11 / 30
11 水車の修理
しおりを挟む
私は、屋敷の奥にある石壁の書き物部屋に移動した。
ここは領地管理(※年貢・地代の記録)をしたり、聖書や祈祷書を読むための部屋だ。
木箱をひらけて、魔法科学の研究記録を書いた紙を取り出した。
14世紀以降、紙は羊皮紙ではないものが徐々に普及しているけれど、まだまだ値段は高価だ。
紙は現代のような木材パルプではなく、使い古した衣類が原料。
中世の紙は布由来の手漉き紙で、白くはなく薄茶色。
ページを開くと、黒い炭筆と褐色に変色したインクで書かれたラテン語と俗語(※トスカーナ方言のイタリア語)が並んでいる。
インクは鉄胆汁液で作られているため、時間が経過するほど酸化して、ところどころ紙を焼いたような小さな穴があいていた。
紙を見ていると、ルカが部屋に入ってきた。
「むずかしそうなことしてるな」
彼は私のすぐ横に顔をよせて、手もとをのぞきこんでくる。
距離の近さに、私は一瞬フリーズしてから、深くため息をついた。
「ち、近いですよ、ルカ」
「すまん。なにをしているのか気になってな。嫌だったか?」
「い、いえ。びっくりしただけで、べつに嫌というわけでは……」
「それは魔法科学に関した記録か?」
「はい、そうですよ」
言いながら、私は内心首をかしげる。
……距離が近すぎて、緊張で集中力がきれてもおかしくないはずなのに。
むしろ、落ち着いてる……?
私は紙に書かれた文字を眺めながら、思考をまとめる。
「この魔法科学を使うには、まずは村の水車を修理しなければなりません。
水車は、アレッシオ公子側の兵士に壊されたままになっているんです」
「水車まで壊されていたのか」
「政治的な見せしめです。メディチ家の支配に逆らえばこうなる、って民に知らせるための。
軽い損壊なら農民でも直せますが……軸と歯車は専門の工人が必要です。でも、領地には今、その人手もお金もありません」
「なら、俺が村の男たちを集めて水車を直す。戦場では投石機も作る。木も滑車も扱いは同じだ。軸をかえて石臼を焼き直せば、まだ使える」
「いいんですか? 修理をおねがいしても」
「ああ。剣じゃなく、腕と背で守るのも悪くないからな」
ルカは笑って、私の頭を軽くなでた。
◇
次の日、私とルカは領地にある水車の様子を見に行った。
アルノ川の支流にかかる水車小屋は、壁の半分が砕けていた。
公爵の兵たちは、この地を荒らし、水車を打ち壊し、ブドウ畑を踏みにじったのだ。
水車の車輪を支える梁は折れ、鉄の軸は泥に沈んでいる。
かつて粉を挽いた音は消え、川辺にはただ濁った水の流れる音だけが残っていた。
16世紀のイタリア・トスカーナでは、水車は領地をささえる要だった。
小麦を粉にひく『粉ひき小屋』は、村とパンをつなぐ命綱のようなもの。
水車が止まってしまえば、人々は手で回す臼で粉を挽くしかなくなる。
そうなると粉づくりは遅れ、暮らし全体の調子も狂いはじめる。
村の粉ひき小屋を見れば、そこも壊されており、石臼は泥と折れた木材の下に半ば埋もれていた。
老いた粉挽き職人が、土にまみれた手で顔を覆い、押し殺した声で言った。
「水車は流れもとまっちまって、臼もこわされた。粉が挽けねえんです。
だからパンも焼けません。……子どもらは、三日も薄い粥だけで過ごしてる」
私は壊れた水車と、川の水面を見つめた。
ふと、粉ひき職人たちが口ずさんでいた労働歌を思い出す。
父の代には、水車の板がきしむ音に合わせて、粉ひきたちは声をそろえるでもなく、低く歌を唄っていた。
もう、あの光景を見ることはできないのかしら……。
ルカが「俺が指示を出す」と言い、肩のマントを外して腕まくりをする。
そして、彼は指揮をとりはじめた。
梁の固定や水門の開閉などの力仕事を農民たちに割り振り、川の流速を確かめながら、水門の角度を短く指示する。
私も裾をたくし上げ、泥の中へ入った。
折れた羽根板の破片を拾い、釘を農民たちへ渡し、ぬれた縄を押さえる。
領主の娘が修理作業を手伝うだなんて、めずらしいことだ。
村人たちが驚いたようにこちらを見たが、誰も止めなかった。
ルカは剣の代わりに木槌を持ち、鉄環を打ち込み、外輪を組み直していった。
「水門を半分閉じろ。流れが強すぎる。おまえたちは縄を回せ、梁を支えろ」
若い農夫が丸太をかつぎ、女たちは泥を掻き出す。
川風に混じるのは、この地で生きていこうとする人々の声だった。
ここは領地管理(※年貢・地代の記録)をしたり、聖書や祈祷書を読むための部屋だ。
木箱をひらけて、魔法科学の研究記録を書いた紙を取り出した。
14世紀以降、紙は羊皮紙ではないものが徐々に普及しているけれど、まだまだ値段は高価だ。
紙は現代のような木材パルプではなく、使い古した衣類が原料。
中世の紙は布由来の手漉き紙で、白くはなく薄茶色。
ページを開くと、黒い炭筆と褐色に変色したインクで書かれたラテン語と俗語(※トスカーナ方言のイタリア語)が並んでいる。
インクは鉄胆汁液で作られているため、時間が経過するほど酸化して、ところどころ紙を焼いたような小さな穴があいていた。
紙を見ていると、ルカが部屋に入ってきた。
「むずかしそうなことしてるな」
彼は私のすぐ横に顔をよせて、手もとをのぞきこんでくる。
距離の近さに、私は一瞬フリーズしてから、深くため息をついた。
「ち、近いですよ、ルカ」
「すまん。なにをしているのか気になってな。嫌だったか?」
「い、いえ。びっくりしただけで、べつに嫌というわけでは……」
「それは魔法科学に関した記録か?」
「はい、そうですよ」
言いながら、私は内心首をかしげる。
……距離が近すぎて、緊張で集中力がきれてもおかしくないはずなのに。
むしろ、落ち着いてる……?
