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10 成長した子供たち
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ちょうど土間の掃除を終えたころ、オーク材の厚板を木釘だけで留めた素朴な玄関扉が、コンコン、と控えめに叩かれた。
「アーデル、いるかしら?」
扉は重く、湿った冬の空気を押し返すようにギィときしんだ。
そこから中へ入ってきたのは――農夫ヨハンの娘、マチルダ。
マチルダは二十歳を少し過ぎた頃の、健康的な若い女性だ。
小麦色の髪を三つ編みにして後ろで結い、羊毛のショールを肩に巻いている。
冬の外気で頬が赤く染まり、瞳は琥珀色にきらめいていた。
彼女は、私の大切な友人でもある。
「じつはね、村の教会を掃除しないといけないんだけど……。
ハイン爺がね、人手不足だって言うのよ。
だから、アーデルんとこの強い息子たちにも手伝ってほしくてさ」
ハイン爺――ハインリヒ老人は、領主から任命された役人だ。
中世ドイツの村には現代のような『村長』はいなかったが、その代わりに領主の代理として仕事をする者が置かれていた。
ヨハンの家も私の家も、このハイン爺の指示を受けて動くことが多い。
マチルダは、外套を脱ぎながら笑った。
「あんたの息子たち、もう村で評判よ?
“アーデルんちの狼青年は、力が強くて礼儀正しくて、育ての親を溺愛している”ってね」
そう言ってから、彼女はふと私の顔をのぞき込む。
「あなた、ちょっと悩んでる顔してるわね?」
子供たちに反抗期が来ないなんて言ったら、笑われるかしら。
そのとき――
家の外で、荒い足音と笑い声が重なった。
「ただいまーっ!」
土埃をまきあげながら、四人の子供たち――いや、今ではすっかり青年となった精霊犬たちが帰ってきた。
扉を押し開けると、冬の外気と獣の匂い、そして血の匂いがふっと流れ込む。
「アーデルさーんっ!」
一番に飛びついてきたのは、相変わらず甘えん坊のコハクだった。
青年の体になっても、抱きつき方は子犬の時とまるで変わらない。
腕の中に勢いよく体を預け、尻尾をこれでもかと振っている。
「ちょ、コハク! ずるい!」
「先に抱きつくなよ!」
「順番考えろっての!」
残りの三人がわあわあと騒ぎながら土間に雪を散らし、年頃の青年の声で抗議するが、どの顔も楽しげだ。
私の外套にしがみつくコハクは、息を弾ませながら言った。
「ねえ聞いて! 今日、すっごい遠くまで狩りに行ったんだよ!」
「狩りをしてきたの?」
狩猟というのは、領主が管理する森でしかゆるされないのが原則だ。
でも、許可なく勝手に入れば密猟になるし、罰金どころか投獄されることもある。
中世ヨーロッパでは、だれのものでもないように見える森でも、狩猟は自由にできない。
地図に載らない森ですら、かならず誰かのものであり、どこかの権限下に入っている。
現代の「国有林」「公有地」に近い感覚だ。
アオが「大丈夫だよ」と笑う。
「だれにも見つからないように、山を3つこえた場所で狩りをしてきたから」
村の近くでは狩れない。
それは子供でも知っている。
だから彼らは、山を三つ越えたのだ。
そこなら領地の境界があいまいで、見回りが来ない。
気になって、私は問いかけた。
「遠くって……どこまで?」
すると、ギンが落ち着いた声で言う。
「もっと北だよ。山を三つ越えた先の狩場。
ほら、昔キャラバンが通ってた道の周辺」
「……三つも越えたの?」
思わず声が裏返った。
ここから山を三つ越えると言えば、馬ですら丸一日かかる距離だ。
それを走って往復してきたというのだから、精霊犬の身体能力にはやはり人の常識が通じない。
彼らは誇らしげに笑っている。
外套は獣脂と血で汚れ、腰には獲った獲物の毛皮が巻かれていた。
そして、ふと視線が足元へ落ちたとき、私は思わず息を呑んだ。
四人はそれぞれ、よく使い込まれた剣を手にしていた。
ファルシオンという、11~14世紀に西・中央ヨーロッパ全域で使われていた片刃の剣。
中世の農民にとって、剣は“持てるはずのない代物”だ。
価格は羊数十頭分、つまり農民の年収に匹敵する。
戦士階層の証であり、富そのものでもある。
「アーデル、いるかしら?」
扉は重く、湿った冬の空気を押し返すようにギィときしんだ。
そこから中へ入ってきたのは――農夫ヨハンの娘、マチルダ。
マチルダは二十歳を少し過ぎた頃の、健康的な若い女性だ。
小麦色の髪を三つ編みにして後ろで結い、羊毛のショールを肩に巻いている。
冬の外気で頬が赤く染まり、瞳は琥珀色にきらめいていた。
彼女は、私の大切な友人でもある。
「じつはね、村の教会を掃除しないといけないんだけど……。
ハイン爺がね、人手不足だって言うのよ。
だから、アーデルんとこの強い息子たちにも手伝ってほしくてさ」
ハイン爺――ハインリヒ老人は、領主から任命された役人だ。
中世ドイツの村には現代のような『村長』はいなかったが、その代わりに領主の代理として仕事をする者が置かれていた。
ヨハンの家も私の家も、このハイン爺の指示を受けて動くことが多い。
マチルダは、外套を脱ぎながら笑った。
「あんたの息子たち、もう村で評判よ?
“アーデルんちの狼青年は、力が強くて礼儀正しくて、育ての親を溺愛している”ってね」
そう言ってから、彼女はふと私の顔をのぞき込む。
「あなた、ちょっと悩んでる顔してるわね?」
子供たちに反抗期が来ないなんて言ったら、笑われるかしら。
そのとき――
家の外で、荒い足音と笑い声が重なった。
「ただいまーっ!」
土埃をまきあげながら、四人の子供たち――いや、今ではすっかり青年となった精霊犬たちが帰ってきた。
扉を押し開けると、冬の外気と獣の匂い、そして血の匂いがふっと流れ込む。
「アーデルさーんっ!」
一番に飛びついてきたのは、相変わらず甘えん坊のコハクだった。
青年の体になっても、抱きつき方は子犬の時とまるで変わらない。
腕の中に勢いよく体を預け、尻尾をこれでもかと振っている。
「ちょ、コハク! ずるい!」
「先に抱きつくなよ!」
「順番考えろっての!」
残りの三人がわあわあと騒ぎながら土間に雪を散らし、年頃の青年の声で抗議するが、どの顔も楽しげだ。
私の外套にしがみつくコハクは、息を弾ませながら言った。
「ねえ聞いて! 今日、すっごい遠くまで狩りに行ったんだよ!」
「狩りをしてきたの?」
狩猟というのは、領主が管理する森でしかゆるされないのが原則だ。
でも、許可なく勝手に入れば密猟になるし、罰金どころか投獄されることもある。
中世ヨーロッパでは、だれのものでもないように見える森でも、狩猟は自由にできない。
地図に載らない森ですら、かならず誰かのものであり、どこかの権限下に入っている。
現代の「国有林」「公有地」に近い感覚だ。
アオが「大丈夫だよ」と笑う。
「だれにも見つからないように、山を3つこえた場所で狩りをしてきたから」
村の近くでは狩れない。
それは子供でも知っている。
だから彼らは、山を三つ越えたのだ。
そこなら領地の境界があいまいで、見回りが来ない。
気になって、私は問いかけた。
「遠くって……どこまで?」
すると、ギンが落ち着いた声で言う。
「もっと北だよ。山を三つ越えた先の狩場。
ほら、昔キャラバンが通ってた道の周辺」
「……三つも越えたの?」
思わず声が裏返った。
ここから山を三つ越えると言えば、馬ですら丸一日かかる距離だ。
それを走って往復してきたというのだから、精霊犬の身体能力にはやはり人の常識が通じない。
彼らは誇らしげに笑っている。
外套は獣脂と血で汚れ、腰には獲った獲物の毛皮が巻かれていた。
そして、ふと視線が足元へ落ちたとき、私は思わず息を呑んだ。
四人はそれぞれ、よく使い込まれた剣を手にしていた。
ファルシオンという、11~14世紀に西・中央ヨーロッパ全域で使われていた片刃の剣。
中世の農民にとって、剣は“持てるはずのない代物”だ。
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