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第一章
第四話 39 本性
聖月が浴場から出てくると、煌々と照らされた赤い絨毯が聖月を迎えていた。
その絨毯は、どこかワインレッドの気品がある爛熟(らんじゅく)した果実を思いだせる。髪や服を乾かせる前に、聖月はびしょびしょになったままお風呂場から連れてこられていた。そのせいで、聖月はくしゃみを繰り返していた。
男たちはそんな聖月を、無視してずんずんと先に進んでいた。なかにはそんな聖月をみて、嬉しそうにしている男までいた。悪趣味だ、と悪態をこっそりとついた。男たちが、ふいに足をあるドアの前で止めた。どうやらここが、目的地らしい。
ドアだけで先程の青年の部屋だということが、聖月でも嫌でも分かった。どんな見方をしても、さっきのドアと―――聖月の部屋と木の素材と構造が同じだった。
男たちはノックをひとつすると、向こうから声がかかる前にドアを開いた。そこには、豪華絢爛なシャンデリアを基調とした美しいまるで西洋のお屋敷のような――舞踏会をする場所ではないかと錯覚しそうな部屋であった。
灯りをつけられているが、少し前は暗闇であった先程のところだということが聖月は分かった。
そんな豪華な部屋なのに、真ん中に堂々とある赤いベットが毒々しく聖月の目には映る。あまりに、その赤色が血潮のように真っ赤だからだ。あそこまで赤いベットは聖月でも見たことがなかった。
このあと聖月はどうされるだろうか。―――全く、分からない。
よくないことが起こるのは分かる。ここまで、連れて込まれて何もされないというのは都合がよすぎる。聖月はそちらのほうがいいに決まっているが、そんな奇跡が起きないというのは誰でも分かる。何よりも、部屋の空気がそんな雰囲気を醸し出していた。
こんな状況下で、そんな馬鹿な事を考えるほど聖月は脳が足りてないわけじゃない。聖月たちが中に入ると、そこには10数人ほどの男たちがいた。年齢はさまざまで、共通点は皆着衣が乱れている点のみだ。入ってくるやいなや、部屋の男たちが喧騒としたものになる。
待ってましたといわんばかりに、楽しそうに拍手をする者もいた。まるで聖月がこのあと、この人たちに何かのショーをするために登場した気分になる。ここで何かやってみるかと、冗談も言いたくなってきた。だが、そんなことを言える雰囲気ではない。
一気に自身に向けられる、何十もの目。それが凶器となって聖月の心を容赦なくそぎ落とす。
昔から聖月は自分が注目を受けるのが嫌いだった。注目を受けるということは、つまりそのなかで自分のことをよく思っていない人物が必然的に、生まれるということだ。それを考えるだけで悪寒がした。
いつも注目を受け、好奇の視線にさらされる芸能人や十夜がここまで尊敬できることはない。部屋にいる男たちが裸だということも、聖月には恐怖をさらに大きくさせる一因にしかならない。
よくよく見ると、先ほど見た男もいる。つまり、ここはあの部屋で間違えないのだ。
青年が、鞭を打たれていたこの場所。この場所に連れてこられて何をされるかは、想像しなくてもだいたいは予想できる。
男たちによって赤いベットの上に放り出された聖月は、今すぐにでも壊れてしまいそうな心臓の音と、激しい狂いそうになるぐらいの強い動悸を感じながら身体を起こす。手足は自由だが、恐怖で逃げだすことも出来なかった。
ベットの隣に置いてある豪華な椅子には、見覚えの人物が悠々と座っていた。その人物は、先ほどのことは聖月の目のせいではなかったと確信できる人物であった。
少なくとも、目がおかしくなったわけではなかったらしい。それでも、到底聖月には信じられない人物だったわけだが。