私は紙に書かれた文字を眺めながら、思考をまとめる。
「この魔法科学を使うには、まずは村の水車を修理しなければなりません。
水車は、アレッシオ公子側の兵士に壊されたままになっているんです」
「水車まで壊されていたのか」
「政治的な見せしめです。メディチ家の支配に逆らえばこうなる、って民に知らせるための。
軽い損壊なら農民でも直せますが……軸と歯車は専門の工人が必要です。でも、領地には今、その人手もお金もありません」
「なら、俺が村の男たちを集めて水車を直す。戦場では投石機も作る。木も滑車も扱いは同じだ。軸をかえて石臼を焼き直せば、まだ使える」
「いいんですか? 修理をおねがいしても」
「ああ。剣じゃなく、腕と背で守るのも悪くないからな」
ルカは笑って、私の頭を軽くなでた。
◇
次の日、私とルカは領地にある水車の様子を見に行った。
アルノ川の支流にかかる水車小屋は、壁の半分が砕けていた。
公爵の兵たちは、この地を荒らし、水車を打ち壊し、ブドウ畑を踏みにじったのだ。
水車の車輪を支える梁は折れ、鉄の軸は泥に沈んでいる。
かつて粉を挽いた音は消え、川辺にはただ濁った水の流れる音だけが残っていた。
16世紀のイタリア・トスカーナでは、水車は領地をささえる要だった。
小麦を粉にひく『粉ひき小屋』は、村とパンをつなぐ命綱のようなもの。
水車が止まってしまえば、人々は手で回す臼で粉を挽くしかなくなる。
そうなると粉づくりは遅れ、暮らし全体の調子も狂いはじめる。
村の粉ひき小屋を見れば、そこも壊されており、石臼は泥と折れた木材の下に半ば埋もれていた。
老いた粉挽き職人が、土にまみれた手で顔を覆い、押し殺した声で言った。
「水車は流れもとまっちまって、臼もこわされた。粉が挽けねえんです。
だからパンも焼けません。……子どもらは、三日も薄い粥だけで過ごしてる」
私は壊れた水車と、川の水面を見つめた。
ふと、粉ひき職人たちが口ずさんでいた労働歌を思い出す。
父の代には、水車の板がきしむ音に合わせて、粉ひきたちは声をそろえるでもなく、低く歌を唄っていた。
もう、あの光景を見ることはできないのかしら……。
ルカが「俺が指示を出す」と言い、肩のマントを外して腕まくりをする。
そして、彼は指揮をとりはじめた。
梁の固定や水門の開閉などの力仕事を農民たちに割り振り、川の流速を確かめながら、水門の角度を短く指示する。
私も裾をたくし上げ、泥の中へ入った。
折れた羽根板の破片を拾い、釘を農民たちへ渡し、ぬれた縄を押さえる。
領主の娘が修理作業を手伝うだなんて、めずらしいことだ。
村人たちが驚いたようにこちらを見たが、誰も止めなかった。
ルカは剣の代わりに木槌を持ち、鉄環を打ち込み、外輪を組み直していった。
「水門を半分閉じろ。流れが強すぎる。おまえたちは縄を回せ、梁を支えろ」
若い農夫が丸太をかつぎ、女たちは泥を掻き出す。
川風に混じるのは、この地で生きていこうとする人々の声だった。
0
あなたにおすすめの小説
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
悪役令嬢だけど、私としては推しが見れたら十分なんですが?
榎夜
恋愛
私は『花の王子様』という乙女ゲームに転生した
しかも、悪役令嬢に。
いや、私の推しってさ、隠しキャラなのよね。
だから勝手にイチャついてて欲しいんだけど......
※題名変えました。なんか話と合ってないよねってずっと思ってて
聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!?
元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→
AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」
ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。
お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。
しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。
そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。
お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。
結婚前夜に婚約破棄されたけど、おかげでポイントがたまって溺愛されて最高に幸せです❤
凪子
恋愛
私はローラ・クイーンズ、16歳。前世は喪女、現世はクイーンズ公爵家の公爵令嬢です。
幼いころからの婚約者・アレックス様との結婚間近……だったのだけど、従妹のアンナにあの手この手で奪われてしまい、婚約破棄になってしまいました。
でも、大丈夫。私には秘密の『ポイント帳』があるのです!
ポイントがたまると、『いいこと』がたくさん起こって……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる