2 / 40
2 ハウスメイド見習いの仕事
しおりを挟む
家族用の小客間に行くと、同じハウスメイド見習いのエミリーが私に言った。
「おはよう、エマ。私は床を掃除するから、暖炉の火起こし頼むわよ」
エミリーは、ロンドン近郊の生まれ、
都市の労働者階級の娘だ。
都会育ちの彼女は、農村出の私とは違う雰囲気がある。
煤と湯気の中でも乱れないように、金色の髪をきっちりと後ろでまとめ、小さな白いキャップの内側に綺麗に収めている。
対して、私の髪は栗色で、柔らかく波打ち、メイドキャップの下で小さくまとめていても、耳元で細い毛先がこぼれてしまう。
私は「わかったわ」と了承し、灰だらけの暖炉の前に膝をついた。
「じゃあ、さきに暖炉の掃除をすぐに終わらせるわね」
本当なら、火ばさみで昨日の灰を掻き出す必要がある。
でも、それをすると煤が粉のように舞い、せっかく洗ったメイド服がすぐに真っ黒になってしまう。
19世紀イングランドの暖炉は、木材ではなく石炭を使うのが主流。
石炭の灰や煤はとても細かくて、静電気でまとわりつくから、少し動いただけで空気中に広がる。
メイドにとって暖炉の灰は “もっとも避けたい敵” のひとつなのだ。
私は暖炉の灰受け皿を軽く引き出し、昨日の煤に手のひらをかざした。
指先に宿る温かな魔力が灰の中に染み込み、しつこい煤が音もなく崩れ、床へとすとんと落ちていく。
「よし、暖炉の掃除は終わり!」
この異世界には魔法が存在するけれど、19世紀の英国は迷信深い階級も多く、『魔法を使うなど危険だ』と思われやすい。
魔法が使えることがバレたら、私はこの屋敷から追い出されてしまうかもしれない。
私はメイドとしてここで働いていたいのに。
「エミリー。暖炉掃除は終わったよ」
「えっ、もう? あいかわらず、早いわね。エマはいいなあ。灰が全然飛ばないじゃない」
「たまたまうまくいっただけよ」
私は笑って返しながら、鉄格子の上に小さな『焚きつけ(※紙)』と『石炭』をつむ。
こっそり魔法を使うと、魔力が石炭の細かな隙間へしみこんでいく。
黒い塊の石炭が、わずかに乾いたような軽い手触りに変わった。
火口箱の先にマッチを擦ると、ぱちり、と火がつき、焚きつけ用の紙に燃え移った炎は石炭の表面を赤く染めていった。
エミリーがおどろく。
「うそ、もう火がついたの? 料理番だって、火をつけるのは時間かかるのに」
「たまたま、ね。うまくいっただけ」
19世紀に一般的だったビットミナス炭は、表面が燃えつくまで時間がかかり、いきなり火がつかない素材だ。
エミリーは目を丸くしたけど、私はニッコリと笑ってごまかした。
台所に移動すると、巨大な大鍋が待ちかまえていた。
昨夜の肉料理の脂が鍋底で固まっている。
厨房の中心には、腕組みをした男性『ブランチ料理長』が立っている。
背の高い男性フレンチシェフで、声は太く、歩くだけで台所の空気が変わる。
「エマ! その鍋、みがいときな!」
このどなり声には慣れたものだ。
料理長の料理は、貴族の晩餐会で絶賛されるほど。
屋敷の誇りでもある。
「午前中に洗うのを終わらせなきゃ、昼飯が作れないよ!」
「は、はい! ミスター・ブランチ!」
私の目の前にあったのは、底が深いフレンチ式の銅鍋だった。
赤銅色の表面は油と煤で黒ずみ、内側は曇っている。
ブランチ料理長が最も大切にしている鍋。
銅鍋は油汚れがこびりつくと曇り、ピカピカに輝いていないと厨房全体が叱られる。
この時代、フランス料理を出す名料理長は、銅鍋のあつかいにきびしい。
私は桶に水をため、そっと片手を浸し、魔法を使った。
すると、水面が一瞬だけ静かに震え、油の層が薄い筋となって裂けていく。
誰も、見ていないよね……。
急いでブラシでこすり落とすと、みるみる鍋が光を取り戻していく。
ブランチ料理長が振り返り、驚いた顔で言った。
「おや、ずいぶん手際がいいじゃないか」
「えっと、今日は調子がよくて……」
