2 / 45
2 宮廷ではウワサばかり
しおりを挟む
「では、つぎは着替えましょう、セシル様」
部屋つきの侍女が、銀盆に整えられたレースとリボンを確かめながら言った。
私は鏡の前の椅子からそっと立ちあがる。
すでに髪は高く結い上げられ、白粉がふわりと乗せられ、羽と造花で華やかに飾られている。
宮廷では、まず髪が最優先。
仕上がるのに何時間もかかるからだ。
侍女は私のシュミーズ(※薄い肌着)を整えると、つぎに淡い桃色のステイ(※のちの、コルセット)を用意する。
「では、締めますわ。少し息をお控えくださいませ」
背中で紐が滑り、ぎゅ、と結び目が引かれた瞬間、胸が上へと持ち上がり、胴がまっすぐに矯正される。
18世紀の美は、こうして息苦しさと引き換えに作られる。
侍女は私の体の動きを見ながら、鯨ひげがぬいこまれたステイを、段階的に締め上げていく。
「これくらいが宮廷では理想でございます。セシル様の体は本当にお美しいラインですわ」
鏡を見ると、胴はなめらかに伸び、くびれではなく“貴婦人特有のまっすぐな円柱”の形へと整えられていた。
コルセットは時代により形がちがい、この時代のものは、“ウエストを細くするため”というより円柱のようなシルエットを作るのが目的だ。
――これで一日中過ごすなんて。
心の中で小さくつぶやきながら、私は表情だけは優雅にととのえる。
悪役令嬢のセシルなら、この苦しさを抱えてなお、完璧に微笑んでみせるはずだから。
次に侍女は、パニエ(※スカートを“左右に大きく広げるための骨組み)を私の腰に固定する。
「失礼いたしますわ」
三人の侍女が、私にドレスを着せていく。
見ただけで『高位の令嬢』だとわかる、贅沢なドレス、ローブ・ア・ラ・フランセーズ。
絹の光沢が肌に触れるたび、私は“宮廷のきびしいルール”をまとっていくような気さえする。
ここにいる侍女たちとは昔からのつきあいだけど、友人のような雑談をかわすことはない。
貴族の世界というのは監視の目がきびしく、侍女は令嬢と楽しげな雑談をしただけで評価が下がり、夜番や雑務にまわされることもある。
ドレスを着せられながら、私は思う。
……それにしても、よりによってなんで悪役令嬢に転生したの?
ゲーム内のセシルは、傲慢・わがまま・嫌がらせのかたまり。
最終的に“断罪イベント”で、すべての貴族から糾弾され、婚約破棄され、修道院送りになるのだ。
それが私の固定ルート。
救いなしのバッドエンド。
冗談じゃないわ。
史実の18世紀宮廷で修道院送りなんて、実質“人生終了”。
18世紀フランス宮廷の令嬢にとって、処刑よりも修道院送りの方が、ずっとおそろしい。
この時代の修道院は、現代の修道院とはまったく別物なのだ。
現代では、外出できる修道院も多く、活動はボランティアや教育など多様。
でもこの時代は、令嬢を閉じ込める収容所みたいなものだ。
家族の許可なしには外出すらできないし、つねに監視されて、料理や洗濯などの家事もさせてもらえない。
転生直後の私は、自分が悪役令嬢のセシルになっていると気がついたとき、震えが止まらなかった。
でも、泣くひまはない。
絶対に、私は断罪されないわ。
そう誓って今日まで生きてきた。
なのにどうして、ゲーム通りに“フラグ”が勝手に立っていくのかしら……。
ゲームの中の悪評が現実でも反映されているのか、宮廷中で『私=暴君』というウワサが勝手に一人歩きしている。
すこし開いてあるドアの向こうでは、白い宮廷服に身を包んだ従者たちが、銀器を運ぶために細い通路を行きかっている。
そのあいまに、ひそひそとウワサ話をしていた。
「……セシル様、昨日は伯爵令嬢に“暴力”をふるわれたそうよ」
「しっ……声が大きいわ。侍従長に聞かれたらクビになるわよ」
ヴェルサイユでは、ウワサは呼吸のように自然に生まれ、やがて誰かの名誉を持ち上げ、誰かの人生を叩き落とす。
とくに――
私のように、“高位で、敵の多い令嬢”に関するウワサは、自律して歩いて宮殿中を駆け巡る。
――立ち向かわなければ。ウワサは自然に消えはしない。
裾を整えた侍女が「ご準備できました」と頭を下げる。
私は静かに立ちあがり、覚悟を胸に、部屋を出た。
部屋つきの侍女が、銀盆に整えられたレースとリボンを確かめながら言った。
私は鏡の前の椅子からそっと立ちあがる。
すでに髪は高く結い上げられ、白粉がふわりと乗せられ、羽と造花で華やかに飾られている。
宮廷では、まず髪が最優先。
仕上がるのに何時間もかかるからだ。
侍女は私のシュミーズ(※薄い肌着)を整えると、つぎに淡い桃色のステイ(※のちの、コルセット)を用意する。
「では、締めますわ。少し息をお控えくださいませ」
背中で紐が滑り、ぎゅ、と結び目が引かれた瞬間、胸が上へと持ち上がり、胴がまっすぐに矯正される。
18世紀の美は、こうして息苦しさと引き換えに作られる。
侍女は私の体の動きを見ながら、鯨ひげがぬいこまれたステイを、段階的に締め上げていく。
「これくらいが宮廷では理想でございます。セシル様の体は本当にお美しいラインですわ」
鏡を見ると、胴はなめらかに伸び、くびれではなく“貴婦人特有のまっすぐな円柱”の形へと整えられていた。
コルセットは時代により形がちがい、この時代のものは、“ウエストを細くするため”というより円柱のようなシルエットを作るのが目的だ。
――これで一日中過ごすなんて。
心の中で小さくつぶやきながら、私は表情だけは優雅にととのえる。
悪役令嬢のセシルなら、この苦しさを抱えてなお、完璧に微笑んでみせるはずだから。
次に侍女は、パニエ(※スカートを“左右に大きく広げるための骨組み)を私の腰に固定する。
「失礼いたしますわ」
三人の侍女が、私にドレスを着せていく。
見ただけで『高位の令嬢』だとわかる、贅沢なドレス、ローブ・ア・ラ・フランセーズ。
絹の光沢が肌に触れるたび、私は“宮廷のきびしいルール”をまとっていくような気さえする。
ここにいる侍女たちとは昔からのつきあいだけど、友人のような雑談をかわすことはない。
貴族の世界というのは監視の目がきびしく、侍女は令嬢と楽しげな雑談をしただけで評価が下がり、夜番や雑務にまわされることもある。
ドレスを着せられながら、私は思う。
……それにしても、よりによってなんで悪役令嬢に転生したの?
ゲーム内のセシルは、傲慢・わがまま・嫌がらせのかたまり。
最終的に“断罪イベント”で、すべての貴族から糾弾され、婚約破棄され、修道院送りになるのだ。
それが私の固定ルート。
救いなしのバッドエンド。
冗談じゃないわ。
史実の18世紀宮廷で修道院送りなんて、実質“人生終了”。
18世紀フランス宮廷の令嬢にとって、処刑よりも修道院送りの方が、ずっとおそろしい。
この時代の修道院は、現代の修道院とはまったく別物なのだ。
現代では、外出できる修道院も多く、活動はボランティアや教育など多様。
でもこの時代は、令嬢を閉じ込める収容所みたいなものだ。
家族の許可なしには外出すらできないし、つねに監視されて、料理や洗濯などの家事もさせてもらえない。
転生直後の私は、自分が悪役令嬢のセシルになっていると気がついたとき、震えが止まらなかった。
でも、泣くひまはない。
絶対に、私は断罪されないわ。
そう誓って今日まで生きてきた。
なのにどうして、ゲーム通りに“フラグ”が勝手に立っていくのかしら……。
ゲームの中の悪評が現実でも反映されているのか、宮廷中で『私=暴君』というウワサが勝手に一人歩きしている。
すこし開いてあるドアの向こうでは、白い宮廷服に身を包んだ従者たちが、銀器を運ぶために細い通路を行きかっている。
そのあいまに、ひそひそとウワサ話をしていた。
「……セシル様、昨日は伯爵令嬢に“暴力”をふるわれたそうよ」
「しっ……声が大きいわ。侍従長に聞かれたらクビになるわよ」
ヴェルサイユでは、ウワサは呼吸のように自然に生まれ、やがて誰かの名誉を持ち上げ、誰かの人生を叩き落とす。
とくに――
私のように、“高位で、敵の多い令嬢”に関するウワサは、自律して歩いて宮殿中を駆け巡る。
――立ち向かわなければ。ウワサは自然に消えはしない。
裾を整えた侍女が「ご準備できました」と頭を下げる。
私は静かに立ちあがり、覚悟を胸に、部屋を出た。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者はお譲りします!転生悪役令嬢は世界を救いたい!