――いや、正確にいえば『そこにいるのが信じたくない、人』だった。
「やあ。聖月」
小向は極上の笑みを浮かべて手を親しげな友人に会った時のように小さく手を振った。いつの間にか、くん呼びでもなく呼び捨てで聖月のことを呼んでいる。
そんなところを深く咎めないぐらい、聖月はそこにいる人間に《恐怖》という感情を抱いていた。どうして、そこにいるのかと質問も軽く出来ないほど、目の前で優しげに微笑んでいる小向が聖月には恐ろしかったのだ。
右手をあげ、聖月を出迎えていた。先ほどと同じように、スーツをきっちりと着こなしている。それがこの空間では異常に見えるぐらいだった。彼はここの場所の支配者だった。
ここで小向が着るのは、スーツではない。ここでふさわしいのは、最高権力者の証しである王様のマントだ。
そう聖月が思ってしまうほど、小向には権力者のオーラがあった。彼がここの部屋で一番の立場だというのは、そこから発せられるオーラで分かる。ここのヒエラルキーのピラミッドでは小向が一番上なのだろう。
いやもしかしたら、それは外の世界でも通用するのかもしれない。
「おいっ、なんだよこれっ! どういうことか、説明しろっ」
聖月は今すぐにでも泣き言を吐きそうになるのをひた隠しながら小向に向かって吠えた。緊張で、少し声が裏返る。聖月のそんな様子に、小向は小馬鹿にするみたいに笑う。
嘲る笑みは、車の中で談笑した人物だとはどうしても信じられない。これが自分を快く優しい紳士かのように、施設にいれてくれた同一人物だとはどうしても聖月には思えなかった。
あの泣いていた聖月を聖母のように優しく抱きしめた小向は、いったいどこにいってしまったのだろう。もしかして、初めからそんな人間は存在しなかったとでも言うのだろうか。ガラガラと聖月の中にいた小向の仮面が剥がれていく。
やっぱり、聖月の思っていた通りだった。小向の笑みは嘘だった。仮面のような笑み。それはやはり、聖月を騙すための道化にすぎなかったのだ。
温厚な人で優しくて――そんな人物像が切り裂かれていく。まるで、ナイフのようにあっけなく。
小向は飄々と笑う。そんな姿、見たくなかった。それなのに、堂々と聖月に向かって本来の小向を彼は見せていく。
「聖月って、結構口悪いんだ。今まで敬語だったのに、ネコ被ってたわけか」
残念だ、と首を小向は軽く振った。
「今そんな話している場合じゃねえだろっ!」
「ずいぶん、口が達者だね」
口角を機械的にあげている様を見て、聖月はやはり小向の笑みは嘘ということを思い知らされた。もしかしたら、嘘かもしれないとは考えていたがそれを目の当たりにするとショックにほかならない。もう何を信じていいのか分からなくなっていく気がして聖月は怖かった。
小向の口から底知れぬ暗さを感じた。それを全部知ってしまったら、自分ではいられなくなるようなそんな予感がする。小向は、ふっと笑みを消した。
聖月は総毛立つ。もう、ここに居たくなった。一刻も早くこんな場所から出ていきたかった。
「はやく、帰らせてくれ…。はやく……」
泣きそうなのを堪え、聖月は呟く。今すぐにも頭を床にぶつけ気絶して、今日のことをすべて忘れたい。そうすれば、何も変わらない日常がそこには存在するはずだ。今の危険な状態から抜け出せて、今まで通り小さなも幸せを感じられるはずなのだ。
「でも、君がいけないんだよ。蒼が言ったはずだよね。6階には足を踏み入れてはいけない――と」
「……」
確かにそうだ。
聖月は入ってはいけないと言われた場所に入った。だが、それは子供の悲鳴を聞いたからだ。
子供の悲鳴が聞こえ、虐待させているのではないかとはかば思ったのだ。そう疑われることを、小向たちはやっていたのだ。入ってはいけないと言われた聖月だったが、悲鳴を聞いて不信に思わない人はいないだろう。聖月はそんな想いにかられて、考える暇もなく叫んでいた。
