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林七穂
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大学では涼は実家を離れ、一人暮らしを始めた。
女子、は女性に変わり、今までのような陰湿さは影を潜めたように思う。
護人はその頃から綾世と付き合い始め、綾世の友達の美里は今まで涼が付き合った女子同様、美人で付き合いやすい女だった。
そして、彼女と恋人になることはないな、と涼は思った。
高校時代の過ちは二度としないと思っていた。
大学では個人トレーダーをしていた義父の影響もあって金融関係の職業に就こうと思っていた。
そして、昔からこっそり書いていた小説を投稿したり、とても恋愛にかまける時間はなかった。
それでも、涼に告白する女の子はいたし、可愛いと思える子とも年相応にそれなりに付き合った。
それから、密かにアイドルグループに夢中になった。
時間がないのでDVDやCDを買うだけだったが、彼女らのあの一生懸命な姿勢は、初恋の彼女を思い起こされた。
恋人との付き合いは、涼なりに大切にしていたつもりだったが、結局、会えない時間が別れを決めた。
そして、就職が決まった頃、妹の小夜子は中学生になっていた。
その頃、家に帰るたび、小夜子の同級生と顔を合わせた。
ひどく びくびくとした、大人しい女の子だった。
「親友なの」
小夜子が彼女を気に入っているのがわかった。
妹の小夜子は美人で気が強かった。小学生の頃、その顔のせいで苛められたとき、取っ組み合いの喧嘩もやらかした。
女の子なんだから、と諭すと女の子だから、余計に嘗められるんだよ! 男にも腕力で負けないって知らしめなきゃ、と豪語した。
正直、怖かった。どんなに腕力に自信があっても女は女なのだ。いずれ成長すれば男に力では かなわなくなる。
それを自覚しなければ、美人であるだけに危険が増える。
そんな小夜子にその大人しい同級生はいい影響を与えてくれた。
「小夜ちゃん、もう少し優しい言い方した方がいいよ。男子と女子が仲悪いとクラスだってまとまらないよ」
「小夜ちゃん、スカートなんだから、もっとそっと座らないとめくれちゃうよ。男の子はそういうの見てドキドキしちゃうんだよ。こっちもそういうの、礼儀として少しは思いやらなきゃ…」
七穂はそういう、小夜子に欠けている〝女性らしさ〟を既に持っている女の子だった。
七穂に言われたから、とノーブラにTシャツで外に出ることもしなくなったし、スカートをはいたまま、ジャングルジムに昇って逆上がりもしなくなった。するときは必ずジャージを穿いていた。
苦笑することもあったが、小夜子が自分の身を守る術を、この気の強い子にうまく伝えてくれる七穂という同級生に涼は感謝していた。
就職する少し前、小説が認められ出版することになった。
そのとき、お祝いしようと小夜子は久しぶりに帰ってきた兄に言った。
そして、家族での祝いの席に七穂も誘っていた。涼はそれに驚いた。
だが、それからも、なにかにつけて小夜子は七穂を呼び出していた。
あるとき、つい口を出してしまったときがある。二人が大学受験を控えている頃だったろう。
涼はその頃、実家に戻り、同じ証券会社の後輩と付き合っていて、結婚も考えていた時期だった。
「七穂ちゃん、小夜子に引っ張りまわされているんじゃないか? あいつはああいうヤツだから、嫌なことは嫌だと言っていいんだから」
その言葉に七穂はびくりとすくむが強い口調で いつもは目も合わさない涼に言う。
「ううん。小夜ちゃんは私の嫌なことなんて絶対しない子です。だから…。私がこうして…小夜ちゃんのおうちに遊びに来るのは…。私が…、涼さんに会いたいからです」
――驚かされた。
そして、曖昧に笑ってやり過ごすことにした。
小夜子にとって、七穂はいい友達で、その友情に自分が水を差しては決していけないと思ったから――。
結局 付き合っていた後輩には、またしても振られた。
綾世と家庭を持っていた護人に付き合ってもらって憂さ晴らしして、すっぱり忘れることにした。
結婚というものは、きっと、時期があるのだろう。
一年後、七穂は地元の女子大に、小夜子は実家から離れた大学に進むことになり、当分、七穂もうちに来ないだろうと、彼女と顔を合わせずに済むと思うと少しホッとした。
けれど、父親と決めた学生会館に下宿することになった小夜子は、荷物をまとめながら涼に言う。
「お兄ちゃん、七穂と付き合ってよ」
いきなり、直球だった。
「バカ言え、九歳年下だろ。お前と同い年なんだから」
だって、と小夜子は言う。
「…心配なんだもの。お兄ちゃんも、七穂も。七穂は綺麗だから男の子にモテるけど、苦手なんだよ、そういうの。…恋愛の競争っていうの? お兄ちゃんがライバルなら、大抵の男は負けを認めるから、虫除けにいいなーって」
そのとき、自分の学生時代を思い出した。
ああ、そうだな。恋愛の競争は難しいよな、と。
「俺も苦手なんだけどな」
「お兄ちゃんは完璧よ」
妹のブラコンぶりに多少引くが、涼も大概シスコンなので人のことは言えない。
小夜子が地元を離れてから、たびたび涼は七穂を誘った。
付き合う云々は抜きにして、小夜子の心配を減らすために、彼女の周囲に少し気を配った。
七穂に期待を抱かせないために その旨は伝えたが、それでも嬉しいと言う七穂に次第に情が移ったのも確かだった。
ゆるやかに蛇行する道を二人でよくドライブに出掛けた。彼女と小夜子の話をしながら。二人の共通の話題はいつもそれだった。今思えばそれはとても不自然だったのかもしれない。
それでも、そのゆるやかな時間は嫌いではなかった。
七穂と結婚して、そういう時間が過ごせるのならそれでいいような気がしていた。
昔抱いたような初恋の想いはもうなくても、それでも、自分は結構幸せなのだ、と思っていた。
その気持ちに小さな漣をもたらしたのは、たった一人のアイドルだった。
もともと楽曲重視でアイドルの曲を聴いていた。
なので、今まで好きだったグループの楽曲が荒れてきた頃から 涼はアイドルから離れていた。
七穂が卒業まであと少し、という頃、気まぐれで買ったCDが当たりで、涼はそのアイドルグループを知りたくなった。ライブDVDで、その子を見つけた。
『いつも、一生懸命、マミナです!』
おいおい、それがキャッチコピーか、ひねろ、と思わず突っ込みを入れたくなるようなコピーを堂々というその子に涼は惹かれた。
甘い雰囲気、カールした髪、けれど、確かにコピー通り、一生懸命なのだ。TVではほとんど観ることは出来ない子だったが、その子は少しあの初恋のあの子に似ていた。
――胸がドキドキとした。
今更ながら、こんな子供にそういう気持ちを抱いている自分を発見した。
自分が、浮気をしているような錯覚さえしていた。
勿論、それは錯覚だ。
だが、七穂には秘密にした。
それから、七穂の卒業と同時に結婚したい、と電話で彼女に伝えた。
七穂は戸惑っていたようだ。
涼にはその反応が意外だった。
「――俺たち、付き合っていると思っていたんだけど?」
順を追って、付き合いを深めていたつもりだった。セックスすれば恋人だとは思わないが、お互い、遊びで出来る人間じゃない、と信じていた。
「そうだけど…。私、就職も決まっているし、――…急だわ。ねえ、涼、涼は今すぐ結婚したいだけなんでしょ」
「今すぐってわけじゃないけど、結婚はしたいな。ただ、俺の年齢のこともあるかな。もう、三十二だしな。嫌なら嫌って言えよ」
七穂は困った声をする。
「――嫌…じゃないけど…」
「じゃ、決まりな。まあ、同時は無理でも六月くらいには入籍しよう。新居は決めておく。式はお前に任すから、お前の都合のいいときに。予定、空けるから。悪い、俺、来週締め切りだから、しばらく連絡できない。じゃあな」
そのときも、涼は多分、いつもと同じ間違いをしていることに気がつかなかった。
なので、切り際に いつも一方的なんだから、という彼女の愚痴も聞こえなかった。
それから何度か会ったが七穂は今ひとつ、結婚に乗り気ではなさそうだった。それはさすがの涼にも雰囲気で伝わった。
小夜子が涼を咎めるので、涼も少し彼女の気持ちを優先しようと思った。
四月に入るまで、涼と七穂は会う時間が極端に少なくなっていた。
それは あまり涼は気にならなかった。いつものことだと思っていた。
ただ、いつもは涼の都合で、たまたま最近は七穂の都合で会えないだけだと思っていた。
なので、その告白は青天の霹靂だった。
七穂は涼に話があるからと、レストランで食事しようと彼女の指定した店に呼び出した。
いつもは涼が彼女がここなら喜ぶだろうと選んだ店で会うので、自己主張の控えめな七穂にしては珍しい、と涼は思った。
イタリアンのその店の予約した個室で、二人食事を終えた後、七穂は思いつめた顔で告解を始めた。
