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3 近衛士官の男
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王妃のサロンまでの廊下は、ポマード(※香髪料)の甘いにおいと香水が混ざっている。
それがまた、宮廷らしい。
よく、昔のヴェルサイユ宮殿はくさいと言われるけど、全部がくさいわけじゃない。
私が歩けば、人々の視線が音もなく刺さってくる。
「あれが噂のヴァロワ嬢よ」
「王太子妃の座を狙っているんですって」
「叔母の公爵夫人が後ろ盾だから、傲慢なのだわ」
……傲慢?
私は一度もそんな態度を取ったことはない。
ただ、宮廷の最高序列の家に生まれたこと自体が、“傲慢”と解釈されてしまう。
私の家系は、王に仕えて功績を立てた新興家系の公爵家で、高い地位があるのだ。
王太子妃候補なんて、のぞんだおぼえはないのに。
そう思いながら歩いていると――
私は、思わぬ人物に呼び止められた。
「……セシル・ド・ヴァロワ嬢」
低く、よく通る声。
その響きだけで、背筋がひやりとした。
振り向くと――
近衛隊の制服をまとい、腰にサーベル(※軍刀)を帯びた黒髪の男が立っていた。
近衛士官の、アラン・ド・ロシュフォール中尉。
年齢は私より2歳ほど上。
当時としては高身長の170cmで、胸板が厚く、馬術・剣術の訓練で体は引きしまっている。
フランス南部のガスコーニュ地方出身らしく、地中海系の、端正な濃い顔立ちをしていた。
18世紀ヴェルサイユにいた『近衛隊』は、フランス王に仕える最精鋭の護衛部隊だった。
ヨーロッパ最古級の近衛部隊で、宮殿の“警察+護衛”の役割を持っている。
超上流階級の息子”だけがなれる特権職で、子爵・伯爵・侯爵家の息子が多い。
近衛部隊は、中世でいえば騎士に近い役割をもつ存在だけれど……、
華やかな宮廷や舞踏会が存在する、この18世紀――
バロック後期からロココの時代には、中世的な意味で鎧をまとい戦場を駆ける騎士は、すでに姿を消している。
騎士は称号と名誉を残したまま、王権に仕える貴族将校として宮廷制度の中に組み込まれていた。
宮廷の婦人たちは、アラン中尉をこう呼ぶ。
『鉄面皮のロシュフォール』
『ウワサに左右されない男』
『誰にもなびかない近衛士官』
宮廷の男たちが私をほめるときのような軽い色気も、社交辞令の笑みもない。
ただ真実をまっすぐ見てくる。
ヒロインの攻略対象者のひとりであり、ゲームで唯一“セシルに同情した男性キャラ”。
私は、彼に問いかけた。
「……何か、御用かしら」
「用件はひとつだ。反王妃派の者たちが、“セシル・ド・ヴァロアが王妃陛下のサロンで無礼を働いた”とウワサを流している」
「……身に覚えはないわ、中尉。私は王妃陛下の前で、無礼をはたらいてなんかいない」
「知っている」
淡々とした声。
疑っている気配はない。
「ウワサは、意図的にばらまかれている。あなたを王妃陛下の不興に落としこむために」
「そんな……証拠は?」
「まだない。だが――」
アランはほんのわずか、目を細めた。
「あなたのまわりで起きる“偶然”は多すぎる。誰かが動いている。それも、複数人だ」
……やっぱり。
たしか、ゲームでセシルを陥れたのは……
ライバル令嬢と、その背後の派閥。
18世紀のヴェルサイユの宮廷には、はっきりとした“派閥争い”が存在していた。
アランはさらに続ける。
「忠告しておく。ヴァロワ嬢。一度でも失態を見せれば、宮廷はあなたを切り捨てる。
ヴァロワ家の名声は高い。その分だけ、失脚すれば傷は深い」
「……わかっているわ」
私は唇を噛んだ。
彼の言葉は残酷だが、宮廷で生きる私には、痛いほどひびいた。
それに、彼は私をおどしているわけではない。
ただ、事実を告げているだけ。
「……そうね。忠告には感謝するわ、中尉」
すると、アランはふっと小さく息をつき、言葉を落とした。
「あなたは、自分が思うより“孤独”ではない」
「……え?」
彼は近づき、私だけに聞こえる声でささやいた。
「俺は、ウワサではなくあなた自身を見ている」
心臓が跳ねた。
18世紀の宮廷男性が、女性にこんな言い方をすることは滅多にない。
なにか目的があるのかしら……。
私が王妃派寄りの派閥だから、王太子派と王妃派の“実働部隊”である彼が動いているとか?
そう考えていると、アランは軽く頭を下げて去っていった。
その背中を見送りながら、私は気づいてしまう。
あれほど『冷たい』と世間で言われている男なのに、彼の声にはほんの少しだけ、“心配”の気配が宿っていた。
……どうして、中尉が私を気にかけるの?
