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31 独占欲
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レオンが十五歳になった年の冬。
ベイワース侯爵家では、主人の仕事関係者を招く小規模な訪問会が開かれていた。
舞踏会のような華やかさはないが、屋敷の空気はどこか張りつめている。
十九世紀のイングランドにおいて、地方貴族の屋敷には、書記官や代官、判事といった実務官僚が定期的に出入りする。
その家族も同行することが多く、年に数度、挨拶と事務的な連絡を兼ねて屋敷を訪れるのが慣例だった。
それは社交というより、公務に付随する礼節の確認に近い。
過剰な親しさは避けられ、使用人もまた、感情を挟まない対応を求められる場である。
そんな廊下で――
客のひとり、侯爵家に出入りする書記官の息子らしい、十四、五歳ほどの少年が、私を見つけて足を止めた。
「こちらの屋敷のメイドですか? ずいぶん整ったお顔立ちだ」
声には、年頃の少年特有の無邪気さと好奇心が混じっている。
視線も、まだ遠慮を知らない若さゆえの率直さだった。
下卑た気配はない。
けれど、それでも――使用人の立場としては、少しだけ距離を詰めすぎた視線だ。
私は軽く背筋を正し、ひかえめに会釈して道をあけた。
「失礼いたします。お仕事がございますので」
形式に則った、無難な返答。
それ以上の感情を含ませてはならない。
立ち去ろうとすると、少年は追うように微笑んだ。
「名前を聞いても?」
「申し訳ございません。勤務中でして」
その一言で、私は相手と距離をおく。
使用人が、客人と私的な会話を重ねることは許されない。
私は足早に廊下を進んだ。
角を曲がった、その先で――
レオンが、壁に背をあずけて立っていた。
冬の日差しが高窓から差し込み、石壁に淡い影を落としている。
薄い光の中に浮かぶ横顔は、まだ少年の輪郭を残しているのに、瞳だけがはっきりと怒りを帯びていた。
「……さっきの男、誰だ」
低く、抑えた声。
「書記官の御子息です。私は、ご挨拶をしただけで――」
「必要なかった」
短く、切り捨てるような言い方だった。
「僕の許可なく、他の男に笑いかけないでくれ」
「坊ちゃま……私は使用人です。笑顔は、礼儀として求められることで――」
「……わかってる。でも、いやなんだ」
その一言は、単なる嫉妬ではない。
幼さと孤独、そして自分でも扱いきれない感情が、からまり合ってにじみ出ていた。
足元に落ちる影が、彼の感情に呼応するように濃く揺れる。
私はそっとしゃがみ込み、その影に触れる。
そして、自分の影を重ねるように、静かに撫でた。
「坊ちゃま。私はどこへも参りません。
誰にも取られたりいたしませんよ」
だが――
今日は、その言葉だけでは足りなかったらしい。
レオンはうついたまま、かすれた声で言った。
「……言葉じゃなくて。態度でしめしてほしい」
その表情にあったのは、我儘ではなく、怯えに近い必死さだった。
大人になりかけの心が、支えを失うことを恐れている。
「しかたがないですね……」
私は周囲を確かめてから、誰も使わない小さな補助部屋――
掃除用具や予備のリネンを置く、ストア・ルームへと彼を連れていった。
訪問会の最中でも、昼間はほとんど人が来ない場所だ。
使用人としては不適切ぎりぎりの行為だが、今は彼を落ち着かせる必要があった。
扉を閉めると、室内は静寂に包まれる。
レオンは、その場に立ちつくしていた。
背は伸び、体つきも変わり始めているのに、どこか持て余すような危うさが残っている。
胸の奥では、大人の感情が制御できない炎のように燃えているのだろう。
私は深く息を吸い、静かに告げた。
「失礼いたしますね。……少しだけです」
そうして、そっと彼を抱きしめた。
細い肩が、びくりと震える。
私は背中に手を添え、逃げ場をつくるように、包み込む。
「坊ちゃま。あなたが不安になる必要はありません。
私は、あなたを置いていったりいたしません」
レオンの指が、ためらいがちに私の服の端をつまんだ。