「…私、涼…以外の人と…寝たの…!」
――涼は自分の耳を疑った。
女子、は女性に変わり、今までのような陰湿さは影を潜めたように思う。
護人はその頃から綾世と付き合い始め、綾世の友達の美里は今まで涼が付き合った女子同様、美人で付き合いやすい女だった。
そして、彼女と恋人になることはないな、と涼は思った。
高校時代の過ちは二度としないと思っていた。
大学では個人トレーダーをしていた義父の影響もあって金融関係の職業に就こうと思っていた。
そして、昔からこっそり書いていた小説を投稿したり、とても恋愛にかまける時間はなかった。
それでも、涼に告白する女の子はいたし、可愛いと思える子とも年相応にそれなりに付き合った。
それから、密かにアイドルグループに夢中になった。
時間がないのでDVDやCDを買うだけだったが、彼女らのあの一生懸命な姿勢は、初恋の彼女を思い起こされた。
恋人との付き合いは、涼なりに大切にしていたつもりだったが、結局、会えない時間が別れを決めた。
そして、就職が決まった頃、妹の小夜子は中学生になっていた。
その頃、家に帰るたび、小夜子の同級生と顔を合わせた。
ひどく びくびくとした、大人しい女の子だった。
「親友なの」
小夜子が彼女を気に入っているのがわかった。
妹の小夜子は美人で気が強かった。小学生の頃、その顔のせいで苛められたとき、取っ組み合いの喧嘩もやらかした。
女の子なんだから、と諭すと女の子だから、余計に嘗められるんだよ! 男にも腕力で負けないって知らしめなきゃ、と豪語した。
正直、怖かった。どんなに腕力に自信があっても女は女なのだ。いずれ成長すれば男に力では かなわなくなる。
それを自覚しなければ、美人であるだけに危険が増える。
そんな小夜子にその大人しい同級生はいい影響を与えてくれた。
「小夜ちゃん、もう少し優しい言い方した方がいいよ。男子と女子が仲悪いとクラスだってまとまらないよ」
「小夜ちゃん、スカートなんだから、もっとそっと座らないとめくれちゃうよ。男の子はそういうの見てドキドキしちゃうんだよ。こっちもそういうの、礼儀として少しは思いやらなきゃ…」
七穂はそういう、小夜子に欠けている〝女性らしさ〟を既に持っている女の子だった。
七穂に言われたから、とノーブラにTシャツで外に出ることもしなくなったし、スカートをはいたまま、ジャングルジムに昇って逆上がりもしなくなった。するときは必ずジャージを穿いていた。
苦笑することもあったが、小夜子が自分の身を守る術を、この気の強い子にうまく伝えてくれる七穂という同級生に涼は感謝していた。
就職する少し前、小説が認められ出版することになった。
そのとき、お祝いしようと小夜子は久しぶりに帰ってきた兄に言った。
そして、家族での祝いの席に七穂も誘っていた。涼はそれに驚いた。
だが、それからも、なにかにつけて小夜子は七穂を呼び出していた。
あるとき、つい口を出してしまったときがある。二人が大学受験を控えている頃だったろう。
涼はその頃、実家に戻り、同じ証券会社の後輩と付き合っていて、結婚も考えていた時期だった。
「七穂ちゃん、小夜子に引っ張りまわされているんじゃないか? あいつはああいうヤツだから、嫌なことは嫌だと言っていいんだから」
その言葉に七穂はびくりとすくむが強い口調で いつもは目も合わさない涼に言う。
「ううん。小夜ちゃんは私の嫌なことなんて絶対しない子です。だから…。私がこうして…小夜ちゃんのおうちに遊びに来るのは…。私が…、涼さんに会いたいからです」
――驚かされた。
そして、曖昧に笑ってやり過ごすことにした。
小夜子にとって、七穂はいい友達で、その友情に自分が水を差しては決していけないと思ったから――。
結局 付き合っていた後輩には、またしても振られた。
綾世と家庭を持っていた護人に付き合ってもらって憂さ晴らしして、すっぱり忘れることにした。
結婚というものは、きっと、時期があるのだろう。
一年後、七穂は地元の女子大に、小夜子は実家から離れた大学に進むことになり、当分、七穂もうちに来ないだろうと、彼女と顔を合わせずに済むと思うと少しホッとした。
けれど、父親と決めた学生会館に下宿することになった小夜子は、荷物をまとめながら涼に言う。
「お兄ちゃん、七穂と付き合ってよ」
いきなり、直球だった。
「バカ言え、九歳年下だろ。お前と同い年なんだから」
だって、と小夜子は言う。
