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第三章
【2】 夕闇の記憶 2
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しばらくすると、廊下からざわざわと声が聞こえだした。
コンコン、と誰かがドアをノックする。びくりと震えて亨悟はベッドの上で縮こまった。
「おい」
ドアを指さしてあたしをうながした。なんて横着な奴だ。
あたしは大仰にため息をついて、窓辺を離れてドアに寄る。扉の向こうに耳をすませた。
ちいさな息づかいがいくつか。ひそひそと何か話している。敵意のある雰囲気ではない。
ドアを開けると、三人分の視線があたしに集まった。腰よりも低い位置で。
子供達はにっこり笑って、声をそろえる。
「ご飯だよ!」
子供達に手を引かれていく。
一度建物を出て、別棟になったコンビニエンスストア跡の二階。食べ物の匂いがただよってくる。子供達はあたしたちをレストラン跡まで連れてくると、わっと散っていった。
どうやらあたしたちが最後なのか、後ろからくる人間はいない。
なんとなく入り口で立ち尽くす。
亨悟はあたしの後ろに隠れながら中をうかがっているが、腹の音がグルグルと響いている。
ここも窓はしっかりとカーテンで覆われていた。小さな明かりが壁際やテーブルの上に置かれて、ほの明かりが広い室内に満ちている。
たくさんのテーブルと椅子には、すでに数人が座っていた。
奥には調理場があるのか、お盆を持った人達が並んでいて、順番に食料の乗った皿が置かれていく。
ここに集まっているのが全部なら、人間だけで、二人から四,五人のグループが十くらいか。
大きめの集落くらいの人間は集まっているようだった。あたしの住んでいたところよりも多いかもしれない。
何よりも、広い場所で一緒になって食事をとる人達を見て、あたしも亨悟も驚いた。
誰も怯えたり警戒したりせず、ゆっくり座って食事をとることが当たり前になっているのか。
ざわざわとしゃべっている人々を遠巻きに、何人かが壁や分厚いカーテンの前に立っている。
たぶん吸血鬼だろう。人々を見張っているのか。
「はいはーい」
突然近くで明るい声があがった。杏樹だ。今はツバの大きな帽子を脱いでいる。
すぐそばで、影のように史仁が立っていた。あたしたちを警戒して睨みつけてくるが、あたしは無視した。
「新しいお友達を紹介しまーす」
杏樹があたしの腕を引っ張って、人々の前に連れて行く。
亨悟はおっかなびっくりついてくる。杏樹はそれを見てにんまりした。あたしの手を離して、ふわふわのスカートを踊らせながら、亨悟の前に立つ。
「こっちは、亨悟君。怪我してるから優しくしてあげて下さい。そっちは……なんだっけ」
「紗奈」
「紗奈ちゃん。仲良くしてあげて下さーい」
はーい、と子供達が声を上げる。
「亨悟くんにはご飯を分けてあげてくださいねー」
分かっているのかいないのか、また子供達が、はーい、と手をあげる。
だが、大人はだいたい察したようだった。顔を見合わせるが、何も言わない。あたしの持っているパドル――血のついた、場違いに大きな得物をチラチラとみている。
「ほら、座んなさいよ」
杏樹が亨悟の腕をひっ掴んだ。びっくりして亨悟が腕を引っこめようとするが、びくともしない。
吸血鬼に腕を掴まれて、死にそうな顔になりながら、亨悟は連れ去られていった。仕方がないのであたしもついていく。
杏樹は、人々から少し離れて、空いていた場所に亨悟を力ずくで座らせる。
するとすぐに、前にトレイが置かれた。亨悟がガバッと顔をあげて見ると、トレイを持ってきた女の人は、びっくりした顔で笑って「どうぞ」と言う。
トレイにはお椀がひとつ乗っている。
そこに茄子の煮付けのようなものと、おかゆのようなものが入っていた。湯気がたっていて、できたての優しく暖かな匂いがする。
亨悟はぽかんとして言う。
