終わりの町で鬼と踊れ

御桜真

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第四章

【4】 運者生存

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 しばらくして人間が駆けてきて、史仁を見て一瞬絶句する。傷口を押さえる榛真と慌てて交代した。
 後から来た人々が、史仁を抱え上げてどこかへ連れて行く。杏樹は運ばれていく史仁の後ろから、少し離れてついていく。

「おい、なんかあったのか」
 上から降りてきた亨悟が、腰の引けた様子で慌ただしい様子を見送った。
 榛真は血まみれの手を服でぬぐい、亨悟をちらっとみて、立ち上がる。

「逃げるぞ」
 ぶっきらぼうに言った。
 まだ数人、この場を守るために残った吸血鬼たちはいるが、確かに、ここを出るなら今かも知れない。
 どうせ杏樹は止めたりしないだろうけど。

「でも、俺」
 まごつく亨悟に、榛真はいらだたしげに「何だよ」と唸る。そのまま榛真は通用口へ向けて走り出した。

 戸惑い、どうすべきか、亨悟はおどおどと辺りを見た。
 杏樹たちの去った方を見て、侵略者に備えて居残った吸血鬼達を見て、あたしを見て、通用口を見る。

 あたしはパドルを持ち直し、邪魔にならないように肩に担ぎ上げた。

「お前はここにいたいのか」
 亨悟は首を横に振った。
「ここで大人しく群れてたらなんのために和基さんが外に出してくれたのかわかんねーよ。それにどこもおんなじだ。群れて管理されて、人目を気にして、ちょっと違う奴を爪弾きにして」
「でも、そこが居心地が良くてあんたのいたい場所なら、それでもいいんじゃないのか」
「そうかもしれないけど。俺はまだ外がいい。年取って走れなくなったら考えるよ。――ふかふかの寝床でぐっすり眠れるのは最高だけどな!」

 亨悟は言い捨てると、榛真の後を追って駆けだした。あたしは、ひとつため息をついてから、二人の後を追う。



 外はもう降ってくる矢もまだらで、銃声も聞こえなくなった。

 どんよりとした雲は変わらず、風は強く、月は見えない。だが、雲の向こうがうっすらと明るくなってきているのが分かる。
 あたしはポンチョのフードを深くかぶり、顎のボタンをしっかりと閉めた。眼鏡をずりあげる。

 ロータリーを抜け、松明の横を駆け抜けて外へ出る。突き進む榛真の後ろを、あたしと亨悟も続いた。
 広い道路へ合流する道の角に地下鉄への入り口がある。地下へ続く階段に、皆が緊張するのがわかる。

 だが博登や吸血鬼の姿はなかった。思わず詰めていた息を吐いて、先へ進む。

 薬局の前を取り過ぎ、ため池の前を走り抜ける。進む道は広く、人の姿はない。
 さっきまでの闘争が嘘のように、町は静まりかえっていた。本来なら人は、夜には息を潜めて隠れているものだ。吸血鬼を恐れて。

 コンビニエンスストアの近くで、榛真は歩調をゆるめた。いくつか転がった自転車や車の影を気にしながら、見覚えのある自転車に歩みよる。

「待てよ榛真」
 肩で息をしながら、亨悟は榛真の後ろに続く。夜目にも亨悟の包帯の白さが目立つ。

「俺、お前にちゃんと話さないと」
「うるせえ、別に話すことなんてない」
 とりつく島のない榛真に、亨悟も少しムッとしたように返した。

「お前がそういう態度だから、何も言えなくなるんだろうが」
「だから、別に、何も言わなくていいって言ってんだろ!」
 榛真は言い捨てる。さらに表情を険しくした亨悟が口を開く前に、重ねて言った。

「お前みたいな奴がヤクザなんかやってられるわけないだろ。ほんとのとこはスパイだったとしたって、こっちがいいって思ってるのは分かってるよ」
 なんだよ、と亨悟の声が少し揺れる。

「だったらなんだよ、けやき通りで俺のこと見捨てやがって」
「仕方ねーだろ、多勢に無勢だったから、体勢を立て直しに行ったんだ」
 榛真は、ふん、と鼻を鳴らして大きな声を上げた。

「だいたい、ずっと黙ってたのはムカついてるからな!」
「お前が俺のこと全然信用してないからだろ!」
「うるせえ、お前のことだって誰だって信用なんかしねーよ!」

 そのくせこれだ。
 誰が信用してない奴のことを命張って助けに来るのか。面倒くさいやつだった。

 ふと、あたしは思わず、二人の方へ向かっていた足を止めた。
 ぞくりと、背筋が粟立つ。心臓が嫌な音を立てる。
 無意識の欲望が、意識の奥で鎌首をもたげる。

 榛真は自転車のダイヤル式の鍵を外し、ぐるぐるに巻いたチェーンを外している。そっちにいくとまずい。

 この店の奥、暗闇の中、近づいちゃいけない。
 ――また、あれがほしくなる。

「血の臭いが……!」
 店から離れろ、と警告する間がなかった。

 矢が飛来して、アスファルトを跳ね返った。
 片手にボウガンを、片手に鉈を持った男が、割れたガラスドアをまたいで姿を見せた。むっとするような血の臭いが濃くなる。
 どこもかしこも血まみれであちこち焦げ付いて、ぜえぜえと肩で息をしている。

