臆病な僕と、リングの約束 ーAパート 放課後サイドー

叶畑シュウ

文字の大きさ
5 / 9
第一章

第四話

しおりを挟む
「おい、そこまで!」

 顧問の声が、体育館の空気を割った。ボクシングのことはまったく素人だ。フォームの違いも、距離の取り方も、細かいことは分からない。でも――面倒な雰囲気を嗅ぎつけるのだけは、やたらとうまい。
 顧問はリング下まで来て、手を上げた。

「北条! 雨宮! いま、スパーの顔じゃないだろ。やめろ」

 北条ライが、ほんのわずかに息を吐いた。感情を、ただ必死で抑えている。ライと雨宮レンは、リングの中から顧問を見下みおろして、声をそろえる。

「先生、これスパーです」
「そこだけ、声をそろえるな。技術のことは分からん。けどな」

 顧問は言い切った。

「今の空気は分かる。これ、喧嘩の空気だ。部活でやる顔じゃない」

 一拍。体育館に静けさが落ちる。見てはいけないもの、を見る直前の静けさ。顧問は続けた。

「北条、お前は副会長だろ。言葉で止めろ。リングはお前の喧嘩の場所じゃない。
雨宮、お前は一年だ。強がりをリングに持ち込むな。……わかったな」

 レンが「強がり」と言われたのが気に障ったのか、一瞬だけ目が細くなる。

「強がりじゃないっすけど」
「じゃあなおさら、やめろ。二人とも降りろ」

 顧問は即答した。
 ライは固く握ったグローブを開いて、ロープの方へ下がった。レンも一歩遅れて従う。従い方が、やけに素直で、それが逆に怖い。
 そのとき、ユキはようやく中に入った。扉がきしむ音がして、顧問が振り向く。ユキは笑って会釈えしゃくしようとして、笑えなかった。
 リングの上のライとレンが、同時にこちらを見る。ライの目に、怒りが残っている。レンの目には、何かの楽しさが残っている。どちらもユキの胸に刺さって、胃が縮む。

「……ユキ」

 ライが先に呼んだ。声は落ち着いている。落ち着かせている。
 ユキは喉が詰まりながら言う。

「ごめん。俺のせい、だよね……」

 ライが首を振る。

「関係ない。ユキは何も悪くない」

 悪くない、が昨日と同じ響きで、ユキはまた胸が苦しくなる。守られているのに、守られるほど、自分が“物”になっていく感じがする。
 レンがぽつりと言った。

「……ほら。ユキ先輩、そういうとこ」

 ユキがレンを見ると、レンはいつもの無表情のまま、でも視線だけで突いてくる。

「守られ慣れてる」

 ユキは言葉を失う。地雷に触れられた感覚がした。顧問が手を叩いた。

「はい、ここまで。全員、練習に戻れ。北条と雨宮は――」

 一瞬、顧問は言葉を探した。技術の指導はできない。だから、やれることはリングから遠ざけるだけ。

「……今日は別メニュー。お前ら、一回離れろ」
「先生」

 ライが何か言いかけた。けれど顧問は首を振る。

「言い訳はあと。今は冷やせ。これは命令だ」

 ライは小さく頷いた。頷き方にいつもの副会長、が戻ってきて、ユキは少しだけ救われる。
 レンは「はい」とだけ言う。その返事が、従順すぎて、ユキは背筋が冷えた。レンは従うように見せるのが上手い。自分の本当の姿を隠すように。
 一歩踏み出して、「……痛っ」とつぶやく声が、妙に普通で、ユキはそこでやっと身体が動いた。

「雨宮君!」

 リング下から駆け寄る。顧問が「青戸は入るな」と言いかけて、ユキの顔を見て言い直した。

「……手当てしてやれ。雨宮はロッカールーム。北条、お前はこっち」

 ライは「すみません」と小さく頭を下げた。顧問に、部に、空気に。
 レンはロープをくぐってリングを降りると、ユキの方へよろよろ近づいてくる。足元はそんなに乱れていないのに、平気なふりが透けて見える。

◇◇◇
 ユキはレンのヘッドギアをそっと外した。
 
「ちょっと腫れてきたね。どこか、すごく痛いとこない?」
「……まあ、顔っすね」

 レンは答えながら、苦笑いをした。少し離れた場所で、ライは顧問に何か言われている。距離があって言葉までは聞こえないけれど、「すみません」ともう一度頭を下げる姿だけが見える。