「缶詰じゃない……」
杏樹は亨悟の向かいに座って頬杖をつき、にんまりと湯気の向こうから笑う。
「いいでしょう。あんたもがんばって家畜育てたり、野菜を育てたりしてるみたいだけど。こそこそしないでいい分、ここのは日をたっぷり浴びているし、手をかけられているし、おいしいわよお」
「……うるせえ」
亨悟はガツガツと食べながら悪態をつき、頬張りながら「いただきます」と言った。
「あんたはどうするの?」
杏樹は背もたれにふんぞり返って、亨悟の後ろに立ったままのあたしに肩をすくめる。
「他の人をこわがらせるといけないから、あたしたちは別のところで後で食事をするんだけど」
食事。わざと歪曲に言ったんだろうが、かえってそれがあたしにとっては嫌な響きだった。
人間の血。
――俺の血を飲め。
そう言った幼なじみの声がよみがえる。
あの、赤い命の源。
「いらない」
亨悟のニワトリをもらったばかりだ。だから、もう少しもつはず――だけど、思った以上に体が重い。
榛真に再会したときから、だいぶ息苦しさは感じていたが、ひどくなりつつあるのは分かっていた。
「あ、そう。まあ、ほしくなったら言えばいいわ」
杏樹はあたしの空腹も、体のだるさも、こだわりも見透かしたような顔で、あっさりと言った。
食事が終わると人々は後片付けをしながら少しだけ雑談をしてから、各々の部屋に帰っていく。
病院の中では、入院の大部屋や小部屋で、家族や一人のものなどに分かれて生活をしているようだった。
人間と吸血鬼と階をわけたりということもない。人間をひとまとめにして、交代で見張るような手間を省いているのかも知れない。
人々の様子を遠巻きに見ていた亨悟は、皆が引き上げ始めると、慌てて席を立った。
取り残されるのが嫌なんだろう。またあたしを盾にして、レストランを出た。
「満腹って最高だな」
夕闇の中、となりの建物に向かって歩きながら、ほくほくとした声を出した。怯えるのか喜ぶのか、忙しい奴だ。あたしは後ろに向けて言う。
「どうするんだ、お前は」
「何が」
「逃げたいのか、どうなんだ」
隣の建物から移動してくる間に、あたしたちを見張っていそうな者はいなかった。寝床を与えて、食料を与えて、試しているのか。
「それ今ここで、デカい声で言う?」
部屋を割り当てられた建物に戻る。ここもほのかな明かりがあちらこちらに灯されている。
「外にいる理由なんてないんじゃないのか? ここは安全だし食料もあるし寝るところもある」
「朝早く起きて、吸血鬼とか史仁みたいな奴に見張られながら働いて、日が暮れる前に帰ってきて、暗くなったら眠る。たまに吸血鬼に血を抜かれて。それもまあ、いいのかもしれないけど。でも俺は嫌なんだよ」
「命懸けで逃げるほどの理由なのか?」
亨悟は黙り込んだ。
最初に割り当てられた部屋に戻ってくると、真っ暗な室内に足を踏み入れて、立ち止まる。それから、振り返った。
へらりと笑う。
「まあ、いまはしんどいからいいや。うまいもの食って怪我が治ってからにする。こいつらがどういう人数で固まって、どういうローテションで動いてるのか、チェックしないと逃げるのも逃げられないし」
明るいテンションで言って、じゃあな、とひらひら手を振ってドアを閉めた。
榛真みたいなわかりやすい奴と比べて、亨悟は本心を隠そうとする。
迷っているのか、誤魔化しているのか、本心を知られることが恐いのか――そういう、わかりにくいところが、榛真が亨悟を信頼しきれない理由なのかも知れない。
あたしは隣の部屋のドアを開ける。亨悟の部屋とまったく同じ作りの、質素な場所だった。分厚いカーテンにさえぎられて、部屋の中は暗い。
与えられた部屋に一人になると、まわりのざわめきから切り離されて、急激に疲れが襲ってきた。パドルを壁にたてかけて、ベッドに横たわる。
徐々に話し声が途絶えて、あたりが静かになる。日は落ち、明かりも消えて、建物の中も外も真っ暗になった。
体が重い。頭も重い。息苦しい。
ただただ、空腹で胃が締め付けられるようだ。
コンコン、と誰かがドアをノックする。びくりと震えて亨悟はベッドの上で縮こまった。
「おい」
ドアを指さしてあたしをうながした。なんて横着な奴だ。
あたしは大仰にため息をついて、窓辺を離れてドアに寄る。扉の向こうに耳をすませた。
ちいさな息づかいがいくつか。ひそひそと何か話している。敵意のある雰囲気ではない。
ドアを開けると、三人分の視線があたしに集まった。腰よりも低い位置で。
子供達はにっこり笑って、声をそろえる。
「ご飯だよ!」
子供達に手を引かれていく。
一度建物を出て、別棟になったコンビニエンスストア跡の二階。食べ物の匂いがただよってくる。子供達はあたしたちをレストラン跡まで連れてくると、わっと散っていった。
どうやらあたしたちが最後なのか、後ろからくる人間はいない。
なんとなく入り口で立ち尽くす。
亨悟はあたしの後ろに隠れながら中をうかがっているが、腹の音がグルグルと響いている。
ここも窓はしっかりとカーテンで覆われていた。小さな明かりが壁際やテーブルの上に置かれて、ほの明かりが広い室内に満ちている。
たくさんのテーブルと椅子には、すでに数人が座っていた。
奥には調理場があるのか、お盆を持った人達が並んでいて、順番に食料の乗った皿が置かれていく。
ここに集まっているのが全部なら、人間だけで、二人から四,五人のグループが十くらいか。
大きめの集落くらいの人間は集まっているようだった。あたしの住んでいたところよりも多いかもしれない。
何よりも、広い場所で一緒になって食事をとる人達を見て、あたしも亨悟も驚いた。
誰も怯えたり警戒したりせず、ゆっくり座って食事をとることが当たり前になっているのか。
ざわざわとしゃべっている人々を遠巻きに、何人かが壁や分厚いカーテンの前に立っている。
たぶん吸血鬼だろう。人々を見張っているのか。
「はいはーい」
突然近くで明るい声があがった。杏樹だ。今はツバの大きな帽子を脱いでいる。
すぐそばで、影のように史仁が立っていた。あたしたちを警戒して睨みつけてくるが、あたしは無視した。
「新しいお友達を紹介しまーす」
杏樹があたしの腕を引っ張って、人々の前に連れて行く。
亨悟はおっかなびっくりついてくる。杏樹はそれを見てにんまりした。あたしの手を離して、ふわふわのスカートを踊らせながら、亨悟の前に立つ。
「こっちは、亨悟君。怪我してるから優しくしてあげて下さい。そっちは……なんだっけ」
「紗奈」
「紗奈ちゃん。仲良くしてあげて下さーい」
はーい、と子供達が声を上げる。
「亨悟くんにはご飯を分けてあげてくださいねー」
分かっているのかいないのか、また子供達が、はーい、と手をあげる。
だが、大人はだいたい察したようだった。顔を見合わせるが、何も言わない。あたしの持っているパドル――血のついた、場違いに大きな得物をチラチラとみている。
「ほら、座んなさいよ」
杏樹が亨悟の腕をひっ掴んだ。びっくりして亨悟が腕を引っこめようとするが、びくともしない。
吸血鬼に腕を掴まれて、死にそうな顔になりながら、亨悟は連れ去られていった。仕方がないのであたしもついていく。
杏樹は、人々から少し離れて、空いていた場所に亨悟を力ずくで座らせる。
するとすぐに、前にトレイが置かれた。亨悟がガバッと顔をあげて見ると、トレイを持ってきた女の人は、びっくりした顔で笑って「どうぞ」と言う。
トレイにはお椀がひとつ乗っている。
そこに茄子の煮付けのようなものと、おかゆのようなものが入っていた。湯気がたっていて、できたての優しく暖かな匂いがする。
亨悟はぽかんとして言う。
「缶詰じゃない……」
杏樹は亨悟の向かいに座って頬杖をつき、にんまりと湯気の向こうから笑う。
「いいでしょう。あんたもがんばって家畜育てたり、野菜を育てたりしてるみたいだけど。こそこそしないでいい分、ここのは日をたっぷり浴びているし、手をかけられているし、おいしいわよお」