「悲鳴が聞こえて、気にならないってほうが無理だろっ、それに人道にはずれた行為をしていたのはお前らの方だろっ! 俺をよくも騙しやがったなっ、さっきの男の子はどこだ?! 早く言わないと、てめえらを刑務所送りにしてやる! 言わなくても、警察にいってやるかなっ」
一気に叫んだ聖月は、ぜえぜえと荒い息を繰り返した。周りの男たちは、急に威勢よく叫んだ聖月をみて目を丸くしていた。少しは、効果があったのかもしれない。これでどうだと聖月は小向を睨んだがそれを目の前の男は軽くかわした。
「ああ、やっぱり声上から漏れてたか。ここ古いしなぁ。てか、ここの下って聖月の部屋か…。失敗したなあ」
小向は、聖月のいった言葉を何も気にしていないのか、逆に考えるような姿勢をとった。
その姿が、不気味だ。
「んな、ことはどうでもいいんだよッ! 早く男の子を出せよっ」
「あの子はもういないよ。帰った」
小向が軽く言った言葉に、聖月は瞠目する。
帰った――…?どういうことか、聖月にはまったく分からない。
聖月は展開についていけなくて、頭を抱える。この先は聞いてはいけないような気がした。このまま話を聞いたら、もとに戻れないような予感がして聖月は無意識のうちの耳を両手で塞いでいた。
「帰った…?」
塞いだ両手が震えながら、口をすべらせる。ハテナマークが聖月の頭のなかで点滅する。意味が分からない。分かりたくもないのかもしれない。
「うん、だってあの子の仕事は終わったから」
「しごと…」
―――仕事…。
脳内で小向の言葉が、反芻していた。仕事。これが、あの青年の仕事だというのか。こんな、非日常的なことがあの青年の仕事とこの男はいっているのだろうか。信じられない、聖月は信じたくもなかった。
「こんなの…しごとにするんて…ばかげてる」
背筋がぶるぶると小刻みに震えた。こんなのを、嬉々として仕事にするなんて人はこの世にいるはずがない。居てたまるものか。
「でも、あの子は自分で望んでこの仕事を選んだんだ。警察になんかいう必要なんてないんだよ、聖月」
小向は、まるで歌うように口を軽妙に動かす。しかも、満面の笑みだ。聖月は、我慢できずに瞳に涙をためながら思い切り悲鳴にも似た声を出した。その声は掠れていた。
「あんなのが、同意の上だっていうのか?! あんなに泣き叫んでいたのに、あんな…あんな…。嘘だっ…この、鬼畜野郎ッ!」
聖月はシーツの上を泳ぐみたいにして掻き毟った。
本当はここから走って逃げたかった。だが、そんな度胸は聖月にはない。聖月の精いっぱいの拒絶だった。が、そんな聖月の様子を見て小向は可笑しそうに笑う。涙に濡れた視界はぼやけていて、自身がどこにいるのか分からなくなる錯覚に陥りそうになる。
「嘘じゃないよ。…ま、こんなこといっても信じてくれないか」
「ああ、信じないね。……これは、蒼たちは知ってんのか?」
疑問をふと零した時、耳を疑う声が聖月の耳朶を打った。
「知ってるけど。あ、ついでにケイもな」
この声には、聞き覚えがある。小向ではないとはっきり分かる、この声質。
何度も、聞いたことがある声。昨日も聞いた声。だから、間違いようのないことだった。
「……蒼…?」
自分の耳を塞ぎたいという欲求を感じながら、聖月は恐る恐る顔をあげた。声と同じ人物が小向の椅子の隣に立っていたことに、聖月は目を見開かせた。今すぐ、叫びたかった。このわけのわからない現実に。
そこには、ただ事実があった。聖月にとって、最悪の真実。聖月の頭の中が、真っ白に染まる。
「よっ、聖月。あ~あ、そんなびしょ濡れで寒いだろ。いつもの健康そうな肌が、青白くなってる。もしかして…怯えてる?」
