松岡さんのすべて

宵川三澄

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圏外

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雨の季節がやってきた。
しとしとと降る雨の中、今日はピザを取って ビール片手にサッカー観戦ならぬ、総選挙観戦です。
由多花と松岡さんの好きな例の大人数アイドルグループの、年に一度の大イベントなのだ。

そのため、勿論 残業なしを目指すのだ。
由多花は ふふふ、と笑いをこらえた。
由多花の押しは人気メン。かなりの高順位を期待出来る。
松岡さんも由多花も選挙にお金を投入するタイプではないので、モバイル票と、互いにタイプ違いのCDを一枚ずつ購入しただけだ。
しかし、それでも、好きなアイドルに対する愛はある。
視聴率貢献するぞー、という気分。気分だけだけど。視聴率調査の機械など、勿論 松岡さんちには、ない。
でも、まずはハートよ、ハート。
ふっふふっふふふっ、とこぼれる笑みは抑えられない。


しかし、終業のベルが鳴り、総務でタイムカードを押す少し前に、それは起きた。

「そんな、おかしいですよ、そんなの…」
隣の営業課から聞こえた。浅田さんの声だ。困惑しているみたい。
「でもね、実際、ホラ、ここの数値が違うでしょ。受注フォームの入力ミスがあったのよ」
「でも、私はちゃんと」
チラと好奇心に負けて覗くと、そこにはチューターの山本さんと浅田さん、そして、林さんがいた。
「二人に頼んだ仕事でしょ? どちらかが間違ったのよ。いいのよ、間違いは誰にでもあるから。でもね、浅田さん、貴女、ちょっと人のお話を聞くときの態度、問題あるわ」

おおう、山本さん、頑張れ。態度の注意ってしづらいんだよね。

「そんな! 私、自分がしていないミスで責められるのが納得いかないだけです!」
浅田さんはフロア中に響くような声をあげた。
由多花は くわばらくわばら、とついビビる。
浅田さん! そういうことじゃないの、と山本さんも口調がきつくなる。
素通りしようとしたところ、浅田さんがまた大声で言い返す。
「ミスは私じゃなく、林さんです! 叱るなら、林さんを叱って下さい!」
そう言うと彼女はカバンを机からひったくるように取り上げ、タイムカードのある こちらに向かってくる。
由多花は慌てて浅田さんに場所を空ける。
浅田さん! という山本さんの声が聞こえた。

お、おお、引き止めなければ。

「浅田さん、勝手に帰っちゃダメでしょ。まだ山本さんの、チューターの話、終わっていないでしょ」
浅田さんはギっと睨む。
「他部署の人が 口、出さないでください!」

え、ええええー。

「あのね、喧嘩じゃないんだよ、これは仕事なの。山本さんも、ミスを注意したんじゃなくって、貴女の態度を注意しているんだよ」
――う、確かに僭越かもしれんが、どうしても言いたくなって 口、出してしまった。
「いい! 佐々木さんも引き止めないで! 勝手に帰りなさい!」
――うわ、山本さんも感情的になってしまった。これは明日、部長が大変だわ。

総務の課長がさすがに口を出す。他の営業はまだ誰も帰ってきていないから。
しかし、驚きだが浅田さんは総務課長の言葉も無視してタイムカードを押して帰ってしまった。
山本さんも茫然自失だ。そっと覗くと林さんが心細げに立っている。
私のせいで、すみません、と山本さんに謝るのを見るが どちらのミスかハッキリしていないのに謝るべきではないのでは…。

はぁ、と由多花はため息ついた。

多分、明日、アクセスログのチェックをすることになるな。誰がミスしたか ハッキリせねばならなくなったから。
山本さんが、総務課長に謝っている。
受注入力の訂正で今日は彼女らは残業だろう。
多分、明日は浅田さんは来ないだろう。

それで、とっととカードを押そうとしたら、総務課長が由多花の存在に気がついた。
「ごめん、佐々木さん。タイムカード押すのまだだったら、彼女らを手伝ってくれない?」


女子トイレで松岡さんに連絡を入れた由多花は口をへの字に曲げていた。
『…まあ、仕方ないな』
「録画しといてください…」
夕食はピザをとっておいてくれるので、とにかく、さっさと終わらせちゃおう、と営業部に向かう。

受注フォームの作成は情報課が作ったものなので、由多花も作成時のテスト入力で携わった。なので、入力の仕方はわかっている。
紙出力したものに山本さんがペンで修正を入れ、その箇所を呼び出し、修正入力していく。単調な作業だ。入力自体、難しくはない。
いつもは営業事務のパートさんが受け持つが、今日は彼女はお休みなので、新入社員の二人に任せたらしい。

――まあ、やることは単純作業だもんね。黙々とやれば すぐよ。

しかし、いくつか費用分配で問題があるらしく、時々 山本さんは担当営業に確認を取りに席を外す。その都度、由多花と林さんは手を止めねばならない。
仕方ないなー、と視線を渡せば林さんと目が合った。

「…浅田さん、明日来るでしょうか…」
細い声。自分のせいかと気にしているのかもしれない。
「あー…。あのね、ログ確認したら、いったい誰がミスしたか、わかると思うんだ。彼女が大事にしちゃったから、明日、営業から確認依頼があると思う。こう言うとアレだけど、それがハッキリしてから、彼女に謝るか、したら? 悪くもないのに、謝ると…困ったことになるかもしれないよ?」
林さんは それにハっとした顔をする。
「ごめんね、キツかった?」
由多花はそろ、と呟いた。
「…山本さん、遅いね。担当、社内の筈なんだけどな」
軽くヤベーと思った由多花は ごまかすように、言う。

「…いつから」
ポソと林さんが口にした。

「……いつから、涼と付き合っていたんですか……」

今度は由多花がハっとする。
今、話すことなのか、とも思ったが、小さい声で彼女の問いに答えた。

「…今北さんと別れたあと、だよ。今北さんからは貴女と付き合うって聞いた。それで偶然会った松岡さんと色々あって、同居させてもらうことになったの」
「――嘘」

え、と由多花は顔をあげる。

「嘘って? どうして? 松岡さん、二股なんてしていないよ。その、貴女がそういうこと…して、松岡さんが連絡断ったって聞いたけど」
「私…たち、別れたわけじゃ…。ただ、涼が一方的に怒って…。そりゃ、私が悪いのは…わかっているんです…。でも、こんなの…」

おいおい、と由多花は思った。
全く、松岡さんも悪いけど――。
いや、こういう思考は私が松岡さんの方に感情移入して平等に見てあげられないから、だろうな、と。

「…涼、私のこと、こんな簡単に嫌いになるなんて…ひどい」
林さんは涙ぐむ。
ここで泣かれると困るので、頼む、と由多花も慌てる。
「――ごめんなさい…。佐々木さんには、私もひどいこと、したのに」
おい。
「いいよ、もう…。それより、仕事に集中しよう」
これ以上、彼女の泣き言は聞きたくなかった。




思ったより時間がかかり、由多花がマンションに着いたのは九時をまわっていた。
「あああ…。いいや、最初から録画で観よう…」
そう呟いて、エレベーターに寄りかかる。
高層階だとエレベーターに乗っている時間は案外かかる。鏡を見て、顔色を確認する。林さんのあんな話を聞くと、顔の筋肉が重々しくなる気がした。
ニィっとわざとらしい笑顔で紛らわせると、エレベーターから出て、部屋のドアに鍵を入れて入る。

「ただいまー!」

……。松岡さんの反応がない。
おかしいな、と由多花がリビングに行くと松岡さんが携帯を閉じるところだった。
ハッとした顔で由多花を見る。付きっ放しのTVは既に次の番組が始まっていて、やっぱり、間に合わなかったかー、と由多花を軽く落胆させた。わかっていたことなのに。
「…おかえり。遅かったな」
「うん、担当営業の費用の分配、めちゃくちゃだったヤツが見つかってー」
言いながら、由多花はカバンを部屋に置き、カウンターに置かれた宅配ピザを皿に移してレンジで温めなおす。
それから、ん? と松岡さんの顔色を見る。

「…どしたの?」

え、と松岡さんが由多花を見た。

「なんか、松岡さん、顔色悪いよ? 電話…なんか、悪いこと?」
「いや、電話は妹から。お盆、どうするかって聞いてきただけだ」
ふーん、と由多花は そういえば、自分も叔父の家に行かねばならない、と話す。
ビールと温め直したピザを持ってソファに座り、総選挙の録画を再生する。
松岡さんもまた付き合ってくれるみたいだ。そのまま、由多花の隣に腰掛けた。

――そして、松岡さんが暗かった理由を理解した。
マミナが、選挙圏外――だったのだ。
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