私はぎこちなく笑った。
「おはよう、エマ。私は床を掃除するから、暖炉の火起こし頼むわよ」
エミリーは、ロンドン近郊の生まれ、
都市の労働者階級の娘だ。
都会育ちの彼女は、農村出の私とは違う雰囲気がある。
煤と湯気の中でも乱れないように、金色の髪をきっちりと後ろでまとめ、小さな白いキャップの内側に綺麗に収めている。
対して、私の髪は栗色で、柔らかく波打ち、メイドキャップの下で小さくまとめていても、耳元で細い毛先がこぼれてしまう。
私は「わかったわ」と了承し、灰だらけの暖炉の前に膝をついた。
「じゃあ、さきに暖炉の掃除をすぐに終わらせるわね」
本当なら、火ばさみで昨日の灰を掻き出す必要がある。
でも、それをすると煤が粉のように舞い、せっかく洗ったメイド服がすぐに真っ黒になってしまう。
19世紀イングランドの暖炉は、木材ではなく石炭を使うのが主流。
石炭の灰や煤はとても細かくて、静電気でまとわりつくから、少し動いただけで空気中に広がる。
メイドにとって暖炉の灰は “もっとも避けたい敵” のひとつなのだ。
私は暖炉の灰受け皿を軽く引き出し、昨日の煤に手のひらをかざした。
指先に宿る温かな魔力が灰の中に染み込み、しつこい煤が音もなく崩れ、床へとすとんと落ちていく。
「よし、暖炉の掃除は終わり!」
この異世界には魔法が存在するけれど、19世紀の英国は迷信深い階級も多く、『魔法を使うなど危険だ』と思われやすい。
魔法が使えることがバレたら、私はこの屋敷から追い出されてしまうかもしれない。
私はメイドとしてここで働いていたいのに。
「エミリー。暖炉掃除は終わったよ」
「えっ、もう? あいかわらず、早いわね。エマはいいなあ。灰が全然飛ばないじゃない」
「たまたまうまくいっただけよ」
私は笑って返しながら、鉄格子の上に小さな『焚きつけ(※紙)』と『石炭』をつむ。
こっそり魔法を使うと、魔力が石炭の細かな隙間へしみこんでいく。
黒い塊の石炭が、わずかに乾いたような軽い手触りに変わった。
火口箱の先にマッチを擦ると、ぱちり、と火がつき、焚きつけ用の紙に燃え移った炎は石炭の表面を赤く染めていった。
エミリーがおどろく。
「うそ、もう火がついたの? 料理番だって、火をつけるのは時間かかるのに」
「たまたま、ね。うまくいっただけ」
19世紀に一般的だったビットミナス炭は、表面が燃えつくまで時間がかかり、いきなり火がつかない素材だ。
エミリーは目を丸くしたけど、私はニッコリと笑ってごまかした。
台所に移動すると、巨大な大鍋が待ちかまえていた。
昨夜の肉料理の脂が鍋底で固まっている。
厨房の中心には、腕組みをした男性『ブランチ料理長』が立っている。
背の高い男性フレンチシェフで、声は太く、歩くだけで台所の空気が変わる。
「エマ! その鍋、みがいときな!」
このどなり声には慣れたものだ。
料理長の料理は、貴族の晩餐会で絶賛されるほど。
屋敷の誇りでもある。
「午前中に洗うのを終わらせなきゃ、昼飯が作れないよ!」
「は、はい! ミスター・ブランチ!」
私の目の前にあったのは、底が深いフレンチ式の銅鍋だった。
赤銅色の表面は油と煤で黒ずみ、内側は曇っている。
ブランチ料理長が最も大切にしている鍋。
銅鍋は油汚れがこびりつくと曇り、ピカピカに輝いていないと厨房全体が叱られる。
この時代、フランス料理を出す名料理長は、銅鍋のあつかいにきびしい。
私は桶に水をため、そっと片手を浸し、魔法を使った。
すると、水面が一瞬だけ静かに震え、油の層が薄い筋となって裂けていく。
誰も、見ていないよね……。
急いでブラシでこすり落とすと、みるみる鍋が光を取り戻していく。
ブランチ料理長が振り返り、驚いた顔で言った。
「おや、ずいぶん手際がいいじゃないか」
「えっと、今日は調子がよくて……」
私はぎこちなく笑った。
0
あなたにおすすめの小説
(自称)我儘令嬢の奮闘、後、それは誤算です!