目の前でいつも通りに笑っていたのは、まぎれもなくここの施設に住んでいて、聖月によくかまってくる蒼だった。
その絨毯は、どこかワインレッドの気品がある爛熟(らんじゅく)した果実を思いだせる。髪や服を乾かせる前に、聖月はびしょびしょになったままお風呂場から連れてこられていた。そのせいで、聖月はくしゃみを繰り返していた。
男たちはそんな聖月を、無視してずんずんと先に進んでいた。なかにはそんな聖月をみて、嬉しそうにしている男までいた。悪趣味だ、と悪態をこっそりとついた。男たちが、ふいに足をあるドアの前で止めた。どうやらここが、目的地らしい。
ドアだけで先程の青年の部屋だということが、聖月でも嫌でも分かった。どんな見方をしても、さっきのドアと―――聖月の部屋と木の素材と構造が同じだった。
男たちはノックをひとつすると、向こうから声がかかる前にドアを開いた。そこには、豪華絢爛なシャンデリアを基調とした美しいまるで西洋のお屋敷のような――舞踏会をする場所ではないかと錯覚しそうな部屋であった。
灯りをつけられているが、少し前は暗闇であった先程のところだということが聖月は分かった。
そんな豪華な部屋なのに、真ん中に堂々とある赤いベットが毒々しく聖月の目には映る。あまりに、その赤色が血潮のように真っ赤だからだ。あそこまで赤いベットは聖月でも見たことがなかった。
このあと聖月はどうされるだろうか。―――全く、分からない。
よくないことが起こるのは分かる。ここまで、連れて込まれて何もされないというのは都合がよすぎる。聖月はそちらのほうがいいに決まっているが、そんな奇跡が起きないというのは誰でも分かる。何よりも、部屋の空気がそんな雰囲気を醸し出していた。
こんな状況下で、そんな馬鹿な事を考えるほど聖月は脳が足りてないわけじゃない。聖月たちが中に入ると、そこには10数人ほどの男たちがいた。年齢はさまざまで、共通点は皆着衣が乱れている点のみだ。入ってくるやいなや、部屋の男たちが喧騒としたものになる。
待ってましたといわんばかりに、楽しそうに拍手をする者もいた。まるで聖月がこのあと、この人たちに何かのショーをするために登場した気分になる。ここで何かやってみるかと、冗談も言いたくなってきた。だが、そんなことを言える雰囲気ではない。
一気に自身に向けられる、何十もの目。それが凶器となって聖月の心を容赦なくそぎ落とす。
昔から聖月は自分が注目を受けるのが嫌いだった。注目を受けるということは、つまりそのなかで自分のことをよく思っていない人物が必然的に、生まれるということだ。それを考えるだけで悪寒がした。
いつも注目を受け、好奇の視線にさらされる芸能人や十夜がここまで尊敬できることはない。部屋にいる男たちが裸だということも、聖月には恐怖をさらに大きくさせる一因にしかならない。
よくよく見ると、先ほど見た男もいる。つまり、ここはあの部屋で間違えないのだ。
青年が、鞭を打たれていたこの場所。この場所に連れてこられて何をされるかは、想像しなくてもだいたいは予想できる。
男たちによって赤いベットの上に放り出された聖月は、今すぐにでも壊れてしまいそうな心臓の音と、激しい狂いそうになるぐらいの強い動悸を感じながら身体を起こす。手足は自由だが、恐怖で逃げだすことも出来なかった。
ベットの隣に置いてある豪華な椅子には、見覚えの人物が悠々と座っていた。その人物は、先ほどのことは聖月の目のせいではなかったと確信できる人物であった。
少なくとも、目がおかしくなったわけではなかったらしい。それでも、到底聖月には信じられない人物だったわけだが。
――いや、正確にいえば『そこにいるのが信じたくない、人』だった。
「やあ。聖月」