宮廷で私に手を差し伸べる者はほとんどいない。
利用価値があるうちは近づき、ウワサが立てばすぐ離れていく。
けれど――
アランだけは、最初から距離を変えていなかった。
それがまた、宮廷らしい。
よく、昔のヴェルサイユ宮殿はくさいと言われるけど、全部がくさいわけじゃない。
私が歩けば、人々の視線が音もなく刺さってくる。
「あれが噂のヴァロワ嬢よ」
「王太子妃の座を狙っているんですって」
「叔母の公爵夫人が後ろ盾だから、傲慢なのだわ」
……傲慢?
私は一度もそんな態度を取ったことはない。
ただ、宮廷の最高序列の家に生まれたこと自体が、“傲慢”と解釈されてしまう。
私の家系は、王に仕えて功績を立てた新興家系の公爵家で、高い地位があるのだ。
王太子妃候補なんて、のぞんだおぼえはないのに。
そう思いながら歩いていると――
私は、思わぬ人物に呼び止められた。
「……セシル・ド・ヴァロワ嬢」
低く、よく通る声。
その響きだけで、背筋がひやりとした。
振り向くと――
近衛隊の制服をまとい、腰にサーベル(※軍刀)を帯びた黒髪の男が立っていた。
近衛士官の、アラン・ド・ロシュフォール中尉。
年齢は私より2歳ほど上。
当時としては高身長の170cmで、胸板が厚く、馬術・剣術の訓練で体は引きしまっている。
フランス南部のガスコーニュ地方出身らしく、地中海系の、端正な濃い顔立ちをしていた。
18世紀ヴェルサイユにいた『近衛隊』は、フランス王に仕える最精鋭の護衛部隊だった。
ヨーロッパ最古級の近衛部隊で、宮殿の“警察+護衛”の役割を持っている。
超上流階級の息子”だけがなれる特権職で、子爵・伯爵・侯爵家の息子が多い。
近衛部隊は、中世でいえば騎士に近い役割をもつ存在だけれど……、
華やかな宮廷や舞踏会が存在する、この18世紀――
バロック後期からロココの時代には、中世的な意味で鎧をまとい戦場を駆ける騎士は、すでに姿を消している。
騎士は称号と名誉を残したまま、王権に仕える貴族将校として宮廷制度の中に組み込まれていた。
宮廷の婦人たちは、アラン中尉をこう呼ぶ。
『鉄面皮のロシュフォール』
『ウワサに左右されない男』
『誰にもなびかない近衛士官』
宮廷の男たちが私をほめるときのような軽い色気も、社交辞令の笑みもない。
ただ真実をまっすぐ見てくる。
ヒロインの攻略対象者のひとりであり、ゲームで唯一“セシルに同情した男性キャラ”。
私は、彼に問いかけた。
「……何か、御用かしら」
「用件はひとつだ。反王妃派の者たちが、“セシル・ド・ヴァロアが王妃陛下のサロンで無礼を働いた”とウワサを流している」
「……身に覚えはないわ、中尉。私は王妃陛下の前で、無礼をはたらいてなんかいない」
「知っている」
淡々とした声。
疑っている気配はない。
「ウワサは、意図的にばらまかれている。あなたを王妃陛下の不興に落としこむために」
「そんな……証拠は?」
「まだない。だが――」
アランはほんのわずか、目を細めた。
「あなたのまわりで起きる“偶然”は多すぎる。誰かが動いている。それも、複数人だ」
……やっぱり。
たしか、ゲームでセシルを陥れたのは……
ライバル令嬢と、その背後の派閥。
18世紀のヴェルサイユの宮廷には、はっきりとした“派閥争い”が存在していた。
アランはさらに続ける。
「忠告しておく。ヴァロワ嬢。一度でも失態を見せれば、宮廷はあなたを切り捨てる。
ヴァロワ家の名声は高い。その分だけ、失脚すれば傷は深い」
「……わかっているわ」
私は唇を噛んだ。
彼の言葉は残酷だが、宮廷で生きる私には、痛いほどひびいた。
それに、彼は私をおどしているわけではない。
ただ、事実を告げているだけ。
「……そうね。忠告には感謝するわ、中尉」
すると、アランはふっと小さく息をつき、言葉を落とした。
「あなたは、自分が思うより“孤独”ではない」
「……え?」
彼は近づき、私だけに聞こえる声でささやいた。
「俺は、ウワサではなくあなた自身を見ている」
心臓が跳ねた。
18世紀の宮廷男性が、女性にこんな言い方をすることは滅多にない。
なにか目的があるのかしら……。
私が王妃派寄りの派閥だから、王太子派と王妃派の“実働部隊”である彼が動いているとか?
そう考えていると、アランは軽く頭を下げて去っていった。
その背中を見送りながら、私は気づいてしまう。
あれほど『冷たい』と世間で言われている男なのに、彼の声にはほんの少しだけ、“心配”の気配が宿っていた。
……どうして、中尉が私を気にかけるの?
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けれど――
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