みん
恋愛
双子の姉として生まれたエヴィ。双子の妹のリンディは稀な光の魔力を持って生まれた為、体が病弱だった。両親からは愛されているとは思うものの、両親の関心はいつも妹に向いていた。
妹は、病弱だから─と思う日々が、5歳のとある日から日常が変わっていく事になる。
今迄関わる事のなかった異母姉。
「私が、お姉様を幸せにするわ!」
その思いで、エヴィが斜め上?な我儘令嬢として奮闘しているうちに、思惑とは違う流れに─そんなお話です。
最初の方はシリアスで、恋愛は後程になります。
❋主人公以外の他視点の話もあります。
❋独自の設定や、相変わらずのゆるふわ設定なので、ゆるーく読んでいただけると嬉しいです。ゆるーく読んで下さい(笑)。
【完結】婚約破棄寸前の悪役令嬢は7年前の姿をしている
五色ひわ
恋愛
ドラード王国の第二王女、クラウディア・ドラードは正体不明の相手に襲撃されて子供の姿に変えられてしまった。何とか逃げのびたクラウディアは、年齢を偽って孤児院に隠れて暮らしている。
初めて経験する貧しい暮らしに疲れ果てた頃、目の前に現れたのは婚約破棄寸前の婚約者アルフレートだった。
『悪役令嬢』は始めません!
月親
恋愛
侯爵令嬢アデリシアは、日本から異世界転生を果たして十八年目になる。そんな折、ここ数年ほど抱いてきた自身への『悪役令嬢疑惑』が遂に確信に変わる出来事と遭遇した。
突き付けられた婚約破棄、別の女性と愛を語る元婚約者……前世で見かけたベタ過ぎる展開。それを前にアデリシアは、「これは悪役令嬢な自分が逆ざまぁする方の物語では」と判断。
と、そこでアデリシアはハッとする。今なら自分はフリー。よって、今まで想いを秘めてきた片想いの相手に告白できると。
アデリシアが想いを寄せているレンは平民だった。それも二十も年上で子持ちの元既婚者という、これから始まると思われる『悪役令嬢物語』の男主人公にはおよそ当て嵌まらないだろう人。だからレンに告白したアデリシアに在ったのは、ただ彼に気持ちを伝えたいという思いだけだった。
ところがレンから来た返事は、「今日から一ヶ月、僕と秘密の恋人になろう」というものだった。
そこでアデリシアは何故『一ヶ月』なのかに思い至る。アデリシアが暮らすローク王国は、婚約破棄をした者は一ヶ月、新たな婚約を結べない。それを逆手に取れば、確かにその間だけであるならレンと恋人になることが可能だと。
アデリシアはレンの提案に飛び付いた。
そして、こうなってしまったからには悪役令嬢の物語は始めないようにすると誓った。だってレンは男主人公ではないのだから。
そんなわけで、自分一人で立派にざまぁしてみせると決意したアデリシアだったのだが――
※この作品は、『小説家になろう』様でも公開しています。
モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】
いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。
陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々
だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い
何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ
聖女だと呼び出しておいて無能ですか?〜捨てられた私は魔王様に溺愛される〜
みおな
恋愛
学校帰りにいきなり眩い光に包まれて連れて来られたのは異世界でした。
王子はこんなちんちくりんは聖女ではないと言い放ち、私を王宮から追い出しました。
元の世界に帰る方法は、魔王の持つ帰還の指輪が必要と言われ、途方にくれた私の前に現れたのは、美形の魔王でした。
異世界で悪役令嬢として生きる事になったけど、前世の記憶を持ったまま、自分らしく過ごして良いらしい
千晶もーこ
恋愛
あの世に行ったら、番人とうずくまる少女に出会った。少女は辛い人生を歩んできて、魂が疲弊していた。それを知った番人は私に言った。
「あの子が繰り返している人生を、あなたの人生に変えてください。」
「………はぁああああ?辛そうな人生と分かってて生きろと?それも、繰り返すかもしれないのに?」
でも、お願いされたら断れない性分の私…。
異世界で自分が悪役令嬢だと知らずに過ごす私と、それによって変わっていく周りの人達の物語。そして、その物語の後の話。
※この話は、小説家になろう様へも掲載しています
捨てた騎士と拾った魔術師
吉野屋
恋愛
貴族の庶子であるミリアムは、前世持ちである。冷遇されていたが政略でおっさん貴族の後妻落ちになる事を懸念して逃げ出した。実家では隠していたが、魔力にギフトと生活能力はあるので、王都に行き暮らす。優しくて美しい夫も出来て幸せな生活をしていたが、夫の兄の死で伯爵家を継いだ夫に捨てられてしまう。その後、王都に来る前に出会った男(その時は鳥だった)に再会して国を左右する陰謀に巻き込まれていく。
【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました
三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。
助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい…
神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた!
しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった!
攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。
ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい…
知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず…
注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる