終わりの町で鬼と踊れ

御桜真

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第四章

【3】 闇は嗤い哭く 2

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 あたしが吸血鬼に噛まれて気を失い、目が覚めたとき、あたりは真っ暗だった。
 いつの間にか夜になっていたようだった。近くでうつむいている誰かがいる。

「紘平……」
 かすれて声がうまく出なかった。
 けれど紘平は弾けるように顔を上げた。あたしを覗き込む。
 あの男の吸血鬼のように、紘平の顔があたしの視界をふさいだけど、少しも恐くはなかった。

「二日も眠ってたんだ。死んじまったのかどうなったのか、分からなくてさ。良かった」
 紘平は心底ホッとした声を出した。

 その間紘平は、ずっと待っていてくれたのだろうか。もう、目を覚ましたって人間じゃないあたしを。
 どういう気持ちだったろう。
 他の吸血鬼が現れないか、人間の強盗が襲ってこないか気を張りながら、一人でただじっとこらえて待って。

 真夏の熱帯夜は、太陽が出ていなくたって汗がにじむ。紘平は気怠そうに大きく息をつく。
 水分を取っていないんじゃないだろうか。脱水が心配になる。

 だけど、おかしい。
 あたしは少しも汗をかいていない。少しも暑くない。
 町を歩いていた時はあんなに暑かったのに。紘平も汗をかいているのに。何も感じない。

 寒く感じるなんておかしい。
 自分の手を持ち上げる。何も変わったようには見えない。
 だけど、何かが確実に違う。

「どうしよう」
 思わず声がでた。
 どうしようもない。そんなことは分かってる。でも動揺がどこかからあふれてくる。

 吸血鬼なんて、みんないなくなればいいと思っていた。
 人間だったのに、人間を襲って食らう――血を欲しがるなんて、どう考えたっておかしい。あんなおかしな奴ら、いなくなるべきだと。

 そうしたらあたしたちは、この町にだって自由に来て、海に行って泳いで、好きなだけ外を歩いていられる。
 なのに。

 ――死んでた方が良かった。多分。
 どうしよう。

「大丈夫だ」
 紘平はあたしの手をとって、ビクリと肩を震わせる。
「指が冷たいな。多分、貧血だ」
 するりと言ってから、そのまま顔をこわばらせた。
 何気なく口にしたその言葉の、本当の意味を。



 地響きのような音が外から聞こえて、あたしは現実に引き戻された。
 顔を上げる。心なしか地面が揺れている気がする。地震か――思ったが、違う。徐々に近づいてくる。

 杏樹が険しい顔でガラス窓の外を見た。
 雲はまた空を覆い、曇天の夜空の下に明かりはなく真っ暗だ。

 暗闇では人間は動きにくいが、吸血鬼は夜目がきく。逃亡を見張るにも、外への備えにも都合がいいのだろう。
 病院の門から、黒煙で闇を更に淀ませながら、蒸気トラクターが入ってくるのが見えた。

「ヤクザども。ほんっとしつこいのね。帰ってくるのを見られたかしら。ふたてに別れて慎重に動くべきだったわ。あれだけやられて、まだ仕掛けてくるなんて思わなかった」
 杏樹がイラだちまぎれに吐き捨てる。その直後だった。

 ばしゅう、と大きな音が外で弾けた。ひと呼吸おいて、爆音が轟く。建物が揺れた。
 足を取られて、あたしも杏樹もよろめいた。

 また何か、大型の武器か。
 最初の音はトラクターとは別の場所からだった。爆発音は隣の建物か、レストランか。ここからは少し離れていた。
 トラクターは囮か。
 ほんとうにしつこい奴らだ。

「吸血鬼に夜襲なんて、いい度胸じゃない」
 杏樹は地響きをあげてロータリーを入ってくるトラクターを見ながら、窓ガラスに当てた手に力を込める。
 ビシ、と窓に亀裂が走った。
 また――ばしゅう、と音が響く。
 さっきより近い。

