19世紀イングランド風の異世界。未来で悪役になる貴族の息子を、メイドの私が溺愛して運命を変えます

ねこまんまる

文字の大きさ
39 / 40

39 仲間たちの気づかい

しおりを挟む
ミセス・ターナーは少し声を落とし、言葉を続けた。

「エマは、真面目で働き者です。
誰よりも坊ちゃまのお世話に尽くしている。
彼女を困らせるような真似を、私は決して許しません」

言葉の端々には厳しさだけでなく、ハウスキーパーとしての不器用な庇護ひごがにじんでいた。

メイドたちが散り散りになり、ミセス・ターナーが背を向けて歩き去ったあと、私は胸に手を当てて感謝した。

……私は、この屋敷では弱い立場のまま。
でも……誰かが私を守ってくれている。

レオンの部屋へ向かう途中、私は自分がどれほど危うい場所に立っているかを静かに噛みしめていた。

 
ランドリーでタオルを抱え、裏階段へ向かう途中だった。

廊下の先、磨き上げられた木の手すりのそばで、フットマンのひとりの青年……ヘンリーが、銀のトレイを持ったまま、私に気づいて軽く顎を上げた。

「エマ。――ちょっといいかな?」

呼び止められて、私は足を止めた。
 
この時代、女性使用人が男性に長く話しかけられるのは避けるべきことだ。
けれど、ヘンリーは礼儀正しく、いたずらなウワサを流すような人間ではない。

フットマンは、主にヨーロッパの貴族や上流階級の屋敷で働く男性使用人のことだ。
19世紀のイギリスでは、黒い燕尾服えんびふく(※上着)と金ボタンの制服を着用していた。

私はタオルを抱え直し、控えめに微笑む。

「はい、ヘンリーさん。どうかされました?」

ヘンリーはトレイを胸の前で支えたまま、声をひそめるようにして言った。

「さっき、厨房で聞いたんだけどさ……
坊ちゃま、今日は機嫌がお悪いのか?」

私は一瞬まばたきをした。
レオンの影の荒れ具合を、誰かに悟られるのは好ましくない。

「まあ……少し、お疲れのご様子でしたわ」

「なるほどね。夕食の時、ずいぶん静かだったから。
いつもなら、君を呼んでティーカップを取らせたりするだろ?」

「それは……あの、ほんの気まぐれでして。
坊ちゃまも、まだご年齢がお若いですから」

「君も大変だな」

ヘンリーは冗談めかして肩をすくめた。
フットマンは女性に軽口を叩くこともあるが、ヘンリーの口調にはからかいはなく、ただ“仲間としての労り”があった。

「エマが倒れたら、屋敷中が困るよ。
坊ちゃまも、きっと落ち着かなくなるだろうし」

「そんな……私は平気です。ありがとうございます」

二人の会話は本当に短いものだった。
それでも、裏階段の下から、若い下働きの少女が好奇の目でこちらを見ている。

私はその視線に気づくと、さっと一歩身を引き、頭を下げた。

「では、お仕事に戻ります。失礼いたします」

ヘンリーも気づいたらしく、かすかに眉を上げたあと、礼儀正しく会釈する。

「うん。また後でな、エマ。……無理するなよ」

私は会釈してその場を離れた。

裏階段を上る足取りは自然を装っていたが、胸の奥で小さな不安が疼いていた。

今の会話、また噂になるのだろうか。
レオン坊ちゃまが聞いたら……影が揺れる。

夕暮れに沈む廊下を歩きながら、私はそっとタオルを胸に抱きしめた。


その日の午後――
 
私がレオンの部屋へ呼ばれた時、空気にはすでに“荒れた気配”がただよっていた。
 
部屋の扉を開けた瞬間、机の下の影がぐらりと揺れ、まるで黒い水が床板に流れ広がるように波打った。

「坊ちゃま、落ち着いてくださいませ」

私は、つとめて穏やかに言った。
19世紀のメイドは、主人の前で感情的になることを厳しく禁じられている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(自称)我儘令嬢の奮闘、後、それは誤算です!