白雨 音
恋愛
公爵令嬢アラベラは、階段から転落した際、前世を思い出し、
この世界が、前世で好きだった乙女ゲームの世界に似ている事に気付いた。
自分に与えられた役は《悪役令嬢》、このままでは破滅だが、避ける事は出来ない。
ゲームのヒロインは、聖女となり世界を救う《予言》をするのだが、
それは、白竜への生贄として《アラベラ》を捧げる事だった___
「この世界を救う為、悪役令嬢に徹するわ!」と決めたアラベラは、
トゥルーエンドを目指し、ゲーム通りに進めようと、日々奮闘!
そんな彼女を見つめるのは…?
異世界転生:恋愛 (※婚約者の王子とは結ばれません) 《完結しました》
お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆
悪役令嬢だけど、私としては推しが見れたら十分なんですが?
榎夜
恋愛
私は『花の王子様』という乙女ゲームに転生した
しかも、悪役令嬢に。
いや、私の推しってさ、隠しキャラなのよね。
だから勝手にイチャついてて欲しいんだけど......
※題名変えました。なんか話と合ってないよねってずっと思ってて
悪役令嬢が睨んでくるので、理由を聞いてみた
ちくわ食べます
恋愛
転生したのは馴染みのない乙女ゲームの世界だった。
シナリオは分からず、登場人物もうろ覚え、タイトルなんて覚えてすらいない。
そんな世界でモブ男『トリスタン』として暮らす主人公。
恋愛至上主義な学園で大人しく、モブらしく、学園生活を送っていたはずなのに、なぜか悪役令嬢から睨まれていて。
気になったトリスタンは、悪役令嬢のセリスに理由を聞いてみることにした。
ヒロインだと言われましたが、人違いです!
みおな
恋愛
目が覚めたら、そこは乙女ゲームの世界でした。
って、ベタすぎなので勘弁してください。
しかも悪役令嬢にざまあされる運命のヒロインとかって、冗談じゃありません。
私はヒロインでも悪役令嬢でもありません。ですから、関わらないで下さい。
【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました
三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。
助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい…
神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた!
しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった!
攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。
ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい…
知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず…
注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。
転生悪役令嬢は冒険者になればいいと気が付いた
よーこ
恋愛
物心ついた頃から前世の記憶持ちの悪役令嬢ベルティーア。
国の第一王子との婚約式の時、ここが乙女ゲームの世界だと気が付いた。
自分はメイン攻略対象にくっつく悪役令嬢キャラだった。
はい、詰んだ。
将来は貴族籍を剥奪されて国外追放決定です。
よし、だったら魔法があるこのファンタジーな世界を満喫しよう。
国外に追放されたら冒険者になって生きるぞヒャッホー!
悪役令嬢、隠しキャラとこっそり婚約する
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢が隠しキャラに愛されるだけ。
ドゥニーズは違和感を感じていた。やがてその違和感から前世の記憶を取り戻す。思い出してからはフリーダムに生きるようになったドゥニーズ。彼女はその後、ある男の子と婚約をして…。
小説家になろう様でも投稿しています。
モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】
いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。
陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々
だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い
何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる