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25話
しおりを挟むしんとした書斎の居心地の悪さに イルネギィアは泣きそうだった。
口にした言葉は取り返しのつかない言葉。あんな風に他人に言われて不快でない人間などいないだろう。
――いくら、腹が立ったって…。
自分の愚かさにも情けなくなる。
ちら、とテオドールを見ると、彼はじっとイルネギィアを凝視していた。凍るようなその碧の瞳で。怒りを凝縮したような空気をまとっている。
そして、彼は立ち上がり、イルネギィアの腕を取った。
だが、言われたことは意外なことだった。
「彼女は何を持っている?」
え、とイルネギィアは驚いて間抜けな声をあげる。
テオドールはぐい、とイルネギィアの腕を取る。
「キースがただ綺麗なだけの女に興味を持つはずはない。彼女はなにか魔法に関わっているのか?」
「ぞ、…存じません…!」
声が震えた。
彼の手が強くイルネギィアの腕を握る。痛い、とイルネギィアは眉根を寄せた。
「もう一度聞くぞ。あいつはヴィクトリア嬢と結婚するつもりになったのか? そんなはずはないだろう! 彼女が銀の髪に変えたとたんのあの態度…。俺へのあてつけか!?」
「い、痛い! 質問が支離滅裂です…!!」
そう言って手を振りほどこうとしたとき、彼の手の方が先に外された。
「…なにも聞いていないのか。本当に」
なにを? と思い腕をさすりながらテオドールを見上げる。
テオドールは目を伏せてすまなかった、と謝った。
それに瞠目してイルネギィアはなにがなにやら判らないまま、その部屋から放り出された。
彼女の中で様々な思いが生まれる。
テオドール様はなにを言いたかったのか?
キース様はなにかお考えがあるのか?
ヴィクトリア様への態度はそんなに意味のあるものなのか…?
だが、それらの疑問はひとつの言葉にまとめられる。
彼女は息を吐き、自分の腕についた赤いあざを見てその疑問を口にする。
「いったい、なんだったんだろう…!?」
本当に、それしか言えない。それくらいの謎なのだ。
イルネギィアが とぼとぼと部屋に戻るとキースが戻っていた。今日は公爵夫人とヴィクトリア嬢と出かけていたのだが随分戻りが早い。
予定より早い主の帰宅にイルネギィアは軽く瞠目し、そして慌てて茶の準備をする。彼は既にくつろいでいる。
珈琲を淹れるとキースはそれを無言で受けとり、口をつけた。
機嫌が悪いようだ。
今日のことは話した方がいいのだろうが、すごくタイミングを選ぶ。
どうしようか、と迷っているとキースがイルネギィアに座れ、と促した。
聞いたことない、低い声だった。
「今日、テオドールの書斎にいたね」
うわ、さすが千里眼。イルネギィアはそれに はい、と頷く。
「何を言われたの?」
「何を…と言われても。…キース様はヴィクトリア様と結婚なさるのか、とか、結婚の動機は魔法に彼女が関わっているからなのか、とか」
「そ」
端的に彼は返す。
こんなに機嫌の悪いキースは初めてだった。
「きみのことは?」
あ、と口をつく。ギルバートとのことを咎められたことは 本気で忘れていた。どうやら、イルネギィアもキースとヴィクトリアの関係の方が重要事項だったらしい。
「いいえ、なにも…。あとは…」
俺へのあてつけか――と。
言いかけて止める。
少し逡巡した。
その動揺をキースは見咎める。
「――なに?」
迷ったが、イルネギィアは口にすることにした。謎は抱えているべきなのかとも思うが、彼は、距離を縮めようと言ったのだ。それを信じようと、思った。
「キース様、教えて頂きたいことがございます」
イルネギィアは こくり、と唾を飲み込んだ。
「…テオドール様はヴィクトリア様の銀の髪にこだわっておいででした。…キース様が銀髪のヴィクトリア様へ求愛なさるのは、テオドール様へのあてつけけかと。キース様はなにかご存知なのですか? テオドール様は、あたしはなにも聞かされていないのか、とお訊ねでした――それは、なにか、キース様があたしにお話になるべき話、があるのでしょうか?」
一気に言った。イルネギィアは ふーっと胸を上下する。それにキースは驚いた顔をしていた。
「きみに話すべき話なんて」
「知りたいです。それをお話いただけないのなら」
――信じていただけないのなら…。
「あたしに魔力を返してください。あたしは、軍に入ります。そこで、魔力の使い方を教わります」
…言ってしまった。
しばしの沈黙はまるでイルネギィアには永遠にも思えた。
時計の音を耳が拾う。規則正しいその音は、自分の鼓動かとも思う。
キースが考え込むように顎に手を当てて、それから、呟いた。
「全部は話せない…。きみは顔に出てしまうから」
「それでも、かまいません」
キースは眼鏡の奥の瞳を ゆら、と揺らす。
「…きみは、僕の弱いところをつくね。自分が狡猾だって、知ってる?」
「…多分」
だから、キース様に助けを求めた。この方は――優しいって思ったもの。
「あたし、多分、とってもずるいんです。キース様のこと、知りたい気持ちを止められないもの。その聞けるタイミングが今なら聞いておきたい。これがいけないことなら、もうお傍にはいられません。お話くだされないのなら、あたしを手放すか」
イルネギィアは耳まで赤い。
「いっそ、あたしに魔法をかけて記憶を全部消して下さい。あたしはそこまで覚悟してお訊ねしてます」
彼女の言葉が部屋中から音を奪った。
キースはイルネギィアがそこまで言うとは思っていなかった。
そして、彼はその絵画のような指先をからめた。
「…面白い話ではないよ」
あの、優しい声に戻っていた。
――幼い頃、世界はとても小さく狭かった。
それが彼の語り出しだった。
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