臆病な僕と、リングの約束 ーAパート 放課後サイドー

叶畑シュウ

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 ロープが背中に食い込んだ。もう、逃げ場がないと背中が告げる。
 リングの上で、青戸あおとユキは息を吸うたびに胸の奥が薄く鳴るのを感じた。肺じゃなく、もっと柔らかいところが震えているみたいだった。
 目の前の相手は、躊躇ちゅうちょなく距離を潰してくる。ユキの足が動くより先に、グローブが迫る。
 
 ――バシッ。
 
 顔がはじかれた。音が、生活の音じゃない。ヘッドギア越しに皮膚と骨と空気が、めり、と言った気がした。
 次の一発が腹に沈む。薄い腹筋にグローブがめり込んで、身体がくの字に曲がる。息が抜けて、声にならない声が喉にからむ。
 
「……っ」
 
 やっぱり向いてない。瞬間的にそう思う。思考が逃げる先を探して、勝手に結論を作る。なんで、こんなことになったんだっけ。
 
 ――バシッ。
 
 また頬がはじけて、視界が白く揺れる。その揺れの中で、目が合った。
 リング下の、雨宮あまみやレン。いつもは無表情に近いくせに、今日は顔がひどく蒼白で、今にも泣き出しそうな目をしている。
 
「ユキ先輩、足使って……!」
 
 声が裏返っていた。叫ぶ、というより、必死に“止めようとしている”声だった。……今になって、ずるい。ユキは思う。そんな顔、普段しないのに。その顔を見たら、こっちは「やめたい」と言いにくくなる。

 ――パン。

 反対側の頬がはじかれ、強制的に逆を向かされる。涙とも汗ともつかない飛沫ひまつが、散った。白い粒が、ひどく綺麗に見えて、腹が立つ。

(……なんで、こんなときに)

 ユキは、歯を食いしばる。顔が熱い。じんじんする。痛いのに、どこか遠い。それでも、頭の奥が勝手に巻き戻る。
 あのとき。

 ――先輩って優しいんじゃなくて、臆病なだけじゃないですか?

 放課後の体育館の隅。ミットの音が途切れたあと、レンは何でもないみたいに言った。軽く。薄く笑うように。

 ――リングに上がりましょうよ。俺が確かめてあげる。

 煽り、だった。けれど、その言葉だけが妙に残った。ユキの胸の、いちばん触れられたくないところに。

(……俺は、臆病?)

 ――バシッ。

 真正面から一発。現実に意識を引き戻す。ロープに貼り付けられたまま、ユキは、息が詰まる。
 リング下ではレンが、泣きそうな顔で、唇を噛んでいる。
 ずるい。もう一度、ユキは思う。でも同時に、そのずるさに引っ張られる自分も、腹立たしい。

 ――話は、春にさかのぼる。
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