「……うるせえ」
亨悟はガツガツと食べながら悪態をつき、頬張りながら「いただきます」と言った。
「あんたはどうするの?」
杏樹は背もたれにふんぞり返って、亨悟の後ろに立ったままのあたしに肩をすくめる。
「他の人をこわがらせるといけないから、あたしたちは別のところで後で食事をするんだけど」
食事。わざと歪曲に言ったんだろうが、かえってそれがあたしにとっては嫌な響きだった。
人間の血。
――俺の血を飲め。
そう言った幼なじみの声がよみがえる。
あの、赤い命の源。
「いらない」
亨悟のニワトリをもらったばかりだ。だから、もう少しもつはず――だけど、思った以上に体が重い。
榛真に再会したときから、だいぶ息苦しさは感じていたが、ひどくなりつつあるのは分かっていた。
「あ、そう。まあ、ほしくなったら言えばいいわ」
杏樹はあたしの空腹も、体のだるさも、こだわりも見透かしたような顔で、あっさりと言った。
食事が終わると人々は後片付けをしながら少しだけ雑談をしてから、各々の部屋に帰っていく。
病院の中では、入院の大部屋や小部屋で、家族や一人のものなどに分かれて生活をしているようだった。
人間と吸血鬼と階をわけたりということもない。人間をひとまとめにして、交代で見張るような手間を省いているのかも知れない。
人々の様子を遠巻きに見ていた亨悟は、皆が引き上げ始めると、慌てて席を立った。
取り残されるのが嫌なんだろう。またあたしを盾にして、レストランを出た。
「満腹って最高だな」
夕闇の中、となりの建物に向かって歩きながら、ほくほくとした声を出した。怯えるのか喜ぶのか、忙しい奴だ。あたしは後ろに向けて言う。
「どうするんだ、お前は」
「何が」
「逃げたいのか、どうなんだ」
隣の建物から移動してくる間に、あたしたちを見張っていそうな者はいなかった。寝床を与えて、食料を与えて、試しているのか。
「それ今ここで、デカい声で言う?」
部屋を割り当てられた建物に戻る。ここもほのかな明かりがあちらこちらに灯されている。
「外にいる理由なんてないんじゃないのか? ここは安全だし食料もあるし寝るところもある」
「朝早く起きて、吸血鬼とか史仁みたいな奴に見張られながら働いて、日が暮れる前に帰ってきて、暗くなったら眠る。たまに吸血鬼に血を抜かれて。それもまあ、いいのかもしれないけど。でも俺は嫌なんだよ」
「命懸けで逃げるほどの理由なのか?」
亨悟は黙り込んだ。
最初に割り当てられた部屋に戻ってくると、真っ暗な室内に足を踏み入れて、立ち止まる。それから、振り返った。
へらりと笑う。
「まあ、いまはしんどいからいいや。うまいもの食って怪我が治ってからにする。こいつらがどういう人数で固まって、どういうローテションで動いてるのか、チェックしないと逃げるのも逃げられないし」
明るいテンションで言って、じゃあな、とひらひら手を振ってドアを閉めた。
榛真みたいなわかりやすい奴と比べて、亨悟は本心を隠そうとする。
迷っているのか、誤魔化しているのか、本心を知られることが恐いのか――そういう、わかりにくいところが、榛真が亨悟を信頼しきれない理由なのかも知れない。
あたしは隣の部屋のドアを開ける。亨悟の部屋とまったく同じ作りの、質素な場所だった。分厚いカーテンにさえぎられて、部屋の中は暗い。
与えられた部屋に一人になると、まわりのざわめきから切り離されて、急激に疲れが襲ってきた。パドルを壁にたてかけて、ベッドに横たわる。
徐々に話し声が途絶えて、あたりが静かになる。日は落ち、明かりも消えて、建物の中も外も真っ暗になった。
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ただただ、空腹で胃が締め付けられるようだ。
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