「……ほんとうに?」
「ええ。ほんとうでございます」
その言葉に、ようやく彼の身体から、ほんのわずか力が抜けた。
ベイワース侯爵家では、主人の仕事関係者を招く小規模な訪問会が開かれていた。
舞踏会のような華やかさはないが、屋敷の空気はどこか張りつめている。
十九世紀のイングランドにおいて、地方貴族の屋敷には、書記官や代官、判事といった実務官僚が定期的に出入りする。
その家族も同行することが多く、年に数度、挨拶と事務的な連絡を兼ねて屋敷を訪れるのが慣例だった。
それは社交というより、公務に付随する礼節の確認に近い。
過剰な親しさは避けられ、使用人もまた、感情を挟まない対応を求められる場である。
そんな廊下で――
客のひとり、侯爵家に出入りする書記官の息子らしい、十四、五歳ほどの少年が、私を見つけて足を止めた。
「こちらの屋敷のメイドですか? ずいぶん整ったお顔立ちだ」
声には、年頃の少年特有の無邪気さと好奇心が混じっている。
視線も、まだ遠慮を知らない若さゆえの率直さだった。
下卑た気配はない。
けれど、それでも――使用人の立場としては、少しだけ距離を詰めすぎた視線だ。
私は軽く背筋を正し、ひかえめに会釈して道をあけた。
「失礼いたします。お仕事がございますので」
形式に則った、無難な返答。
それ以上の感情を含ませてはならない。
立ち去ろうとすると、少年は追うように微笑んだ。
「名前を聞いても?」
「申し訳ございません。勤務中でして」
その一言で、私は相手と距離をおく。
使用人が、客人と私的な会話を重ねることは許されない。
私は足早に廊下を進んだ。
角を曲がった、その先で――
レオンが、壁に背をあずけて立っていた。
冬の日差しが高窓から差し込み、石壁に淡い影を落としている。
薄い光の中に浮かぶ横顔は、まだ少年の輪郭を残しているのに、瞳だけがはっきりと怒りを帯びていた。
「……さっきの男、誰だ」
低く、抑えた声。
「書記官の御子息です。私は、ご挨拶をしただけで――」
「必要なかった」
短く、切り捨てるような言い方だった。
「僕の許可なく、他の男に笑いかけないでくれ」
「坊ちゃま……私は使用人です。笑顔は、礼儀として求められることで――」
「……わかってる。でも、いやなんだ」
その一言は、単なる嫉妬ではない。
幼さと孤独、そして自分でも扱いきれない感情が、からまり合ってにじみ出ていた。
足元に落ちる影が、彼の感情に呼応するように濃く揺れる。
私はそっとしゃがみ込み、その影に触れる。
そして、自分の影を重ねるように、静かに撫でた。
「坊ちゃま。私はどこへも参りません。
誰にも取られたりいたしませんよ」
だが――
今日は、その言葉だけでは足りなかったらしい。
レオンはうついたまま、かすれた声で言った。
「……言葉じゃなくて。態度でしめしてほしい」
その表情にあったのは、我儘ではなく、怯えに近い必死さだった。
大人になりかけの心が、支えを失うことを恐れている。
「しかたがないですね……」
私は周囲を確かめてから、誰も使わない小さな補助部屋――
掃除用具や予備のリネンを置く、ストア・ルームへと彼を連れていった。
訪問会の最中でも、昼間はほとんど人が来ない場所だ。
使用人としては不適切ぎりぎりの行為だが、今は彼を落ち着かせる必要があった。
扉を閉めると、室内は静寂に包まれる。
レオンは、その場に立ちつくしていた。
背は伸び、体つきも変わり始めているのに、どこか持て余すような危うさが残っている。
胸の奥では、大人の感情が制御できない炎のように燃えているのだろう。
私は深く息を吸い、静かに告げた。
「失礼いたしますね。……少しだけです」
そうして、そっと彼を抱きしめた。
細い肩が、びくりと震える。
私は背中に手を添え、逃げ場をつくるように、包み込む。
「坊ちゃま。あなたが不安になる必要はありません。
私は、あなたを置いていったりいたしません」
レオンの指が、ためらいがちに私の服の端をつまんだ。
「……ほんとうに?」
「ええ。ほんとうでございます」
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