「伏せろ!」
 あたしは床を蹴って飛び出した。
 杏樹の腕をひっ掴み、窓から引き剥がす。勢いのまま、連絡通路の床に飛び込むようにして伏せた。

 後ろで轟音が弾ける。
 爆風が吹き付けて、ポンチョのフードが脱げた。夜でなければ、日に焼かれていたところだ。
 風が強く吹き付けてくる。ガラガラと瓦礫が崩れる音がする。
 振り返ると、さっきまで立っていた場所の窓と天井に穴が空いていた。連絡通路の床は残っているが、いつ崩れるか分からない。

 杏樹は床に転がったまま、ギリギリと歯を噛みしめる。つり上げた口が笑みの形になる。

「やってくれるじゃない。ここ破壊されたら不便でしょうがないんだけど!」
 華奢な少女は立ち上がって、吹き抜けになった通路から外を見た。

 病棟から連絡通路に駆けてくる足音がする。
 あたしは素早く起き上がって、転がったパドルを握った。

「杏樹、ここにいたのか!」
 史仁だ。
 昼間と同じように、シャツの上に防弾チョッキのようなものを着て、籠手などの防具をつけ、手に弓を持っている。
 杏樹は振り返って、風に髪を遊ばせながら笑った。

「やーねえ。心配しすぎ。この中なら安全よ。あたしはもう前とは違うんだし」
 史仁は、ぐっと言葉を飲んだ。
 杏樹はここに避難してきてから吸血鬼に襲われたと言っていた。史仁にとって杏樹の言葉は、受け入れがたいものだろう。
 何かを言いたげな顔をしたまま、史仁は破壊された窓の壁へ踏み出す。

「杏樹、そこから離れて」
「うん」
 蒸気トラクターの爆音が外をうろうろしている。あの音が空気と感覚を乱す。

 史仁は空いた穴の近くに身を寄せて、手にしていた弓を引き絞る。息を詰めて、待つ。
 その直後、ほんの一瞬、闇の中に光が弾けた。下のガーデンのあたり。
 ばしゅう、と発射の音が響く前に、史仁は瓦礫に足をかけて身を乗り出す。素早く矢を放った。

 弾は別の壁に着弾し、また轟音が響いて、建物が揺れる。別の階だ。
 そして史仁の矢は、光が弾けたあたりに、真っ直ぐに飛んでいった。どさり、と重いものが倒れる音がする。
 吸血鬼のあたしの目には、ロケットランチャーを構えた男の額を、矢が射抜いたのが見えた。さっき光ったのは、発射のときのバックブラストか。

 それから、屋上の辺りから光が弧を描いて放たれた。火矢が流れ星のように幾筋も飛んでいく。
 火矢は、あちらこちらに光を灯した。松明があらかじめ用意されていたのかもしれない。煙の臭いが風にながれてくる。

「好き放題してくれて。絶対に許さないわよ」
 杏樹は奥へ駆けていく。追いかけようとすると、くるりと振り返って、厳しい顔で行った。

「あんたは来なくていい。足手まといよ。よそ者に足並み乱されたら困るのよ。居住エリアに行って、誰も部屋から出てこないように伝えて。万が一にそなえてみんなを守ってくれたらいい」
 一階に降りた方が逃げやすいのではないか。
 それとも皆で集まってどこかに隠れたほうがいいのでは。思ったが、地震ならともかく、下に行けば略奪者がいる。

 部屋に閉じこもり、ドアを開けずにたてこもっていれば時間を稼げる。
 他の人が襲われている間に逃げることも出来るということか。

 あたしは杏樹たちと離れて、動かないエスカレーターのところから駆けあがる。皆が住んでいるのはこの建物の上の方だ。

 訓練されているのか、慣れているのか。これだけの爆発や破壊に、悲鳴や騒ぐ声は何も聞こえてこない。
 誰も部屋を飛び出して逃げ惑ったりしている様子はなかった。
 ただ、亨悟は別だった。

「おい、いつの間にかいなくなってるから、びっくりしただろ!」
 エスカレーターを駆けてくるのに行き会った。
「部屋に戻れ、杏樹達が対応してる」
「でもあれ、あいつらだろ」
 炭鉱ヤクザども。言うまでもない。
「俺を追って来たんじゃないのか。俺のせいで――」
 また爆音が弾けた。
 すこし上の階。入院施設のあるところ、皆の居住スペースだ。
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