「やっぱりお前、俺たちを捨てたんだな」
 男の目は、ぎょろりと亨悟を見ていた。
 全身がボロボロでもうよく分からなかったが、たぶん、若いヤクザだった。トラクターから逃げたやつか。

「お前なんかをかばって和基さんが死んだ」
「そいつの問題でこいつのせいじゃねーだろ。誰かしらねーけど」
 榛真の言葉に、若いヤクザは、怒声をあげる。

「こいつのせいだろうが!」
 ボウガンで亨悟をさし、さらに叫んだ。
「こいつが、弱いからだろうが! 弱肉強食だ、弱いものは死ね! 邪魔なんだよ!」
「弱いのが悪いのかよ! そんなのが殺すほどの理由か!」

 榛真が怒鳴り返す。静まりかえった町に響き渡った。
 亨悟は立ち尽くしたまま、動けないようだった。逃げることも隠れることも出来ず、榛真を見て、男を見た。

「悪い。――俺は」
 うめくように声を吐き出した。

「俺は弱いよ。でも、誰がなんと言おうと死にたくない。どんな理由だろと殺されたくない。和基さんが俺を助けようとしてくれたのに、俺を死なすわけにいかない」
「黙れ!」
 男が叫ぶ。

「弱い奴は邪魔なんだよ!」
 ボウガンの矢が飛来する。亨悟は地面に転がって避ける。あたしは亨悟の方へ駆けだした。

 男は矢を放つと同時にボウガンを投げ捨て、突進してくる。亨悟に向かってではない、自転車の側にかがんだままだった榛真のほうへ。

 ――しまった、そっちに行くとは。
 だめだ、体が重い。追いつけない。病院での戦闘からずっと、血の臭いに当てられて、思うように動けない。

 ――血が足りない。

 男の鉈が榛真に斬りかかる。
 榛真は包丁を抜いて受けたが、包丁を弾き飛ばされた。二刀目が薙ぎ払われて、転がって避けた榛真の腕を切り裂いた。血しぶきが上がる。
 そこに亨悟が男に体当たりして、もろとも転がった。

「離せ、腰抜けが!」
 男は亨悟を蹴り飛ばして起き上がる。そのまま、亨悟に向けて鉈を振り下ろした。
 なんとか亨悟に追いついたあたしは、思い切り亨悟の服を引っ張って後ろに下がらせる。だが少し、間に合わなかった。
 男の刃の切っ先が亨悟の肩を引っかける。再び血しぶきが上がった。

「亨悟!」
 起き上がった榛真が、男の腹を思い切り蹴り飛ばす。男は抵抗する力もなくひっくり返った。

「誰が腰抜けだ。腰抜けがこんなことするわけねーだろ」
 男は転がってうめき声をあげている。
「弱肉強食じゃねーよ、適者生存だろ」
 榛真は吐き捨てるように言った。

 環境に適したものだけが生き残る。
 誰が生きるべきか死ぬべきかなんて、誰が決めるものでもない。だけど榛真の言ったそれは、ヤクザと榛真たちのことを指した言葉じゃない気がした。

 ――人間か、吸血鬼か。

 榛真は男の手元から鉈を蹴り飛ばし、うめいている男には見向きもしなかった。
 横たわったまま苦しげにゼエゼエと息をしている亨悟に駆け寄る。

 あたしは遠巻きにしたまま、近づくことが出来なかった。新鮮な血の臭いがあたりにあふれている。傷に触れることは出来ない。
 なにより血が恐い。血を欲する自分が。制御がほころびてくる自分が。

「おい、大丈夫か、亨悟。お前死ぬわけにいかないんじゃねーのかよ!」
「お前のために死ぬ気なんかさらさらねーよ」
「だよな、俺もだ」
 榛真の言葉に、亨悟は空を見てへらへらと笑った。

「もうだめだ、俺もう昼からいっぱいいっぱいで無理。お前、急ぐんだろ。さっさと行けよ」
「バカ言うな。ほんといい加減にしろよ。大した傷じゃねえだろ。傷抑えとけ」
 榛真は強引に亨悟の手を傷口に当てて、ここ抑えろ、と言うが、亨悟はいてえいてえと声を上げる。
 史仁に手当してもらっていた時の光景がよみがえって、そんな状況じゃないのになんだかおかしかった。

 榛真は急いで辺りを駆けて、転がっていたボウガンも矢も、使えそうなものを拾ってリュックに詰める。
 そしてぐったりした亨悟を担いで荷台に座らせて、自転車を漕ぎ出した。
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