小向は極上の笑みを浮かべて手を親しげな友人に会った時のように小さく手を振った。いつの間にか、くん呼びでもなく呼び捨てで聖月のことを呼んでいる。
そんなところを深く咎めないぐらい、聖月はそこにいる人間に《恐怖》という感情を抱いていた。どうして、そこにいるのかと質問も軽く出来ないほど、目の前で優しげに微笑んでいる小向が聖月には恐ろしかったのだ。
右手をあげ、聖月を出迎えていた。先ほどと同じように、スーツをきっちりと着こなしている。それがこの空間では異常に見えるぐらいだった。彼はここの場所の支配者だった。
ここで小向が着るのは、スーツではない。ここでふさわしいのは、最高権力者の証しである王様のマントだ。
そう聖月が思ってしまうほど、小向には権力者のオーラがあった。彼がここの部屋で一番の立場だというのは、そこから発せられるオーラで分かる。ここのヒエラルキーのピラミッドでは小向が一番上なのだろう。
いやもしかしたら、それは外の世界でも通用するのかもしれない。
「おいっ、なんだよこれっ! どういうことか、説明しろっ」
聖月は今すぐにでも泣き言を吐きそうになるのをひた隠しながら小向に向かって吠えた。緊張で、少し声が裏返る。聖月のそんな様子に、小向は小馬鹿にするみたいに笑う。
嘲る笑みは、車の中で談笑した人物だとはどうしても信じられない。これが自分を快く優しい紳士かのように、施設にいれてくれた同一人物だとはどうしても聖月には思えなかった。
あの泣いていた聖月を聖母のように優しく抱きしめた小向は、いったいどこにいってしまったのだろう。もしかして、初めからそんな人間は存在しなかったとでも言うのだろうか。ガラガラと聖月の中にいた小向の仮面が剥がれていく。
やっぱり、聖月の思っていた通りだった。小向の笑みは嘘だった。仮面のような笑み。それはやはり、聖月を騙すための道化にすぎなかったのだ。
温厚な人で優しくて――そんな人物像が切り裂かれていく。まるで、ナイフのようにあっけなく。
小向は飄々と笑う。そんな姿、見たくなかった。それなのに、堂々と聖月に向かって本来の小向を彼は見せていく。
「聖月って、結構口悪いんだ。今まで敬語だったのに、ネコ被ってたわけか」
残念だ、と首を小向は軽く振った。
「今そんな話している場合じゃねえだろっ!」
「ずいぶん、口が達者だね」
口角を機械的にあげている様を見て、聖月はやはり小向の笑みは嘘ということを思い知らされた。もしかしたら、嘘かもしれないとは考えていたがそれを目の当たりにするとショックにほかならない。もう何を信じていいのか分からなくなっていく気がして聖月は怖かった。
小向の口から底知れぬ暗さを感じた。それを全部知ってしまったら、自分ではいられなくなるようなそんな予感がする。小向は、ふっと笑みを消した。
聖月は総毛立つ。もう、ここに居たくなった。一刻も早くこんな場所から出ていきたかった。
「はやく、帰らせてくれ…。はやく……」
泣きそうなのを堪え、聖月は呟く。今すぐにも頭を床にぶつけ気絶して、今日のことをすべて忘れたい。そうすれば、何も変わらない日常がそこには存在するはずだ。今の危険な状態から抜け出せて、今まで通り小さなも幸せを感じられるはずなのだ。
「でも、君がいけないんだよ。蒼が言ったはずだよね。6階には足を踏み入れてはいけない――と」
「……」
確かにそうだ。
聖月は入ってはいけないと言われた場所に入った。だが、それは子供の悲鳴を聞いたからだ。
子供の悲鳴が聞こえ、虐待させているのではないかとはかば思ったのだ。そう疑われることを、小向たちはやっていたのだ。入ってはいけないと言われた聖月だったが、悲鳴を聞いて不信に思わない人はいないだろう。聖月はそんな想いにかられて、考える暇もなく叫んでいた。
「悲鳴が聞こえて、気にならないってほうが無理だろっ、それに人道にはずれた行為をしていたのはお前らの方だろっ! 俺をよくも騙しやがったなっ、さっきの男の子はどこだ?! 早く言わないと、てめえらを刑務所送りにしてやる! 言わなくても、警察にいってやるかなっ」
一気に叫んだ聖月は、ぜえぜえと荒い息を繰り返した。周りの男たちは、急に威勢よく叫んだ聖月をみて目を丸くしていた。少しは、効果があったのかもしれない。これでどうだと聖月は小向を睨んだがそれを目の前の男は軽くかわした。
「ああ、やっぱり声上から漏れてたか。ここ古いしなぁ。てか、ここの下って聖月の部屋か…。失敗したなあ」
小向は、聖月のいった言葉を何も気にしていないのか、逆に考えるような姿勢をとった。
その姿が、不気味だ。
「んな、ことはどうでもいいんだよッ! 早く男の子を出せよっ」
「あの子はもういないよ。帰った」
小向が軽く言った言葉に、聖月は瞠目する。
帰った――…?どういうことか、聖月にはまったく分からない。
聖月は展開についていけなくて、頭を抱える。この先は聞いてはいけないような気がした。このまま話を聞いたら、もとに戻れないような予感がして聖月は無意識のうちの耳を両手で塞いでいた。
「帰った…?」
塞いだ両手が震えながら、口をすべらせる。ハテナマークが聖月の頭のなかで点滅する。意味が分からない。分かりたくもないのかもしれない。
「うん、だってあの子の仕事は終わったから」
「しごと…」
―――仕事…。
脳内で小向の言葉が、反芻していた。仕事。これが、あの青年の仕事だというのか。こんな、非日常的なことがあの青年の仕事とこの男はいっているのだろうか。信じられない、聖月は信じたくもなかった。
「こんなの…しごとにするんて…ばかげてる」
背筋がぶるぶると小刻みに震えた。こんなのを、嬉々として仕事にするなんて人はこの世にいるはずがない。居てたまるものか。
「でも、あの子は自分で望んでこの仕事を選んだんだ。警察になんかいう必要なんてないんだよ、聖月」
小向は、まるで歌うように口を軽妙に動かす。しかも、満面の笑みだ。聖月は、我慢できずに瞳に涙をためながら思い切り悲鳴にも似た声を出した。その声は掠れていた。
「あんなのが、同意の上だっていうのか?! あんなに泣き叫んでいたのに、あんな…あんな…。嘘だっ…この、鬼畜野郎ッ!」
聖月はシーツの上を泳ぐみたいにして掻き毟った。
本当はここから走って逃げたかった。だが、そんな度胸は聖月にはない。聖月の精いっぱいの拒絶だった。が、そんな聖月の様子を見て小向は可笑しそうに笑う。涙に濡れた視界はぼやけていて、自身がどこにいるのか分からなくなる錯覚に陥りそうになる。
「嘘じゃないよ。…ま、こんなこといっても信じてくれないか」
「ああ、信じないね。……これは、蒼たちは知ってんのか?」
疑問をふと零した時、耳を疑う声が聖月の耳朶を打った。
「知ってるけど。あ、ついでにケイもな」
この声には、聞き覚えがある。小向ではないとはっきり分かる、この声質。
何度も、聞いたことがある声。昨日も聞いた声。だから、間違いようのないことだった。
「……蒼…?」
自分の耳を塞ぎたいという欲求を感じながら、聖月は恐る恐る顔をあげた。声と同じ人物が小向の椅子の隣に立っていたことに、聖月は目を見開かせた。今すぐ、叫びたかった。このわけのわからない現実に。
そこには、ただ事実があった。聖月にとって、最悪の真実。聖月の頭の中が、真っ白に染まる。
「よっ、聖月。あ~あ、そんなびしょ濡れで寒いだろ。いつもの健康そうな肌が、青白くなってる。もしかして…怯えてる?」
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