 ユキはレンをロッカールームのベンチに座らせた。頬がすでに赤く腫れ始めている。

「冷たいよ、ごめんね」

 準備した氷のうをあてながら言うと、レンは目を細めた。

「……大丈夫っすよ。ユキ先輩、優しいんで」

 その「優しい」に、昨日の「臆病」が重なる。胸の奥がうずくのに、ユキはそれ以上、言葉を探せない。少し間があいてから、レンがぽつりとこぼした。

「……あんなこと言っておいて」
「ん?」
「かっこわるいとこ、見られましたね」

 ユキは、一瞬きょとんとして、それから首をぶんぶん振った。

「全然!かっこわるくない!」

 自分でも驚くくらい強い声が出た。レンが目を瞬く。
 ユキは慌てて言葉を継いだ。

「だって、あんなストレートもらっても、ちゃんと立ってて……ジャブも返して……すごいなって思った」

 “痛そう”より先に、“立ったままでいる”ことに目を奪われた。あの瞬間、自分なら絶対に目をつぶって、逃げていたと思う。
 レンは一瞬だけユキを見て、それから視線をそらした。耳のあたりが、ほんのり赤くなる。

「……へへ」

 照れ笑い、みたいなものが、やっと口元に浮かぶ。

「よかった。ユキ先輩にダサく見えてたら、辛いし」
「そんなふうに見ないよ、絶対」

 即答すると、レンは氷のうの下で目を細めた。

「マジっすか」
「マジ」

 会話だけ切り取れば軽いのに、ユキの胸の中では何かが静かにずれていく。

(ああ……この人、自分がどう見えてるか気にしてるんだ)

 臆病だとか、守られ慣れてるとか、そういう刺す言葉の裏で。「ダサく見られたくない」とか「ユキ先輩にだけは」とか――口にしないまま、こちらに預けているものがある。
 絆創膏ばんそうこうを取り出して、ユキはレンの頬にそっと貼った。指先が、少しだけ震える。

「……痛い?」
「んー……貼ってる先輩のほうが、痛そうっすね」

 からかうみたいに言う声が、昨日よりやわらかい。ユキは苦笑して、「俺は大丈夫」と、いつもの言葉を口にしかけて――喉のところで止めた。

(大丈夫、って……何が?)

 リングの上で殴り合う二人から、目を離せなかった自分。駆け寄ることもできなかった自分。さっきまで怖くてしかたなかったくせに。今、レンの笑顔を見て、「すごい」とか「かっこいい」とか思ってしまっている自分。
 なんだか、心を動かされている。

「……ユキ先輩?」

 レンが覗き込む。

「ぼーっとしてますよ」
「ううん、なんでもない」

 ユキは笑って、絆創膏の端を軽く押さえた。ちゃんとくっつくように。剥がれないように。

(なんでもない、わけないのに)

 胸の真ん中あたりで、昨日から刺さったままの「臆病」と、さっき見た「かっこいい」が、ぐしゃっと混ざっていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

失恋したのに離してくれないから友達卒業式をすることになった人たちの話

雷尾
BL
攻のトラウマ描写あります。高校生たちのお話。 主人公(受) 園山 翔(そのやまかける) 攻 城島 涼(きじまりょう) 攻の恋人 高梨 詩(たかなしうた)

俺の指をちゅぱちゅぱする癖が治っていない幼馴染

海野
BL
 唯(ゆい)には幼いころから治らない癖がある。それは寝ている間無意識に幼馴染である相馬の指をくわえるというものだ。相馬(そうま)はいつしかそんな唯に自分から指を差し出し、興奮するようになってしまうようになり、起きる直前に慌ててトイレに向かい欲を吐き出していた。  ある日、いつもの様に指を唯の唇に当てると、彼は何故か狸寝入りをしていて…?

楽な片恋

藍川 東
BL
 蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。  ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。  それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……  早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。  ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。  平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。  高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。  優一朗のひとことさえなければ…………

イケメン大学生にナンパされているようですが、どうやらただのナンパ男ではないようです

市川
BL
会社帰り、突然声をかけてきたイケメン大学生。断ろうにもうまくいかず……

幼馴染み

BL
高校生の真琴は、隣に住む幼馴染の龍之介が好き。かっこよくて品行方正な人気者の龍之介が、かわいいと噂の井野さんから告白されたと聞いて……。 高校生同士の瑞々しくて甘酸っぱい恋模様。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

処理中です...