魔法使いと栗色の小鳥

宵川三澄

文字の大きさ
13 / 33

13話

しおりを挟む

潮風が頬をかすめる。
こうしてこの人の腕に触れていると、いつも幼い頃からの憧れを思い出す。
バレリーは金の髪を風に散らしていても、どこかカチリとした印象の幼馴染を見上げる。碧の瞳がこちらを見つめた。
ドキリと胸がはねる。
いいえ、こんな時も私は落ち着かなくては。この人にとって、私はいつも貴婦人でありたい。社交界の華、キンドリー家の令嬢として。この人にとってはただの幼馴染でも。伴侶には決してなれなくても…。
そう秘した想いを隠そうと にこりと笑うバレリーにテオドールは少し意地の悪い目をする。

「バレリーが来るとは思わなかったな」
「聞いていない? キースが拾った女の子に礼儀作法を教える約束をしたのよ」

ああ、とテオドールは呟いた。あの、魔力もちの娘か、と。
テオドールの顔をチラリとバレリーは見る。
――イルネギィアについてはどこまで聞いているのかしら?
バレリーから見たイルネギィアはとても愛らしい可憐な少女だ。気を失っている顔から想像していた通りの綺麗な形の目をしてた。さくらんぼうの唇からは人なつこい笑みをこぼす。髪の色から、栗色の羽の小鳥を想像させる、庇護欲をそそる娘だと思う。
テオドールの気持ちはわからないが、彼があの子に興味を持つ可能性はないとは言えない。キースが保護するほどの魔力もちなのだもの。
そんな事を考えて、あの娘にすら嫉妬を覚える自分に軽く嫌悪を覚えた。
実際、テオドールがイルネギィアについて知っていることは、バレリーよりもずっとささやかなのだが。

「どうせ、キースが既に手をつけているのだろう。あいつの女癖の悪さには困るね。きみがキースと親しくしていて、人になにを言われるか、正直僕は心配だよ」

バレリーはテオドールにそう、と返した。
「きみは、大切な幼馴染だから」
もう一度、そう、と言った。心持ち声が震える。
そして、はぁ、と息をつく。
「…テオドール、貴方は少しキースに対して悪意的にものを見すぎるわ。確かに彼は女性に優しいと思うけど、私には紳士よ。…幼馴染として、貴方以上に友情を捧げてくれているわ」
テオドールがムっとしたのが気配でわかった。
しまった、とも思ったがいつものことだとも思う。
「本当に、きみは僕らにはいつでも親身だよ。きみの発言に僕が腹を立てても嫌いになれないのをよく知っている。だけど僕がキースに好意を持てというのは無理だ。あれのせいで傷ついた女性がいるのをきみも知っているだろう? そして、僕がそれを今も…」
バレリーは彼の唇に人差し指でそっと触れた。これ以上聞きたくなかった。
「やめて。貴方たちは二人とも私の大切な幼馴染なの」
テオドールは目を伏せる。
「きみぐらいだよ、こうして、僕を子供扱いするのは。――母ですら、甘やかしてはくれなかった」
「…甘えたいならいつでも」
「でも、きみはいつでも最後はキースの味方だ」
そう言って彼はバレリーの手に軽くキスして、そっと彼女の手を自身の腕から外した。そして、先に行くと言い残し、テオドールは館に戻る。

バレリーはひどく惨めな気持ちになる。
知っている。
これが恋する気持ちだと。

でも、どうして神様はテオにこの気持ちを与えて下さらないの? 彼が少しでも私に好意を覚えることがあれば、哀れみというものを感じてくれるだろうに!




館の裏庭、刈り込まれ美しく夏の花々を咲かせた園にキースとイルネギィアはいた。テオドールとバレリーと顔を合わさず済むように。
けれど、そのバレリーの声を拾ってしまったキースはため息をつく。
それにイルネギィアが小首をかしげた。
「どうなさったのですか?」
いや、なんでもないよとキースは彼女を庭に案内する。
きれいですねー、とイルネギィアは無邪気に喜んでいる。
「…明日はバレリーにテオの話はふらないように」
え? とイルネギィアはまた疑問を持つ。
だが、キースが ね、と言うので頷いた。
――きっと、バレリー様には聞いてはいけないことだ。
「きみがとても聞き分けよくてありがたいよ」
キースは笑う。
「…心を読みました?」
「ここは僕の館じゃないからね。出来るだけ周囲の声を拾っている。公爵夫人とその跡取りに害をなされては僕の〝魔法使い〟としての面目丸つぶれだから」
えー、とイルネギィアは口を尖らす。
「前もって言って下さい。じゃないと、変なこと考えていたら恥ずかしいです」
「変なこと考えていたの? 例えば?」
「か、考えていませんーっ。これから、考えるかもしれないですから、言ってくださいってお話ですっ」
「え、だから、どんなって」
キースの笑い上戸が出ている、これは当分笑い続けるだろう。

