松岡さんのすべて

宵川三澄

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脅威

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松岡さんとのセックスは好きだ。
他を知らないので比べられないが、松岡さんは由多花をとても大切に扱ってくれる。これは紳士のときも、今の猫をはがしたあとも変わらない。松岡さんとのベッドタイムはとても甘やかな時間なのだ。
由多花は自分でしたことがないわけではない。ただ、アプリケーター以来自分の中に異物を入れるのは怖いので、一番感じる、と言われる場所だけ触った。

これが今ひとつ、微妙だった。

官能、というものは簡単にはわかったが、これでは世に言うイク、ということはないだろ、という結果だった。これが絶頂というものだったら、確かに世のご夫婦に演技は必要だろうし、由多花が好んで読むロマンス小説は幻想小説になってしまう。
――つまるところ、由多花は男だったらセックスがヘタだった、と言うだけだが。

なので、いつもちゃんと昇りつめていくことの出来る松岡さんとのセックスは楽しかった。彼の指は確実に由多花の心拍数を上げて、そして、少しだけ落ち着く時間を作る。それからまた階段を一段づつ昇るように高めてくれる。この心拍数はまた由多花に恋の鼓動を響かせるのだ。
彼は前戯も、後戯も丁寧だ。思うに、あれは性格だろう。彼の書く推理小説は伏線がばっちりで、回収に怠りない。完璧主義がセックスにも出ているに違いない。濃密なものが全て良し、とは言わないが、由多花は少しも自分に乱暴しない松岡さんが好きだった。
ときに、彼がその長い指や、男性器官を由多花の中で どう動かしているのかと不思議に思って見てみようと思ったが さすがに直視は出来ずに終わった。
一度、由多花ばっかり気持ちいいのかと気になって聞いてみたらば 松岡さんも由多花とのセックスは気に入っている、と答えた。 のみこみがいいから、と。
それを聞いて由多花の脳裏に 処女厨という単語が浮かんだのは内緒だ。



「確か、初心者同士は後背位がいいらしいわ」
いつもの冴えない喫茶店で、由多花は友人の沙菜と二人顔突き合わせて甘いパフェを食べる。とても楽しい。
沙菜とはここまであけすけな話が出来るのがいい。
沙菜は五月に入ってから彼氏と同棲を始めた。気が合うな。沙菜が男だったら、運命かと思うわ。
「…後背位? どうして?」
「なんかね、場所がわかりやすいらしいよ。昔、お兄ちゃんのエロ本に書いてあった」
そーか。松岡さんが経験者で良かった、と心底思った。初っぱなからソレだったら、由多花にはハードル高すぎだったと思う。

「今日は恭一くんは?」
「バイト。帰りに車で拾ってくれるから、由多花は気にしないで帰っていいよ。TVあるでしょ」
「うん、松岡さんも待っているし」
「なんか、ラブラブじゃん。まさか、由多花が行きずりの男と同棲するとは思わなかったわ」
「私も」
今日はチョコレートサンデー。生クリームがたまりません。
沙菜が頼んだフルーツパフェも美味しそう。この店は地味にデザートが美味しいのだ。
「えっちの相性って大切らしいから、まあ、いんじゃない? きっかけがそれでも」
「うん、お互い、特に生活スタイルにも不満ないんだ」
「しかし、由多花は本当、イケメンとご縁があるのね。いいなぁ」
沙菜が心から羨ましそうに呟く。彼女はジャニオタだ。面食いだ。しかし、恭一くんとは顔でなく性格で付き合っている。由多花は少し、そういう恋愛の出来る沙菜に憧れる。

ちなみに沙菜のお母さんは往年の大アイドルの大ファンで、お父さんとの結婚の条件が年に一回のディナーショーに行くのだけは邪魔しないというものらしい。
今年もそのために買ったとびきりのドレスでそのショーにお出掛けするという。
――素晴らしい。私、お母さんとも友達になりたい。

「恭一くんは優しいじゃん」
「その松岡さんとやらは優しくないの?」
由多花はバナナを口にする。

「…優しいよ」

ホラー、と沙菜はスプーンで由多花のサンデーを一口持って行った。たっぷりの生クリームを。
「障害がないなら、結婚も視野に入れているの?」
沙菜のこの一言に由多花は瞠目する。そんな由多花に沙菜は不思議そうに言う。
「だって、相手は〝結婚〟したい人なんでしょう?」

由多花は言われて初めて気がついた。
― 結婚 ―。
そうだ、松岡さんは年齢のことを気にしていた。
でも――。

「……松岡さんが結婚したかったのは、前の恋人さんだよ……」

そう、由多花、では――ないのだ。

なんという、大いなる、障害!