「…心配なんだもの。お兄ちゃんも、七穂も。七穂は綺麗だから男の子にモテるけど、苦手なんだよ、そういうの。…恋愛の競争っていうの? お兄ちゃんがライバルなら、大抵の男は負けを認めるから、虫除けにいいなーって」
そのとき、自分の学生時代を思い出した。
ああ、そうだな。恋愛の競争は難しいよな、と。
「俺も苦手なんだけどな」
「お兄ちゃんは完璧よ」
妹のブラコンぶりに多少引くが、涼も大概シスコンなので人のことは言えない。
小夜子が地元を離れてから、たびたび涼は七穂を誘った。
付き合う云々は抜きにして、小夜子の心配を減らすために、彼女の周囲に少し気を配った。
七穂に期待を抱かせないために その旨は伝えたが、それでも嬉しいと言う七穂に次第に情が移ったのも確かだった。
ゆるやかに蛇行する道を二人でよくドライブに出掛けた。彼女と小夜子の話をしながら。二人の共通の話題はいつもそれだった。今思えばそれはとても不自然だったのかもしれない。
それでも、そのゆるやかな時間は嫌いではなかった。
七穂と結婚して、そういう時間が過ごせるのならそれでいいような気がしていた。
昔抱いたような初恋の想いはもうなくても、それでも、自分は結構幸せなのだ、と思っていた。
その気持ちに小さな漣をもたらしたのは、たった一人のアイドルだった。
もともと楽曲重視でアイドルの曲を聴いていた。
なので、今まで好きだったグループの楽曲が荒れてきた頃から 涼はアイドルから離れていた。
七穂が卒業まであと少し、という頃、気まぐれで買ったCDが当たりで、涼はそのアイドルグループを知りたくなった。ライブDVDで、その子を見つけた。
『いつも、一生懸命、マミナです!』
おいおい、それがキャッチコピーか、ひねろ、と思わず突っ込みを入れたくなるようなコピーを堂々というその子に涼は惹かれた。
甘い雰囲気、カールした髪、けれど、確かにコピー通り、一生懸命なのだ。TVではほとんど観ることは出来ない子だったが、その子は少しあの初恋のあの子に似ていた。
――胸がドキドキとした。
今更ながら、こんな子供にそういう気持ちを抱いている自分を発見した。
自分が、浮気をしているような錯覚さえしていた。
勿論、それは錯覚だ。
だが、七穂には秘密にした。
それから、七穂の卒業と同時に結婚したい、と電話で彼女に伝えた。
七穂は戸惑っていたようだ。
涼にはその反応が意外だった。
「――俺たち、付き合っていると思っていたんだけど?」
順を追って、付き合いを深めていたつもりだった。セックスすれば恋人だとは思わないが、お互い、遊びで出来る人間じゃない、と信じていた。
「そうだけど…。私、就職も決まっているし、――…急だわ。ねえ、涼、涼は今すぐ結婚したいだけなんでしょ」
「今すぐってわけじゃないけど、結婚はしたいな。ただ、俺の年齢のこともあるかな。もう、三十二だしな。嫌なら嫌って言えよ」
七穂は困った声をする。
「――嫌…じゃないけど…」
「じゃ、決まりな。まあ、同時は無理でも六月くらいには入籍しよう。新居は決めておく。式はお前に任すから、お前の都合のいいときに。予定、空けるから。悪い、俺、来週締め切りだから、しばらく連絡できない。じゃあな」
そのときも、涼は多分、いつもと同じ間違いをしていることに気がつかなかった。
なので、切り際に いつも一方的なんだから、という彼女の愚痴も聞こえなかった。
それから何度か会ったが七穂は今ひとつ、結婚に乗り気ではなさそうだった。それはさすがの涼にも雰囲気で伝わった。
小夜子が涼を咎めるので、涼も少し彼女の気持ちを優先しようと思った。
四月に入るまで、涼と七穂は会う時間が極端に少なくなっていた。
それは あまり涼は気にならなかった。いつものことだと思っていた。
ただ、いつもは涼の都合で、たまたま最近は七穂の都合で会えないだけだと思っていた。
なので、その告白は青天の霹靂だった。
七穂は涼に話があるからと、レストランで食事しようと彼女の指定した店に呼び出した。
いつもは涼が彼女がここなら喜ぶだろうと選んだ店で会うので、自己主張の控えめな七穂にしては珍しい、と涼は思った。
イタリアンのその店の予約した個室で、二人食事を終えた後、七穂は思いつめた顔で告解を始めた。
「…私、涼…以外の人と…寝たの…!」
――涼は自分の耳を疑った。
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