「はぁ…。…真面目なお話、こういう時は周囲の声を聞くんですか? それは〝魔法使い〟のお仕事なんですか?」
イルネギィアだって勿論、気になる。彼から魔力の使い方を教われば、自分もそういう風にしなくてはならないのだ。
笑いながら彼は答えた。
「新しい場所に来たときは、そこにいる人間の心の中は全て調べる。知らない人間がいたら特に。…あとはこうして建物の周囲に魔法の罠を仕掛けるよ。不審者が入り込んだときや、異状があったとき、発動するように」
あ、とイルネギィアは驚いた。そうか、こうして歩いているのは目的があるのか。
「…あたしの魔力をお使いなんですか?」
「これくらいなら使わないよ。自分の魔力で充分」
イルネギィアはそうか、と頷く。
「…〝魔法使い〟には、三種類いてね。一般的なのは軍にいる者。僕のような者だね。彼らは退役してからも国に管理される。魔力は血に宿る、と言われるんだ。彼らの血縁者も〝魔法使い〟に至るほどの魔力もちである可能性があるから」
キースは続ける。やはり、優しい、心地良い声だ。
「あとは民間のギルドに所属する〝魔法使い〟もいる」
「ギルド?」
「そう、軍を辞めた者たちが組織した、退役した〝魔法使い〟の受け皿だね。ここには、正確には〝魔法使い〟の称号を得られるレベルにない魔法を使える者もいる。退役〝魔法使い〟が彼らの指導も行っているよ。貴族や豪商などのボディガードの仕事が中心だよ」
イルネギィアは目をパチリとする。
「軍以外でも行き先があったんですか…」
自分の。
「きみの魔力の大きさはここでは扱いきれないと思う」
キースに言い切られる。どれ位の大きさなのか、イルネギィアはまだ自分では量れないので はい、と神妙に返した。キースはそれにまた笑い出したくなった。
「最後は――犯罪者だね」
イルネギアは息を呑む。

「…犯罪者」
「そう、近縁に魔力もちがいないのに突発的に魔力の強い子供が生まれる場合、国は把握しきれない。そういう場合、その存在が明らかになるのは事件が起きてからなんだ。大きい魔力は溜まると暴発の危険のあるものだから。魔法は方向性を決めないと発動しない。一般に魔力もちと呼ばれる人たちは少なくないけど、彼らに魔法を教えることは相当骨なんだ。彼らが例え暴発したと言っても人間の体を傷つける魔法を使うなんて不可能だ。そういう事件が起きるのは、〝魔法使い〟レベルの魔力もち、ということになる。そして軍にも、ギルドにも入ることを拒む人間は――犯罪者としてこのセヴァレト王国では扱われるんだよ」
魔法は罪なのですか…、とイルネギィアは呟く。その彼女の気落ちした声にキースは気がつく。だが、イルネギィアは悟られまいと意識して明るく笑った。
「じ、じゃあ、明日もお忙しいですね。お客様がおいでになりますから!」
「ああ、多分令嬢たちは侍女や従僕も連れてくるだろうし」
キースはそう言うとイルネギィアの髪についた葉を取った。
ありがとうございます、とイルネギィアはぺこりと頭を下げる。
「…彼女たちが来たら少し嫌な思いをすると思うけど。――本気で僕の愛人ってことにされてしまうかもしれないよ」
「――仕方ありません」
イルネギィアが意外な返答をした。
「イリー、きみは未婚の女性なんだよ」
んんん、とイルネギィアは考えて言葉を出す。
「でも、あたしは一生キース様のお傍にいなくてはならないのでしょう?
 事実が違っても、きっと人はわかりやすい言葉を見つけて現します。人が理解しやすい関係だって。それを止めることは出来ません」
「つまり?」
「関係としては愛人ではないけれど、お世話になるのは本当ですもの。非難は甘んじて受けます。きっと、そういう噂をなさるのは、キース様に関心があるからです。その方たちからしてみたらば、愛人だろうと〝魔力庫〟だろうと特別な人間であることが許せないでしょうし」
だったら、仕方ないですよ! と、またイルネギィアは ほにゃと笑った。
「イリー、その顔は…自己防衛?」
え、と少しイルネギィアは驚いたようだがまた考える。そして、そうかもしれませんと答えた。
「…あたし、お祖父ちゃんにずっと、人に嫌われないようにと言われて育ちましたから。他人に暗示をかけるほど」
「…そうだったね」
あの、とイルネギィアがおずおずと言う。
「あたしにご遠慮はいりません。キース様はお好きな女性とご一緒なさって下さいね。銀髪の方がいらしたら、遠慮なく口説いてしまってください!」
「なに言ってんの?」
キースがイルネギィアの鼻をつまむ。銀の髪のことは誰に聞いたのだ。
「ケ、ケティに聞きまひたー。いたぁい。離してくだはぁいっ」
ケティめ、と昔から仕える客間女中に頭の中でねめつける。
「別に銀髪にこだわっているわけではないよ。好きなだけで」
イルネギィアの鼻から手を離した。彼女はそこを己の指で軽くこする。痛かったろうか?「フェチズムですね!」
「余計なことを言うとまたつまんでやるよ」
あわわと彼女は鼻を隠す。
それを見て 今度、ぜひまた隙を見て、つまんでやろうとキースは思った。

だが、思ったよりイルネギィアは大人だ、とも思う。
人から隠れるように生きてきた世間知らずの娘は思いのほか、冷静に物事を判断し、〝魔法使い〟――あるいはその〝魔力庫〟として魔法に生きる覚悟もあるようだ。
明日来る貴族の令嬢たちにも容易くは負けないだろう。
テオドール目当ての娘たちなら、むしろ、敵視されるのはバレリーの方だろうな、とキースは思った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...