が動かなくなる。
それに、噂は面倒だ。噂が広がるほど、怪異は“濃く”なる。家で叩き込まれたルールで、これは冗談じゃない。
だから、警察が本当に困ったときに繋ぐ相手は限られる。派手に喋る霊能者じゃなく、黙って片づけて、必要なら止められる――そういう家筋。
そして最悪なことに、美桜はその枠に入ってしまっている。大学の時間割と、家の事情と、現場の都合。その三つを無理やり同じ鞄に詰めて生きている。
だから、この番号が鳴るときは――だいたい、誰かが“終わってない”。
「ごめん。ちょっと出る」
美桜は立ち上がり、椅子の背からケースをすっと外した。肩ひもが鳴らないように指で押さえ、通路の人波を器用にすり抜ける。周囲にぶつからないのに、ぶつかられもしない――そういう歩き方だ。
学食の外へ出ると、音が急に薄くなる。扉一枚で、世界の層が変わる。
辛さは万人向け、具は四角、味は毎回ちょっとだけ違う。でも、いつ食べても「学食だな」って分かる。安いし早いし、腹が埋まる。人間の生活って、だいたいこういう“都合の積み重ね”で回ってる。
昼の学食は、潮溜まりみたいにざわついていた。
入口の自動ドアが開くたびに、外の風と一緒に匂いが入ってくる。揚げ物の油、味噌汁の湯気、カレーのスパイス。カウンターの向こうでは大鍋が鳴っていて、食器が洗い場に流れる音が絶えない。
トレーがぶつかる音、箸が落ちる音、笑い声。席を探す人が通路をゆっくり押し合いながら進み、椅子を引く音があちこちで重なる。窓際の席は光が強くて、プラスチックのテーブルが白く照り返す。壁のサークル勧誘のチラシは、五月の湿気で端からめくれかけていた。
草薙美桜は、いつもの端っこの席に座っていた。
背筋はまっすぐで、座っているのに「いつでも立てる」姿勢をしている。黒髪は高い位置で結ばれたポニーテール。うなじがきれいに出ていて、目力が強い。笑っているのに、視線の焦点だけは外れない。運動部っぽいスポーティーな服装――といっても、今日は大学の昼なので、動きやすいパーカーと細身のパンツだ。足元のスニーカーは、ちゃんと手入れされている。
カレーの皿と味噌汁、サラダ、唐揚げ。――「バランス良いね」と言われると、だいたい“よく食べる”の丁寧な言い換えだ。
椅子の背には、細長いケース。
ぱっと見はギターケースだ。黒い布地に、ステッチが太い。けれど近くで見ると、金具の数が妙に多い。ファスナーが二重で、留め具の位置が“楽器の重心”よりも“中身を固定する位置”に寄っている。布も厚く、手で押すとほとんど沈まない。角がやたら真っ直ぐで、ぶつけても歪まないタイプの頑丈さがある。
そのケースを、美桜は無意識に椅子と自分の間へ寄せていた。癖だ。危ないものは、目の届く範囲に置く。
「ねえ美桜、そのケース。ほんとにギターなの?」
向かいの友人が、箸で唐揚げを指した。丸い眼鏡の奥で目が笑っていて、カレーの湯気に前髪が少しだけ湿っている。隣の子はショートボブで、ストローを噛みながら面白がっている顔。
「琴が入っているように見える?」
「そうじゃなくて、絶対中見せてくれないし。今度、演奏しているところ見せてよ」
「演奏しているところなんて見なくても、私の人生、意外と音楽だから。ロックな生きざまを見て」
美桜はさらっと言って、唐揚げを口に放り込む。噛む音が心地いい。口元は上がっているのに、手はケースの留め具の位置を一度だけ確かめるように撫でた。
「……いや、音楽ってそういう意味じゃないでしょ。第一、神社の娘がロックって、親御さんが泣くわよ」
笑いが起きる。 その笑いが、次の瞬間には“遠くなる”とも知らずに。
スマホが、テーブルの上で短く震えた。 画面に出た番号を見た瞬間、胃の奥がひゅっと冷える。――こういう番号は、だいたい昼に鳴らない。
大学生のスマホに、警察から電話。
普通なら、それだけで冗談みたいだ。オレオレ詐欺の類を疑うのが健全だし、まず相手にしない。
でも、美桜にとっては“冗談じゃない”ほうだった。
府中の古い神社。女系で続く家。――表の世界では「神社の娘」で、裏の世界では「戦巫女」。家の中には、誰にも見せない道具があり、誰にも話せない規則がある。
怪異は、公式には存在しないことになっている。
報告書には『自殺』『事故』『精神疾患の発作』みたいな言葉が並び、そこから外れた瞬間に、監察と上層と外部の目が一斉に現場へ降りてくる。そうなると、動くべき手が動かなくなる。
それに、噂は面倒だ。噂が広がるほど、怪異は“濃く”なる。家で叩き込まれたルールで、これは冗談じゃない。
だから、警察が本当に困ったときに繋ぐ相手は限られる。派手に喋る霊能者じゃなく、黙って片づけて、必要なら止められる――そういう家筋。
そして最悪なことに、美桜はその枠に入ってしまっている。大学の時間割と、家の事情と、現場の都合。その三つを無理やり同じ鞄に詰めて生きている。
だから、この番号が鳴るときは――だいたい、誰かが“終わってない”。
「ごめん。ちょっと出る」
美桜は立ち上がり、椅子の背からケースをすっと外した。肩ひもが鳴らないように指で押さえ、通路の人波を器用にすり抜ける。周囲にぶつからないのに、ぶつかられもしない――そういう歩き方だ。
学食の外へ出ると、音が急に薄くなる。扉一枚で、世界の層が変わる。
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