みん
恋愛
双子の姉として生まれたエヴィ。双子の妹のリンディは稀な光の魔力を持って生まれた為、体が病弱だった。両親からは愛されているとは思うものの、両親の関心はいつも妹に向いていた。 妹は、病弱だから─と思う日々が、5歳のとある日から日常が変わっていく事になる。 今迄関わる事のなかった異母姉。 「私が、お姉様を幸せにするわ!」 その思いで、エヴィが斜め上?な我儘令嬢として奮闘しているうちに、思惑とは違う流れに─そんなお話です。 最初の方はシリアスで、恋愛は後程になります。 ❋主人公以外の他視点の話もあります。 ❋独自の設定や、相変わらずのゆるふわ設定なので、ゆるーく読んでいただけると嬉しいです。ゆるーく読んで下さい(笑)。

【完結】婚約破棄寸前の悪役令嬢は7年前の姿をしている

五色ひわ
恋愛
 ドラード王国の第二王女、クラウディア・ドラードは正体不明の相手に襲撃されて子供の姿に変えられてしまった。何とか逃げのびたクラウディアは、年齢を偽って孤児院に隠れて暮らしている。  初めて経験する貧しい暮らしに疲れ果てた頃、目の前に現れたのは婚約破棄寸前の婚約者アルフレートだった。

『悪役令嬢』は始めません!

月親
恋愛
侯爵令嬢アデリシアは、日本から異世界転生を果たして十八年目になる。そんな折、ここ数年ほど抱いてきた自身への『悪役令嬢疑惑』が遂に確信に変わる出来事と遭遇した。 突き付けられた婚約破棄、別の女性と愛を語る元婚約者……前世で見かけたベタ過ぎる展開。それを前にアデリシアは、「これは悪役令嬢な自分が逆ざまぁする方の物語では」と判断。 と、そこでアデリシアはハッとする。今なら自分はフリー。よって、今まで想いを秘めてきた片想いの相手に告白できると。 アデリシアが想いを寄せているレンは平民だった。それも二十も年上で子持ちの元既婚者という、これから始まると思われる『悪役令嬢物語』の男主人公にはおよそ当て嵌まらないだろう人。だからレンに告白したアデリシアに在ったのは、ただ彼に気持ちを伝えたいという思いだけだった。 ところがレンから来た返事は、「今日から一ヶ月、僕と秘密の恋人になろう」というものだった。 そこでアデリシアは何故『一ヶ月』なのかに思い至る。アデリシアが暮らすローク王国は、婚約破棄をした者は一ヶ月、新たな婚約を結べない。それを逆手に取れば、確かにその間だけであるならレンと恋人になることが可能だと。 アデリシアはレンの提案に飛び付いた。 そして、こうなってしまったからには悪役令嬢の物語は始めないようにすると誓った。だってレンは男主人公ではないのだから。 そんなわけで、自分一人で立派にざまぁしてみせると決意したアデリシアだったのだが―― ※この作品は、『小説家になろう』様でも公開しています。

モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】

いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。 陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々 だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い 何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ

聖女だと呼び出しておいて無能ですか?〜捨てられた私は魔王様に溺愛される〜

みおな
恋愛
 学校帰りにいきなり眩い光に包まれて連れて来られたのは異世界でした。  王子はこんなちんちくりんは聖女ではないと言い放ち、私を王宮から追い出しました。  元の世界に帰る方法は、魔王の持つ帰還の指輪が必要と言われ、途方にくれた私の前に現れたのは、美形の魔王でした。

異世界で悪役令嬢として生きる事になったけど、前世の記憶を持ったまま、自分らしく過ごして良いらしい

千晶もーこ
恋愛
あの世に行ったら、番人とうずくまる少女に出会った。少女は辛い人生を歩んできて、魂が疲弊していた。それを知った番人は私に言った。 「あの子が繰り返している人生を、あなたの人生に変えてください。」 「………はぁああああ?辛そうな人生と分かってて生きろと?それも、繰り返すかもしれないのに?」 でも、お願いされたら断れない性分の私…。 異世界で自分が悪役令嬢だと知らずに過ごす私と、それによって変わっていく周りの人達の物語。そして、その物語の後の話。 ※この話は、小説家になろう様へも掲載しています

捨てた騎士と拾った魔術師

吉野屋
恋愛
 貴族の庶子であるミリアムは、前世持ちである。冷遇されていたが政略でおっさん貴族の後妻落ちになる事を懸念して逃げ出した。実家では隠していたが、魔力にギフトと生活能力はあるので、王都に行き暮らす。優しくて美しい夫も出来て幸せな生活をしていたが、夫の兄の死で伯爵家を継いだ夫に捨てられてしまう。その後、王都に来る前に出会った男(その時は鳥だった)に再会して国を左右する陰謀に巻き込まれていく。

【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました

三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。 助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい… 神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた! しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった! 攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。 ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい… 知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず… 注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。

処理中です...