そうだ。
誰でもいいなら、きっと松岡さんなら とっくのとうに結婚している。年齢もそこそこ、収入は問題ない。性格は まあ、俺様だけど、大問題、というほどではない。
今まで、結婚を待っていたのは、付き合っていた林さんが学生だったからじゃないかと思う。

――つまり、待てるだけ、林さんが好きだったんでしょうよ。そうでしょうよ。

帰りの道々、由多花はやさぐれた気持ちで毒づいた。
最初に会った時、松岡さんが とてもお酒に酔っていたのを思い出す。
もともと、あんなに飲む人じゃなかったんだというのは、同居を始めて気がついた。
あの日、由多花の呪われた日、同じように、松岡さんも呪われていたのかもしれない。
はぁ、とため息つく。
ため息は嫌いなのに。幸せが逃げるから。

地下のタワーへの通路の入り口で、駅への人波を見つめて ぽつんと一人、立ち尽くす。

松岡さんを信じればいいのだ、と奮い立たせるが彼女の顔を思い浮かべると いつか、この見慣れた光景も、また彼女のものになるのではないかという不安と焦燥に駆られる。
全てが彼女のためのものだったのに、たまたま、その空いた席に由多花は座ってしまった。
けれど、それは指定席ではないの。
松岡さんは由多花との生活を気に入っているが、一度も由多花は彼から聞かない。
陳腐なあの言葉を。
それがひどく悲しく、由多花の心を苛むのだ。

好き。

それは何度か聞いている。

由多花とのセックスが好き。
由多花の料理が好き。
由多花の顔が好き。

でも、それなら、それはミサトさんへの好きとたいして変わらないでしょう。

好き。

由多花も彼にそれ以外言っていない。

きっと、愛しているという言葉は、今の二人には重くて不似合いなのだと、由多花は思う。
――いいじゃない、時間がきっと解決してくれる。
そう、いつもの楽観的な由多花が顔を出すが、時間によって、松岡さんの傷が埋められたとき、そこに由多花は必要ないのではないかと、天変地異を信じる別の由多花がささやいた。




会社での由多花の生活は特に変わりなく過ぎていった。
浅田さんが毎日 今北を昼に誘いに来るが今北はそれをやんわり断る、の繰り返しで進展はない。
浅田さんは断った今北本人ではなく、由多花を睨む。そして、今北が由多花にごめん、と紅茶の缶を奢る。
最近は松岡さんとの生活ですっかりコーヒー党になったので、今北に今度奢ってくれるときはコーヒーにしてくれと頼んだ頃、浅田さんが林さんを連れて今北を誘いに来た。

…久しぶりに見た林さんはかなりやつれていて、今北は絶句し、由多花も動揺した。

「林さん、全然食べないんだもん。やせちゃって心配で…。皆とおしゃべりしながら食べたら、少しは食欲 出るかなぁって、連れて来ちゃった」
そう言って、彼女は手作り弁当をかざした。
おい、ここで食べる気か、と由多花は焦る。外は雨。退路がないんですけど!

「ダイエット、失敗しちゃって」
えへ、と笑う林さんは痛々しい。
由多花がチラチラ今北を見咎め、さすがに今北も空気を読んだ。
「じゃ、じゃあ、食堂で皆で浅田さんのお弁当食べようか…」
「よかったぁ。じゃあ、行こう、林さん」
林さんは困ったような笑顔を見せた。そして、由多花を見て会釈する。

(すごいわ、浅田さん。ついに捕獲しおったわ)

しかし、これは完全に林さんと今北の噂は聞いていないのだな。いや、聞いていても無視なのかしら。
そう考えたところで由多花は席を立ち、お茶を淹れようとしたところ、まだ扉の前に林さんがいることに気がついた。
彼女は小さく逡巡している。
けれど、意を決したかのように口にした。

「あの…。り、涼、元気ですか…?」

背筋が凍った。

会社で、この気の弱い林さんが松岡さんの話題を出すとは考えていなかった。
ごくり、と喉を鳴らし、由多花は笑顔を作る。

「元気」

ようやく、それだけ言えた。
全身を見ると林さんはスカートからのぞく太ももまで一回り細くなっているような気がした。
「…そうですか…」
そう言うと彼女は踵を返す。
早く、とせかす浅田さんの弾んだ声をそこに残し、三人は情報課から出て行った。


「はあああああ~」
緊張から動悸が大きくなっている。

…こ・わ・か・っ・た…!

そう。
本当に怖いのは林さん。
林さんの、あの頼りなさが、いつか、また、台風の目になりそうで。

貴女の場所はもうないの。
貴女が自分で壊したの。

でも、他人の未来を壊すことすら、林さんはあの頼りなさで出来てしまいそうな気がするの。

ふと、疑問が浮かぶ。これは、由多花がもしかしたら、ずっと不思議に思っていたこと。

――……林さんはどうして、浮気なんか、したんだろ……。
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